幸せな思い出「阿国さんって粽好きですよね?」
「…え?」
傍らから突然そう聞いてきた七緒に阿国は瞬きすると、手許に落としていた視線をそちらに向けた。好天の下、休憩がてら河原で並んで腰を下ろしている時だった。
「よく食べている気がします。屋台にあったらもちろんですし、お膳にあったら一番に手を伸ばしてます」
阿国と入れ替わって今度は七緒が阿国の手許に視線を下ろす。阿国もつられるようにまた視線を落とした。阿国が手にしているのは、先ほど立ち寄った屋台で買った青笹に包まれた粽だった。申し訳程度に野菜の屑が混ぜ込まれているもっちりとした餅米からは、爽やかな柑橘と香ばしい味噌、青笹が香る。まだ人肌ほどに温かいそれは、七緒の手にも同じく握られているのだが。
「もしかして、あんたはあんまり好きじゃなかった?」
相も変わらず水入らずの二人旅、食に関して阿国はいつも当然二人分をまとめて買い求めていた。それを七緒は我儘など一切なく受け取ってくれていたが、にわかにそれが心配になる。食べたい物を尋ねたり好き嫌いを確認はしていたが、食の気分までは確かにいちいち聞いてはいなかった。
「いえそんな、まさか。私はお餅好きなので粽も好きですよ」
七緒は慌てて否定するが、でも、と繋ぐ。
「よく見ていると阿国さんは分かりやすいというか…、粽を食べる時はいつも以上に優しげに目が和んでいますよ」
「そ、そうかな…」
くすくす笑いながら指摘され、阿国は恥ずかしくなる。それではまるで子供のようではないか、と気まずい。目を逸らして誤魔化すように頬を探る振りをした。
「確かに粽は好きだけど…そんな風に写ってたの?嫌だな」
「どうしてですか?可愛いと思いますけど」
「嬉しくないよ。恥ずかしい」
ぷいとそっぽを向くが、七緒は懲りずににやにやと覗き込んでくる。
「可愛いです阿国さん」
「もう、七緒」
しかし揶揄ってくる七緒の頬を阿国は片手で挟んでむにっと押し潰す。河豚のようになった彼女の顔を押し戻して、まったく、と吐き出した。
「調子に乗らない。冷めないうちに早くお食べ」
「はーい」
大人しく体勢を戻しながらもまだ楽しげに、七緒の返事は笑い含みだ。また粽を齧りつつ緩んだその横顔を眺め、阿国は目を和らげる。そうして可愛らしい、とじんわり感じ入ってしまう自身もまた懲りていない、と苦笑した。
七緒とまったりと並んで阿国は粽を食べる。落ち着く粽の香り、それと相まって長閑な時間はとても心地よく、ふんわりと阿国の意識を風に乗せて遠くへ運ぶ。好物に対して目が和んでいる、優しげだ、と称した七緒の言葉がふと浮かんだ。それはきっと、かつてのこんな穏やかな時間を思い出させてくれるからだ、と阿国は思う。
「…何か考えてます?」
ふと、七緒が聞いてくる。
「阿国さんはそういう遠い目をする時、よく何か考えていますよね」
「…嫌だね、本当にあんたはよく見てる」
言葉とは裏腹に阿国の口許はほんわりと緩む。阿国さんほどじゃないですけど、とはにかむ七緒の頬にゆっくり手を伸ばした。そうして目を丸くする彼女に付いていた米粒を取ってやると、そのまま口に含んだ。
「わ、ごめんなさい…」
「ふふ、好きだからいいよ」
七緒の既に赤い頬が一層赤く染まる様を笑いながら、阿国は問われたことに少しばかり逡巡する。粽だから何がどうということはないが、やや躊躇われた。
「…ちょっと、昔を思い出してただけ」
だからそれだけを明かして口を噤む。これはきっとただの感傷でしかない。だが、七緒はそんな距離さえ軽く飛び越えてくる。この揺れる気持ちに気付いていないはずもないだろうに。
「聞かせてもらってもいいですか?阿国さんが嫌じゃなければ」
そうやってどんな過去さえ、これまで七緒は受け止めてくれたのだ。やはり秘するさえ無駄なのだろう。
「…昔、父上と一緒に食べたんだ」
優しく背を押されるようにこぼれる。
「お父さんと」
「うん。乗馬の鍛錬だったかな?父上がわたしを遠乗りに連れ出してくれて、一緒に野を走って、その時に」
風に揺れてさらさらと頬をくすぐる髪を払う。
「今日みたいにとても良い天気で、二人で草むらに腰掛けて。わたしはそんな風に外でどこぞと座って物を食べるなんて滅多になかったから、何だかいけないことをしているようで…」
「楽しかった?」
「そうなんだ。今となるとどれだけ箱入りだったんだって話だけど」
悪戯っぽく小首を傾げた七緒と顔を見合わせて笑う。
「その時の粽はとても美味しくて、…そう、父上は褒めてくれたんだ。一人でちゃんと馬に乗れたこと、誉めてくれてわたしはとても嬉しくて、誇らしかった」
だがその帰りは疲れてしまって、乗ってきた馬は結局共回りに任せて父親の馬に乗せてもらったのだったか。阿国はその不様だけは隠させてもらう。
「そうなんですね、素敵な思い出です」
「そう言ってくれる?」
「もちろんです。私も父上に乗せてもらって何度も遠乗りに出かけましたから。楽しいですよね」
「あんたのお父上は特に馬好きだったもんね」
阿国と七緒はもう親同士のことなど殊更に話はしない。お互いに了解したものだ。ただ父親を慕っていた子供の頃、幸せだった思い出を共有する。共有できることが、分かって貰えることが幸せだと、阿国は思う。
自分で言ったにも関わらず、阿国の手に残っている粽はもう冷めてしまっている。だが、思い出の温もりはいつまでも消えず、隣に寄り添い微笑ってくれる七緒に温もりと愛しさは更に増す。いつでも過去に勝る幸せをと、そう願っている。
「阿国さんもやっぱり馬に乗れるんですね」
「ん?まぁ…武家の男子の嗜みだからね。でも今は知らないよ。長く乗ってないから」
「格好良いだろうなぁ。今度機会があったら乗せてくださいね」
「…ご期待に応えられるよう頑張るよ」
他愛もない約束、それさえもいつかきっと幸せな思い出の一つになる。
齧った粽はひどく懐かしくも、優しい味がした。