紅と白とで縁起がいいと ファーさんの、いや、不破大黒の家は、ここらじゃちょっと有名だ。このクソ田舎に似合わない小ぎれいで清潔感のある白壁。庭には白い花をつけるハクモクレン、アナベル、百日紅、寒椿。そして、白髪の少年がその城には住む。同級生から暇な老人連中までみんな目が離せなかった。初めは白が景観にそぐわないがどうの、越してきた余所者は態度が不躾でどうの、とうるさかったヤツらも少年を見て口を噤む。彼には、何人に対しても、そうさせてしまう魅力があった。カリスマ性、というのだろうか。でも彼のものは、そんな派手で印象的なものではない。青い眼がなんでも射すくめてしまうと言って、遠巻きに眺めるだけで皆、近づくことすら。普段は心の底に仕舞い込んでいる弱さにすう、と手が伸びてくるような心地がするのだ。オレも、そんな事をぼんやり考えるひとりだった。
ところで、そのオレもまた有名人だった。織部の姓は、いわゆる名家だ。昔は何やら町の統治に一役買っていたようだが、高度経済成長に乗り切れなかったこの町で、もはやそんなものはお飾りでしかなく、村祭りの度に自治会のまねごとをして、名前だけがただ広く知られている。そして、名前とともに知られていることがもう一つ。
「織部の孫息子は、鬼の子だ」
母親を早くに亡くし、昔気質の父とは折り合いが悪く、かといって小学校に上がったばかりのガキが一人で何か大それたことも出来ず、燻って、つまらないことで人を殴るようなところだけが父親に似た。その目が気に入らないと何度言われたか。ぞっとする白い肌に赤い眼、そして鬱血した打撲の跡。不健康そうなその瘦せた身体には少々刺激的な要素が多い。目が離せない、のは同じでも、ファーさんのそれとは全く別物で、オレのはただ年相応に惨めだった。
遠くから眺めているだけだった。白くて穢れの無い箱入りの白い男の子。オレと同じ年らしいが、顔つきは落ち着いて少し大人びて見えた。彼の見ているものを、オレも見てみたいと思っていた。その日、他でもない彼の手で世界がひっくり返されるまで、ただ憧れたままで良いと思っていた。
「おい、おまえ。」
聞きなれない声の方向へ振り向くと、白い髪が目に映る。少し遅れて、うす青の瞳が見えた。こんな手の届くような距離で、目も、髪も、記憶の中よりずっと綺麗だった。
「…オレ?」
笑ってしまうほど、不安定な返答。
「おまえだ。名まえをおしえろ。」
敵意はないが、居丈高な態度にたじろいだ。初対面で緊張しているのはオレだけで、彼の澄んだ目で見つめられると、どうにも落ち着かない。
「…おりべ。」
「おまえ、いつもオレを見ていただろう。」
どきりとした。じゅわっ、と手のひらに汗をかく。ずっと遠くから追っていた彼が、急に目の前に現れて、他でもないオレに話しかけてくれた。嬉しいのに、その意図が掴めないで、浮ついて話し出すことも出来やしない。ただ不安と、恥と、警戒で固くなる。
「──おりべ、おまえ、ケンカがつよいのか。」
「おっと…?なに、よくわからない…」
「俺がきいている。二回も言わせるな。おまえ、ケンカがつよいのか。」
十にもならぬ少年から発せられる強い語気は、大人たちのとは違う。加減を知らない無垢さからくるものかもしれない。有無を言わせぬその威圧にウソはついたらダメだと思ったから、正直に答えた。
「おなじ年のヤツには、負けたことない。前に、もっと年うえのヤツの首を、ベルトでおもいっきりしめてやったこともあるよ。」
「年上がこわくないのか。」
「こわくない。みんなオレよりバカだから。」
「そうか。」
そういうと一拍おいて、切り出した。
「おまえ、俺に協力しろ。」
「え…?」
「俺は、俺の叶えたいことがある。そのために、おまえみたいなやつがいる。だから俺に協力しろ。」
ぽかん、とした。何も伝わってこない。情報らしいものは無く、交渉の形にもなっていない。もしかしたら、オレがこの場で断る事すら想定していないようなセリフに、唖然とするほかなかった。ただ、オレはずっと、白い髪の彼を見つけるたび、特別なものが見えているのだろうと信じていた。だって、あんなにきれいな青い目で見る世界は、きっとオレのとは何もかも違う。彼なら、ここからオレを救いあげてくれるかもしれない。そうなればどんなに良いだろう、と思いは益々強くなった。都合の良い夢に縋るほどオレはコドモだった。サンタクロースは信じてもヘソを取る雷さまは信じない生意気さはあったけど。
だから余計に言葉に困った。オレの方から断る理由なんて、何もないじゃないか。収まる形に収まった、帰るべき場所に帰った、そんな表現が全くお似合いだ。だけど、咄嗟に口をついて出た言葉は少しだけ意図から外れる。本当は、何もかも投げ出して、全部あげてしまってもいいとすら思ったのに、でもそれだけじゃ、オレは満足できない気がした。
「──ね、ねえ!ソレちょうだい。キミがのんでるリンゴジュース。ソレ毎日くれたら、オレ、毎日キミのためになんでもする。こうかんじょうけん、ってやつだよ。」
赤いリンゴの描かれたパッケージを指差す。こういう小賢しい答えは、嫌いだろうか?そう思いつつちらと伺うと、めんどくさそうなため息が一つ。
「こんなもの、駅の大きいスーパーにいくらでも売っている。欲しいならおまえが買いに行け。」
「だめ、キミから、オレにちょうだい。キミから欲しいの。」
今ここで食い下がらないと彼に届かない。こんな必死に、あとで後悔することを恐れて、我儘と言うより懇願を人にぶつけたのは初めてだった。沈黙が痛い。早く返事して、お願い、と心で繰り返し唱える。先ほど同じ年のヤツには誰にも負けたことない、と豪語した少年は今、眼前の彼の言葉ひとつでどうにでもなる立場に追い込まれていた。
「そうか、なら、これはけいやくだ。」
オレの前に、持っていた飲みかけのリンゴジュースを差し出す。小さい手を伸ばしてパックの角に触れても、相手は表情を変えなかったが、もう少し確信めいた答えが欲しい。続けて口を開く。
「…けいやく?」
「おまえがオレの言うことをきくやくそくだ。その代わり、オレはおまえに毎日このリンゴジュースをやる。期間は、おまえがしぬまでだ。かんたんだろう?」
やっぱり、オレが断るなんて考えてなかったんだ。おまえが、しぬまで。それは年端もいかないオレたちにとって永遠と同義だった。受け取ったパックを大事そうに抱え、少しだけジュースを飲み込んだ。
「──ねえ、オレ、下の名まえはあきひこっていうの。下の名まえで呼んでよ。」
甘いリンゴの味が喉を潤す。
「ならさいしょに、下の名まえを俺におしえろ。おまえはもうおりべ、だ。」
「ええ?もうちょっとちゃんと考えてよ。じゃあ、キミのことはなんて呼んだらいい?」
「ふわでいい。」
「ふぁあ?ふ、わ?ふあ…」
ストローを噛みながら、もごもごと発音される、ふわ。小さいさくら色のくちびるから懸命に音を出して聞かせる。
「ふ…わ!ふぁ、さん…ふぁーさん!コレでどう⁉」
「言えてない。へたくそ。」
「でもふぁーさん、わらったでしょ。キミがわらってくれる呼びかたがいい。ねえ、ふぁーさん。」
「なんだ。」
「明日は、なんじに来ればいい?」
そう言って赤い目を細め、やっと笑ったのはおまえの方。後で俺の飲みかけのリンゴジュースに口をつけた感想でも聞いて、違う表情も見てみたいと思った。