下校中のすぐゆ「お疲れ様」
学校の校門前に停められた黒光りする高級セダンの後部座席に滑り込めば、歳を重ね落ち着きを持った声に労われる。
「私のためにいつもすみません」
もう何度目か分からない謝罪を口にする。一使用人に過ぎない私のために学校の送迎など本来は不要である。しかし登校時間ギリギリまで離れず、また速やかに帰宅しなければ機嫌を損ねる私の小さなご主人様のために、私は毎日やたらと目立つ車で通学をしている。繰り返すが私はただの使用人である。けれども車通学をし、ご主人様やご当主様のご迷惑に決してならないよう私生活を隠すことから、いつしか私がそういった身分の人間ではないかという噂が立つようになった。その弊害がほぼ毎日余計な荷物となる紙の束や甘味である。
「今日はまた一段と多いね」
「毎日毎日一体いつになったら飽きるんでしょう。処理する此方のことなんて考えない猿どもめ」
近付いてくる来る猿も遠巻きに見てくる猿も等しく猿だ。鬱陶しいことこの上ない。私なんかに割く時間があるなら少しは鏡と向き合ったらどうなんだ。学校一の美人?笑わせる。私が毎日誰のお傍にお仕えしていると……。
自分でも目の色が濁っているのが分かる。学校の帰りはいつもこうだ。随分歳上だが同僚の運転手も気遣って放っておいてくれる。だからといって辛気臭い顔でご主人様の前に現れることなど許されない。重く鬱陶しいだけの学生服を脱ぎ、見ただけで上質と分かる黒のロングワンピースに袖を通し、白く輝く清潔なエプロンを結び、幾分か乱れた髪を結い直したところでようやく本来の自分を取り戻せる。
早く卒業したい、心の中で呟いたその時、本来誰も居ないはずの助手席から白い頭がこちらを向いてひょっこり現れた。
「ばあっ!!!」
「悟様ッ?!」
私のたった一人の大切なご主人様がそこにいた。
「どうして……どうされたんですか?」
「だってすぐるいないからつまんないし、かえってくるのおそいし」
「いつもと同じ時間ですよ」
「むかえについていけばはやくあえるし、いっしょにいられるって。おれてんさいでしょ」
「だからって悟様に何かあったらどうするんです!」
「すぐるがいるからだいじょうぶだもん」
「帰りだけですよ!それに……それでも!」
悟様が仔犬の目で私を見つめてくる。この顔に私は弱い。だからといって私などの迎えの為に悟様の身に何かあっては私が私を許せない。
そんな私の葛藤を見透かした運転手が、今日はたまたま同じ時間に出る車があったから護衛は大丈夫だったこと、こんなことは今日だけだということを悟様とは約束済みだということを教えてくれた。
「悟様、大変失礼いたしました」
「すぐるはおれにあいたくなかった?」
「いいえ、そんなことはございません」
「ほんと?」
「本当です。私が悟様に嘘をついたことがございますか?」
「ない!」
悟様の満面の笑みに釣られてふふふっと笑えば抱っこをせがまれる。広くはない車内にぶつけることがないようそっと身体を抱き、そのままジュニアシートへとお座りいただいた。すると悟様は鼻をひくひくし始めた。
「すぐるなんかいいにおいする……おかしのにおい!」
そう言ってビシッと紙袋を指差す悟様は大変愛らしいが、一方で頭の中では猿への怒りが渦巻いていく。
「これは悟様のお口に入れていいものではございません。お屋敷に着いたらいつもみたいに一緒にもっとおいしいお菓子をいただきましょうね」
「でも……」
数分ぶりの仔犬の顔再びである。この顔に私は弱い。今度は運転手も苦笑いをするだけで助け舟を出してくれそうにない。私はふぅと一息つくと悟様の手をそっと握った。
「でしたら今日は私が悟様の食べたいお菓子を何でもお作りいたします。それで我慢していただけますか?」
途端にぱあっと顔が輝きだす。この顔を守るために私は生きているのだ。
「すぐるだいすきっ」