理性なんて蹴っ飛ばせ!どうしてこうなったのかっていう、記憶はどこか曖昧で。あんまり細かく考えたらいけないって、そう思ってるからだと思う。確かきっかけは酒のせい。酔った勢い。
それが、だらだらと続いているだけの関係だけど。それだけだと思いたくないのは、切島の勝手な願望だ。
大きな手に指を絡め、必死につないで、唇を合わせた。
切島が自分からそうすると、ファットガムはほんの少し、唇が触れるその手前くらいでいつも、少し戸惑うような顔をする。それが切島にはよく分からず、顔色を窺いながら舌先を伸ばせば、それが絡んだあたりでもうファットガムの表情から迷いが消えるから。大きな舌に翻弄され、息ができないような口付けを繰り返して互いに溶け合っていくだけの行為。
気持ちがよくて、あたたかくて、くるしくて、いたくて、苦くて、甘くて、ここちよい。
普段感じることのないすべての感覚を味わう時間。
そうやってベッドで散々絡まり合った後。
離れた身体の、唇に咥えられた煙草の先。ぽつ、と薄暗い寝室に一瞬灯った炎と、その後に残る鈍いオレンジ色をぼうと見つめる。ライターの炎は、まるで自分たちみたいだ。スイッチ一つで火が付くけれど、終わればすぐに跡形もなく消える。燻ぶることも、燃え盛ることも許されないような。
嗅ぎなれた少し甘い匂い。ゆるりと視界を流れていく白い煙を視線で追った。
「今夜は、どうするん?」
ふー、と煙を吐きながらファットガムが、誰に問うでもなく呟く。けれどここには切島しかいないので、気怠い身体で寝返りを打ってファットガムに背を向けた。
「泊まる」
「明日も出勤やけど」
「いい……朝イチ、自分ち、寄るっス」
そうか、とファットガムは答える。それは肯定とも、否定ともとれた。
「駄目なら帰ります」
「駄目やなんて言うてないよ」
「じゃあ、泊まってった方がいいの?」
「どっちでもええよって言ってるだけや」
これ以上会話したところで、ファットガムは切島に望んだりはしてこない。それが分かってるので、切島はそっスね、と返し。目を伏せる。寝てしまえば、すべてをあいまいにしたまま、どうせ朝がくる。
いつものように一日が来て、いつものように忙殺されていく。
昨日激しく求めあったことなんて、こうして日常を過ごして、平然と仕事をこなすファットガムを見ていれば、まるで夢か幻みたいな気分。かたかたとキーボードをたたきながら報告書を仕上げていれば、天喰とファットガムの会話が、切島のところまで何とはなしに聞こえてきた。
「今朝の報告書、これ、ヤクやなくて個性の不正利用ってことやんな?」
「ヤクで飛んだわけじゃなくって、理性が吹っ飛んで本能が出る個性だったんだって」
「へえ……怖ァ、理性吹っ飛びたくないわ」
「――ファットは、理性と欲望だと、欲望のほうが強そうだけど……欲望っていうか、食欲?」
「失礼やな、これでもファットさんは理性的やで」
ええ、と疑うような顔で天喰が眉を寄せている。切島は横目でそれを見つつ、プリントアウトのボタンをマウスでかちりと押した。複合機が動き出す音。
うん、先輩、ファットは理性的だよ。あれほど行為に没頭して欲望は吐き出しても、雰囲気に流されて軽々しく好きだなんて言葉は言わない。俺は多分、何度か、口にしちゃってるのに聞こえないふりだ。
立ち上がり、プリンタのそばで印刷した報告書を眺める。ふ、と小さくため息を吐いた。
あの人の本音は、どこか俺の見えないところに隠されてて。理性の壁で隠されたそれは、触れることもできない。なんて、独りよがりな。
(もぉ、あの人と寝るの、やめようぜ俺)
「でっかい溜息やな」
「うわあ!!!」
思わず叫んだら、おお、と背後で焦る声。気配に気づかなかった。首をうんと倒して見上げれば、ン?と首を傾げるファットガムが居て。柔らかく弧を描く口元を見れば、キスしてえな、ってすぐ思った。俺の理性は、全然、仕事する気がないらしい。
「何でも、無いっス」
ふいと視線を逸らし、くるりと反転すると手の中の報告書をファットガムに押し付けた。
「コレ、確認お願いします」
「ん、ん」
受け取り、それからちらりとファットガムは周囲を見る。事務所は今日、パートのおばちゃんが休みなので天喰とファットガム、切島しかいない。天喰は、気付けばどこかへ行ったようだ。ファットガムは顔を戻し、少し、屈んで、切島の耳元に唇を寄せた。
「良かったら、今日もウチおいで」
「へ?」
ぎょっとして見上げれば、くすりとファットガムが笑った。それ以上は、何も言わずに踵を返し、デスクに戻っていったけれど。でも、少しだけ。少しだけ本音が垣間見えた気がしたから。
諦めるよりも先に、なんだかふつふつと、闘志が湧いてきた。
(ぜってー、あんたの理性ふっとばして、好きだって言わせてやる)