偽りその男は黒髪で、黒縁の眼鏡をかけていた。
すぐ隣の空き家に数年前に引っ越してきた。
兄弟のいない悠仁にはずっと気のいい兄的な存在。
そう、思っていた。
そう…接していた。
夏の終わりにスイカをもらいましたと遊びに行って、どうせ両親は不在だし爺ちゃんは商店街で当たった旅行券でしぶっていた旅行に無理矢理に行かせたいたから明後日まで一人。
たまには爺ちゃん孝行したいのもあったから。
そんで、どうせなら泊まっていくか?と言われてすぐ隣なのに、妙にわくわくして風呂だけ済ませてその人の玄関チャイムを押した。遠くから「裏に回ってください。」と聞こえて横からぐるりと裏へ進む。
「こっち。」手招きされた縁側でその人はカットされたスイカをどうぞと。
元気よくいただきますとかぶりついて。それから雑談で夏の夕暮れを過ごした。花火もあるけどやる?と言われやるやる!と返事。新しい花火を手にその人の散らしているそれから火をもらおうと先を近づけた。
ふとその人は何故か俺をみていた。
「どったの?」
「いや。」
ふっとまた視線が花火に移った。
「夕飯は?」
「あー、まだ!そっちは?」
まだだというので台所を借りて簡単な炒飯を作った。
美味いと食べてくれてほっとしていたら、将来の話になった。
でもまだ何かしたいという決まったこともなく、適当にバイトかなと答えたらその人は何故か黙って1分ほどたってから「じゃあ、俺のとこで働かないか?」そう言われた。
確か、大学の教授か何かだと。俺に手伝えることなんてあるのだろうか?
「え、何すんの?」
「助手。」
「マジで?」
笑った俺を見る目は真剣で少しドキリとする。
何かいつもの感じとは少し違う気がしたが、思い出したことがあった。
俺はひとつ伝えなければいけないことが。
「あのさ、俺、来月引っ越すんだ。」
「は?」
「やっぱここじゃ物価高けーし、田舎戻るってじいちゃんが。」
その人は酷く驚いて、俺の手を掴んだ。
「え、どしたの?」
「俺も着いていく。」
焦ったように言うので、俺は笑った。
「子供みたい!あーでも、ちょっと寂しいね…。」
「なら、ここに残ればいい。」
「いや、爺ちゃんひとりじゃ、」
「二人まとめて面倒を見るから。」
「え?」
俺は耳を疑った。
だって真剣だったから。
少し距離を詰められて俺は身を引いて笑う。
「ちょ、マジで、どったの?」
トレードマークみたいな黒縁眼鏡を外して、少し明るい瞳が俺を見ている。
あれ?コンタクトしてる?そんなどうでもいいことを思っていた。
「君は、もう忘れてしまったかもしれません…。」
「え?」
いつもの口調になって俺は怖く思った。
握られた手を離されるどころかぎゅっと握られた。
何故か、その人はいつもタートルネックで隠していた襟元をグイっとひっぱると何かベルトのようなものが覗いた。
カチっと小さく音がする。
次に耳に届いたその声に、すべてが止まったように動けなかった。
「虎杖君。」
「はっ…。」
「今頃…私が姿を現したところで…、君には迷惑…かと…。」
酸素を上手く吸い込めない。
唾を呑み込めない。
手が震えて動かない。
瞬きができない。
スパイ映画でもみているのか?
何の、ドッキリ?
今度は襟元に伸びた肌を一枚めくるように顔から剥がし取る。
黒髪も引っ張られるように後ろへ落ちた。
見覚えのある、柔らかいブロンドの髪がさらりと零れた。
呼吸が早くなって、目頭がジワジワと痛いほど熱い。
「でも、もう…君と離れれく、ないと…、」
すみませんと口元を覆った。
「なんで?」
声が震える。
「生きてる?ナナミン、いぎっで?」
手を伸ばしてその少ししっとりしたその人の頬に両手で確かめるように触れた。
「だっで、あの、時っ、俺、っ、…っ、んう゛、」
もう呼吸はしゃくりあげてくる内臓が簡単にはさせてくれない。
でもゆっくりと抱きしめられたその人の腕の中でようやく確信した。
ずっと求めていて、それは叶わない人の温もり。
信じられなくて背中に手を回して消えてしまわないかと強く弄った。
俺は大泣きして二時間くらい泣きっぱなしで…疲れて眠ってしまった、らしい。
朝目を覚ましたら、引っ張り出した雑に敷かれた布団の上で七海建人の腕の中。
しばらく寝顔を観察して、俺が顔の、色々、その…鼻とか、唇とか頬ひっぱたりしてたら起きた。
当然だ。
いつの間にか外したらしいコンタクトはなく、青みがかった瞳が宝石みたいにまだ薄暗い部屋で俺を見つめた。
「目、腫れてますね…。冷やすものを…。」
起き上がろうとした七海を悠仁はぎゅっと抱きしめた。
「虎杖、君…。」
「ナナミンの、せいっ、だかんねっ、」
声が枯れてうまくでない。
「ふむ…」と何か思いついたのかと思った途端にグワっと悠仁の体が浮いた。
「ふあっ!?」
台所に連れていかれて、テーブルに座らせられた。水道の蛇口を下ろして濡らしたタオル。
ぎゅっと絞ってから俺の目を覆った。
それから冷蔵庫を開けた音がして、手渡されたコップ。
喉を潤して…それからまた抱きしめられた。
「確認ですが…。」
「…。」
「君が引っ越すというのなら私もついていきます。」
「ま、マジ、で?」
「君と…君のおじい様が納得してくれたら…の話ですが…。」
この後、爺ちゃんを説得するのが難題かと思ったが、ナナミンが少し爺ちゃんと二人きりにしてくれと言われて…。
何をどう説得したのか、部屋に入っていいといわれて驚いた。
妙にご機嫌な爺ちゃんと問題ありませんとでもいうようなナナミンの表情。
一体何を話したんだろう…。
気になってナナミンに教えてって言ったけど、やっぱ教えてくれなかった。
「大人の男同士の話です。」
いや、俺ももう子供じゃないけど?って不貞腐れたかったけど、じいちゃんもナナミン気に入ったみたいだし、いっか…。
それから爺ちゃんが。
「悠仁っ!おめぇ、男見る前はあるな!」
そう言って大笑いしたけど、これ喜んでいいんだよね??
とある時、思い出してお願いしてみた。
「またさ、あの恰好してって言ったら、する?」
「君は黒髪の真面目な男が好きなんですか。」
あ、ちょっと怒った。
「いや、あっちもかっこよかったよ。だって、ナナミンだし。」
「そう、ですか…。」
あ、ちょっと喜んでる。
「でもダメです。もうその必要性も意味もありません。」
「意味?…え、ほら、一応使えるじゃん。」
「?」
「えっと…、」
言いづらくて困ってたらナナミンの事情聴取が始まって、俺は白状した。
ちょっと好きになってたって…。
そしたらナナミン…。
「二度としません!」
って、自分で変装してたくせに、自分にヤキモチ妬いちゃって…。
隣に住んでいた恋したその人は、俺の愛した人でした。