Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    kagari_0510

    @kagari_0510

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 3

    kagari_0510

    ☆quiet follow

    オクバデ 転生
    記憶あり×記憶?

    続くかは神のみぞ知る

    ムーン・リバー、揺れてよ 不可侵である。
     川面に映る月のように、正しくこの手に掴むことはできない。望むことですら罪深く、畏れ多い。
     何億光年先、途方もなく遥か彼方に立つはずの貴方。あの最期の瞬間、綺羅星が瞬くそのほんの一瞬だけ、貴方が見せたやわらかな微笑。ともに並んで見上げた荘厳な星空。高潔な貴方がこの手の内に降りてきて、ほんの少し通じ合えたような気がしたのだ。
     確証はない。こんなものはただの感覚で、独り善がりに救いを求めた心がそう感じさせただけかもしれない。
     たった一瞬の煌めき。そのあとのことはもう何もわからない。
     唯一わかることと言えば、いつの日からか貴方を焦がれてやまない俺は、きっとそれだけでもう地獄の門の前に立つ罪人であったのだろう、ということだけである。
     
     
     
     ムーン・リバー、揺れてよ
     
     
     
    「これで全部かい」
     大汗をかいた額を袖で乱雑に拭った男が大声で問いかける。未だ階段下にいたオクジーは、彼の顔を仰ぎ見て「はい」と応じた。
    「グラスさん、わざわざありがとうございました。俺一人じゃあ今日中に終われたかどうか」
    「構わんよ。その代わり、夢を追って辞めた仕事の分これから私を喜ばせてくれよ」
    「はあ」
     恐縮ですと大きな体躯を屈めて頭を掻いたオクジーの背中をバシと叩いたグラスは、じゃあ頑張れと手を振り、古びた軽トラックのエンジン音をふかせながら元来た道を帰っていった。
    「さあて、と」
     街外れに建つ古いアパートメント。オクジーの契約した部屋はその最上階に当たる六階にあり、エレベーターは絶賛故障中。オーナーによれば、現在のところ修理の日程は未定だそうである。
     玄関を開けてすぐに見えるキッチン兼ダイニング兼リビングに、寝室として使う予定の小部屋が一つ。シャワー室には辛うじてバスタブが備え付けられてはいるが、オクジーが大柄であることを踏まえなくともかなり小さい。加えてシャワーの水圧も弱い。シャワー室の隣にトイレ。バルコニーは無く、窓の外に落下防止の鉄柵が錆びてくっ付いているのみだ。
     ともかく今日からここがオクジーの住処である。元々荷物は多くない。とりあえずは身の回りの品さえ片付ければ良い。少し休んでから再開しよう。そう思いながら、オクジーは部屋の奥に架けられた梯子に手を掛ける。
     オクジーがこの不便極まりない部屋を選んだのには、仕事を辞めたばかりの彼にとって家賃が破格だったこともあるが、もう一つ別に大きな理由があった。それがこの梯子の先である。
     最上階のこの部屋とすぐ隣の二部屋にだけ、荷物置き場として小さなロフトが付いている。そこには天窓が一つあって、部屋にいながらにして夜空が眺められるのだ。
     六百年前と違い、今オクジーが生きる現代には夜が無い。正確に言えば夜はあるのだが、いつ何処にいても空は大抵明るく照らされていて、かつて視界いっぱいに広がっていたはずの星空は、もはや無いと言っても過言ではなかった。
     オクジーには前世の記憶がある。幼い頃、近所の教会主催で行われた天体観測イベントで、満ちた金星を見た瞬間にすべてを思い出した。かつての自分のこと、地動説のこと――そして、彼のことを。
     狭いロフトに仰向けに寝そべりながらぼうとしていると、納屋の屋根に開いていた穴を思い出す。眠りにつく前、いつもそこから覗く星明かりを眺めてから目を閉じていた。
     グラスをはじめ、周囲には前世からの縁のある者も何人かいたが、誰一人として記憶を有する者はいなかった。輪廻転生、生まれ変わりという概念はかつて生きていた時代の信仰には無かったし、こうして同じ時代に生きている者がいること自体が奇跡的なことで、だからオクジーは特に寂しさとか郷愁とかいった類の感情を抱いたことはない。
     ただ、もし。彼がいたなら。
     そんな淡い期待じみたことを考えてしまったことはある。考えただけで、主体的に探ってみたことは無い。そうでない可能性の方が高いからだ。
     生業だったとは言え、かつてのオクジーは何人もの人間を殺している。最期の瞬間、天界の前に立ったと思ったのは事実だが、だからと言って犯した罪を完全に拭い去ることはできないだろうとも思う。それはさすがに傲慢であろう。
     だからもし本当にオクジーの持つ記憶が正しくて、転生が事実とするならば、オクジーがこの六百年をかけてその大罪を償っている間に、彼はもう先んじてこの世に生を受けているはずなのだ。今生で相見えることはきっとない。
    「でも、それでいい」
     未だ青さを残す空、そこに薄っすらと見える青白い月を眺めながらオクジーはぽつりと呟いた。
     かつて彼は、それは私の人生を変えるだけの価値があるかとオクジーに問うた。かくして、その言葉は現実となった。ある種のバッドエンド、それがかつてオクジーが彼に齎した唯一の物だったかもしれない。冷静に考えてみれば、巻き込んだ、とさえ思っている。
    「よし、」
     大の字に寝そべっていた腹に力を入れて体を起こし、梯子を降りる。ともかくまずはこの部屋を片付けねばならない。明日から集中してデスクに向かうためにも、だ。
    「ああそうだ、挨拶」
     まだ日が高いうちに、隣の住人へ挨拶に行っておいた方が良いだろう。面倒ごとを起こす予定はないが、狭いアパートメントだ、これから顔を合わせる機会もあるだろうし面通ししておくに越したことはない。
     そう思い直したオクジーは、部屋の隅に避けておいた手土産の袋を持って部屋を出る。ところどころひび割れたモルタルの廊下の先、隣部屋の扉の前に立ちドアブザーを鳴らす。反応はない。もう一度。今度もまた反応はない。
    「留守、かな……」
     また時間を改めようと踵を返そうとしたその時、部屋の中から何やら鈍い大音が響いた。重量のある物体が床に落ちたような、倒れたような。なかなかに派手な音である。
    「え……いる?」
     オクジーが恐る恐るノブに手を掛けてみると、鍵が掛かっていなかったらしいドアは簡単に開いた。
    「あのう。すいません、隣に越してきた者ですが………………えっ!?」
     オクジーの部屋とは対称な作りの部屋。その真ん中に積み上げられた大量の本の山の隙間に落ちて、もとい倒れていたのは、かつてともに同じ星空を見上げ、そしてともに処刑台に立った彼――バデーニによく似た男だった。
     あまりに突然の邂逅にオクジーが呆気に取られていると、本の山に埋もれた男がううと呻き声をあげる。
    「あ、あの、大丈夫ですか」
     勝手に入っていいのか判断できず、とりあえず玄関に立ち尽くしたまま声をかけるも、一向に男が立ち上がる気配はない。
     さすがにこのまま放っておくわけにはいかないだろうと、オクジーは失礼しますと一声掛けた上で部屋の中へ足を踏み入れた。とにかくあらゆる場所に本や書類が散乱しており、床の板目が見えるところへ足を取っ替え引っ替え置きながら、なんとか男の元へと辿り着く。
     男は散らばった本を枕にうつ伏せで倒れていた。
    「大丈夫ですか」
     目の前に広がる既視感しかない光景に躊躇いながら覗き込んだ顔は、やはりどう見てもあのバデーニにしか見えない。頭頂部にトンスラすら無いものの、滑らかな金糸の髪はあの時と変わらない。どうやら顔に傷は無いようで、心の奥が何故かほっと緩んだ。眼鏡の奥、固く瞑っている目はどうだろう。今生は傷付かずにいるのだろうか。彼の目に、今の星空はどう映っているのだろうか。
    「……うぅ……」
     オクジーの声に再び反応を示した男は、そこでようやく目を開けた。アイスブルーの瞳が二つ、ゆらりと揺れてオクジーを捉える。きっかり三秒。永遠にも思える沈黙。あたかも審判の時であるかのように、オクジーは生唾を飲み込んだ。
    「……きみ、」
    「っ、はい……」
    「…………不法侵入は立派な犯罪だぞ」
    「はぁ……」
     無意識に強張っていた筋肉が弛緩していくのと同時に情けない声が溢れ出た。男は警戒した眼差しを残したままじろじろとオクジーを眺め、おもむろに体を起こす。
    「危ない……!」
     立ち上がってふらついた体を思わずオクジーが支えると、ふわりとどこか懐かしい紙とインクの匂いが舞ったような気がした。
    「……支えてくれたことについては感謝する。それで? 君は一体何者で、なぜここにいる。罪を犯すつもりがないのなら答えてみたまえ」
    「あ、ええと。俺は……その、今日隣の部屋に越してきた者です。ご挨拶にと伺ったのですが、中から大きな物音がしたので……ですから決してその、貴方の仰るような不審者ではありません」
    「ふん……」
     男は、オクジーが翳した手土産の紙袋を見ると一度視線を外し、再び数秒思案した。
    「…………まあ。そういうこともあるか」
    「信じていただけて良かったです」
     ようやく詰問と身元証明が済んだと、オクジーはほっと一息つく。男はオクジーの手渡した紙袋を受け取ると、本の山を乗り越えた先にあるパソコンデスクまで向かい、チェアにどっかりと腰掛けた。
    「で、君、名前は」
    「あ……自分はオ……オクジーといいます」
    「…………私は、バデーニだ」
     トンスラも、顔の傷も、右目を覆う眼帯も、恐らくは前世の記憶も無かったが、目の前の隣人はやはりバデーニであると、そう名乗ったのであった。
     
     翌日、すっかり荷物を片付けたオクジーは、食料品の調達のため街を目指した。六階分の階段を降りて、煉瓦造りの道に苦戦しながら自転車を走らせる。マートや露店で購入した大きな紙袋二つ分の荷物を籠に詰め、はみ出た物は後ろの荷台に括りつける。そして来た道を凸凹と引き返し、六階分の階段を今度は荷物を抱えて登るのである。
     自室の前で汗をかきかき鍵を探りながらオクジーはふと思った。果たしてあの隣人――バデーニも、こうして同じように不便な生活をしているのだろうか。
     記憶がないのだし、もはや『別人』ではある。とはいえ、昨日の様子を見る限り性格や内面についてはかつての彼と大きく変化はないように思われる。然るに、あのバデーニが、である。到底信じられない。
    「……ちゃんと、食べてるのか?」
     調理台に向かいながら、つい気になった。しかし改めて考えてみれば、彼の食生活……と言うよりむしろ生活の殆どについてをそもそもオクジーは知らなかった。かつての彼から分け与えられたのは供給のパンと、寝床、わずかな紙とペンとインク、そして宇宙の真理――美しい世界である。
     
     ――君の情報は、私の人生を大きく変えると言えるか?
     
    「……関係ないか。そうだ、今の俺はあの人にとってただの隣人なんだし」
    (むしろ、俺に関わらない方が、彼のためにも)
     オクジーは首を振りそう呟くと、昼食のサンドイッチに使うためのパンに深々とナイフを入れた。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    🙏🙏💘
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works