原稿進捗 九井一は気づいた。もしかして、オレの顔はイヌピーの好みじゃない?
九井一の初恋は乾赤音である。そんなことはとうに知っていると思うが、聞いてほしい。
いたいけな少年であった頃に九井は、赤音さんに「どんな人がタイプですか」と訊ねたことがあった。心優しい赤音さんの答えは「うーん。やさしくてかっこいい人かな」だった。漠然としすぎていて、よくわからない。赤音さんの返答に不満を持った九井は、赤音さんの好みを探ることにした。てはじめに赤音さんの弟であり、九井の親友である青宗に下校途中に聞くことにしたが、「赤音さんのすきな人ってどんなタイプかな?」とストレートに訊ねたところで、恋愛にまったく興味のない青宗がまともに答えられるとは思えない。そこで。
「赤音さんって、部屋でどんな曲きいてるの?」
と聞いてみた。ジャニーズか、三代目か、はたまた韓流か。福山雅治か。赤音さんの好みが把握できるのではないかと思ったのだ。案の定つまらなそうな顔をしたもののも、青宗は答えてくれた。
「赤音なら演歌を聞いてるな」
「演歌?」
「サブちゃんが好きなんだって」
「北島三郎?」
「名前は知らねー」
演歌を全く知らない九井だが、さすがに北島三郎の名前くらいは知っている。ジャスティンビーバーと言われたらどうしようと思っていたくらいなのに、まさかの回答だった。さすが赤音さんだ。ぶっとんでるイヌピーの実の姉だけある。
「ま、まぁ? 演歌はいいよな? 津軽海峡雪景色とか、オレのばあちゃんも歌ってたぜ?」
九井一は混乱した。
だが、九井の目的は好みの男性像を割り出すことであって、赤音さんの好きな曲を聞き出すことではない。九井はすぐさま気を取り直した。
「じゃあ、赤音さんはどんなテレビ見てる?」
「欠かさずに見ているのは相撲だな」
「すもう」
「朝ドラとか大河とかもよく見てるぜ」
「レトロ趣味なんだね……」
残念ながら九井には共感できない趣味だった。相撲も見たことがなければ、大河ドラマも見たことがない。
そんな九井を見て、なにを思ったのか、青宗から「赤音の部屋にある漫画を勝手に読んでるんだけどさ」と切り出してきた。
「えっ、う、うん?」
「ゴリラ顔の男が主人公なんだけど、すげぇかっこいんだよな! ココにも見せてやるよ!」
息を巻いた青宗は「読んでみろ」と言ってくるが、所有者は赤音さんであって、青宗が勝手に貸していいものではない。だが赤音さんが読んでいる本が気になったというのは確かだ。あわよくば赤音さんに会えないだろうかと下心を持って乾家を訪れたが、残念ながら赤音さんは不在だった。青宗の部屋に通されたかと思えば、強引に漫画本を押し付けられる。その名も「俺物語」である。
ストーリーは明快で、心優しいが厳つい巨漢の男と愛らしいヒロインのラブストーリーである。すすめられただけあって、漫画はとても面白かったのだが。
「これって……」
もしかして、赤音さんの好みってこういう男なのか……?
主人公は控えめに言って、男前であるが、顔はゴリラである。
しかも赤音さんは北島三郎も大好きだという。演歌界の大御所である彼だが、顔は、まぁ、その、イケメンではない。
そして相撲。大河ドラマ。
大河ドラマは大雑把すぎてよくわからないが、相撲力士の漠然としたイメージは巨漢である。
赤音さんはいかつい大男が好き。なるほど、わからない趣味ではない。
だが、九井はショックを受けた。なにしろ九井は痩せ型である。いまはまだ小学生なので、未知なところはあるが、家系的にも瘦せ型である。母親など、しっかり夕食をとった後に、ポテトチップスなどのおやつを食べ、風呂の後にアイスを食べる猛者であるが、体脂肪率9パーセントである。九井もどんぶり飯を食べているが、いっこうに太らない。そういう体質なのだとしたら。
「絶望的じゃね?」
ショックを受ける九井の傍らで、青宗は「武男めっちゃかっこいいよな!」と同意を求めてくる。九井は心の中でちょっと泣いた。
九井の初恋はあえなく散ったが、九井は再び恋におちた。赤音の弟、青宗である。よくよく考えてみれば、青宗に似ている赤音さんに恋をしたのか、赤音さんに似ている青宗をすきになったのか、よくわからないところはある。ともかく九井は乾家の顔に弱かった。
そして思いだしたのである。
赤音さんの墓参りをしたときに、すれちがった青年がいる。彼とは病院でもすれちがったことがあった。病院で会ったときは、赤音さんと同じ学校の制服を着ていた。ということは、おそらく赤音さんの知り合いであろう。彼の名は知らないが、柔道部かラグビー部かといったがっちり体形の青年であった。面立ちは控えめに言って、厳つかった。
もしかしたら彼は赤音さんの彼氏だったのではないだろうか。
彼女に恋をした青年がいたことは、今となっては救いである。
だがしかし彼の登場で赤音さんガチムチゴリラ顔男子好きの疑惑は濃くなった。
今は亡き彼女のことはいったん置いておくとして、問題は青宗である。
赤音さんに似たイヌピーも、ガチムチ男子好きなんじゃないか?
自分で言うのもなんだが、九井は顔は整っている方だと思っている。スリムな体形も羨ましがられることが多い。だが、青宗がそれを褒めたことは一度もない。もちろん男同士のことだ。おまえ、イケメンだな、なんて言いあうようなことはないのだが、ひっかかるものがある。
そこで九井は再び探りを入れた。同居をしているリビングでくつろぐ青宗に対して「イヌピーはパーちんのことどう思う?」と切り出した。
「は?」
青宗が怪訝な顔をする。話題が唐突すぎたか。
「いや、その、東京卍會の中で誰がモテるのかな~と思って。パーちんは彼女持ちなんだろ」
青宗はぱちぱちと瞬いたが、彼の中で納得したのか、「そうだな」と頷いてくれた。
九井が林田の名を出したのは、周囲にいる連中の多くはスリム体形の男ばかりなので、ぱっと思いつくぽっちゃり系男子が林田だったからだ。失礼である。
「たしかにパーちんには彼女がいるらしいな。いい奴だからな」
「イヌピーもパーちんのこと好き?」
「ああ、好きだな」
だよね! イヌピー、パーちんみたいな仁義に篤い奴すきだもんね! 知ってた!
さらりと好きという言葉を引き出した林田に嫉妬する。たしかにパーちんはいい奴だ。それは認めざるを得ない。
「三ツ谷の方がモテそうなのにな」
ここで九井が三ツ谷の名を出したのは、スリムでスマートな三ツ谷とは体形が似ていると思ったからだ。
「三ツ谷は面倒見のいい奴だけど、彼女がいるっていう話は聞いたことねぇな」
「イヌピーが選ぶとしたら、パーちん? それとも三ツ谷?」
「三ツ谷には悪いけど、パーちんだな」
知ってた! イヌピーがパーちんを選ぶの知ってた!
九井は目頭を押さえる。
これはオレの質問が悪かっただけだ。聞きたいのはパーちんのことじゃない。
しかしここで九井が知る最強のガチムチ・ベンケイクン、つまり黒龍初代の名を出せば、青宗の初代語りが始ってしまう。青宗が初代大好きなのは知っている。黒龍の話題はいまは避けたい。
「じ、じゃあさ、最近のチームでイヌピーが一目置いたやつっている?」
「最近?」
「黒龍は除外な。身近すぎるからな」
ここまで念を押せば、さすがの青宗も黒龍は避けるだろう。
「東卍で言えば、ムーチョはいい奴だって話だったな。イザナのことがなけりゃ、いい仲間になれたかもしれねぇ」
「ムーチョか」
そういや、あいつガチムチだった。
九井が顔をしかめたのは、彼に拉致されたからではなかったのだが、青宗は「悪い、変なこと言ったな」と眉を下げる。
「いや、ムーチョの噂はオレも聞いたことがある。そうだな。あいつとはちゃんと話してみたかったな」
青宗が頷いて、ちょっと思案する顔になった。
「マイキーはちょっと異次元だからパスな。半間とかは強いんだろうけど、あいつのやり方はオレは好きじゃねえ。そうだな……愛美愛主の長内とは一度やってみたかったかな」
えっ、だれ……?
一瞬思いだせなかったが、九井の明晰な頭脳はすぐに愛美愛主の総長・長内信高を思い出した。稀咲の口先に乗せられていたという噂もあって、青宗が彼の名をあげたのは意外だった。残念ながら九井は彼のことをほとんど知らない。長身ではなかったが、大柄だった印象がある。つまりガチムチ系だ。
そういえば青宗は芝大寿にも一目置いていた。いわずもがな大寿はガチムチ系である。
ドラケンもガチムチだが、故人の名を出すのはデリケートすぎるのであえて避けた。
ここでスマートなイケメン・灰谷兄弟の名でも出て来れば九井にも一縷の望みがあったのだが、長内、長内かぁ……。意外すぎる伏兵だ。
「イヌピー、あのさぁ……」
もしかして、オレの顔、好きじゃない?
いや、嫌いだとか言われたことないし、それならそれでがんばるしかないんですけど。
いちおうオレ、イケメンのはずなんだけどなぁ……。
「さすがイヌピーぶっ飛んでるぜ」
九井一の恋は前途多難だった。