ココイヌデート⑤カラオケ店「九井さん! 来ました!」
キッチンに衝撃が走った。
九井さんは、べつにこのチェーン系列カラオケ店のマネージャーでもエリア長でもなんでもない。一般人である。たぶん一般人ではなく、おそらく関東卍會の、げふんげふん、いや、うん、それは確証がないし、考えないことにして、一般人ということにしておく。
身なりからして金を持っているであろう彼だが、なぜかときどき当店をご利用される。そしてキッチンのストックを空にしていく。なにしろ九井さんはよく食べる。めちゃくちゃ食べる。マジであの細い体のどこに入っているんだというくらいのブラックホールだ。
そのうえ九井さんはメニューをいろいろと楽しみたい方で、「トマトの海賊風チキンみぞれ煮バゲット添え」なんていう当店で三カ月に一回も出たことのないメニューも頼む。そのたびにキッチンはレシピはどこだと探す羽目になる。しかも、九井さんはたいてい一時間でご退室される。つまりスピード勝負なのだ。
さて九井さんはたまに乾さんというお友達と一緒にご来店される。
今日は滅多にないお友達とのご来店の日だった。
九井さんがいろいろとご注文する間、乾さんは部屋を出て行った。お手洗いか何かだと思っていたのだば、どうやらドリンクバーに行っていたらしい。なにをどう混ぜたのかは知らないが、絶妙な色合いの、ぶっちゃけ泥水っぽいドリンクを嬉々としてテーブルに乗せた。小学生かな。
「ココ、すげぇ不味い」
「だろうな」
「ココも一口飲んでみろ。すげぇ不味いから」
乾さんが差し出したグラスを受け取って、九井さんはストローで一口飲むなり、げらげら笑った。
九井さんはいつも難しそうな顔をしているけど、乾さんと一緒の時はよく笑うんだよな。案外子供っぽくて、悪戯もお好きなようだ。
「イヌピー、このロシアンたこ焼きっていうのを頼もうぜ」
「いいぜ。その勝負受けてやる。負けたらなんでも聞いてやる」
「四つ中、三つをめちゃくちゃ辛くしてください」
九井さんが子供の顔で笑う。これが本来の彼の顔なんだろうな。かしこまりましたと頭を下げて、退室した。
キッチンに戻ると、案の定、オーダーリストがとんでもないことになっていた。フライヤーもレンジもオーブンもフル稼働だ。微力ながらわたしも手伝うことにした。件のロシアンたこ焼きである。当店のロシアンたこ焼きはたこ焼きの中にタバスコを入れるというものなのだが、出来る限りたっぷりと仕込ませてもらった。あとはソースとかつおぶしと青のり、マヨネーズをトッピングすれば完了である。ついでに出来上がっていたモッツァレラチーズスティックとシーザーサラダをトレイに乗せ、部屋に運んだのだが。
「失礼いたします。ロシアンたこ焼きとモッ」
「……あ、」
「……あ、」
「ッツラレラチーズスティックとシーザーサラダをお持ちいたしました」
……カラオケは個室だ。仲良くされているお客様もけして珍しくはないのだが、うっかりしていた。いたたまれなさそうな顔をして手を放そうとした乾さんに対して、九井さんはしれっとした表情で逃がさずに指を絡める。
「……店員さんはこういうの慣れてますよね」
「えっ、あっ、はい。カップルのお客様は多いですから」
「だって、イヌピー」
わたしはできる店員なので、動揺を顔に出さずこう言った。
「いまオーダーが立て込んでおりまして、お料理に少々お時間を頂いております。申し訳ございません」
「あ、ぜんぜん平気。そうだ。延長しておいて、三十分、いや、六十分延長で」
「かしこまりました」
できるだけ気配を消した退室した。
「…………とりあえず、キッチンの子に伝えよっかな……」
キッチンでは泣きそうな顔をしたバイトちゃんが明太ポテトチーズピザを作っていたはずだから。