サンタさんにお願い。 弟が難しい顔で、カードに向き合っている。ダイニングテーブルに広がる紙は、おそらく下書きなのだろう。お気に入りの色鉛筆を片手に、見るからに1文字1文字丁寧に進めている。書き終えて、満足げに天井に掲げている。帰宅していつもなら玄関に飛んでくる弟がいない、と不思議に思ってリビングを覗いたのだ。見れば真剣に書き物をしていた。すぐに声をかけようかと思ったが、台所から出てきた母に無言で唇に指を立て、静かに、と合図をされた。では、としばらく眺めているとその愛らしさに口角が上がった。書き終わったのなら、さ ぁもう良いだろうと弟に気づかれぬように近づいた。
「ただいま。何を書いているんだ?」
タイミングを見計らって声をかけると、弟が椅子から転げ落ちなそうな勢いで驚いていた。
「あ、兄上!見ちゃダメです!」
驚きながらもあ、弟は大慌てでカードを隠し始めた。あまりの弟の勢いに驚きつつ机に視線を向かわせれば、予想通りに机の紙には文字が書かれていた。弟も視線に気づいたのか、普段は絶対にしないのに行儀悪くテーブルに乗り上げながら紙をかき集めた。
「勝手に見ようとしてすまない。なんのカードなんだ?」
ならば許可を、と思うが、弟がキュッと口を引き結んで首を横に振った。
「言いません!兄上には内緒です!」
かき集めた紙とカードを抱え、弟がダイニングをバタバタと音を立てながら飛び出して行った。あまりの拒否ぶりにさすがの兄も呆気に取られてしまった。
「夕飯にしますよ、着替えてきなさい」
「あ、はい」
母に声をかけられて我に返った。部屋に入る前にちらと横の扉を見たが、声をかけたいのを堪えて自分の部屋に入った。
その後の弟は、何時も通りだった。夕飯では兄弟がそれぞれ今日の出来事を話す、和やかな団欒だ。思い立って、一緒に風呂に入るか?と弟を誘えば、満面の笑みで承諾された。
さっさと身体と頭を洗い、今日も冷えるから、としっかりと二人で風呂に浸かる。ご機嫌な様子の弟に、それとなく声をかけてみる。
「なぁ、さっきのカードなんだが」
ついさっきまでご機嫌だったのに、途端に両の手のひらで口を塞ぐ。
「絶対言いませんよぉ」
くぐもった声で睨みつけられ、少々怯んでしまう。そして、その日は風呂上がりもほんのちょっぴりプリプリした様子だった。寝る準備の後、母に何かを耳打ちしている。大丈夫ですよ、という母の返事を聞いてから、ちらりと兄の顔を見た。たぶん、見ないようにしてくれとお願いしたのだろう。寝なさいという言葉に、素直に挨拶をして自分の部屋に引っ込んでいった。母に念押しするほどまでの行動に困惑している長男に、母が微笑んだ。
「千寿郎も大きくなったんですから、彼の考えも尊重しないといけませんよ」
「それは…わかっていますが、ここまで内緒にされてしまうとさすがに…」
「気にしないであげなさい。もう少し勉強をするんですか?」
母に聞かれて時計を見る。早寝とはいえ、まだ二時間はできる。
「そうですね」
「では、後で温かい飲み物を持っていきますね」
「ありがとうございます」
母の手製のカフェオレを飲みながら、一息をつく。あれから一時間、弟はすっかり夢の中だろう。手紙はどう考えてもサンタクロースにあてたものだろう。書いていたカードは、家族で買い物をした時に両親に強請って買ってもらったものだ。サンタクロースへの手紙は去年も一昨年も書いている。毎度、俺に文字の書き方を相談して、完成したらいの一番に見せてくれていた。なのに、とため息が零れる。
二学期から弟は、一人で寝るようになった。小学校に上がっても両親か兄と共寝していたが、夏のある日弟が家族に宣言したのだ。
「二学期から、僕一人で寝ます!」
いつまでも小さいと思っていたが、大きくなったと感慨深くなると共に寂しさが募った。宣言通り自室で寝るようになったが、やはり時々は両親のところへ行っていた。それも仕方ないだろう。ただし、兄の所へは来なかった。父に反抗的な態度を取ったことは思春期ですらなかったが、お前のところには行かないなと言われた時だけは思わず睨んでしまった。
年が離れているので喧嘩らしい喧嘩はしたことがない。それでも、時々は言い争いをする。そういう時は同じ布団に入って、話をした。今はその機会に恵まれない。無理矢理入ってもいいが、せっかくの弟の自立を邪魔することになる。それに今は、来年の大学受験に向けて追い込みの時期で遅くなる日も多い。
しつこくしてしまったことは、ちゃんと謝ろう。その決めて、もう一度参考書を開いた。
翌日に謝れば、怒ってごめんなさい、と弟がしょげた態度で抱きついてきた。気になる気持ちはあるが、想像より落ち込み、可愛らしい姿に気にするのを止めることにした。クリスマスが近くなればきっと分かるはずだ。
しかし、思いのほかしっかりと箝口令が引かれていた。母は無理として、父からと思ったが父も次男に嫌われたくようで口を割らなかった。そして、あっという間にクリスマスになってしまった。
母の手料理はいつもより豪華で、悩んだ末に決定したケーキは、千寿郎が気に入ってるゲームのキャラクターになった。見た目にも味にも、弟は大喜びして大満足していた。そうやってはしゃいでいると、小さな身体が、うつらうつらと船を漕いでいた。
「千寿郎、もう寝なさい」
「まだ眠くないです…」
「寝ないとサンタさんが来てくれませんよ」
そうか、と弟が目を見開き、母に連れられて部屋に戻っていく。結局、今日の日までサンタさんへのお願い事を兄が知ることはなかった。時計を見ると、クリスマスと冬休みになったこともあって弟が寝る時間は遅い。勉強をするかと思案していると、封筒が目の前に差し出された。見上げれば母が微笑んでいた。
「サンタさんから共有して欲しいとお願いされたんです」
おそらく弟が書いたものだが、読んでよいようだ。ゆっくりと開くと、丁寧に書かれた見覚えのある弟の文字が並んでいる。それだけで頬が緩んでくる。しかし、書かれたお願いは、欲しいものでもなんでもなかった。
『たまに兄上といっしょにねたいです』
ぱちくと目が大きく開いた。サンタクロースにおよそ頼む内容ではないが、内緒にしていた理由はわかった。わかったが、寝ることを止めたのは弟の方からだ。願った理由はわからない。
「あの、これは?」
「こんなことをサンタさんに書いていいか、ずいぶん悩んでいましたよ」
何枚も書き損じていた下書きの紙を思い出す
「受験勉強は大変だと、お友達に聞いたみたいです」
今年は、今ゆる受験生になっていた。夏休みになって学校もないのに毎日出かける兄を不思議に思い、どうしたのかと弟に聞かれたこともある。
「お友達のお兄さんも去年受験生で、毎日頑張ってたから遊んでもらうのを我慢してたんだそうですよ」
格段に勉強時間も増え、就寝も遅くなった。だから、お勉強の邪魔はしないようにしていた、と聞いたのだそうだ。
「ということで、サンタさんの手助けをしてくれますか?」
「あの、千寿郎を俺の部屋に運んでも?」
「いつもよりはしゃいで遅くなったから、きっともうぐっすりですよ。貴方も早く寝ないと、サンタさんが来ませんよ?」
反射的に父を見ると、大きく頷いた。
「勉強は大事だが、たまには早く寝て体調管理もしなさい。風邪でも引いたら元の子もない」
普段なら小言もありそうだが、やっと内緒にしていたことへの肩の荷が降りたのだろう。穏やかな口調だった。ならば居てもたってもいられず、立ち上がるとまた母が微笑んだ。
「では、サンタさんは貴方の部屋にと伝えておきますね」
「お願いします!」
声が大きい、という父の声を背にあびながら、足音に気をつけて弟の部屋に向かった。
明日の朝を想像して、心からサンタクロースに感謝をした。