202203201.
外を歩けば霧雨が体にまとわりつく冷たい夜、ベネットの酒場は盛況であった。
酒場の主であるシャイロック・ベネット氏は、ハイテーブルまわりの人だかりに気を引かれた。給仕を口実に、カウンターの客との話を切り上げてそこへ向かい、大話の種を尋ねると、気取った声が、
「猿の手だよ」
と応えた。果たして、声の持ち主は気取り屋のムル・ハート氏であった。
「あの北のミスラから直々に譲り受けた品なんですって」
ハート氏と同じテーブルについていた魔女が、秘密を打ち明ける囁きで付け加えた。魔女の視線の先、長年繰り返し蜜蝋が塗りこまれた艶やかな天板の上に、からからに乾燥しミイラと化した動物の前足が置かれていた。それは毛艶も毛並みも悪い前足であった。ベネット氏は、自分の美意識を隅々まで行き渡らせた空間に、ひとときであっても存在してほしくない、という目つきでそれを一瞥した。
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