言うはオレからでなくキミ その日、七歳のオレは朝から泣いて泣いて、家を出る直前までごねて、ようやっとあのワンピースを着せてもらった。女の子ならピンク、男の子なら青色が主流だった時代に、薄い菫色のワンピースは、例えみっつ離れた親戚の子から、おさがりという名の処分先として段ボールいっぱいに詰めて送られてきた中に、乱雑に丸めて放り込まれていたものだったとしても、オレの持っている他のどんなものより魅力的に見えた。
この辺りじゃ、どの店に行ってもこんな服は売っていない。着やすさを重視したファスナーやゴム素材なんて無骨なものは、この洋服のどこにも組み込まれていない。背中のボタンを留めると、襟も胴回りも吸い付くようにぴったりと身に添って、腰の辺りからは綿らしい柔らかな曲線の襞とシルエット。着丈は丁度膝上にスカート部分の裾が乗る。靴は合皮の黒、ソックスは足首丈の白。完璧だ。今日のオレのために仕立てられたに違いないと思った。
これを着た姿を、見せたい。今日会う彼に。かわいいって、言われたい。せっかく外出のために新調された上下を嫌がって、どうしてもコレじゃないと嫌、嫌、嫌、と言い、己の支度で忙しい親をすっかり辟易させた。
いつものようにこんにちはと挨拶は済ませたが、俺はそれどころじゃなかった。確かにこいつは、誰もが漫然と持つ子供らしい可愛さとは別の、性別に関係なくアプローチできるような容姿と甘え方を持ち合わせている。魔性、というとなんだか手垢がついて大げさすぎる表現になるが、ほとんどそれに間違いないものを俺に、あとは時々必要な相手へ必要な分だけ見せることが常だった。だから正直、ワンピースを着て現れたときは、バカな織部の親がその可愛さに目がくらんで着せたのかもしれないと思った。しかし、親と不仲なのはこいつから聞かされていたし、当人はいつも前髪までしっかりと作りこんで来る人なのに、今日はさっとまとめただけのヘアスタイル。時間の迫る中こいつが泣きでもして、無理やり着せてもらったことを悟る。春生まれの俺よりまだ一歳年下の同級生の体は小さく、上品な薄紫の生地は白い肌によく似合っているのが、こと人物の美醜に疎い俺にもよくよく分かった。
だからって、素直に、可愛いと言うのが相応しい回答なのか、その時の俺には分からなかった。伝えたいことを言葉に変換できない自分に腹が立ち、咄嗟に、そもそも、こんな格好をしてくるあいつが悪いと責任転嫁することで未熟な気持ちを隠してしまった。織部の家から今いる駅まで車で送迎されてきたとは言え、もしかしたら誰かの目に留まったかもしれない。普段なら気にもしないような他人の目線の存在が、その時急に重くのし掛かってきた。一度だってマトモに取り合ってこなかったそんなものを俺に突き付けたのはこいつなのだと思うと、余計に腹が立つ心地がした。
今日は、市街地の方まで出ると聞いている。道中の予定に全く興味はなかったが、夕食は前に出掛けた際に食べ損なったオムライスの有名な洋食店にしよう、と聞いていたので、その為だけに出てきたようなものだったのに。親たちに連れられ電車に乗り込んだ俺た ちは、隣の席へお互いを促される。昨日までならこのまま自然と会話が始まるところを、今は話題が分からない。手に持っていたのは、後で見せてやろうと思って拾っていたセミの死骸。これに縋るしかない。
「──みろ、これはクマゼミだ。このあたりだとめずらしい。」
どうだいいや、駄目だった。こいつはセミの死骸ではなく、少し俯いたままスカートの縁に目をやって、縫い付けられた花柄のレース部分を指でなぞりながら、俺に、その話題を振る準備を進めていた。
「へ、へぇ そうなんだ あの ねえ、今日のふく、どうかなふふ、いつもとちがうでしょ」
絵本のお姫さまがやるように、裾をつまんで広げてみせる。スカートから目線を上げると、丸くて柔らかくて愛らしい顔いっぱいに沢山ほめて、と書いてあった。
瞬間、この格好のこいつに、一点の汚れも許されないという思いが強くなり過ぎたせいで、コントロールを完全に失う。
「ひらひらしてよごれそうだな」
この件に関しては、第二成長期に差し掛かり、声変わりも済んだ今でも不都合なことが起こるたび話題にされるが、言いたいように言わせることにしている。
あんなに泣いたあいつを見たのは後にも先にもこれきりで、もう二度と相手にするのはごめんだ。