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    愛憎とヒースクリフ

    ##mhyk

    20211110「あの」
     の、一語を発した後、ヒースクリフは俯いて黙り込んでしまった。呼びかけというよりは、自分を奮うために声に出してみたような響きの「あの」だ。彼の決意を台無しにしないように、シャイロックは金色の長い前髪と見つめ合って待つことにした。
     賢者の魔法使いの中には、まさに<大いなる厄災>の襲来する一夜にしか姿を見せない者もいるが、シャイロックは前後の幾日かは魔法舎に滞在して、一夜の仕事仲間たちと交流を持つことが多い。紋章が消えるか、あるいは紋章が刻まれた身体が石になるまで毎年顔を合わせるとなれば、自然愛着が湧く。たとえ選ばれたばかりの者であっても、長い付き合いになるという見通しが、シャイロックに愛着を抱かせる。
     魔力が強くなかったり、魔法の知識が十分にない魔法使いが月に選ばれてやって来ることはままあって、相手に乞われて気が向けば、手ほどきをしてやることも少なくない。しかし、自分から口を出したのは久々のことだった。人格に問題のある魔法使いが選ばれることもままあるが、当人に自覚がないのも相まって、今回は程度がはなはだしい。
     数呼吸おいて、再び顔を上げたヒースクリフは、将来の領主たらんと受けてきた教育を感じさせるきっぱりとした口調で、
    「あなたに師事するわけにはいかないんでしょうか」
    と尋ねた。
     が、シャイロックが思いもよらない申し出に瞠目したまま固まったのを見てとるや、すぐにその振る舞いを脱ぎ捨てて、年相応のたどたどしさで言葉を継いだ。
    「えっと……せっかく助言してもらったのに申し訳ないんですが……ファウストさんには話しかけづらくて。その、シャイロックさんも、西では先生役をされていると伺ったので……」
     シャイロックが、故郷の地ではあまりお目にかかれないいじらしい様子をゆったり味わっているうちに、幼い魔法使いがどんどん狼狽して、早口に尻窄まりになってゆく。このままもうしばらく眺めていたい気持ちをおして、そろそろ助け船を出してやることにする。
    「あなたのような若く可愛らしい方に指名されるなんて、光栄なことですけれど……。厄災を追い返したら、私は店のある西に戻りますし、あなたも、ブランシェット領からはなかなか離れられないんじゃないですか。基本を固める時期は、やはり、日頃から会うのが難しくない人につくのがよいと思いますよ」
     もっともらしい断り文句に、ヒースクリフの目元が、口元がみるみる強張り、シャイロックは言葉ではなく鋲でも打ち込んでいるような心持になった。廊下で、呼び止められるままなし崩しに進めてよい話ではなかったかもしれない。なんともかわいそうになって、「もちろん、魔法舎にいる間は、あなたのお願いごとをきくに吝かではありません」と重ねたが、あまり効き目はないようだった。
     ここで会話を打ち切れないのは、このヒースクリフが、おそらくは、シャイロックに不満や怒りを抱くのではなく、浅慮な依頼をしてしまったと自分自身を恥じて責め立てるような子どもだからだ。
    「ヒースクリフ」
    「っはい」
     名前を呼んで思考の渦から引き揚げる。
    「面倒だからあなたの先生になりたくない、とは、あなたに思ってほしくありません。ですから、あなたは今すぐにでも私の前から立ち去りたいとお思いでしょうけど、どうぞもう少し私の話を聞いて」
    「はい……」
     見つめ返すヒースクリフの目が、かつての西の海のような鮮やかさを湛えていた。シャイロックは、自分の心が立ち枯れてしまったなどとは全く思わないが、魔法舎でカインやヒースクリフなどと接していると、まだ時の砂が降り積もっていない大地の、大海原の、今より後には埋もれてしまう光景を眩く感じる。
    「魔法は心で使いますから、先生にするなら、心のありようが似ている方をおすすめします」
    「……同じ東の魔法使いがいいってことでしょうか」
    「そうですね。長年、国別に先生役が決められてきたのには、それなりの理由があるということでしょうか。あなたは、今あの男のもとにいてもよい生徒なのですから、私にとってもよい生徒になるでしょう。でも、そのうちに、私に合わせようと、あなたはあなたの心を抑えつけるようになってしまうと思いますよ。そしてあなたは、いつの日かきっと、あなたの心の在り方に反する私の在り方に失望なさるでしょう」
    「そんなことは……」
     反射的に反駁しかけた口はすぐに閉じられた。再び伏せられた目は、おざなりな肯定でも否定でもなく、シャイロックの言葉が慎重に吟味されているしるしだった。
    「あなたの誠実さには、同じ誠実さがふさわしい。はじめに大はずれを引いてしまった分、次はあなたのことをいちばんに考えてくれる人のもとへ行かなくては」
     そして、それは自分にはできないことなのだ。
     彼が必要とするとき、後ろからほんの少し手助けすることはできても、彼を常に導く師になることはできない。これからの長い道行、たとえ道が分たれた後でも、彼のうちで標としてあり続ける、燦然たる星のような存在には。光を放つ星に囚われ惑う者は、他の者を引き留めるべきではない。
    「とにかく、騙されたと思って、一度ファウストに頼み込んでごらんなさい。私の見たところ、そうかからず彼は絆されてくれると思いますけれど、どうしてもだめなら、私からも話してみますから」
     もはやシャイロックの翻意は望めないと悟ってか、ヒースクリフは躊躇いながらも「わかりました」と頷いた。
    「さあ、夜も更けてきましたし、早く戻らないとまたジャックが煩いでしょう」
    「はい」
     時間をとらせてごめんなさい、ありがとうございました、と、いかにも去り際らしい口上を続けて、しかしヒースクリフの足は動かない。
    「あの」
    「はい」
    「シャイロックさんの仰ったこと、俺、実はまだよくわかっていません。でも、今日、あなたが俺に誠実に対応してくださったことはわかります。だから、その……ありがとうございます。言葉を尽くしてくださって」
     ふだん目線を逸らせがちな分、ヒースクリフの目を合わせるという行いは、それだけでひどく雄弁だった。

    「断っちゃったの?」
     ヒースクリフが振り向かず階段の先に姿を消すのと入れ替わりに、シャイロックの背後に、宙で胡座かいた逆さまのムルが現れた。
    「ええ。ヒースクリフにとっても、ファウストにとっても、そのほうがよいでしょう」
    「えー、俺、ヒースクリフのこと気に入ってたのに。まだあんまり遊んでくれないけど。シャイロックもそうでしょ? あーあ、もうファウストにとられちゃうよ」
     まるで新しい玩具を惜しむような口ぶりを聞くだに、この男から引き離しただけで、年長者として十分な仕事を果たしたと言えるのではなかろうか。
    「私はあなたで手一杯なんです。あんな真摯さ、私には責任がとれません」
    「ファウストならとれるの?」
     問いを投げかけておきながら、次の瞬間には興味を失ったと見えて、ムルは宙に浮いたまま、廊下の壁にぶつかっては跳ね返り、ぶつかっては跳ね返り繰り返し始めた。四方八方からシャイロックに声が飛んでくる。
    「ねえ、それより、キッチンに南の魔法使いたちの料理が残ってたよ。あれでシャイロックのお酒を飲もう! 前々々々……あれ? 何回言ったっけ? とにかく、前夜祭じゃない前夜祭をしよう!」
     ムルに聞かせるためのため息をひとつ吐いて、シャイロックは歩き出した。
     当たり前に民衆の幸福を願うあの聡明な若者はいつか、このムルが、それを脅かしかねないものだと気づくだろう。彼から、ムルの在り方を変えたいと、その手助けをしてほしいと頼まれたら、自分はどうするだろう。
     ——自問するまでもなく、ずっと昔から、答えは決まっていることだ。
     今度は誰に聞かせるためでもないため息を漏らして、シャイロック・ベネットは歩を進める。その周囲を、ムル・ハートがくるくると回っている。
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    mavi

    DOODLEモクチェズ版ワンドロワンライ【キャラブックネタ】【野花】
    先週書き上げられなかった分(【ティータイム】)を合体させたのでワンドロではなくほぼツードロです
    20220508 晩酌がモクマの領分なら、ティータイムはチェズレイの領分。
     申し合わせたわけではないのだけれど、気がつけばそうなっていた。

     いちばん初めのきっかけはなんだっただろうか。
     たしか、チームBONDとしての、ミカグラ島での最後のミッションを終えて、同道の約束を交わして。その約束に差し込んだいくつかの条件、そのひとつ、「時々は晩酌を共に」が初めて実現した翌日のことだった。
     チェズレイは酒を嗜まないので、自然、酒やつまみはモクマが見繕うことになる。そもそも酒を飲んだ経験がほとんどないと言われれば、いっとう美味いものから紹介したいと思うのが人情というものだ。あれやこれやと集めるうちに、テーブルはちょっとしたホテルのミニバーもかくやという賑やかさになってしまった。部屋に通されたチェズレイはそれを見て、ちょっと驚いたように目を見張り、続けて、おやおや、とでも言いたげな揶揄いの目配せをモクマに寄越した。しかし結局何も言わず、自分はこのようなもてなしを受けて当然の人間だという風な、悠々とした動きでモクマの隣に座った。その晩、モクマの、アーロンには及ばずとも常人に比べればうんとよく見える目は、チェズレイの、度々卓上に向けられる目線も、その度に喜びが溢れるようにきゅっと持ち上がる口角も捉えていたけれど、先ほどの沈黙への礼として、それを指摘することはなかった。
    4008

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