虎翼パロ小説「僕にとってずっと、恋や愛は二の次、三の次でした。」
【ままならない恋情】
合同捜査の捕物騒動の後処理のため、庁舎に残っていた俺と降谷君。
引き上げようか、と言う頃合いに突然降り出した雷雨に足止めを喰らっていた。
執務室で二人きり。急ぎでは無い書類を繰る、静かな物音。降谷君との沈黙の時間はいつもどこか心地よい。
「ねぇ、赤井。今…少し話をしても?」
雨の音にかき消されそうな声で、ポツリとポツリと降谷くんが話し出す。
僕は心からこの国を守りたいと思っている。今も、そして、これからも。
僕はこの国以上に、愛するものは作れない男です。
赤井のことは、今は、誰よりも大切に想っている。
心から想っているけど。
だから、きちんと、気持ちには線を引きたいんです。
「突然不躾に、こんな話をしてごめんなさい。」
凛と背筋を伸ばしてそう告げる降谷君は美しかった。
和解してから徐々に縮まった俺と降谷君の距離。俺たちの間に流れる空気は友人と片付けるには、あまりにも特別なものになっていた。
唯一無二。俺にも、そして降谷君にも、お互いに代われるものなんて、最早、何もなかった。
俺たちは、お互いの思慕に心の底では気づいていながらも、大人の顔をして。側に寄り添っても、一線を踏み超え過ぎないよう。臆病に、大切に、二人の時を過ごしていた。
俺は人並みか、それ以上に恋愛経験をして来た側の人間のつもりでいたが、本当の意味で誰かに恋をした事など無かったのだという事を、この歳になって彼に思い知らされていた。
降谷君に、どうしようもなく会いたくなる。もっと話していたくなる。降谷君といるだけで、胸が高鳴る。この、強烈なこれが。恋をするということなのだと。
少しばかり近づき過ぎた俺たちの距離。まさか降谷君から、核心を切り出され、真正面からフラれるとは。
しかし、一方でそれ程驚いていないのも実際のところだった。信念を貫く高潔な彼だから。国を守ろうと闘い続ける彼が、いずれ異国へ帰る予定の俺との恋愛事にうつつを抜かす姿というのは、正直想像が難しかった。離れていても今の友人関係ならば、これからもずっと続いていく。その方が自然なことのように思えた。
俺の恋情よりも、優先すべきは彼の意思だ。線を引きたいというなら、受け入れよう。
誰にも汚されることない清廉潔白な彼の魂の在り方が、いつだって俺には一等星のように眩しい。
フラれたというのに、また彼の強さに惚れ直している。もはや、俺の恋心にはつける薬も無いようだ。
「降谷君。俺は、明美のことがあってから。取り返しのつかないことをした自分がとても許せなくて。これからの人生、もう誰も愛せないと思っていた。
すべてに蓋をして、残りの人生は余生だとすら思っていたよ。
でも君が、君といると。俺のそんな蓋が外れてしまう。君と心を通わせてみたいと。側にいたいと。そう思ってしまう。
驚く事にそんな自分が嫌いじゃないんだ。君といると俺にはまだ誰かを愛することが出来るんだと。心に蓋をしなくていいのだと、そう思える。
それだけで君と出会えて良かった。それだけで、本当に十分なんだ。」
俺の話を、じっと微動だにせず、降谷君は聴いてくれていた。
普段はきりっと釣り上がった意志の強い眉を、切なげにひそめて。大きな瞳を潤ませて。
そんな顔をするなよ、降谷君。君が言い出した事だろう。
俺たちの関係に名前を付けないだけさ。
俺たちはきっと、何があっても、ずっと、繋がっているよ。
「いい年して。俺たちは恋愛に真面目が過ぎるな。まぁ、こんなのも悪くないが。」
ふっと微笑みかけてやる。
砕けた物言いに、降谷君も釣られて破顔した。
ふと窓を見やると、いつのまにか雨音が消えていた。
「おや、雨が止んだ。もう行こうか。」
「はい。」
二人連れ立って部屋を出る。
合同捜査用の執務室は本庁舎の離れにあり、渡り廊下を通る必要がある。
先ほどの雨でかなりの雨水がタイルを濡らしていた。
「ここは雨上がりだと滑りますので、気をつけ…」
「…ッと!」
ズルっ!
「!」
普段はこんな事ありえないが、気が緩んでいたのか、降谷君の忠告通りに革靴の底を滑らせてしまった。
「はは、まいったな…」
膝をついた俺に、降谷君が笑いを堪えながらながら両手を差し伸べて引っ張り上げてくれる。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、ありがとう」
「ふ、ふふ、あの赤井でも転ぶことあるんだ…っ」
「こら、喜ぶんじゃない」
くすくすとお互い笑い合う。
次第に笑いが収まる。しんと、音が止んだ。
雨上がりの澄んだ空気が全ての音を吸い取ってしまったような静けさ。
手を。
どちらからも、繋いだ手を離せなくなった。
向かい合って、お互いの握り合った両手をじっと俯いて見つめる。
こうして降谷君と手を触れ合わせたのは初めてだった。
俺より少しだけ小さくて冷たい、指先まで美しい、降谷君の手。
手を繋ぐとは、これほど胸を高鳴らせる行為だったろうか。脈打つ鼓動が、彼を愛おしいと思う感情が、手のひらを通じて伝わってしまいそうだ。
「僕にとってずっと、恋や愛は二の次、三の次でした。」
こそばゆい沈黙を破ったのは降谷の密やかな、でも不思議とはっきりと通る声だった。
「この国だけを愛していたいのに。…そうするって、決めたのに。」
凛とした降谷君の声が、一言発するごとに、語尾を揺らす。
「赤井に、」
ぐっと降谷君の喉が詰まった。苦しそうに俯いてひとつ息を吐く。
「どうしようもなく、会いたくなったり。
話したくなったり。」
俺の手を握りしめる、降谷君の手に微かに力が籠った。
「赤井に、胸が……高鳴ったりする…この…」
ああ、俺は、今、彼に何を言われている?
「強烈なこれは……何なんでしょうか……?」
そろりと顔上げた降谷君の浅葱色の瞳が、迷子の子供のような表情で見つめてくる。
潤んだ宝石からポロリと、堪えきれなかった涙が一筋、滑らかな頬を伝って落ちてゆく。
「僕が、今、色んなことを話したいと思うのは、赤井…」
声が一層上擦って震えた。
「……ドキドキしてしまうのは、赤井…」
彼の本音がハラハラと静かな廊下に落ちていく。
「……一緒にいたいのは、赤井で…ッ」
距離を置こうと決めたはずの、公安の降谷零が剥がれ落ちてしまう。
「なんで僕の気持ちは、なりたい僕と、どんどんかけ離れて行ってしまうんでしょうか…?」
なぁ、降谷君。それこそが、恋なんだよ。
恋をすると何もかもがままならないんだと、俺も最近知ったところだから。君の気持ちがよく分かる。
震えるこの両手を離したら、君を抱きしめさせて欲しい。
その後に、初めての口付けをするから。柄にもなく緊張する俺を、どうか笑っておくれ。
end