やけどとキスこつ、と後頭部がぶつかったので振り向けば、そこにあるのは大きな背中だった、ので。ビールばかり飲んでいたせいで少し冷えたような気がする身体を、相澤はその背中に脇の下から手を回して抱き着いて預けた。腹のあたりが暖かくてホッとする。
「うわ」
驚いたような声が頭上からするが、構うものか。逃がすまいとさらにきつく抱きしめ、じっとしていれば、戸惑うような手が相澤の頭を撫でた。
「びっくりした、相澤くん?」
オールマイトの声だ。そうか、この背中はオールマイトか、と納得して。だったらまあいいかって、なんだかそう思ったので相澤は目を伏せる。痩せた身体はもっと硬くて冷たいのかと思いきや、シャツは手触りがよく、その下の薄くついた筋肉の弾力と、思ったよりも高い体温が心地よい。頭に、大きな手が触れ、子どもによしよしとするみたいに撫でられた。
「マイクくん、この子もしかして結構飲んだ?」
「そうっすね。ここの居酒屋のジョッキ、少し小せェンですけど、それでも多分二桁は」
うわあ、と困った声。でも、振りほどかれることはないし、暖かいし、頭の上の手は優しく撫でるので、とろとろと眠気だけがやってくる。もう目を開けたくないなって思ったところで、少し緩んでいた腕を振りほどかれたので相澤は閉じていた目を半分開けた。
「相澤くん」
綺麗なあおい目が、見てる。
「私、ちょうど帰ろうと思ってたからさ、君も一緒に帰ろう」
「……さむい」
「え?」
腕を伸ばし、適当に抱き着く。ぎゃ、と慌てたような声。けれどなめらかなシャツに頬を付ければ暖かく、相澤はまた目を閉じた。開けているのがもう、億劫で仕方がない。
「マイクくん、上着ってあるんだっけ、この子」
「ないですねェ」
「だよね」
ふ、と大きく息を吐くのが聞こえた後、ふわ、と暖かいものが身体を覆った。
「ワイシャツ一枚じゃ、マイティが寒いですよォ!?」
「大丈夫、このままタクシー乗っちゃうよ。相澤くん、寒いって言ってるし、寒気がするんだったら心配」
じゃあ行くね、と言う声が聞こえ、身体が浮く。抱えられんのか?と思ったのは全くの杞憂で、さすが、オールマイト。人を抱き上げ慣れている。そのまましっかりと暖かな腕で抱えられ、歩くたびに一定のリズムでゆらゆら揺れる感覚は、心地よくて。
そこからは全く、記憶がない。
ふ、と目が覚める。常夜灯がぽつんと灯っているのが見えた。
薄暗いせいだけではない、多分、自分の部屋とは天井の色が違う。でも、どこか、自分の部屋と――たとえばシーリングライトの位置や形は、同じような気もする。けれど背中に当たるマットレスの感触も、肌を覆う暖かな毛布の感触も知らない。そもそも、自分の部屋にはベッドがないのだから。
そこまでぼんやり考えて、がば、と相澤は勢いよく起き上がった。のんきに分析をしてる場合ではない、つまりはここは、自分の部屋じゃねえってことだ。
「目が覚めた?」
聞きなれた声の方向に顔を向ければ、予想した通りの人物がいてほっとする。その人――オールマイトは、ゆったりとした一人掛けの椅子に座り、洒落た読書灯の下で文庫本を読んでいた。多分ここは寮だと思うが、初めて入った彼の部屋は、基本的な作りは大差ないとはいえ多少、天井が高く、広く作られているようだ。オールマイト仕様にカスタマイズされているのだろう。何もない自分の部屋とは打って変わって、まるで整えられた高級ホテルの一室のようだと思った。オールマイトは手にした文庫本に、金属製らしきブックマークを挟むと、椅子の隣にあるサイドテーブルに本を置いてからこちらに向き直った。
「水はいるかい?結構飲んだようだから」
「いえ……大丈夫です、自分の部屋に戻ります」
これ以上、この人のベッドを占領できるか。今の時刻は分からないが、記憶がある最後の時間でも既に11時を過ぎていたはずだ。相澤は多少痛むこめかみを押さえてベッドの下に足を下ろすが、待って、とオールマイトに柔らかな声で制止される。
「――なにか?」
「急がなくていいよ、水より暖かなお茶がいいかな?寒いって言ってたのは平気?」
「もう、大丈夫です……すみません、お手を煩わせて」
「構わないさ。それより、私はまだちょっと心配だから、私の気が済むようにさせてくれる?」
はあ、と答えれば、オールマイトは立ち上がり、簡易キッチンでポットからお湯を注いでいる。その後姿をぼんやりと眺めた。寝間着の上に羽織った暖かそうな真っ白なガウンは、オールマイトの膝より少し下の長さで、多分特注だろう。自分が着たら多分裾を引きずって、大人の服を着た子供のようになるのだろうか。そんなことをする日が来るとは思えないのに、想像すれば少し可笑しい。
「ご機嫌だね」
気付けば、マグカップを二つ持ったオールマイトが目の前に立っていた。一つ、相澤にマグカップを渡すと、自分のマグカップを持ったまま文庫本を載せていたサイドテーブルをベッドの横に引っ張ってくる。
「べつに……そういうわけじゃないです」
「笑ってたぜ?」
「なんでしょうね」
可笑しな想像をしてたなんて、気取られたくない。相澤は俯き、マグカップの中身を見た。はちみつと、それに紅茶のような香り。
「ノンカフェインの紅茶に、蜂蜜を入れてるんだ。よく眠れるから」
「……どうも」
ず、と何も気にせずに啜れば熱くて、ぱっとマグカップから口を離す。大人として、一度口に含んだものを吐き出すわけにはいかずに強引に飲み込めば、喉まで焼けるように熱かった。舌先が、ひりひりする、
「あ、ごめん、熱かった?」
それが答えだと言わんばかりに無言の相澤の手からオールマイトはマグカップを取るとサイドテーブルに避け、相澤の頬を掴んだ。青い目が、また、自分を見てる。れ、と舌を出してみれば、わあ、とオールマイトは困ったように眉を下げた。
「赤くなってる」
「いたいれふね」
「そうだよね」
相澤の舌に顔を近付け、覗き込む。それに、どこかむずむずとした。でも不快ではない。なんだろう、この距離感。なんで、こんな近くを、俺はいつのまにかこの人に許してしまっているんだろうか。何なら、もう少し近付くことだって、できるような。
相澤は、自分の頬を挟むようにするオールマイトの両手を真似て、オールマイトの頬を両手でつかんだ。オールマイトはぎょっと目を見開いたが、けれど逃げることはしない。口元を覗き込んでいた青い目がまっすぐ向けられた。
「危機感を、感じたりは?」
「なんのだい?」
「こんな、近くに居たら……俺にキスされるかも、とか」
オールマイトはじっと、相澤を見つめ。それからその目元が、ふっと緩んだ。
「それは――願ったり、かな」
どちらともなく顔が近付く。それが礼儀作法だと言うみたいにオールマイトの瞼が降りた。それを、相澤はずっと見ていた。綺麗な金色の睫毛が、震えるのも。唇が触れる。離れる。また、触れる。何度か繰り返してから、オールマイトの瞼が開くのを合図みたいに唇が離れた。オールマイトの目はさっきより少し、潤んだような色の、あお。
「もっと、しても?」
「好きにしていいです」
「言ったね」
こつ、と額が触れる。それから唇がまた重なった。今度はオールマイトの舌先が、ノックするみたいに唇に触れたので緩く開ければ、そろりと入ってきて。相澤の口の中をゆるゆると撫ぜる。けれど、舌先が触れたところで思い出したように痛みが走った。
「ん、あ」
「ああ、そうだ」
ちゅぷ、と微かに音を立てて唇を離し、やけど、とオールマイトは呟いて苦笑。
「ちょっと、ざらざらしてた」
「そうですか」
「きっと舐めたら治るよ」
「オールマイトさんの個性はいつから治癒になったんです?」
ハハ、とオールマイトは誤魔化すように笑い、名残惜し気にもう一度唇だけ押し当てて、顔を掴んでいた手と一緒に離れた。少し白けたような空気に、相澤は気まずくてぼりぼりと頭を掻く。オールマイトはもじもじと手元を擦り合わせてから、ベッドに座る相澤の隣にすとんと腰を下ろした。視線を合わせないまま、あのさ、と口を開く。
「また、してもいい?」
「――もう二度としない、ではなく?」
「ええ、なんでそんなこと言うのさ。願ったりだって私、言ったじゃない」
わざと拗ねたような素振りで笑うその目尻の下が、ほんのり赤く染まっている。この人でもこんな照れたりするんだと思うと、きゅんと、胸が苦しいような、弾むような不思議な感覚。でも、この感覚をここ最近ずっと、この人と接するたびに相澤は感じてた。ああ、そういう、ことか。
「そうですね……俺も、多分そうです」
くすりと相澤の唇から笑いが漏れた。照れくさい、が、ふわりと心が心地いい。オールマイトはこちらに顔を向け、それから目元を手で覆うようにしたので相澤は、どうしたんですか?と聞いた。オールマイトは口の中で、まるで獣のようにううと唸る。
「君こそ……もうちょっと、危機感ってもんを、感じたほうがいい」
「どういうことです?」
「私は君が思うほど紳士じゃないってことさ」
なんだかよく分からずに首を傾げれば、オールマイトは眉を下げ、フンと鼻を鳴らした。
「次は、素面の時に私の部屋においで」
「今ももう酔ってませんが」
「それは明日の君にもう一度確認するよ!」
そう言って、オールマイトはだいぶ冷めたマグカップを相澤の手に押し付けた。
翌朝。
昼まで寝てたら、しびれを切らした様子のオールマイトが相澤の部屋に押しかけてきた。
寝ぼけた顔で「覚えてません」って言ったらひどく落胆する顔が、やっぱり可愛いって思ったので、嘘ですって笑ったら、そのままオールマイトの部屋に連れていかれた。
それからどうなったか、は、まあ、想像にお任せする。