ものいう鳥 数ある仙門世家のうちで唯一、刀術を使う清河聶氏の当代宗主は、聶懐桑という。
勇猛なこと、義に篤いことで世に名を馳せた聶氏を束ねる長として、聶懐桑はあまりにも頼りない。領内でもめごとが起きても、悪鬼邪魅のたぐいが跋扈していると領民から訴えがあっても、困り顔に気弱げな笑みを浮かべて扇子ではたはたとあおぐばかり。なにを聞かれても「知らない」としか答えない、一問三不知とあだ名される人物だった。
「――知らない」
ふいに、つややかな黒い羽根の小鳥がそう云った。暖かな陽射しが明るかった。
「ふうん、おいしいかい?」
聶懐桑はにこにこと笑いながら、目もとから頭の後ろにかけて黄色い肉垂れのある、真っ黒な小鳥に手ずから餌をやった。九官鳥は橙色の嘴を開け、
「知らな、い――しら、しら」
主人のように「知らない」と三回くりかえし終える前に、犬そっくりな声でワンワンと吠えた。
聶懐桑は鳥を飼うのを好んでいた。鮮やかな色彩の羽根が美しいもの、玉をころがすがごとき麗しい囀りのもの、――そして、人語を真似るもの。
九官鳥や八哥鳥、鸚鵡といった鳥たちは、よく音をおぼえて真似る。真似る音は、犬や猫の鳴き声や扉が閉まる音、馬の蹄の音など、さまざまだった。人が教えれば挨拶のことばを発するが、真似をするだけであって、会話ができるわけではない。
「おまえはいつまでたっても、ことばをおぼえないねえ」
聶懐桑は扇子をくちもとに当ててボヤいた。この九官鳥は彼が宗主になる以前から飼っているが、主人になついているわりに、教え込もうとしたことばに限っておぼえが悪い。
「ほら、私が『寂寂として孤鶯、杏園に啼き』と云ったら、『寥寥として一犬、桃源に吠ゆ』と続けるんだよ」
「知らない!」
「こういうときだけ、いい頃合いで云うね、おまえは!」
竹の鳥籠のなかで黒い翼を広げ、九官鳥は飼い主の声でけたたましくくりかえした。
「知らない、ほんとうに知らない。大哥――大哥!」
それを聞き、聶懐桑は苦笑した。くびを傾けた拍子に、さらりと長い黒髪が流れる。
九官鳥は自分がよく聞く音を真似る。自覚のないうちに、そんなにもいまは亡き人を呼んでいただろうか。
「聶懐桑!!」
感傷にふけりかけた瞬間、小鳥の嘴から出たとはおもえない太く低い声に、聶懐桑は硬直した。
「……いま、なんて!?」
乱暴に鳥籠を両手でつかむ。勢いあまって激しくゆさぶられた鳥籠のなかで、九官鳥はバタバタと羽ばたき、鋭くケェーッと鳴いた。
「違うよ、いまの大哥の声! なんで……もう一回、云ってよ!」
いつもはヘラヘラと如才ない笑みを浮かべている聶懐桑の顔が青ざめ、こわばっていた。血を吐くような声で叫んだ。
「どうして大哥の声をおまえが知っているの!」
叫びながら、聶懐桑の頭は妙に冷静に考えていた。
――この九官鳥は、聶懐桑が清河聶氏宗主になるよりも前、聶懐桑の異母兄である前宗主、聶明玦がまだ生きているころから飼っていた。だから、聶明玦が出来の悪い弟を怒鳴りつける声も聞いていたのだろう。死の直前の聶明玦は特に、刀霊に狂わされてわずかなことでも苛立ち、日々、聶懐桑を激しく罵っていたのだ。
あんなにも恐れ、怯えていた聶明玦の怒声が、いまはただひたすらに懐かしく、慕わしい。
「もう一回……私を叱ってよ、大哥……」
鳥籠をつかむ指が力なくすべり落ちた。
九官鳥はこくびをかしげて、キョキョ、と囀った。