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    ギギ@coinupippi

    ココイヌの壁打ち、練習用垢
    小説のつもり

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    POIPOI 49

    ギギ@coinupippi

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    20代前半辺りのココイヌ。
    東卍と天竺の抗争後に合併し、イヌピーだけが一般人となったif軸の捏造話。
    ココがイヌピーを拉致監禁して一緒に過ごす。
    またもや煩いモブが登場する。

    #ココイヌ
    cocoInu

    encounter.東卍と天竺は抗争の末、イザナとマイキーが合意して合併したという事になっている。
    表向きの理由はそうであるが、実際の所は戦意喪失した東卍のマイキーの名を振りかざしイザナや稀咲が好き勝手にするのだろう。
    誰がトップになろうがどうでも良い。金にさえなれば自分はそれで構わなかった。
    抜け殻のようになってまったマイキーを人質に取られたも同然の東卍のメンツはそのまま残る者と去る者とで別れたようだった。
    自分が必死に着いてくるようにと説得した幼馴染も、もうここには望むものは無いと目の前から立ち去って行った。
    彼が守りたかった黒龍はそこには無いと、諦めた顔をして散々ママゴト遊びに付き合い支えた自分をあっさりと見捨てたのだ。
    ココも行こう、と一度は手を引かれたが今更自分が陽の下を堂々と歩ける訳が無いのに残酷な事を言うとその手を振り払った。
    半分は己のしがない初恋に縋った結果だが、もう半分はお前の為に汚れたというのに。
    なんてあの頃は少しだけ逆恨みのような感情も持っていた。
    全部が全部、己の自己満足でやった行動なのだと後から冷静に思えるようになった頃にはもうどっぷりと裏の世界に浸かりきってしまってまともな生き方なんて解らなくなっていた。
    目の前で人が殺されても、自分のした事で誰かが不幸になろうともこの心は1ミリも動かなくなっていた。
    幼馴染であった彼の事も、初恋だった大切な彼女の事もその内殆ど思い出す事が無くなって来た頃だ。



    「ココ?」

    幹部会という下らない馴れ合いの後、繁華街を護衛に囲まれて車までの道を歩いていた所で聞き覚えのある声に振り向いてしまった。
    振り向いてから、失敗したと思った。
    5年ぶりくらいに見た幼馴染は油の染みが滲むツナギと工具箱片手にただそこに立っていた。
    ただそれだけなのに、久し振りに見た彼は周囲の喧騒もネオンも色褪せて霞むくらいに輝いて美しく見えたのだ。
    そのまま何も無かったと無視して立ち去れば良かったのに、愚かにもその姿に見惚れて立ち竦んでしまった。


    10代の頃はそりゃあ線も細くて、姉である乾赤音に似た部分はあったし可愛い顔だとは思っていた。
    だが表情は幼い頃から彼女とは真逆に乏しかったし、段々と身長も伸びていつの間にか自分よりも高くなっていた。
    華奢だった手足も段々と骨っぽくなっていき、低くなった声や乱雑な仕種にやっぱり男だよな、イヌピーだよなと何度も思い直した。
    それでもあの頃はまだ面影が重なる瞬間が度々あって、自分も精神状態が不安定だった事から何度も彼を彼女なんじゃないかと思う瞬間があった。
    その幼馴染ともう二度と会うことは無いだろう、と互いに覚悟して決別してからちょうど5年の月日が流れていた。
    22歳の時に偶然にも再会してみたら、やっぱりもう殆ど初恋のあの人にはそんなに似て無かった。
    せいぜい彼女の血縁者だろう、とわかる程度だ。
    それなのにも関わらず、どういう訳か幼馴染の男の事を一目見て綺麗だと思ってしまった。
    たくさんの美女とその場限りの遊びもしたし、付き合ったりもしてきた。
    それこそ美人のレベルで言えば幼馴染よりも美しい女はたくさん居ただろう。
    だが、平凡な街の整備士といった風情のその男はとにかく一目で九井の好みど真ん中、という見た目に成長していたのだ。
    あの頃よりも髪は伸びていたが、身長も骨格も女に見間違えるような雰囲気では無いのに無性に惹き付けられた。
    確かに美形ではあったし、所謂イケメンの部類の顔ではあったが幼馴染なのだ。
    見慣れていたし、それに対してどうこう思う感情なんてまるで無かった。
    昔はいつも眠そうだなと思っていた重たげな目蓋が今はどうしてか、気怠げな影のある色っぽい表情に思えてしまう。
    伸びた髪は天然の金色で光りを放ち、真っ白な肌に色素の薄い青と緑の混ざったような不思議な虹彩の瞳は神秘的に見える。
    ぽってりとした柔らかそうな唇は血色が良く、その奥に見える小さな白い歯や赤い舌に視線を奪われそうになった。
    その癖、久し振りだと話した中身は幼い頃とそう変わりなくて、大人になっている部分は互いにあっても素の部分は無垢で夢見がちで放っておけない弟気質なままでギャップが堪らなかった。
    昔の自分の隣に居た頃の尖ってピリピリとした雰囲気はすっかり柔らかくなっていて、時折見せる微笑みはその当時には見た事も無いくらい優しく綺麗だった。
    再会する事なんて想定していなかったし、例え偶然に顔を合わせてももうとっくに相容れない存在になっている筈だったのに。
    気付けば食事に誘っていて、これで終わりにしよう、一夜の夢のようなものだと思うのに別れ際にはまた会いたいと思い次の約束を取り付けていた。
    彼の方も純粋に再会を喜び、警戒心も無く九井との食事にのこのこと現れるのだ。
    近況は言える事といえば、フロント企業であるIT会社の社長だというレベルでそれだけじゃないのを知りながら深追いはせずやっぱりココは凄いなと素直に感嘆してみせる。
    彼の方はあの後、学校に通い直して資格を取得しながら街のバイク屋で雇って貰い働いているらしい。
    再会した日もあの近くで得意客のバイクの調子が突然悪くなったからと見に行った帰りだったらしい。
    案外まともに、真面目に生きて居るのだなと思ったし自分が隣に居なければ彼は道を踏み外す事は無いのだと思った。
    もしかしたら、元から住む世界が違う者同士なのに何を間違えたか幼馴染になってしまったのかもしれないとさえ思った。
    彼の話す内容は退屈で平凡な日常の話ばかりなのに、どんな下らない事だってそれが彼の話だと思うと興味を惹かれたし真剣に聞いてやりたくなるし答えてやりたくなる。
    見る度にこんなに綺麗だったか、と思ったし表情が少し変わるだけでそんな顔をするんだなと密かにそれを知れた事を喜んでいた。
    まるでその様は、そう、恋をしている状態そのものだった。
    反社会的勢力のそれも大分内部の人間である男が、恋だなんて笑える話だった。
    見覚えのある幼馴染には違いないのに、5年ぶりに改めて見たらとんでも無く好みど真ん中に成長しているなんてそんな事あるのだろうか。
    そう思ったが、彼を目の前にするととにかく綺麗で輝いて見えてしまうのだ。
    バイク屋という職業のせいでオイルの染み込んだゴツゴツした男の手でさえ愛おしく思え、触れる事も出来なかった。
    理屈は解らないが確かにこれは恋という感情だった。
    今はこうしてたまに食事をして酒を軽く飲み別れるだけで満足しているが、何れ彼にも恋人なり嫁なりそういう存在が現れる。
    これだけ上等な見た目なのに、今現在恋人も居ないというのが奇跡に近い。
    そんな彼に恋の話でも打ち明けられたら如何なるのだろうか。
    想像しただけで気が触れてしまいそうだった。
    そんな事、到底許せる訳が無い。
    これが幼い日の淡い初恋と同じ感情であれば彼の幸せを願い身を引いて、なんて振る舞いも出来たかもしれない。
    だがあの頃とは何もかもが違う。もう自分はまともな世界に生きては居ないし、欲しいものは奪い取れば良いのだ。
    そう決めた後はもう、早かった。
    何度目か友人として食事をした日の帰り、酒に酔い眠たそうにしている彼を部下の運転する車に乗せて送ると言った。
    素直にそれに甘えて車内で自分の肩に寄り掛かり眠り落ちた彼をあとはそのまま用意しておいたマンションの部屋に連れ帰った。
    勿論、単純に酒に酔ったなんて事は無い。自分の息の掛かったバーに連れていき、睡眠薬入りの強い酒を飲ませたのだ。
    体格や体力の差を考慮して暴れられるのは厄介だったし、余計な怪我もさせたくは無かった。
    無防備にすぅすぅと寝息を立てて眠る寝顔をそっと撫でるとこの綺麗な男が自分のものになったのだと言う事実に高揚した。

    「イヌピー、幸せにしてやるからな」

    彼の思う幸せと自分の思う幸せの形は違うかもしれないが、そんな事は大した差では無い。
    重要なのは自分の側にこの男が居て、もう誰のものにもならないという事なのだ。
    二度とこの幼馴染を真っ当な世界に帰さない代わりに、何よりも大切にしようと誓った夜だった。



    再会した幼馴染は相変わらず立ち居振る舞いに色気の滲む良い男だった。
    同じ歳の筈なのに昔から同年代の子供たちより大人びていて賢くて、しっかりしていて大人からも信頼されていた。
    幼い頃は頭の良い彼を周囲の大人たちも、自分の親までも将来良い会社に勤めるのだろうと噂したのもだった。
    そんな大人達の期待を大きく裏切って幼馴染は立派に反社会的勢力の一員をやっているようだ。
    詳しい事は聞いては居ないが、その手の噂はそれとなく昔の仲間伝いに耳に入って来ていた。
    あの日東卍と天竺が合併などという茶番が繰り広げられるのをどこか遠い目で見ていた自分はそこにもう何も無い事を悟り、幼馴染とは別の道を歩む事に決めた。
    きっと二度と会えないのだろうし、その方がお互いに取っても良いのだろうと思った。
    あの男は、自分と居るといつも選択を誤りおかしくなってしまう気がした。
    反社になろうが何だろうがそれを彼自身が選んだというのならもう何も言う気は無かったが、せめてもう誰かの為じゃなく自分の為に生きて欲しいと願った。
    姉に恋をし、目の前で選択を誤り弟である自分を助けてしまったあの日からずっと間違えたままだった。
    解っていたのに彼を解放してやれなかったのは、自分も黒龍の復活と存続を夢見てそれに彼を利用してしまったからだ。
    本来賢いはずの九井一という男は初恋の女の死を目の当たりにして、狂ってしまった。
    子供ながらに姉を救おうと必死になってくれた、その事自体には感謝しているし自分の家族の事を思ってくれるその気持ちがとても嬉しかった。
    だがそれに囚われ続け、姉の死で金を稼ぐ目的を失ったままそれに飲み込まれてしまった。
    金なんて無くたってお前は良い奴だ、価値がある人間だって解って欲しかったがいくら怒鳴り合っても殴り合ってもそれを解る事はとうとう無かった。
    そんな中途半端な気持ちのままで別れてしまった事を後悔もしていたから、再会出来た時は本当に嬉しかった。
    てっきり拒絶されるものだと思ったのに、予想外に話は弾み気付けば定期的に食事をするような仲になっていた。
    また友人として付き合いが復活したのだと愚かにも自分は浮かれてしまったのだ。
    何度か食事をし、顔を合わせているとあの頃よりも更に大人っぽくなって洗練された雰囲気を纏う幼馴染にやっぱり住む世界が違うのだなと何度も思わされた。
    それに比べ、自分なりに必死にやってきたつもりではあるが平凡でしかない自分との会話等つまらないだろうにいつも真っ直ぐ目を見て相槌を打ってくれるから勘違いしていた。
    その日いつものように居酒屋で軽い食事を終えた後に行きつけのバーがあると誘われた。
    食事は高い店は財布的にもキツイし、慣れないからといつもこちらに合わせてくれていたからそれくらいならと付き合う事にした。
    まだ20歳そこそこで酒も覚えたばかりの自分と違い、行きつけのバーなんてものがあるのが格好良いと密かに思った。
    地下にある照明の薄暗く曲名の解らないクラシックの流れるそこは映画にでも出てきそうな雰囲気だった。カウンターに腰掛けて、メニューが無いのを知って恥ずかしながら酒の事は何も解らないと言った自分を馬鹿にするでもなくじゃあ俺のお薦めにしようと慣れた仕種で店主の髭の男に何やら注文する様は本当に格好良かった。
    子供の頃から女に良くモテていたし、5つ歳上の姉も彼を格好良いからモテるだろうと言っていたくらいだ。
    スッとした尖った鼻や細い顎の綺麗な横顔を盗み見ながら、今でも女にモテてるんだろうなと思った。
    髪型は5年前とそんなに変わって居なかったが、片方の長い前髪を時折細い指先が払う仕種が色っぽくて少しだけドキリとした。
    涼し気な目元は鋭さと賢さを滲ませていて、この目に見つめられて手でも握られて口説かれたら落ちない女は居ないだろう。
    服装だって身に付けているもの一つ一つが高価な物だと詳しくない自分でも解ったし、どれも全て誂えたように彼に似合っていた。
    こんな良い男を連れて歩いたら女はさぞ優越感を覚えるのだろうと。
    それに比べ切るのが面倒で伸ばし放題の髪やオイルで黒くなって、昔の喧嘩していて頃のせいで傷だらけの手の自分との対比が途端に恥ずかしい気がしてくる。
    ちびちび酒を飲みながら黙ってしまったこちらにどうした、と伺うから度数の高そうな茶色い酒に少し酔った勢いもあってつい不満を口にしてしまった。

    「ココはすげぇ格好良くなってんのに、その横に俺みたいのが居るの何か変だなって思って…」

    言ってみてから何を言ってるんだ、これでは拗ねたガキみたいだなと尚更居た堪れない気がしてグイッと酒を煽った。
    良い飲みっぷりだと隣で笑ってまた同じ物で良いかと聞かれそれに頷いた。

    「俺の事格好良いと思ってたんだ。嬉しいな」

    余裕のある雰囲気で微笑まれて、どちらかと言うと黙っているとキツイ見た目の幼馴染がこうやって優しい表情で笑うのは狡いなと思った。
    そのギャップで男の自分でさえドキッとさせられてしまうのだから。

    「イヌピーは凄い綺麗になったよな」

    「は?お前また…」

    「違うって、赤音さんに似てるって意味じゃない。イヌピーが綺麗だって話だよ」

    てっきり昔のように未だに姉に自分の顔を襲ているのかと思ったがそうでは無いと否定され、それから徐に伸びてきた手が顔に掛かった髪を耳に掛けるように触れてきた。
    冷たい指先がアルコールで火照った肌に心地良くてスリッと頬を寄せてしまい、子供みたいな事をしてしまったと少し恥ずかしくなった。

    「俺を綺麗だなんて、相変わらず視力が悪いなココは」

    2杯目の茶色い色した何だか解らない酒の入ったグラスに口をつけるとさっきより少し苦味を感じた気がしたが、それを言うと酒に慣れてないの丸出しという感じになりそうで平気な振りをして飲んだ。

    「コンタクト入れてるからちゃんと見えてるって。本当にさ、こんなに綺麗になるなんて解ってたら…絶対手放さなかったのに」

    後半は声が小さくてよく聞き取れず、顔をそちらに向けてみたが頭がぼんやりとして目蓋が急に重たい気がしてきた。
    何だか凄く眠たくなってそれは慣れないアルコールを無理して飲んだせいかと思った。
    覚えているのはその後、何とか店を出てふらついた自分を送っていくと申し出たのに甘えて車に乗り込んだ所までだった。
    すっかりと自分はその頃には彼に対して気を許していたし、油断していたのだ。
    だって彼は自分の大切な幼馴染だったから。



    部下にベッドまで運ばせた青宗は良く眠っていた。
    希少な宝石のように美しい瞳は今は薄い目蓋の下に隠れてしまっている。
    長い睫毛をそっと指先で撫でると柔らかい。昔はこんなに睫毛が長いだとかあまり意識して彼を見た事は無かった。
    目も鼻も唇の形も整っているが太めの眉が可愛いらしくも見せるのだなと思う。
    真っ白で綺麗な肌に染みのように張り付いた皮膚の色が違う火傷の痕を辿る。
    ただでさえ人目を惹く容姿なのにこの痕が余計にいつも他人からの視線を集めていた。
    金髪に顔に痣のある男を見たら目を合わせるな、なんて言われる程界隈では恐れられていた彼がすっかりただの一般人になれるなんて面白いものだ。
    最早この痣の無い彼なんて想像もつかないくらい一部になっているが、これが自分と青宗を縛り付けている証に思えて見る度に昔は苦しかったのに今は愛しく思えた。
    その痣の上にそっと唇を落とすと僅かに身動いだ気がした。
    良く効く薬なのは自分で体験済だ。このまま朝までは目覚めないだろう。
    シーツに広がる細い金の糸を掬いあげて彼に贈るならどんな色でどんな形の服が良いのか想像する。
    あの頃のようにヒールを履く姿も見てみたい。
    単純に喧嘩に有利だからとわざわざ歩きにくい靴を履く青宗の事を当時は変わった奴だと思ったが、今のこの目の前で眠る綺麗な男が履いたら倒錯的で美しいのだろう。
    目が覚めたらまず何から話そう。時間はたくさんあるのだから、ゆっくりと色んな話をしたい。


    パソコンの画面に写る数字やグラフを眺めながら欠伸が洩れる。
    ずっと同じ体勢で居るから凝り固まった肩を指で押していると背後にある寝室から物音がする。
    やっと眠り姫が長居眠りから覚めたらしい。
    ゆっくりと腰を上げて隣の部屋に向かう。
    用意していた水の入ったペットボトルは勿論彼の為のものだ。酒と睡眠薬の後では喉が酷く渇いているに違いない。
    ドアを開けるとベッドの上で身を起こし眠気の残る目を擦っている姿が目につく。
    寝癖のついた髪と寝起きのぼんやりとした顔なのにそれでもやっぱり彼を綺麗だと思う。
    本当に、5年前までは何とも思わなかったのに。思ったとしても彼の姉に似ている事しか考えられなかった。
    それなのに今は青宗自身を綺麗だと思うのだから不思議なものだ。

    「おはよう、イヌピー。よく寝てたな」

    よく眠らされていたのだが、と内心で思いながら近付いて水の入ったペットボトルを差し出す。
    それを反射的にか受け取るとこちらを見上げてからココ、と呟いてそれから周囲をゆっくりと見回した。
    ここが見覚えの無い場所だという事と、目の前に自分が居る事から何となく今の状況を理解したのか。

    「あんま覚えてないけど、俺寝ちゃったんだな。悪い、世話になった」

    そう礼を言って何時なのかと聞かれたがさあ、と曖昧に答えるとポケットに入っている筈の多分携帯電話を探して居るのだろう。
    残念ながら携帯も財布もとっくに処分しておいた。
    そんなものもうこれからは必要の無い生活を送るのだから。
    とりあえず乾いた喉を潤す為にペットボトルに口をつけて水を飲んでいる。
    上下する喉仏が色っぽいな、と思ってじっと見つめているとこちらを見返してきたから笑ってやる。

    「ココ、俺の携帯が無いんだけど知らないか?」

    また落としたかも知れねぇ、と言いながらポケットや身の回りをきょろきょろと探っているが目当ての物は見つからないらしい。
    携帯電話というものを持っている意味があるのかと思うくらい昔から充電をし忘れたり、携帯電話を置きっぱなしで出掛けたりするのは相変わらずなのだろう。

    「今日は仕事休みなんだろ?ゆっくりしとけよ」

    「うん、でも今日店に荷物届く予定だからそれだけ受け取っておかねぇと」

    とにかく帰らなきゃ、とベッドから立ち上がったがよろめいて転びそうになるのを手で受け止めて支えてやった。
    薬がまだ残っていてふらつくのだろう。肩を抱いて顔を近づけて大丈夫か、と心配する振りをして反応を伺うが悪い、と一言礼をいうだけで何も思って居ないらしい。
    やはり幼馴染としか認識してないのだろう。これかはそれ以上の関係になるのだから意識して貰わないと。

    「ここから駅って近い?ココの家だよな、どの辺なんだ?」

    窓から見えるのは高層階のビルたちが立ち並ぶ景色で見てもどの辺なのかは直ぐに見当がつかないのだろう。
    普通であれば送るよ、と言ってやる所であるがもう帰る必要も無いのだからそんな事は不要だ。

    「ゆっくりしてけよ、まだ眠いだろ」

    「ありがとう、でも帰らないと」

    体を離すとベッドルームから出る為にドアを開いたのをそのままゆっくりと後を追う。
    リビングを一度見回してから玄関に続くドアを見つけたらしい。
    こちらを振り向いてから世話になった、また連絡すると律儀に挨拶してから玄関に向かって行った。
    ガチャガチャとノブや鍵を回す音とあれ、と不思議がるような声が暫くしていたがバツの悪そうな顔をした青宗が戻ってきた。

    「ココ、ドアの開け方よくわかんねぇんだけど」

    「ああ、そうだろうな。俺しか開けられないようにしてるから」

    ドアを内側から施錠している一つの鍵を取り出してそれを見せてやると、何だそれなら早く言ってくれと照れ笑いを浮かべている。
    いつまでその可愛い笑みを見せてくれるのだろうか。
    きっと最初は戸惑うだろうから再びそうやって笑ってくれるようになるまで時間が掛かるのだろう。

    「どうした、ココ?」

    「イヌピー、ここには何でも揃ってる。食べたい物があれば何でも持って来させるし、ゲームだってイヌピーが好きなバイクの雑誌だってある」

    「そうか、凄いな」

    突然何を言い出したのかと思っている顔をしたが、とりあえず頷いたらしい。
    意味が解って居ないのも当然だろうな、と近付いて手を伸ばせば触れられるくらいの距離に立った。

    「ここからは出られないんだ、イヌピー」

    「ココ?」

    「大丈夫、出る必要も無いくらい不自由はさせないからさ。落ち着いたらたまになら車で何処か連れてってやるよ」

    「何言ってんだ」

    「イヌピーはもう元居た安アパートにもあの潰れそうなバイク屋にも帰れない。ずっとここで暮らすんだからな」

    何言ってんだよ、そんなつまらない冗談言うなんてココらしくないなんて笑っていたがこちらは笑いもせずにじっと見つめ返してやればやっと何かがおかしいと思い始めたらしい。
    少しだけ焦ったような顔をして冗談だよな?とこちらを伺ってくる。

    「冗談言うならもっと笑える話してる」

    そんなに会話のセンスは悪くないと戯けてみせてリビングのドアの前に立っている青宗の方へとゆっくりと近付いていく。
    どういう事なのか未だ半信半疑の様子ではあるが、本能的に何かがおかしいと察したのか僅かに体が後退しているのが見える。

    「大丈夫、最初は戸惑うかもしれないけど直ぐに慣れる。俺とイヌピー二人さえ居れば何でも楽しめるよ。」

    昔だってそうだったろ?と問い掛けて、あの時楽しかった記憶なんて殆ど無いのは互いに解っているのに皮肉だった。
    何もかも失って何もかもどうでも良くなりそうで、青宗が縋った夢を支え助けるようにしてどうにか生きる目的を見出そうとしていた。

    「もう大人になったんだからさ、何でも出来るしイヌピーが望むものだって何だって与えてやれる」

    だから安心して青宗はただここに居れば良いと目の前まで来て視線を合わせると透明度の高い湖のような瞳が彷徨っている。

    「何で、そんな事…」

    ついこの間再会して、それから数回友人として食事を楽しんで昔には普通に出来なかった友達としての付き合いが出来ると思っていた。
    あの頃よりは自分だって少しは大人になったと思うし自分をずっと助けてくれていた幼馴染に少しでも何か返せたらなんて思っていたのもきっと烏滸がましい事だったのかもしれない。
    きっと九井はそんな事何も望んで無くて、自分がしてやれる事なんて何一つ無いのだ。
    だとしたら、自分をこの部屋に閉じ込めるなんて馬鹿みたいな話をするのはきっと何か怒らせているからではないか。

    「ココ怒ってるのか?俺はまた何かココに迷惑を掛けているのか?」

    「俺は何も怒ってないよ。それにイヌピーにされる事を迷惑だなんて思うわけない」

    「だったら何で…」

    ふいに九井の背後にある大きな窓に目が行く。
    高層階に居るのか見えるのは空と周囲の小さく見える町並み。きっと夜になるととても綺麗な夜景が見えるのだろう。
    だがその窓には不自然なくらい頑丈な錠がかけられている。玄関のドアもびくともしなかった。
    本当にここから出す気は無いと言う事なのだろうか。

    「何がしたいんだ。こんな事しなくたって俺はいつでもココに会いに来るし、だから俺を閉じ込めたりしなくても」

    「そんな保証どこにも無いだろ。イヌピーが俺の見てない所で俺以外の奴と会って話して、情を交わすと思うだけで頭がおかしくなりそうなんだ」

    淡々とした口調でそう言う九井は一見無表情に見えたが鈍く光る黒い瞳はこちらをじっと見据えている。
    何を言っているのか、その言葉の意味を考えてみるが全く解らなかった。

    「俺が、誰かと仲良くなってココの事忘れると思ってるのか?俺はそんな薄情な奴じゃないし、ココを忘れるなんてある訳無い」

    「あはは、イヌピー可愛いなあ。俺が友達を取られるからヤキモチ妬くと思ってんの?」

    笑い出して青宗へと手を伸ばして来ると、頬を優しく撫でて来る。
    それから伸びた髪に指を絡めて顔を近付けて来た。
    あと数cmで唇が触れ合ってしまいそうな程の距離に思わず身を引いてしまえば、背後の壁に踵が打つかる。

    「ココ、フザけるならここまでにしてくれ」

    今なら手の込んだ悪戯だと言う事に出来る。
    このままだと何か取り返しのつかない事が起きそうな気がして肩を軽く押してみるが、ビクともしない。
    細身の体に見えるのに体幹はしっかりしていて、5年前には自分よりも喧嘩も強くなかった筈なのにと思う。

    「フザけてなんて無いよ、イヌピー。お前はここにこれからずっと暮らすんだよ。仕事だってしなくて良いし何不自由無くここで生きて行くんだ」

    悪くない話だろ、と言われたがそんな暮らし等当然青宗は望んでいる筈も無い。
    確かにまだまだ駆け出しで稼ぎだって少ない。それでも自分なりに努力して、頑張ってここまでやって来た。
    金を稼ぐ事の大変さも、普通に生きてく事の難しさも解ってきた。
    それでも自分の力でどうにか生きて、仕事だって楽しくなって来た所だ。

    「やめろ、ココ。こんな事して何の意味があるんだ。俺はもうココの事を…ココの金の世話にはなるつもりはねぇ」

    昔は何も解って無くて、甘ったれたガキでしかなくてそんな自分の為に幼馴染がどれだけ自分の事を考えて、危険な事をして金を作り出したのかを理解しているつもりだ。
    今だってきっと九井はそういう世界に身を置いているのだろう。
    だからこそ自分は彼の金の世話にはなりたくないし、彼を搾取するような人間でも居たくない。

    「そんな事どうでも良い。イヌピーに掛かる金なんて俺からしたら端金でしかないし」

    「そういう話じゃねぇ。俺はもうココを利用したりしたくない」

    「それこそ今更だろ。いや、利用してきたって自覚があんなら今度は俺に利用されるって事で良いだろ」

    理由なんて何でも良い。そもそも青宗の意思だとかそういうものだって関係無い。
    これは九井がそうすると決めた事なのだ。
    もうここから、自分の側から青宗を逃さないで閉じ込めていくのだと。

    「とにかく、ここから出してくれ」

    「嫌だって言ったらどうするんだ?」

    何も持たない無力なただの一般人でしか無い青宗に、片や反社会的組織の幹部である九井に対して何が出来るというのか。
    それをついに突き付けられてしまった。
    今までは九井が青宗のレベルに合わせて安い食事をしたり酒を飲んだりしていただけだ。
    もうとっくに二人の住む世界は違えてしまっていた。

    「ココこそ、俺の事を閉じ込めたりなんかして何がしたいんだ。こんな事しても何もならないだろ…」

    そもそもの目的が解らなかった。こんな、青宗をこの部屋に閉じ込めるような事をして一体九井に取ってどんなメリットがあるというのか。
    無力で何も持たないこんな自分を。

    「イヌピーの事、大切にするよ。望むならお姫様みたいに丁寧に扱ってやる」

    馬鹿にされたのだと思ったらカッと頭に血が上った。
    思わず目の前の幼馴染の胸倉を掴みあげて睨み付けた。
    大切にするだの、お姫様だのと下に見ているからそんな発言をするのだと。

    「相変わらず喧嘩っぱやいところは昔のままだな。そういう所嫌いじゃねぇけど、喧嘩売る相手考えないと駄目だろ」

    余裕のある笑みを浮かべている九井は自分の襟首を掴むその手にそっと手を重ね、それから行儀よくしなきゃなと言った。
    それと同時に背後でリビングのドアが開いた気配と、振り向く間も無く後ろから伸びてきた太い腕に手首を掴まれあっという間に捻り上げられフローリングの上に体を押さえつけられた。

    「おい、怪我させんじゃねぇぞ」

    「っ、離せ!ふざけんなっ、クソッ」

    ジタバタと藻掻くが押さえつけて来る手の力は強く、体の上に乗っかっている男はビクともしなかった。
    突然現れたその男は九井からの命令にはい、と機械的に返答している。
    恐らく九井の部下か何かだろう。大きな組織の幹部クラスなのだから青宗といえど他人と部屋に二人きりにはさせないのかもしれない。

    「俺はカタギじゃねぇんだよ、それなのにノコノコ着いてきたお前が悪いわな」

    「…どんな事してたって、お前は俺の幼馴染じゃねぇか」

    体を床に押し付けられながらもこちらを睨み上げながら搾り出すような声でそう言った青宗に冷めた視線を返した。
    結局青宗の中では自分は幼馴染止まりなのだ。
    その気持ちを変えるには、意識してくれるには、幼馴染や友達という関係じゃもう駄目なんだろうなと思う。
    決して頭が悪いという訳では無いのだが、青宗は昔から他人から向けられる感情を察するのが上手く無かった。
    悪意には暴力や暴言が伴うし、嫌悪感は視線や態度からも察する事は出来るのに好意に対してはとても鈍い。
    その根底には自分なんかが他人から好かれる筈が無いと言う思い込みがあるのだろう。
    それならこちらも手を打たねばならない。

    「じゃあもう俺は、お前の友達でも幼馴染でも無いよ」

    そう口にすれば、絶望した顔になるのが見えた。
    露骨に傷つけてしまった事への罪悪感に胸を痛めたがどちらにしろ監禁するのだから同じ事だ。友達や幼馴染は監禁なんてしない。
    でも自分はそれをすると決めたのだから仕方ない。
    出来る事なら大事にしてやりたいし傷つけたりもしたくない。
    楽しそうに笑ってくれるならそれが何よりだが、自分の意志を無視して監禁されて笑ってる奴なんて居ないだろう。

    「お前は俺に囲われる情夫になって貰う」

    あくまでも友達なんかじゃない、お前の事をそういう目で見てるのだと言い聞かせるようにしゃがんでサラリと金糸を指に絡めながら告げる。

    「…ふざけんな、馬鹿にするのも大概にしろよ」

    体の自由を奪われどう見ても勝ち目の無い状況でも気丈にこちらを睨みつけ悪態を吐く様は、直ぐに思い通りになってしまうよりずっと張り合いがあって良い。
    この上等な見た目で気が強い所なんてどうにもこちらの支配欲を刺激してくれる。
    尤も本人にはそんな気等微塵も無いのだろうが。

    「はは、いつまでそんな口聞いて居られんのかな」

    顔が良く見えるように前髪を掴み上を向かせると痛みに眉を顰めているが、油断したら今にも噛みつきそうな程怒りを滲ませて唸っている。
    どんな表情もやっぱり綺麗で、これがもう自分だけのモノになるのかと思うとゾクリと背筋を悦びが走った。





    こんな事を言われても俄には誰も信じないだろうが、成人した大の男が幼馴染に監禁されている。
    自分でも未だにどこか夢を見てるようなイマイチ現実感の無い事がこの身に起きているのだ。
    幼馴染で友達だと思っていた男に気を許したら薬を盛られて拉致され、監禁されてしまったなんて事は早々無いだろう。
    自分を監禁している男、九井一は所謂反社会的勢力の構成員でどうやら幹部クラスの地位に就いているらしい。
    昔から頭が良くて要領も良かったから、多分どの分野に行こうともそれなりに成功出来る筈だ。
    それなのに敢えて後ろ暗い道を歩んでいる事はこの際本人が納得している上での事なら構わない。
    誰かに強要されていたのなら何としても助けてやりたいと思うくらいには彼を大切に思って居たが、本人が好きで選んだ道ならそれでも良いと思う。
    ただ出来るだけ元気で長生きして、少しでも楽しいと心から笑える日々を送れたらとそう願って居た気持ちは嘘では無かった。
    だからといって、こちらの生活も何もかも無視して無理矢理部屋に閉じ込められるというのは受け入れ難い。
    どうして彼がここまでの強行に出たのか、その理由はまるで解らなかった。
    まだ暴力を奮われてサンドバッグにされるとか、男同士ではあるがレイプされるとかそういう何かがあれば納得はしないが理解も出来た。
    それなのに自分はこの広い都内のどこかの高級な部類といえるマンションにただ監禁されている。
    暴力どころか寧ろ、大切にすらされていると思う。
    外に出して貰えない以外は室内であれば自由だし、好きな時間に寝て好きな時間に起きて望めばどんな物でも買い与えてくれるらしい。
    今の所欲しい物は解放して貰う以外には無いから、服も食事も用意された物を受け取っているだけだ。
    九井はかなり忙しい身のようで、夕方から夜になると殆ど家には居ないし朝方に帰ってきたと思ったら外が明るくなるまでパソコンや新聞に目を通している。
    それから起きて来た青宗と共に食事を取り、そのまま昼過ぎまで眠っているようだった。
    寝室は別にされているからその辺はよく解らない。
    最初の数日は裏切られた気持ちと幼馴染でも友達でも無いと投げられた言葉に腹が立つのと、悲しい気持ちとでぐちゃぐちゃで顔も見たく無くて寝室に篭って居た。
    まともに口も利かなかったがどうしても腹は減るしトイレにも行きたくなるしシャワーも浴びたい。
    そうなると部屋から出るしか無いから結局顔を合わせてしまう。
    そうなると向こうが一方的に何が食べたいだの、今日は天気が良いだのとどうでも良い事を話し掛けて来る。
    その度に外に出してくれ、解放してくれと言ってみるが駄目だ、の一言で終わってしまう。
    九井一人なら何とか打ちのめす事も出来そうだとは思うが、ドアの鍵の開け方は解らないし大体別室にガタイの良い男が控えていた。
    因みに九井が居ない間の食事の用意や買い出しはそのガタイの良い男が世話をしてくるが、一言も何を問い掛けても話してはくれないし目も合わせてはくれなかった。
    恐らく九井からのそういう命令なのだろう。
    もしかしたらこの部屋にカメラや盗聴器なんかがあるのかもしれない。
    とにかく、手は出さず食事も与えてくれるし、極たまに九井が選んだ服で着飾らせて外食にも連れて行かれる。
    その際もガタイの良い男数人に囲まれて隙を見て逃走なんてまるで無理だった。
    何度かトイレに行く振りをして、車から降りた隙を狙って、と逃走を試みたがその度にあっさり壁のように体の分厚い男達に捕まって連れ戻されてしまう。
    それを見て九井はイヌピーは元気で良いな、と咎めもせず余裕そうに笑うばかりだ。

    「何がしたいんだお前は」

    ダイニングで朝食を取るために顔を合わせた時にこの状況にうんざりしていた青宗は、九井本人にそれを問うてみた。
    彼はフルーツにヨーグルトが掛かった物をスプーンで掬いながらこちの顔をじっと見てくる。

    「イヌピー、今日も綺麗だな。ずっと見てられる」

    「話を反らすな」

    「反らしてないよ、お前のその顔をずっと見てたいだけだ」

    本気でそう思っているのかなんなのか知らないが、うっとりした顔でこちらを眺めて溜息を吐いた。
    この生活が始まってから毎日のように顔を合わせると綺麗だのなんだのと褒め称えてくるのだ。
    最初は馬鹿にしてるのかといちいちキレていたが、あまりにも熱の篭った視線で見つめてくるものだから良く解らなくなって戸惑う。
    彼の初恋の相手である姉の影を見ているのかと問えば、それは姉弟なのだから似てる所はあるけどそれとは別で綺麗だと思ってると真面目な顔をして言われてしまった。
    そうやって綺麗だと褒め称える癖に特に何かするでも、手を出してくるという事も無い。
    髪や顔に時折触れては来るし、仕事に行く前に偶に疲れた顔の時は充電させてくれと抱き締められるくらいだ。
    これでは本当に篭の鳥みたいな気分になる。
    元々じっとしているのが性に合わない質だから、幾ら広めの部屋とはいえ行動が制限されてしまっては窮屈で堪らなかった。

    「頼むからここから出してくれ。ココに呼び出されたら何時でも駆け付けるし逃げたりもしないから、頼む」

    頭がおかしくなりそうだと、目の前で朝食を食べている九井の手を両手で握って懇願したがスプーンを置くと手を握り返されて微笑まれる。

    「イヌピーのお願いなら何でも聞いてやりたいけど、それだけは駄目だ。それにイヌピーそう言ったって俺が呼び出しても仕事が、とか何だかんだ理由つけて来ないだろ?」

    昔からの付き合いだからお前が気分で行動するのも解ってるから、と優しい声音で諭されるみたいに否定されてしまう。
    九井との約束した事なら必ず守りたいとは思うが、仕事に戻ればこちらも責任がある訳でそれを投げ出して直ぐに会いには行けない。
    それに休日や眠い時に呼び出されても多分面倒だとスルーしてしまう可能性も無くは無いから言い返せ無かった。

    「俺を、どうしたいんだよ。ここに閉じ込めて置くだけで満足なのか?こんなの、何の意味も無いだろ」

    「イヌピーが俺の家に居てくれるって、それだけで俺は幸せだよ」

    「ただ眺める為だけなら写真でも何でもいいだろ…俺は、人形じゃないんだ。こんなの耐えられない」

    「お前が俺以外を見て、俺以外と話すのも許せなくなっちゃったからもう帰してやれないんだよ。ごめんな」

    謝るくらいならこんな事しなければいいのに。
    そう思ったが、もうきっと何を言っても無駄なのだろうと悟って落胆と絶望の混じった顔で青宗は握っていた手を離すともういい、と呟いたきり何も言わなくなった。
    ごめんな、お前がどう思おうが関係無いんだ。俺が欲しいと思ったから手に入れたんだ。
    それを口にする事は九井の方も無かったが伏せられた扇形に広がる美しい睫毛を見て満足気に一人微笑んだ。


    それから数ヶ月が経ち、青宗はすっかり笑わ無くなってしまった。
    元々口数が多い方では無かったが以前にもまして会話の回数は減って、九井が話すのに相槌を打つか質問に短く答える程度になった。
    何も感じていないようなその顔は、精巧に造られた人形のようで本当に綺麗だなと見る度に九井はうっとりとそれを眺めた。
    笑ったり怒ったり感情を見せてくれなくなったのは少し寂しい気もしたが、見知らぬ自分以外の他人に青宗の感情が向かう事を考えればこのままの方がずっとマシだ。
    この生活が青宗に取って幸せでは無いのであろう事は解っているが、それでも手元に置いておきたかった。
    子供の頃からあの別れの日まで、ずっと幼馴染である青宗の事が心配だったし守らなければいけないと思っていた。
    それは死に別れた初恋の彼女との果たせなかった約束の代わりでもあり、乾青宗という男を放っておけない気持ちもあったからだった。
    幼馴染として、一番の友人として本当に青宗が大切だった。それは偽りの無い気持ちではあったが、それでも彼女の弟である事があの頃は一番強い理由になっていた。
    それがどうだろう。今現在、青宗に抱いている気持ちはそのどれとも違っていた。
    再会したその日から、幼馴染である筈の彼に一目惚れをしてしまったのだ。
    初めて見る相手では無い筈なのにそれは一目惚れという感情としか言い表せ無かった。
    何を犠牲にしても欲しいと思った。子供の頃の初恋の時との違いは今の九井にはそれが叶う力も金もあるという所だ。
    その為に青宗自身の意思を無視して自身の欲の為だけに閉じ込めて、好きな時に宝箱から取り出して眺めるような扱いをしている。
    もっと幼く未熟であった頃は初恋の彼女の幸せを願い、自分がその横に居られたらなんて淡い憧れを抱いていた。
    だが青宗に向けている気持ちはそんな優しくも穏やかなものでも無い。
    独占欲や嫉妬、執着…そういう苛烈で醜いドロドロとした気持ちが何より先立ってしまう。
    例えそれで青宗が自分を嫌い泣き喚いても手に入れてしまいたかった。
    実際に思う通りに彼をこの部屋に閉じ込めて毎日その美しい顔を視界に収めると、笑ったり軽口を叩きあった頃を懐かしむ気持ちよりも青宗が自分の手の中に居るという事実の方がずっと心を満たした。
    我ながら歪んでいるという自覚はあるのだ。
    真っ当な感情や恋愛が何かなんて解らないまま成長してしまったせいもあるかもしれない。
    だが初恋の女性に似ている弟、幼馴染、青宗自身のどこか放っておけないと思わせる性質、それから九井の心を奪う美しい容姿。
    それら全てがまともで居られなくするのだ。
    望まなかったにしろ、ああいう大きな転機が無ければ九井と青宗は離れる事は出来なかった。
    やっと離れられたというのに、悪戯にも再会してしまいこんな事になっているのだからやはり二人は二度と合わない方が良かったのだろう。
    そう思うが、それも後の祭りだ。ここまで来たのならどこまでも彼を手放すつもりは無い。

    口数が少なくなった青宗は無気力にもなった。
    誰が見ても精神的に良くない状態なのは明らかではあったが、その内順応していくかのようにその生活にも慣れていった。
    食事は出せば口に入れるし興味を引きそうなバイク関連の雑誌や映画なんかを与えれば目を通した痕跡も見られる事からまるっきり心を閉したという事でも無いようだった。
    その辺りから寝室を別にしていた二人であったが、いつの間にか青宗は九井の部屋のベッドで共に眠るようになっていた。
    きっかけといえば、仕事が立て込んでその上密告だの何だのとフロント企業にまで警察のガサ入れが入り多忙な日々が続いた日の事だった。
    勿論、警察の手入れ如きでボロを出すような事は無かったがその分停止してしまった業務等の残務処理に追われ眠る時間も削られる始末だった。
    青宗の事は部下に任せていたが、いつも一緒に取るようしていた食事の時間すらも取れない日が続いた。
    青宗が寝静まった頃に帰宅してふらふらの身体で寝室のドアの隙間からその穏やかな寝顔を盗み見る時間だけが唯一の癒やしだった。
    そんな日々が続く事、1ヶ月程して相変わらず寝不足と疲労と部下の手前気を張っていた事からの反動で自宅に入ると立っているのもやっとの状態で玄関に倒れるように座り込んだ。
    あと少しでベッドなのにもうその気力も残って居ないと力尽き倒れ掛けた体をふわりと温かい手が支え抱き起こした。

    「イヌピー…」

    まさか起きてるとは思わなかったがどうにか笑みを取り繕おうとしてへらりと力ない顔で見上げた顔は今日もキラキラと輝いて綺麗だった。
    だが太い眉は顰められ、何やら不機嫌な顔でこちらを見下ろしている。

    「…お前そんなになるまで働くのやめろ」

    随分と久しぶりに感情の篭った青宗の声を聞いたような気がした。
    出来れば彼の前では格好つけていたかったがそれも出来ずに優しい匂いのする腕の中に身を委ねてしまう。
    自分を抱き留める腕は筋肉質で男らしく安心感があった。

    「心配してくれるんだな、嬉しい」

    げっそり窶れた顔でか細い声で笑って見せたが、青宗の眉間には増々深い皺が刻まれていく。
    どんな顔をしていても綺麗だと思えるがそういう顔はあまりして欲しくは無いな、と思う。

    「何でも自分でやらないと気が済まないのは相変わらずだな。誰も信用してないもんなココは」

    「…金が絡んで信用出来る人間なんて居ねぇよ」

    どんな善人面した奴らだって金が無くなれば余裕を無くす。
    過ぎた大金を目の前にすれば理性を無くし意図も簡単に犯罪行為に手を染める。
    騙し陥れその結果誰かが死のうとも金の魔力には誰も抗えない。
    そういう人間を子供といえる年齢から嫌というほどに目にしてきたのだ。

    「お前がそれで過労死でもしてりゃ世話ねぇよ」

    ばっさりと一言でそう言い捨てられてしまえばぐうの音も出ない。
    現にそのせいで今この玄関で力尽きようとしている。
    何も言い返せず黙ってしまったのを見兼ねたように呆れた溜息を吐くと九井の腕を自らの首の後ろへ回させて、それから膝裏に腕を通すと抱き上げられた。

    「…マジ、恥ずい」

    「ふん、ざまあ無いな」

    拉致監禁した相手に動けなくなった所を気遣われ、男としては屈辱的とも言える所謂お姫様抱っこという状態で寝室に運ばれていく状況が情けなかった。
    いっそ気を失ってしまった方が幾らかマシだった気もするが、青宗が皮肉とはいえ久しぶりに少し笑ってくれたのが見れたのはちょっと嬉しかった。
    両手が塞がっているからと足で行儀悪く寝室のドアを開けるとよいしょ、と荷物でも下ろしたみたいに声を出して九井の体を横たえた。
    もう指の先すら動かすのが億劫だったが、青宗に礼を言おうと口を開き掛けたがどういう訳なのか青宗はそのまま隣にその身を潜り込ませて来た。

    「え、イヌピー…?」

    てっきりこの部屋を出ていってしまうものだと思ったのに、毛布を二人の体の上に掛けるとこちらを向いて胸の辺りをポンポンと子供をあやすように軽く叩き始めた。

    「こうしてると多少違うだろ。ココは昔から寝付きが悪いからな」

    確かに子供の頃から寝付きは良くなくて、いつも乾家に泊まった時には暫く寝付けなくて青宗の穏やかな寝息を聞いていた。
    そうすると何故かこちらも安心していつの間にか眠っていたっけなと思い出す。
    直ぐ近くに青宗の吐息や匂い、温もりを感じてナーバスになっていた神経が緩んでいくのを感じる。
    疲れ切った体はトントンと優しく胸の上で刻まれるリズムに誘われるように眠りへと落ちていった。


    それからどれくらい眠ってしまったのだろうか。久し振りに随分とゆっくり寝てしまった感覚に気怠い体を伸ばした。
    部屋の中はもう夕方なのか朝方なのか判別はつかないが、ここ数日の疲労感は大分薄れている。
    欠伸をしながら薄暗い自室を見回してからそういえば…と思い当たり寝る前まで隣に居たはずの青宗は?!とハッとして思わず起き上がると、隣で眠る子供みたいに無垢な寝顔がぼんやりと見えた。
    すっかり綺麗に成長したと思ったが、その寝顔は幼い頃と何も変わっていなくてとても癒やされる気がした。
    伏せられた長い睫毛が影を作る頬にそっと触れると温かくて柔らかい。
    開けた毛布を肩に掛け直してやり、抱き寄せるとスリと頬を寄せてもう一度目を閉じた。
    こうしてると、まるで何も汚れなんて知らなかった幼い頃の二人に戻れたようなそんな気がした。
    そんな事ある筈も無いと解っているのに、隣の愛しい温もりに縋りたくなった。

    それからだ。何もしないから一緒に寝てほしい、と頼むと断わられると思ったのにどういう心境の変化なのかは青宗は頷いてくれた。
    それでココが眠れるのなら、と相変わらず無表情なままで。
    自分から提案しておいて何だが、意外だったから思わず何故と問えば。

    「お前がぶっ倒れたら俺生活できねぇじゃん。もうバイク屋もやれねぇし仕事とかも何もできねぇだろうから困るよ」

    ぶっきらぼうにそう言われて、嘘くさい愛の告白なんかよりよっぽど納得して笑った。


    二人の間にそこから何かあったか、と言えば特に何も無かった。
    青宗は部屋に閉じ込められたままだったし、九井はそれを満足そうに眺めるばかりで何かをする訳でも無く。
    それでも眠る時だけは同じベッドの中に入り手を握り合って目を閉じた。
    距離が縮まったという事も無かったし、進展するような出来事も無い。
    それでも最初の頃よりは幾分か二人の空気からは尖ったような緊迫感は和らいでいた。
    いつまでこうしているつもりかなんて、九井にだって解らなかったが美しいと思った相手を手に入れ側に置いておくだけで不思議と心は満たされていた。
    キスをしたり欲をぶつけ抱きたいという気持ちが全く無いかと言われたらそういう気持ちが無い訳では無い。
    だがこれ以上を望んでしまうのは自分には過ぎた願いに思えるし、何より綺麗な人形のような青宗をそういったもので汚したく無いという思いも少なからずあった。
    何となく、青宗自身がそういうものからは遠いように思えたし何よりそこまで本人が望まぬ事をしてしまいたくなかった。
    手を握って眠りにつき、共に食事を取る時間があるだけで十分だ。それ以上を望めば何か恐ろしい事が起きるような気もした。
    そんなだから忘れてしまっていたのかもしれない。
    乾青宗は人間であり、感情を持っているという事を。


    その日、九井は機嫌が良かった。
    表の仕事は上手くいっていたし、本業の方も難儀だと思っていた相手との交渉がとてもスムーズに終わったのだ。
    これで暫くはゆっくり出来る。まとまった休みも取れそうだし、青宗を連れて海外にでも旅行に行っても良い。
    そうすれば良い気分転換になるだろうし、向こうでバイクでも買い与えてやれば青宗も久しぶりに笑顔を見せてくれるかもしれない。
    少し浮かれた気持ちで家で退屈そうにぼんやりとしていた青宗をまた新たに作らせたオーダメイドのスーツで着飾らせて外に食事に出掛けた。
    気に入りのレストランで好きな銘柄のワインや見た目にも美味しい料理と、何度見ても飽きないくらい好みの顔を見ながら愉しんだ。
    美味いか、と聞けば食べづらい、とむっと唇を尖らせながらフォークとナイフを操る青宗が面白かった。
    普段であればこのまま自宅に戻り青宗を付き合わせて酒を飲み心地良いまま眠るのが常だったが、今日は一等機嫌が良かったからこのまま外で飲む事にした。
    会員制のバーは入り口にも出口にも黒服に身を包んだ警備の男達が立っている。
    店の中ではどんな有名人が居ようが、どんな凶悪な指名手配犯が居ようが口外しないのが鉄則であり基本的に武器の持ち込みも乱闘も御法度だった。
    その為、ボディーガード役の部下達は店の近くで待機させる。
    もし青宗が逃げるつもりならばこの店のトイレにでも行くふりをして出口から出て行けば可能かも知れない。
    それでも青宗は薄暗い店内で九井の隣に静かに腰を掛けて出された酒を口にしている。

    「イヌピー、逃げるならそこの出口から簡単に出れるぜ」

    カーテンで仕切られている半個室でアンティークのソファに腰掛け背凭れ越しに青宗の背中の方へ手をやってそう促しても、顔色一つ変えずにチラリとそちらを見遣って興味も無さそうな顔をする。

    「捕まって直ぐならまだしも、今更逃げた所で少年院出の無職の男にどうしろってんだ」

    「はは、もしそうなっても大丈夫なように俺が責任取るよ。」

    「逃がす気あんのか?」

    「無いな」

    なら言うな、と九井を軽く睨みつけてから目の前にある透明な液体に気泡の浮かぶグラスに口をつけた。
    何が飲みたいか、何が食べたいかと聞いても青宗はいつも何だっていいというから外食の際は何を口にするか決めるのは九井だった。
    これなら青宗は好きだろう、と予想して選びそれを青宗が口にした時美味しいと感じると彼の眉が少し和らぐのだ。
    それを見るのが密かに楽しみでもあった。
    今回選んだカクテルはテキーラベースではあるがグレープフルーツジュースで割られている比較的飲みやすいものだ。
    口にした後ほんのりと眉が緩められコクコクと二口三口と飲んで行くのを見てどうやら気に入ったようだ、と見ていて気分が良くなる。
    自分は引き続きワインをボトルで飲んでいる。
    グラスが空くと手酌で注ごうとするのを青宗が横からボトルを取り上げ注いでくれる。

    「今日はサービスしてくれるんだ」

    「たまには飼い主の機嫌取ってやらないとな」

    他から比べたら口数は多いとは言えないが、今日の青宗はいつもよりかは九井の戯言にも付き合ってくれるらしい。
    もしかしたらこちらが機嫌が良いのに多少つられているのかもしれない。
    そう思うとアルコールの仄かな酩酊感と共により気分が良くなって、肩に掛かる金糸を指に絡めてその綺麗な横顔を良く見ようと顔を近付ける。
    それでも青宗は特に身動ぎもせず一言近い、と口にするだけで抵抗は無かった。

    「美人を眺めながら飲む酒はより美味いな」

    「そういうのは親父臭いぞ」

    「同い年だろ、俺達」

    「ココは昔からマセてるからな」

    店内ではクラシックのレコードが流れ、ベロア素材のワインレッドのカーテンのドレープが半個室の両側を覆いそれぞれちょうど顔の辺りが見えないようになっている。
    外に停めてある車や部下の顔ぶれで誰が店内に居るのかは知っている者が見れば解る事でも、そこは知らない振りをするのが礼儀だった。
    店の雰囲気とアルコールに当てられて、もう少し青宗と距離を詰めても良いような気になった。
    自分の好みの男が自分の見立てた服に身を包み、自分が選んだ酒を愉しんでいる。
    ふいに組まれた長い足の上に指を這わせると、ピクリと僅かに革靴の爪先が揺れたのが見える。

    「なあ、キスしたいって言ったらどうする?」

    耳元に唇を近付けてそんな事を言ってみた。
    口をつけていたグラスをソファと揃いの木製のアンティークテーブルにコトリと置くと、首を傾げてこちらを見た。

    「する気あんの?」

    まるで挑発するみたいに聞き返されて少し意外に思う。
    自分から聞いて置いてどうなのか少し考えてしまう。
    目の前には至近距離から見てもタイプど真ん中の整った顔と、赤くふっくらとした唇が水気を含んで艷やかに光っている。

    「今まで何も出来なかった癖に」

    ふっ、と馬鹿にするように笑った青宗に腹が立つよりもその表情の妖艶さに見惚れてしまう。
    綺麗だとは思っては居たが、青宗自身は無表情で感情を顕にする事もここ最近は殆ど無かった。
    一緒に寝ては居たが性を感じさせるような行動は無かったし、そういう部分も見当たらなかった。
    過去にだって同い年の周囲の男達が女の話で盛り上がって居ても喧嘩とバイクにしか興味の無かった男なのに。
    いつの間にこんなにも色っぽい表情をして見せるようになったのか。

    「んっ…」

    まんまと挑発され、吸い寄せられるようにその柔らかで温かい唇に触れると、僅かに熱を孕んだような声が微かに鼓膜を揺らした。
    伏せられた睫毛が微かに揺れて、唇の隙間から漏れる吐息の熱さに押し込めていた欲が頭を覗かせる。
    せっかく考えないようにしていたのに、青宗をこれ以上傷つけてしまわないようにと欲なんて忘れてしまおうとすら思って居たのに。

    「ココ…」

    離れた僅かな隙間に青宗のか細い声が零れ落ちて行く。
    今なら踏みとどまれるかも知れない。嫌なら抵抗してくれれば引き返せる、と頬に指先を滑らせ見つめるとやっぱり臆病だと小さく笑われる。

    「イヌピー…、お前が煽ったんだからな。どうなっても文句言うなよ」

    「へぇ、ココに俺をどうにか出来んのか」

    意気地も無い癖にと暗に言われて流石に男としてのプライドが傷ついた。
    チッ、と知らぬ間に質の悪い男になっていたらしい幼馴染に舌打ちをしても負け惜しみに聞こえてしまいそうで焦燥する。
    大切にしようと気遣ったつもりがそんな風に思われていたなんて心外だ。
    自慢では無いが、青宗と暮らし始めるまではそれなりに女と遊んで来たしそちらの経験はそこそこ豊富なつもりだ。
    だが再会してからはどんなに良い女に誘われようとも青宗と比べてしまい、物足りなくなって自然と遊ばなくなってしまったのだ。
    だからといって青宗に手を出す事も出来ず、このまま性欲も無くしていくのかと思っていたくらいだ。
    しかしこうして本人から挑発されるのなら、もう遠慮なんてしないし手加減もしてやらない。

    「許してくれって泣くほど抱き潰してやるよ」

    細い顎を掴んでこちらを向かせてそう言えば生意気そうな視線が睨み返して来る。
    コイツ、と思ったがここで相手のペースに乗せられるのは面白く無いと咳払いをして冷静を装う。
    ソファに投げ出された青宗の手を取ると店を出ようと立ち上がろうとした所だった。

    「あれ、九井くん?」

    カーテンのドレープ越しに黒くピカピカに光る革靴の先が見えた。
    青宗の手を離してその姿を相手に見せないように背中で庇うように座り相手を伺うと、無遠慮にカーテンを手で押し上げて入り込んで来た。
    身長も高くガッシリとした体つきで歳の頃は九井達と同じぐらいのその男は横に流した傷んだ茶色の髪を指先で撫で付けながらも勝手にドカリと向かい側に座って来た。

    「九井くんも来てたんだね。声掛けてくれれば良かったのに」

    「…プライベートだから遠慮して欲しいんだけど」

    面倒な男と会ってしまったと露骨に眉を跳ね上げ低い声でそう返したが、男はギラギラとした黒目がちな目で青宗を上から下まで見てからニッと嫌な笑みを向けて来た。
    普段の九井であれば失せろ、と一蹴してもおかしくないくらい礼儀のなってない男であったがあまり強い態度に出れないのは理由があった。
    個人的には嫌悪する部類の男ではあったが、今現在東卍と協力関係にある組織の幹部候補で利用価値はまだそれなりにあるから扱いが面倒なのだ。
    東卍の幹部の九井と別組織の幹部候補の男とでは本来立場の差は明らかなのだが、この男は見た目の通り暴力で成り上がった奴で直ぐに揉め事を起こす。
    外に出れば腕っ節に自信のある部下達が数名居るし負ける気はしないが、ここで揉めてしまうと関係性が厄介な事になる。
    東卍は急成長を遂げている組織であり、歴史の長い組織からしたら面白くは無いしやがて脅威になる前に潰して起きたいと考えるのが普通だ。
    そこを後々こちら側が有利になる条件を上手く隠しつつ協定を結んだのが稀咲である。
    それを仮にも稀咲からしたら部下である九井が揉め事を起こして潰すような事をしてしまえばどうなるかは考え無くとも解る。
    いざとなれば青宗を連れて高飛びするくらいの気持ちはあるが、それにはまだ準備が足りない。

    「相変わらず儲ってそうだな。良いスーツ着てるじゃん」

    「そっちこそ、相変わらず物騒な話しばかり聞くぜ」

    招いても居ないのに男は店員にグラスを持ってくるように告げ腰を落ち着けている。
    鈍い光りを放つ目が青宗を見て、それから九井へと支線を戻すと何かを納得したように一人で頷いていた。

    「ソレ、九井くんのオンナ?」

    顎で青宗を示しながら歯に衣を着せぬ下品な言い方をして来るのに九井の頬がピクリと動いた。
    一方侮辱されたとも取れる言い方をされたと言うのに青宗自身はまるで目の前の男に興味が無さそうで、ただその声量の大きさに煩そうな顔をしている。
    そんな青宗を見て殴り飛ばしたい衝動をどうにか堪える事が出来た。

    「九井くん男もイケるんだなぁ」

    女だけだと思ってたのに、と厭らしい笑みを浮かべながら太いゆびが店員から受け取った空のワイングラスをくるりと回した。
    こんな奴に上等なワインを振る舞ってやるのは嫌だったがここで騒ぎを起こしても青宗が居る以上彼に危害を加えられては、と堪える。

    「飲み過ぎみたいだしもうその辺にしとけば。水貰ってやろうか」

    お前に飲ませる酒は無いをオブラートに幾重にも包んだ言い方で持って交わそうとするが、何を思ったのか男のゴツゴツとした大きな手が九井の細い指を握って来た。

    「男が良いなら俺でも九井くんの事買える?一晩いくらだ」

    「おい、つまんねぇ冗談はやめておけ」

    だれがてめぇみたいなゴリラ相手にするか、横に青宗が居んのが目に入らねぇのかと怒鳴りたかったがふぅと息を吐き出して抑える。
    手を離そうとするが汗ばんだ生温かい手は九井の手を握り込み親指で手の甲を撫でてきた。ゾワリと生理的な嫌悪感から鳥肌が立ってしまう。

    「前から九井くん狙ってたんだよ俺。ちょうど良いしそこのお前も混ざるか?」

    気持ち悪い事を言うな!と額に青筋が浮かぶ程怒りが湧いてく来るがそんな九井の事などお構い無しに話を進めようとしてくる。
    しかも青宗にも混ざるか、等と下卑た提案をしてくるのも腹立たしい。
    空のグラスにワインを注げと青宗へそれを突き出して居るのが見えた。
    それに対して青宗は何も言い返す事も無く目の前のワインボトルを手に取ると、九井が男から庇うようにしていた為に少し距離があったからか席を立った。
    ふわりと青宗の髪からジャンプーの良い香りがしてどうにか気持ちを落ち着かせようとしたその瞬間。
    ゴッ、と鈍い音がしたかと思うと目の前の男の巨体がテーブルの方にぐらりと傾いた。
    思わず後ずさって飛んできたテーブルの上にあったナッツを避けた。
    その間にもゴッゴッと鈍い音が真横から聞こえている。
    一体何が起きたのかと状況をはあくしようと顔を上げると、無表情で冷たい瞳をした青宗が男の頭の上に半分以上あったワインをドボドボと注いでいた。

    「い、イヌピー…?」

    呼び掛けてみるが聞こえて居ないのか、空になったボトルを更に持ち変えると底の硬い部分で再びゴッゴッと鈍い音を立てて男の頭部目掛けて振り落とす。
    頭皮が避け、血と赤ワインが混じった液体が壁やテーブルや青宗の頬に飛び散った。
    呆然とその光景を眺めて居ると九井の手の上にも赤い飛沫が飛んできた事でハッとする。
    頭から血を流し口からは泡を吹いている男は手足をピクピクと痙攣させ、白目を剥いている。

    「何してんだイヌピー!」

    慌ててその腕を掴み、手からヒビの入っている重たいボトルを奪うと何の感情も無いような青い瞳が虚ろにこちらを見た。
    その目はまるで、10代の頃に鉄パイプを手に無情に相手を殴り付けていた頃みたいに空っぽだった。

    「コイツがココに汚ねぇ手で触って、舐めた口聞いたから悪いんだろ」

    ボソリと低い声が言った言葉にそれが理由でこんな事をしたのかと、何も言えなくなる。
    それに不謹慎ながら返り血を浴びて自分の為にキレている青宗は綺麗で、堪らなくそそった。
    ゴクリと喉が鳴ったのをチラリと見られてしまい少し気まずい心地になる。

    「死んだか?」

    「いや、多分まだ生きてんたろ…」

    僅かながら浅い呼吸音がしているからそう返すと青宗はじゃあ殺さないと、と近くに何か得物になりそうな物を探し始めるからもういいと腕を強く掴んだ。
    青宗から感じられるのは静かながらも強い殺意だった。
    そこで彼の中にある苛烈な感情を思い出す。
    過去にも一度自分が敵対チームの待ち伏せにあって殴られ怪我をした事があったが、その時にも青宗はこんな冷たい目をして相手を死ぬ手前まで打ちのめしたのだ。
    まだ青宗の中に自分をそんなにも想う感情があった事に歓びを感じた。
    自分だけが勝手に青宗に惚れ、彼を拐い一方的な気持ちを押し付けているばかりだと思っていた。
    それを虚しく思う時もあったが、彼を手放して誰かに奪われる方がずっと嫌だった。
    だから青宗からの気持ちが返ってこなくてもそれは仕方ないのだと諦めていたのに。
    九井が男に下卑た目で見られ手を握られ露骨な言葉を吐かれた。そして今、青宗の瞳に浮かんだのは紛れもない嫉妬の感情だった。
    自惚れでも無く、それを確かに感じ取れた。
    事態は正直に言って物凄くまずい。全面戦争になりかねない事態ではある。
    そう思ったが、それよりも何よりも青宗の自分の為に奮った暴力や嫉妬心に高揚して頬が熱くなっていく。

    「イヌピー、帰ろう」

    「わかった」

    青宗の手を掴んで興奮している自身をどうにか抑え、騒然としている店を出た。
    階段を上り外に出ると駆け寄って来た部下は返り血を浴びている青宗にギョッとした顔をしたが、中の事はどうにか始末をつけておけと告げれば察したように頷く。
    店内にいる他の客には金を握らせて口止めさせろ、と指示を出したがどうせその口止めも長く持たないのはわかっている。
    だが今はこの湧き上がる衝動をどうにかしたくて青宗の腕を掴み急くように車に飛び乗った。
    車内ではとりあえず時間稼ぎくらいにはなるかと、携帯で部下に稀咲への報告は明日までするなと告げる。
    自宅のマンションに着くと、車を降りてエレベーターに乗り込む間も明日どうなるかを考えると頭が痛くなる思いだったが先程の自分の為に静かにキレる青宗の顔を思い出すとどうでも良い気持ちになった。
    部屋に入ると靴を脱ぐのももどかしい気持ちで脱ぎ捨てるとゆっくりと靴を脱いでいる青宗の手を引っ張って寝室に連れ込んだ。
    そんな九井の事をどう思ったのか、伺うように顔を覗き込んできた。

    「怒ってるのか?俺は不味い事したのか?」

    「…怒ってはねぇよ。かなり不味い事してくれたけど」

    言いながらいつも二人で眠っているベッドの上にその肩を押して倒れ込んだ体の上にすかさず乗り上げた。
    特に抵抗するでも無くこちらを見上げて来る瞳は冷静に見えて、その奥に熱が燻っているのが見て取れる。

    「でも、最高だわイヌピー」

    何が最高なのかわからぬまま青宗は長い睫毛を瞬かせている。
    返り血の跡が残る白い頬を撫でて、それから赤く柔らかな唇にキスをした。

    「ココ…」

    あまり反応が無いと思ったが、唇の合わせの隙間から熱い吐息で名を呼び潤んだ瞳でこちらを見上げている。
    恐らく久し振りに奮った自らの暴力に興奮の色が隠せないのだろう。
    舌を滑り込ませると少し戸惑った様子を見せたが、直ぐにおずおずと舌を差し出して来る。
    不慣れなその様子に経験が少ない、若しくは無いのが想像出来て自分が初めての男になるのかも知れないと言う優越感に体の奥が更に熱くなった。
    乱れた金の髪を撫でるように額から払い除けると火傷の痕に唇を落とした。
    これが自分と青宗を縛り付け、そして結び付ける証なのだと思うといっそう愛おしく思える。
    一度は違えた道なのにまたこちら側へ引き摺り込んでしまった。
    それに対する罪悪感はこの美しい男を手に入れる事と引き換えに特に捨て去った。

    「イヌピー、俺と一緒に落ちてくれよ」

    青宗はそれに対して何も答え無かったが、そのまま手を伸ばし首に腕を回して来る。
    それからぎこちないながらも、受け身で居た筈のキスを返してきた。
    それが青宗なりの答えだと言うように。

    その夜、あんなに触れられなかったのが嘘のように初めて二人は体を重ね合った。



    夢のように心地良く、セックスでこんなに体も心も満たされたのは初めてだと思うくらいは良かった。
    体に残る気怠ささえ愛おしくなるような行為の余韻に浸りながら目を覚ますと、横では情事の痕を色濃く残した肌を晒して無防備に眠る顔が見える。
    眠っている時でさえ綺麗なこの顔は、快楽に歪み涙や唾液でぐしゃぐしゃになっていてもその美しさは失われずに九井の欲を煽り熱くさせた。
    最中に乱れ善がる青宗にそれとなく経験の有無を尋ねれば男とも女とも経験が無い事を聞き出せて、自分が最初の男になれたと単純にも喜んで燃えてしまった。
    このまま自分が最後の男にもなって見せると密かに誓った。
    体の相性だって悪くないどころか良かったと思う。真っ白な肌を肩や首まで真っ赤に染めて恥ずかしがる姿も堪らなく良かったし、触れて舐めて噛んで抱き締めて押し入った内側の熱さに今だって思い出すと反応しそうになってしまうくらいには最高だった。
    こんな事、離れる以前は青宗に対して全く思わなかったのに。
    確かに青宗はあの頃より大人ぽくなったし、綺麗で純粋にタイプど真ん中な見た目になった。
    でも多分、以前とそんなには見た目が変わった訳では無いのだろう。
    自分の青宗を見る目が変わったのだと思う。
    離れてみて俯瞰して改めて青宗の事を考えられるようになって、自分のその気持ちに気付いたのかも知れない。
    気持ち一つで相手をこんなにも違った認識で見えるなんて人間とは単純で不思議なものだと我ながら思った。
    昨夜の幸せな記憶にまだ浸って居たかったが、起きてしまった事をどう治めるかそろそろ真面目に考えねばならない。
    青宗の事は何がなんでも守りたい。身代わりを立てて秘密裏に海外に逃がすか、だがそうなると離れ離れになってしまう。
    せっかく結ばれたというのに(青宗自身から言質は取って居ないが、好きでもない男に体を許す筈が無いからそう捉えている)もう手放さなければならないのはあまりにも辛い。
    等と考えていると、ベッドの下に放り投げた脱ぎ捨てたジャケットの辺りから携帯が着信を告げている。
    それが誰からの物なのか、見なくても予想はつく。
    気は重たいが無視する事も出来ないと渋々ベッドから抜け出すも名残り惜しく一度青宗の方へ振り返りその柔らかな頬にキスを一つ落とした。
    今度こそ切り替えて携帯を手にするとまだしつこく鳴り響く着信に応答すべくボタンを押す。

    『俺だ。稀咲さんが乾と来いって』

    名前を言わずに俺だ、で済まし怠そうな声が電話の向こうで用件を手短に告げてくる。こんな話し方をする男は半間以外には居ない。
    青宗と一緒に住んでいる事なんて一度も言った事は無いが、当然把握はされているのだろう。
    しかし自分だけならまだしも青宗を名指しで連れて来いと言われるのに返答に躊躇う。
    金で解決出来るのであれば自分の資産を叩いてでも言い値を払っても構わないが、青宗の命で持って責任を取れ等と言われてもそれは出来ない。

    『安心してくれ、二人とも悪いようにはしないから』

    今度は電話口に直接稀咲の声が聞こえて来て思わず身を硬くしてしまう。
    安心という言葉が一番似合わない男からのそれに信用ならないと思うが、この呼び出しを断る術は無いのだと搾りだすように返答をして電話を切った。
    はあ、と重たい溜息が洩れる。甘い余韻が一気に霧散してしまった。
    とりあえずその辺に脱ぎ散らかした下着を手繰り寄せのろのろと足を通すと、もぞりと背後で動く気配がした。
    振り向くと布団が盛り上がり芋虫のようにもこもこと波打って動いたかと思うと、自分の腰掛けている辺りまで辿り着きやがて金色の頭がひょこっと飛び出した。

    「ココ、どうした?」

    寝癖だらけの頭で半分しか開いてない目でも何かあったのかと心配してくれているらしい。
    こんな事、つい昨日体を重ねる前までは無かった。
    些細な変化ながらそれによって心の距離までも縮まったのだと実感出来て嬉しくなる。
    乱れている髪を手櫛で直してやると被っていた布団で背中を包み込んでくれる。温かくて緊張感が無いそれに笑ってしまう。

    「イヌピー、お前の事は俺が絶対守ってやるからな」

    「それなら、ココは俺が守るよ。今度こそ」

    寝惚けた声音だったが、今度こそという部分に過去を思い起こさせる。
    青宗の心の中にもあの日のあらゆる出来事が傷になってしまっていたのだろうなと思う。
    いざとなったら稀咲に何かされるより前に、せめて自分のこの手で青宗を殺してやろう。その後に自分も死ぬしかないとまで覚悟を決めた。
    振り向いてそっと触れるだけのキスをすれば、静かにそれを受け入れるように長い睫毛がパタリと伏せられた。


    あれこれ考えうる限りの最悪を想定し、服の上から探られても解らないように袖の中に小型のナイフまで忍ばせて青宗と共に稀咲のオフィスへと訪れた。
    黒く光る重厚なドアを開くと窓に寄り掛かり眼鏡を拭いている稀咲とその3歩程前に立っている半間の長身が見える。

    「わざわざ悪いな」

    「いえ…」

    歳下とはいえ、上司に当たる上に目的の為なら手段を選ばない男だ。
    初めて会った時からガキらしくない妙な迫力のある男ではあったが、半間という懐刀を側に置いている事で更に威厳を増し下の者へ笑顔で恐怖政治を強いるタイプの奴だ。油断は1ミリだって出来ない。

    「早速本題に入ろう。昨夜、前川組の幹部候補だった矢島が何者かに襲撃されて瀕死の状態だったと聞いた。そしてそこに九井、きみの姿があったとも聞いている」

    狭い世界での事だ。むしろ一晩でも稀咲の耳に入るのを遅らせられただけでも上出来だろう。
    その通り、その場に居たことを認めるように返答をしてから、その後にどう言い繕うか頭を働かせる。
    無意識に青宗を庇うように前に立っている事にその時初めて自分でも気付いて、自分が思うよりもずっと青宗の事を大切に思っているらしいと自覚する。

    「幸いと言っていいのか解らないが、矢島は頭部に酷い損傷は追っているが一命は取り留めたみたいだ」

    稀咲のその言葉を聞いて背後で小さな声で生きてやがったのか、と呟く声がして苦笑したくなってしまう。
    青宗は止めなければあの男を殺そうとしていたから、何とか彼を自分の為に殺人犯にしなくて良かったとは思った。

    「あそことうちは今協力関係を結んで居るが、それもそろそろ旨味も無くなってきた。潮時だとは思って居た所だ」

    だからと言って、不要になったからと一方的に関係を解消するのも難しい。いきなり戦争を仕掛けるような事をしたとしても周囲の他の組からしたら協定を破り一方的に東卍が潰した事になる。
    そうなるとあまり印象は良くない、と思っていた所だったと稀咲は口にした。

    「昨夜の事は店に居た客からの証言で先に東卍の幹部である九井に無礼な物言いで絡んだのは矢島の方だったとも聞いている。」

    「それでココの部下の乾が暴れたのは当然だな、って言う話になってる訳だ。戦争の良いキッカケになったから、むしろ乾には感謝してるぜ」

    稀咲の言葉を引き継いで半間がニタァと嘘くさい笑みを浮かべている。
    思いの外穏やかな空気の稀咲に尚更警戒する気持ちが強くなった。
    青宗が矢島を殴り付けた詳細まで恐らくバレているのだろう。

    「俺は個人的にあの筋肉ゴリラ嫌いだったから乾の気持ちも解るけどなぁ」

    半間からの同意を得た所で何も嬉しくは無かったが、もしかしたら話の方向は思っていた最悪よりはマシな方に転がるのかも知れない。

    「ここからは東卍と前川との全面戦争になるだろうが武力の差は明らかだ。向こう側も直ぐに東卍に降伏するしかなくなる」

    そうなれば前川組の構成員数千人と資金力、それから武力も取り込める。
    と、そこまで言ってからそれから本題はここからだと稀咲はわざとらしく眼鏡を掛け直して九井の背後に居る青宗へ目を向けた。

    「乾、お前はこの先どうする?ここで東卍に服従するか、それとも何もかも忘れて外国で暮らすか」

    どちらにしろ関わってしまった上に、国内でも大きな組の幹部候補の男の頭を殴り付け病院送りにしてしまったのだ。
    この先真っ当な一般人としての生活に戻る事なんて当然出来ないし、何の後ろ盾も無しに国内で無事に生きて行ける保障も無い。
    今後東卍と前川組との抗争になれば増々その身を狙う輩が現れる事にもなる。
    かと言って、組織の人間では無い青宗を匿ってやる程この世界は優しくは無いのだから提示された選択肢は稀咲にしてはかなり考慮してくれていると言えよう。

    「…外国は言葉や金が面倒くせぇから嫌だ」

    決して大きくは無い声量ではあったが、その声はしっかりと稀咲や半間の耳に届いた。
    一瞬の沈黙の後、それに稀咲や半間までもが笑い出す。
    自身の発言が笑われているというのに、表情一つ変えない青宗を見て冷静さを装いながらも九井は内心では冷や汗物だった。

    「歓迎するよ、乾。これでお前も東卍の仲間だ」


    「へぇ、乾ってこんなイカれてて面白ぇ奴だったんだな」

    胡散臭いセリフと共に両手を広げて歓迎するという稀咲と、興味深そうに青宗を見て笑う半間。
    どうやら青宗が責任を取って殺される、という最悪の事態は回避出来たようだが思っても見ない展開に九井は苦虫を潰したような表情になる。
    これはつまり、九井に取って青宗は人質になったも同然だった。
    元々組織への忠誠心が低く、最終的には自ら選びこの組織に属する事になった九井ではあったが稀咲からしてみればどう扱うかと考え倦ねていた所。
    乾青宗という良いカードが手に入ったと思っているのだろう。
    恐らくこれの背景には、東卍の裏の顔でもある黒川イザナの思惑も含まれているに違いない。

    「ココがそれで良いなら、俺はそれに従う」

    そう答えた青宗に、これでは昔と逆になってしまったなと思う。
    いつも青宗にどうする?と聞かれればお前に着いていくよ、と返答していたあの頃と。
    自分以外に対してこんなにも冷たい目をするようになってしまった青宗に、こんな所まで連れて来て落としたのは自分なのだと自ら招いた結果なのにどこか絶望的な気持ちになった。
    これでもう、再会した頃あの花が咲いたような柔らかな微笑みは二度と見れないのだろうと思った。


    それから数年後には青宗は表向きはその暴力的で忠実な仕事ぶりを認められ、九井と肩を並べ最高幹部の一人として名を連ねるようになった。
    言い訳は元黒龍の特攻隊長としてそれなりに名を馳せていた実績もあるからという事になっていはいるが、その裏で乾青宗という男をその辺の末端構成員と同じように使い捨てにさせはしないという九井の強い働きもあったからだ。
    最高幹部という地位に就ければ、危険な現場に行く機会も減るだろうし自分の目の届く範囲に青宗を置いておけるという目論見も込みで。

    青宗の方は舐められるからという理由で美しかった金色の髪をばっさりと切ってしまった。
    それを勿体無く思う気持ちも確かにあったが、それで彼の気が済むのならと九井は何も言わなかった。
    それに髪の長さ等些細な事に思えるくらい相変わらず青宗は九井に取って好みの容姿をしていたし、二人きりになれば甘えて恋人の顔をしてくるようになったのも可愛いので概ね不満は無かった。
    一般人になって普通の暮らしをし、普通の幸せを享受する筈だった青宗を無理矢理拐って閉じ込めたのは自分であるがこんな風になる事なんて夢にも思わなかったのに。

    パソコンに送られてきたファイルを開いてチェックをしたりしながらぼんやりと一人でそんな事を考えていれば玄関の開く音がする。
    本当はずっとこの部屋に閉じ込めて自分だけのもので居て欲しかったが、幹部という立場上そうも言ってられ無くなってしまった。
    だから内側から掛けられていた頑丈な鍵は今では使う事も無く、青宗は自分の意思でこの部屋を出入りしている。
    仕事から帰ってきたであろう青宗を出迎えようと、デスクの前から立ち上がるとリビングのドアを開けた。
    すっかり短く刈り込んだ金の頭と黒いスーツに身を包んだ青宗は夜の匂いを引き連れている。
    再会したあの頃はバイクのエンジンオイルの匂いが染み付いて黒くなった指先だったのに、今ではすっかり真っ白で傷も目立たなくなった指先がネクタイを緩めている。

    「もうすっかりこっちの世界の人間だな」

    リビングに入って開口一番そう告げると無表情で疲れの滲んでいた顔は九井を捉えると表情を和らげて笑い掛けて来る。
    ただいま、なんてこの唇が自分に言うようになるなんて当初は想像もしていなかった。

    「俺を引き摺り落としたのはお前だろ?」

    こっちの世界に染まってしまったと言った事に対しての返答を口にすると、九井の細い首へ腕を回してその距離を縮めて来る。
    ふっくらとした目の前の唇にも、もう数え切れない程に触れているからいつでもその柔らかで心地良い感触を思い出せるようにもなった。

    「なら地獄まで一緒に落ちよう、ココ」

    口元に笑みを浮かべながらそう囁くとキスをする為に首を傾ける仕種が色っぽく映る。
    壊れ物を扱うみたいにそっとその白い頬に触れてから唇を重ね合わせた。

    「最高だな、イヌピーは」

    笑って唇を受け入れて腰を抱き寄せてから何度見ても毎日でも見飽きる事の無い顔を見つめて、やっぱり誰よりも九井一に取っては乾青宗が一番綺麗に写った。









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    ギギ@coinupippi

    DONEココイヌだけどココは出て来ない。
    またモブが出張ってる。
    パフェに釣られてイヌピーがJKからココの恋愛相談を受ける話。
    逞しく生きる女の子が好き。
    特大パフェはちょっとだけしょっぱい。乾青宗はその日の夕方、ファミレスで大きなパフェを頬張っていた。地域密着型のローカルチェーンファミレスの限定メニュー。マロンとチョコのモンブランパフェは見た目のゴージャス感と、程良い甘さが若者を中心に人気だった。
     そのパフェの特大サイズは3人前程あり、いつかそれを1人で食べるのが小学生からの夢だった。しかし値段も3倍なので、中々簡単には手が出せない。もし青宗がそれを食べたいと口にすれば、幼馴染はポンと頼んでくれたかもしれない。そうなるのが嫌だったから青宗はそれを幼馴染の前では口にしなかった。
     幼馴染の九井一は、青宗が何気なく口にした些細な事も覚えているしそれを叶えてやろうとする。そうされると何だか青宗は微妙な気持ちになった。嬉しく無いわけでは無いのだが、そんなに与えられても返しきれない。積み重なって関係性が対等じゃなくなってしまう。恐らく九井自身はそんな事まるで気にして無いだろうが、一方的な行為は受け取る側をどんどん傲慢に駄目にしてしまうんじゃ無いかと思うのだ。
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