PARTY IS NOT OVER 冬の空気を醸し出す十一月の夜は思ったよりも寒く、人通りが少ない自宅までの冷たい道を肩をすぼめて歩いていた。
珍しく仕事終わりが被った五条と、慌ただしく過ぎた一日を労うようにのんびりした足取りで帰路につく。同じ家に一緒に帰れるという幸福は何度味わっても慣れない。
「腹減ったー」
会話の中の何気ない一言。いつもと変わらない普通の話しに、私もお腹が空いていたことを思い出した。一日中動き回っていると食事を摂る時間はないし、一息つけてもコーヒーばかり飲んで食べ忘れるから一日の終わりにいつも空腹だったことに気がつく。医者として不摂生極まりないがいわゆる職業病というものなのかもしれない。
「私も今日はコーヒー以外口にしてないな。帰ったら何か作る?」
少なくとも私は三日ほど家に帰っていなかったから冷蔵庫の中に何が残っているのか分からない。日持ちしないものはあまり買わないようにしてるから冷凍庫に何かしらの食材があるだろうけどそれすら思い出せない。
「いや、今日は世の中に甘えたい気分。ピザとか」
「ピザか。悪くないね」
腕時計を見ると針は二十一時三十分を指していた。都内のデリバリーはまだ営業時間内だ。家に着く時刻に配達を指定すれば帰って直ぐに食べられる。五条の悪くない提案に乗り、たまに使うデリバリーのアプリを開いた。
ただ手軽で簡単に食べることが出来るピザはこの歳になると胃には重い。アラサーというのもあるが規則正しい食事を摂っていないから胃がついていかない。一年に一回食べるか食べないかレベルのピザの写真を美味しそうなのに見ているだけで胃もたれしてきそうだった。段々と具材もサイズもよく分からなくなってきて、スマホを五条に渡して「そんなに食べれないからなんかシンプルなやつ選んで」と丸投げした。
五条に任せるとあっという間に注文が終わっていた。無駄に学生たちに奢っているだけある。こういう時に役立つ男が隣に居るとつい楽をしてしまう。
マンションまであともう少しといったところで五条がコンビニで飲み物を買って帰ろうと言うから一番近いコンビニに寄った。店内に入ると五条はカゴを持って真っ先にドリンク売り場に向かっていた。五条の考えなんてものは明白で、案の定コーラをカゴに入れていた。ベタに普通のことをするのが案外好きだからピザといったらコーラを選ぶだろうとは思っていた。でも私はそんな甘ったるいものは無視して酒コーナーの扉を開けると五〇〇mlのビールを二本、同じカゴに入れた。
偶然にも明日は二人とも休みというのもあって、朝食用に食パンやカットサラダも手に取った。五条は当然のごとく激務であるが、私も医務室に居座っているというかほぼ住んでいるようなものだ。休みがあればラッキー、休みが合えば奇跡のような感じ。久しぶりに手を抜かないで朝食でも作ろうという気分になった。そうこう考えて他にチーズも手に取り、カゴを持ってる五条の元に行くとお菓子コーナーにしゃがんで何やら真剣にお菓子を見ていた。
「何してんの」
「ポテチ吟味」
「ピザ頼んだのにまだ食べるの」
「疲れて帰宅からの明日休みなんて……やるでしょ、ピザパーティー」
久しぶりの休日前夜に浮かれる気持ちは分かる。疲れているけど夜更かししたくなるのも分かる。ピザパーティーは、まあ好きにやってくれという感想。ただピザパーティーなのにお菓子まで追加するのかという謎は残るし、既にカゴにはポップコーンが入っているしこの男は一晩でどこまで楽しむつもりなのだろうか。
「一応、何するかだけ聞いていい?」
「ピザ食べながら映画見て、お腹いっぱいになって映画も見終わったら時間を気にせず眠る。そんな感じかな」
嘘みたいに幸せそうな五条の顔が目に映る。無駄に良い顔でポテトチップスを嬉々として選ぶのは相変わらず子供っぽい。でもだから嫌いになれない。五条は私は持っていない感覚や忘れてしまった感情があって、こうして伝えてくる。それが新鮮だったり懐かしかったり、一人で生きていたら見えなかった景色を見せてくれる。
久しぶりにゆっくりご飯を食べて、だらっと映画を見て、惰眠を貪る計画は悪くない。私もピザパーティーとやらをやるためにうすしお味のポテトチップスを一つ手に取った。
「じゃあビールは必須だな」
元から巻き込むつもりだったろうが意外にも自ら参加することに五条は浮かれた顔をしている。
「この前買ってきた北海道のクラフトビールも開けていいよ」
「元からそのつもり」
明日のことを気にせずに夜更かしを楽しもうとするのなんていつぶりだろう。互いに緊急の連絡が入ってこなければの話ではあるが、しばらく続いた連勤で体は疲れ切っているのになんだか心は随分と軽くなった気がした。
思ったよりコンビニで買い物をしてしまい袋はパンパンだった。これからの時間を楽しみにしているのが明らかなコンビニ袋を五条が持ってくれて徒歩二分ほどの家に帰る。話を聞けば五条に至っては三週間くらい家に帰っていなかったらしく、玄関と廊下の電気を着けると家中がひんやりと冷え込んでいて空気がこもっている感じがした。
家より高専で過ごす時間の方が圧倒的に長いのに、帰る家だけは落ち着ける場所にしたいと五条が譲らなかったマンションは静かな所で、二人暮らしにしては広くシンプルなインテリアになっている。同棲を始める時、家なんてとりあえずお風呂がある程度広くて良い寝具を用意して寝られればいいと言った気がする。でも住んでみたらだんだんと愛着が湧いて、帰りたいと思える場所になった。この家で同じ時間を過ごすことは少なくても、家のどこかには絶対に五条の影があって、マグカップもシャンプーもいつか撮った写真も、全部きちんとある。それを見ると一人じゃないと安心出来た。
冷え込んだ部屋に二人でただいまと言いながら中に入って、そのままリビングに直行すると窓を少し開けて換気をする。冬に変わる瞬間の匂いが部屋に溢れかえって気分が良い。ちらりとリビングの時計を見ると、二十二時近くを指していてそろそろピザが届く時間だった。
いつも特に荷物を持たない五条はキッチンで買ってきたものを冷凍庫に閉まっていた。私はとりあえず荷物を置きに私室に入るとちょうどインターホンが鳴った。キッチンに居る五条が対応してくれて直ぐに部屋に響く音は消えた。オートロックの解除をしてくれたから一、二分もせずに配達員が玄関まで持ってきてくれるだろう。私の部屋からの方が玄関に近いので廊下へ出ると、キッチンに居る五条に声が届くよう少し大きな声で「ピザ受け取っておくね」と声をかけた。
地味に長い廊下を早足で歩いているともう一度インターホンが鳴って玄関の前まで配達員が来てくれたのが分かった。急いで鍵とドアを開けて、若い配達員の男性から「クワトロピザとマルゲリータピザになります」と言われた二つの箱を受け取る。寒い中届けてくれた配達員にお礼を言うと、玄関のドアを閉めてまだ温かいピザをリビングまで持っていく。
「届いた」
「ありがとう。グラスとか用意しておくから硝子は何か映画選んでてよ」
「分かった」
ピザの箱をリビングのテーブルに置いてストリーミング配信が見られるリモコンを取る。色々な映画が配信されてるアプリに切り替えて適当にスクロールする。
「何見よう」
「見てない映画が溜まるとどれから見るか悩むよね」
キッチンでお皿とグラス、買ってきたポテトチップスとかを用意してくれている五条と話す。
映画は私も五条も好きだ。息を飲むように夢中にさせてくれる作品も、胸糞悪い感情にしてくる作品も、簡単に非日常へと連れて行ってくれる映画は面白い。でも当然、映画館に見に行く時間はなくて、気になっていた作品は大体発売や配信がされてから見るため溜め込んでしまう。
「でも結局それも疲れて、昔見た作品を見返しては思い耽る。こうやって歳をとっていくんだな」
「昔を思い返すのも悪くないけどね」
何を見ようと悩んでいる時間も勿体なく感じてしまい、結局これでいいかと見たことある映画を選びがちになっている。昔は面白そうな作品は全部追っていたのにいつしかそれが出来なくなって悲しくも歳を感じた。五条は映画を選ぶ気が無さそうだし私の好きに選んでいいのなら、言われた言葉通りに昔の作品でも見返そう。いつ見ても面白いと思えるこの不朽の名作を見て、これから深い夜を楽しむのは柄にもなく心が踊ってしまう。
キッチンからお皿などを持ってきてくれて無駄に大きいテレビに映し出された映画のサムネイルを見た五条は「本当に懐かしい映画だ」と言った。
「いっそ過去に戻って未来でも変えようかと思って」
テレビの画面には何年経っても色褪せないSF映画、BACK TO THE FUTURE PART IIに出てくるドクとマーティが映っている。
「何回も見たことあるのに結構忘れてる」
「順番ぐちゃぐちゃになるよね」
持ってきてくれたいつも愛用している大きなグラスにトクトクと淡い音を立てるビールを注ぎ、五条はシュワシュワと弾ける音がするコーラを氷たっぷりのグラスに注いだ。特に言葉はなくても自然とグラスがこつんとぶつかり乾杯をする。冷えたビールを一気に半分くらい飲んで喉も体も潤わせてからリモコンの再生ボタンを押せば映画は始まり、五条が言っていたピザパーティーも始まった。
◇
五条が頼んだクワトロピザは頼んだ本人もどこが何の味かよく分かっていなかったけど普通に美味しい。久しぶりに食べるピザは重いと思っていたのに案外食べることが出来て、すぐにグラスからビールが消える。無くなったビールはまた入れてと、いい塩梅のピザをつまみ感覚にグラスを持つ手は止まらなかった。五条もしっかりお腹が空いていたのか、映画の中の名コンビが未来を取り戻すため奮闘している中、一ピースくらい食べ終えていた。
少しずつお腹いっぱいになってピザをのんびり食べつつ、お皿に盛られたポテトチップスとポップコーンを口に運びながらビールを飲む。映画の序盤のシーンは結構覚えていたが段々と覚えていないシーンが続いて画面を真剣に見ていた。
「一度はデロリアンに乗ってみたいと思わなかった? 僕は憧れたな〜」
「普通に、大人になったらこんな世界になってると思ってた」
「あはは。呪術師の道を選んだ時点でこんな近未来的な世界とはかけ離れてる古臭い場所に取り残されたね」
「そう考えると五条は子供の頃にこういう世界への憧れは強かったんじゃない?」
「まあ憧れがなかったわけではないけど、割りと自分の力でどうにでもなったし」
「夢のない子供だな」
「四次元ポケットはほしかったよ」
「結局チートじゃん」
そう言ってポップコーンをぽんぽん口に投げて遊んでいる。子供の頃、映画を見ながらこんな行儀の悪い食べ方は出来なかったはず。高専で足を机に伸ばしたりするのは置いといて、基本的に食事や正座などきちんとした作法が体に染み付いてる五条は行儀が良い。だからポップコーンを口に投げて食べるなんてことは多分学生時代に私らが教えた可能性が高く、少し反省をした。家の中で二人で映画を見ている分には楽しそうだから気にしないが。
投げて食べるのに飽きたのかポップコーンに飽きたのか、五条はお菓子を手に取るのをやめてコーラは飲みながら「でも、もしさ」と口を開いた。
「もし、デロリアンとかタイムマシンが実際にあったら何かが変わったのかな」
ビフから必死にスポーツ名鑑を取り返そうとマーティが色んな手を尽くして頑張っている姿を見て五条が呟いた。
時空を超えられる摩訶不思議な機械。誰しも一度は夢見たことがあるであろう魔法の装置。実際にあったなら、とかつて幼かった私は当然考えたことがある。でも恐らく五条が言った『何かが変わったのかな』はたった一人の親友へ向けた後悔、疑問、悲哀、憂苦であり、当時十七歳だった五条はその気持ちを抱えたからといって非現実的なタイムマシンなんてものは想像しなかっただろう。力も何もかも持っている五条はリアリストで、時折り酷く冷静に物事を見る。ましてやあの時の五条は、一人で考えて立ち止まって動いていたから夢見る子供みたいな考えには行き着かなかったはず。だから全てが終わって、もう過去になってしまった変えることが出来ない出来事と記憶を今、架空の世界で想像することで救われようとしているのかもしれない。
「案外変わらないかもよ。結局そういうのって物語の主人公が結果的に正しく使うから美しい物語になるのであって、正義のヒーローではない私らが使ったところでそれは正しい力ではないから世界は崩れるか何も動かないだけ」
「所詮使う人次第ってことか。僕の力みたいだ」
「君がその力を持って生まれて正しい道を歩んでくれたからまだこの世界は崩れずに済んでいるからね。そんな感じかも」
「じゃあ主人公は硝子だ」
今の会話の流れで何をどうしたら私が主人公になるのか意味がわからなくて、頭にクエスチョンマークしか浮かばない。五条は力を正しく使っていると返したのに何故私が主人公なのか、疑問しかなくて「なんで?」と聞き返した。
「大きな力を正しく使うのが主人公なら、硝子は僕をきちんと操れる人間だから」
「それを言うなら主人公はどう考えても君だろ。六眼を持っているのもそれを使えるのも君自身なんだからこの世界の主人公は五条悟だ。それに私が五条を操れるはずないし、するつもりもない。私はせいぜいサブキャラ程度」
五条は生まれながらにして王道主人公路線を歩いてきたような人生だと思うが、本人も「えー」と煮え切らない返事をしている所から、そういう意識をしたことがなかったのだろう。実際性格が難ありだし主人公というには少し面倒すぎるから私も五条のことを特別何か思ったことはない。六眼持っているチートみたいな同期が第一印象で、はなから妬みも何もない人間からしたら凄いで終わってしまう格が違う男。
「でも僕って明らかに主人公キャラじゃない」
「じゃあもうこの世界に主人公なんていなくていいよ」
誰が主人公だとか自分は違うとかはどうでもいい。現実は物語じゃないからそもそも主人公なんていないし、臭いことを言うのならば自分の人生の主人公は自分だろうし、この世界においてこの人はこの役割、あの人はあの役割なんて決めることの方が野暮だ。
「それはそれで勿体ないから僕たちの世界はダブル主人公にしよう。マーティとドク、のび太とドラえもんみたいな」
恐らく正確にいうと主人公はマーティやのび太で、ドクやドラえもんは親友寄りの立ち位置な気はする。まあどちらも主人公並みに活躍するからどちらでもいい。が、念の為に聞いておかなければならないことはある。
「それだとどっちがのび太になる?」
「そこなんだ。んー、そこは僕かな?」
「じゃあいいよ」
「よくはないけど?」
私がマーティやドラえもんなら、ポンコツの相方に呆れて見捨ててしまうかもしれないから五条がポンコツじゃなくて良かった。画面の中のマーティはドクだけが乗ったデロリアンが消えてしまい取り残されて絶望的な顔をしていた。多分五条がこの状態になっても世界はどうにでもなってしまう。持ち前の頭脳と才能でほとんどのことが出来てしまう男に果たして相方は必要なのだろうかと少しの疑問を残しつつ用意してたビールを全て飲み干してしまった。
無くなった酒を探しにキッチンに行き、冷蔵庫にいつも常備されているビールと五条が出張のお土産で買ってきてくれた北海道のクラフトビールを手に取った。クラフトビールは瓶だから栓抜きも持ってソファーに座り直す。
「ダブル主人公だったら二人はどうせ仲良く生きていけるんだろうね」
「その話まだ続くんだ」
主人公の話は一旦終わったと思っていた。珍しく同じ話題を続けるからビールを開けながら適当に耳を傾ける。
「いや、硝子が言ってたことはその通りだなって。さっきも言ったけど、今まで自分の力でどうにでもなったから何者かに強い憧れを持ったことないし、僕が僕以外の選択肢として生きるなんて考えたことないから」
「で? ダブル主人公の何に引っかかったの?」
「ドクとマーティは悪友のような親友の関係がこれからも続くけど、これがもし男女だったら恋愛感情が混ざったりするんだろうなと思って。ただの友達として相方を信用している彼らはずっと楽しそうな気がする」
恋なのかは未だに謎ではあるが、互いに愛を知って愛を伝えて今の関係になったことに後悔はない。昔みたいにただの同期として学長をいじることは楽しい。形は変われど、なんだかんだ付かず離れず続いた関係だからこそどんな関係だとしても五条となら楽しい自信がある。
「形は人それぞれだから。私は五条と恋愛感情を抜きにしても結構楽しいよ」
「そんなこと言ってくれるのはもう硝子だけかも」
「だろうね、有難く思え。……でも、もし別れたとしても楽しいかも」
え、と言葉のような音のような間抜けな声が隣から聞こえてくる。画面を見てぼんやり話していたのに急に動揺した顔で私を見てきた。
「いや、待って、それは考えたくない」
「友達みたいな相方いいなって言ってたじゃん」
「それはそれ、硝子は硝子だから!」
「ははっ、うざいな」
「硝子!!」
隣でやかましい五条を相手にするのはやめてグラスを片手に映画のクライマックスを見守る。離れ離れになってしまっても諦めずにどうにかしようとマーティが頑張っている。この現状を変えるためにまた過去に戻ろうとする姿はまさに主人公と言えるだろう。
もし私に何かあって、形容し難い現実が突きつけられたとして、五条はこの主人公のように救ってくれるのか。一瞬そんなことを頭を過ぎりそうになったが、今もうるさく「硝子! 聞いてる!?」と騒いでいる恋人を見たらそれこそ無駄な時間だと分かる。様々な形があった中で、私はこの男と恋をして良かったんだ。