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    蜂須賀

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    蜂須賀

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    さんうくちんしか出てこない、しかも過去捏造。
    ひとりになりたい時に先生が選んだ場所が、サンウクのお気にの場所と同じだったらいいな、みたいな気持ち。

      在り場所 なかば乾いた吐瀉物の横に、男が転がっていた。
    狭い路地を塞いでいたから、邪魔だった。
    「おい、あんた」
    返答はもちろんない。スーツを着てはいるが、この様子では、まともな勤め人ではないだろう。助けるのではない。ここでよそ者が凍死でもすれば、警察などが寄ってきて面倒だ。サンウクの住まいは、この路地の先、用水路の破れたフェンスの向こうにあった。大通りの向かいには救急を抱える病院もあったが、この町にやってくるような者は医療費を払う余裕すらないことも多い。サンウクは、酒代に替えたか酩酊のうちに物盗りにやられたか、時計焼けだけを残した男の手首を掴んで引き起こし背負った。そうして地区の教会の門前におろして裏に回ると、夜間用のインターホンを押して、病人を表に置いた、とだけ告げて立ち去った。
     この町に暮らして10年、そこいらに行き倒れがいることは珍しくもなかったし、こうすることは初めてでもない。それなりの身なりであったことは記憶に残った。けれど、呼吸の有無を確認しただけでその人相に興味も持たなかった男のことは、そのうちに忘れてしまった。

    ***

    「まちがってたかなんかどうでもいい」
    少年院に送致された当初、面談のたびにそう繰り返したサンウクの肩を、いつもさすった教官がいた。自立のための、と銘打たれた講義に参加させられるたびに、自分はまだ子供なのだ、と思い知らされて悲しかった。やったことの責任すら負わせてもらえないことが、悔しかった。お前は悪だと断じられれば、抗い逃げ出すこともできたのに。院に身を置く間、自ら砕いてしまった、『なぜ』への答えを、考えない日はなかった。
     数年ののち、仮退院は秋口に決まった。保護観察の担当司も決まり、さして熱心でもなさそうなその男は面接でサンウクの容貌を見ると、まぁ面倒ごとさえ起こさないでいてくれたら、と言った。親戚がないではなかったが、引き取りを了承した者はいなかったし、サンウクもそれに安堵した。だがそのために、退院するとサンウクは、支援施設に送られることになった。身寄りのない幼児から高校に通う年齢の者まで、大勢が暮らしている施設だった。少年院を出ればひとりになれるものと思っていたサンウクは、その処遇にひどく苛立ったが、自分の意志とは関係なく身の回りに溢れる他人の騒がしい気配は、決着のつけようのない思考を紛らわせるのに役立った。
     サンウクはそのまま1年を施設で過ごし、ある年の冬ようやっと、ひとり、ソウルの片隅で暮らし始めた。

    ***

     窓枠にこめかみをしたたか打ちつけて目が覚めた。
    座席の背もたれは高く、周囲の反応は伺えない。薄汚れたフードを深くかぶり直す。今このバスはどこを走っているのだろう。発車してからどの程度経ったかもわからない。今度の現場に向かう時にはつけていた腕時計は、飯場の寝泊りの間に失くしてしまった。暗い車窓に視線を移しても、見知らぬ風景に自分の居所を探る手立てはなかった。     
     車内の空気は重く、空調は効きすぎて乾燥していた。けれど、スニーカーに沁みた泥水はまだ乾かず、爪先は冷えていた。近くの座席からは微かないびきや、低い声の会話が聞こえてくる。こめかみがまだ少し痛んだ。そっと触れてみるが異変はなく、ケロイドの手触りがあるだけだった。サンウクはぬるくなったペットボトルを飲み干し、隣に置いたスポーツバッグに凭れかると、慎重に息を吸い込んだ。そうして肩の力を抜くと、また眠りに落ちた。お兄ちゃんもう終点だよ、誰かの声を遠くに聞いた気がしたが、覚醒には至らなかった。
     今度の現場はそれほどに身に堪えた。初めての、遠方の長期請け負いだった。寮は狭く大部屋の雑魚寝で、勝手のわからない新参は、寒い窓際に追いやられた。工具が壊れれば罰金もとられ、雨が降れば屋外工事は中止で日当は入らず、寮費と食費だけとられた。賃金は、そうやってあれやこれやと天引きをされ、いくらも残らなかった。渡されたそれを握りしめ、手配師を睨みつけるサンウクの後ろから、初老の男が口を出した。
    「その子は坑内作業やっとっただろう、雨ん時の分も出してやれ」
    つまらんごまかしをするな、男がそう手配師に苦言すると、渋々といった様子で何枚かの紙幣が戻ってきた。
     作業班が同じだった、身体に似合わず物静かなその男は、仕事中もずっと防寒着の内ポケットに、手のひらほどの革の箱のようなものを入れていた。休憩になれば、人溜まりから離れたところでそれを取りだす。膝まずき、掲げたそれに額を擦り付けていることもあれば、胸に抱いて項垂れていることもあった。ある時それを手にぼんやりしていた男が胸にちいさく十字を切り、それが聖書であるとサンウクは知った。
     その男は、飯場からソウルへの乗り合いの席取りにあぶれたサンウクのバス代も、手配師から毟り取って渡してくれた。

    ***

    「おい、あんた! こんなとこまで乗ってちゃ困るよ!」
    罵声がサンウクを起こした。寝過ごしてしまったと狼狽えた。気づかなかった、面倒な、と文句を言い募る乗務員に、すいません、とだけ言葉を投げ、押しのけるようにしてバスを降りた。
     そこはバスの営業所で、生い茂る木々に囲まれた山中のようだった。切り拓かれた場内は白々しいライトが砂利に反射して明るく、車庫と思しき大屋根も見えた。大きなゲートを出口とみると、サンウクは小走りにそこへ向う。
    「おい君、もうバスはないぞ、どこの子だ? 大丈夫か?」
    咎め立てたのが大人ではなく、まだ若い青年だと気づいた乗務員から声をかけられたが、振り返ればみっともなく助けを求めてしまいそうで、掠れた声で短く是と返すと、駆けだした。

     ゲートを出れば坂道で咄嗟に下りを選んだ。自分がどこにいるのかわからない。ソウル市内についたら適当なところで降りよう、と乗り継いだだけのバスだった。暗い夜道に、ただ規則正しく足を前に出す。街灯はなく、半分の月も頭上の木々の輪郭を、ぼんやり浮かび上がらせるだけった。
     あそこまで歩けば、どこまで行けば、そう考えだすと焦りが生まれた。ろくに散髪しないごわついた髪の、汗滲むこめかみが思い出したように痛む。道の先を見ないことに決め、自分のスニーカーだけに注視して、ひたすら歩数を数えた。200を越えるとあやふやになったが、幾度もゼロに戻り、何度でも繰り返した。下り道は存外足に負担がかかり、立ち止まってしまいたくなる。それでも、動作を止めてしまえば、道迷いを認めるようでできなかった。こころぼそいのだと、気づきたくなかった。
     ガードレールのひしゃげて分断したところに、注意喚起の仮設のポールと、それを繋ぐライトのチューブが赤く点滅している。その先には転回スペースと思しき場所が見え、頼りない街灯が立っていた。
     あそこまで、行こう、そうしたらきっと顔をあげる。
    そう決めて、もう100数えると辿り着いたそこで、サンウクはようやっと夜気を吸い込み、空を見上げようとした。
     街の明かりがすぐそこにあった。膝が震える。遠くはあるが南山のタワーも見えた。なんのことはない。さほどの山奥でもなかった。当たり前だ、路線バスの車庫なのだ。錆びついたガードレールに手をつくと、少し笑った。
    これ以上、なにに怯える必要があったんだ。
     乗用車が2台、サンウクに気を止めることもなく通り過ぎた。テールランプを見送ると、サンウクはまた歩き出した。坂を下りきり、建物が並び始めると、見通しが効かなくなりまた方向感覚を失う。それでも人のある所と思えば、いつかどこかに辿り着ける気がした。
     ただの寝床でしかないのだから、あの部屋に帰れなくてもいい。
    雨を避け、風を凌ぐ屋根壁さえあれば、そこで目を閉じて、目が開いたらまた歩き出せばいい、そう思えた。
     ちらほら行く手に現れるバス停や洞名には、まだ覚えがない。コンビニを見つけ、冷えたコーラを買う。眠気がそこまで来ており、温かいコーヒーでも買おうかと思ったが、身体が火照っていた。冷たかった爪先は温まり、下り坂の負担でしびれている。擦れた親指のあたりに靴下が透けてみえた。退院の頃に与えられたスニーカーはもうサイズアウトしていた。
     サンウクはようやっと、俺はこれからもこうして生きていけるのだ、そう信じた。

     配達のバイクが駆け抜けてゆき、目で追うとその方向に橋が見えた。欄干の照明が橋のむくりに沿って弧を描き、川を渡っている。漢江にでれば、きっと今どこにいるかわかる。辿りついて見渡すと、1本下った橋のたもとに、見知った建物があった。あれは、銭湯だ。現場帰りの降車場所は一定ではなく、何度かその前で下ろされたことがあった。気のいい作業員たちと乗り合えば、おごってやると誘われたこともあったが、一度も従ったことはなかった。ブルゾンのポケットに放ったコンビニの釣銭を探ると、サンウクは確かに道を選びながらそこを目指した。
     長居はしなかった。空の白むころに銭湯を出た。疲労はとれていなかったが、足取りは軽い。ろくに乾かさなかった髪はすぐに冷たくなり、けれどここちよかった。漢江沿いのスポーツ公園では、同じ年ごろの青年たちがグランドの整備を始めていた。
     これからの自分は、来るなと命じたその先に父が願った生き方はしないだろう。悲哀を過ぎ、諦観や寂寞に変わることのない憤怒の記憶は、それでもこれからも自分を生かす。
     寄せ場に戻って朝飯を喰い、寝床に潜りこむ。そうして目が覚めたら、がらくた屋の店先でずっと色褪せている、あの頑丈そうなブーツを買いに出よう。

    ***

     履き替えるがいいと差し出された、古びたワークブーツを受け取り、そんなことを思い出していた。手入れをするわけでもなく、酷使に耐えたあの靴を、処分したのはいつだったか。柔和な笑みをこちらに向ける男の顔を見る。ここに残りませんか、と言った素性も知れぬその男こそ、誰かに居場所を与えられるような人間には到底見えなかった。
     残ると決めたわけではない。ただ、着替えと同じく、すみませんがこれで我慢してください、と手渡された毛布を、出ていかないでいるだけのサンウクは突き返すことができなかった。
     みなの寝床の幼稚園から離れ、墓所と定められた区画のベンチに横たわる。手触りの悪いその毛布は、かぶってみれば存外あたたかかった。
     自分は明日もきっとここで眠る。
    サンウクはそう実感し、目を閉じた。

    ***

     墓碑の前、組んだ指を添え頭を垂れている。
    上階の探索から戻るたびに、刀から持ち替えて階段室を見上げている。
    サンウクが勝手に喫煙場所と決めた廊下の突き当りに向かうと、壊れた自販機の隣、積み上げたビールケースにジェホンがぼんやり腰掛けていた。手にしたものは中途半端に開かれている。
    「ただ眺めるだけのもんなのか」
    「はい?」
    目線でジェホンの手元を示す。
    「いつも『読んでる』ようには見えない」
    「ああ。いえ、それは、ええと……」
    ジェホンは言葉に詰まる。サンウクがなにを知りたがったのか、わからなかった。
    「眺めているだけ、ということでも……いや、でも、そうですね。通読も何度もしますけど、たまたま開いた1節のことを考えたり。そう思うと確かに、書物というだけでなく、自分の中の神と対話するための拠り所、といえるかもしれませんね」
    「そうか」
    「はい」
    そこで煙草の尽きたサンウクは、もう用はないという様子で立ち去った。ジェホンとて呼び止めて話したいことがあるわけでもなく、吐かれた煙の消えていくのをただ眺めた。



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