きみはごちそう3「爪の垢を煎じて飲むの、美味しいんだね」
茨の爪を咀嚼しながら、その紅茶を飲み干した。
茨は私の《ケーキ》で、《フォーク》の私は茨にしか味を感じなかった。極上のお菓子。あまいあまい私の茨。茨は自分を切り売りしようとするけれど、ずっとそばにいたい私は、ほんとうに食べるようなことは、しない。
だからこうして茨は自分の一部を、私に分けてくれる。
「爪は消化されますが髪は消化されないので多量に摂取しないほうがいいですよ」
「そうなんだね。砂糖菓子みたいに甘いんだけれど」
「食毛症のようになれば毛髪胃石を形成しかねませんので我慢していただきたく……」
「うん、わかった」
「かわりに……俺の唾液なら、いくらでも……」
「……ふふ、うん、いいのかな」
茨がもじもじしてそんな誘い方をする。
その甘露を湛えたくちびるを、そっとなぞった。
甘い香り。茨の匂い。
それが嬉しくて、わたしぬはゆっくり抱きしめながらくちづける。
「ん……はぁ……」
「おいしい……茨……」
澄んだ泉に似た透明感のある甘さが、とろとろと色づいて果実感が増していく。茨の口腔を愛撫して、極上を飲み干していった。
「あ……♡ あう♡ ふぁ……♡」
「かわいい……甘くておいしくて、大好きだよ、茨……」
ちゅぷちゅぷと愛して、もっともっとと手を深くしていった時――、コンコン、と早めのノックが聞こえた。
「っ! は、い!」
お時間です、とスタッフがドア越しに告げる。
「了解であります、」
上気した顔で、茨はドアに叫んだ。
「すみません閣下……」
私の腕を抜け出して、鏡に向かった。真っ赤な耳をどう隠そうか、悩んでいるみたい。
「……続きは夜にね」
そっと頭にキスをした。甘く麗しい、私のケーキの味がした。
***
生放送のそれぞれのテーブルに、先ほどのVTRのケーキが出された。限りなく雲に近いというコンセプトで、くちのなかでとろけてしまう繊細なケーキ。試食タイムである。
「美味しいでありますな、まさに芸術品! 特にこのクリームの――」
閣下は食べ物の味はわからない《フォーク》だから、俺がコメントをして抜いてもらうしかない。俺が触れられれば味がしただろうに、そんな機会はなかった。
だけれど――おかしい。カメラは何故か閣下を抜いている。司会も閣下に話題を振って――まさか。
「……おいしいね、ふわふわでやわらかい」
ここで、後ろからドッキリの看板を持った芸人が現れた。
リアクション薄いですねぇ――激辛平気ですか!? と囃し立てられた。
「うん――そう、なのかも」
味がわからないとか、まさか《フォーク》だったりして――と、発言されてしまい、サッと血の気がひいた。
閣下はよくわかっていなかったようだけれど、《フォーク》は猟奇的殺人事件を起こす人種だと予備殺人者のレッテルを貼られている。だからそれを公表するのはリスクが大きすぎた。
七種くん、襲われちゃいますよ――と俺に絡んでくる。わらって流れていく中で閣下はにこやかに、はっきりと発言してしまった。
「私のケーキは茨。だから問題はないよ」
***
号外が出てしまった。Adam禁断のフォークとケーキ。俺はもともとケーキだということは隠してはいなかったが、閣下の方が問題だ。これはプレスリリースをして印象操作をしないと今後に悪影響が出かねない。
「……ごめんね、茨」
「いえ、なんとかしてみせますので。本日の握手会に集中しましょう」
ファンからは応援や励ましの言葉が多く、閣下もにこやかに上手く対応してくださっていた。あと数人のところで、事件は起きる。
わたしをたべて! と、そのファンがいきなり閣下に抱きついた。
「……!」
何が起こったかわからなかったが、閣下の目の色が変わって状況がわかる。その女は《ケーキ》なのだ。
「閣下っ!」
まずい、これで噛みつきでもすれば大惨事だ。
閣下は、くちを押さえてその誘惑に耐えていた。
スタッフが女を引き剥がして、俺は閣下を取り返す。
ブースの裏に避難して、乱れた呼吸の閣下の、その背中をそっと撫でた。
「大丈夫ですか……、流石は閣下であります、よく耐えられました……」
はっ、はっ、と息をして、閣下は俺を、ぎゅっと掻き抱く。
「私、モンスターなんだね……」
「いえ……そんな」
「でも、私、茨がいるから、絶対襲わないよ」
閣下の指先が震えているのがわかった。押さえきれない衝動を飼っている。一番怖いと思っているのは閣下で、それは俺なんかじゃなかった。
「俺だけを食べてください……、俺を、食べてしまっても構いませんから」
「やだ。ずっと、ずっと一緒にいたいから」
触れるだけのキス。それもきっと閣下にとってはごちそうなのだろう。そこには恐怖も不安も残っていなくて、ただ最強のアイドル乱凪砂がただずんでいた。
「ファンが待ってる、いこう、茨」
「……アイ・アイ!」
Adamはフォークとケーキだ。だから二人で生きていく。危険も飼い慣らして、命を賭して、二人だけの世界を。
どう生きていくかを示そう。孕む危険はないと、世間に教えるのだ。
(220420)