オメガバースパロ この世には男・女と呼ばれる性別の他に、第二の性と呼ばれるもう一つの性がある。アルファ・ベータ・オメガと呼ばれる性だ。
ジータはベータだ。優秀で眉目秀麗なアルファのように注目を浴びる存在ではなかったが、オメガのように性的に辛い生活を強いられることもない。だから人生は平穏そのものだ。
しかし、ジータには夢、いや夢と言う程のことではないかもしれない、モットーがあった。それは、アルファ・オメガなど、第二の性で苦しんでいる人を助けたいということ。ある事件をきっかけに、ジータは強くそう思うようになった。
そのことがあり、ちょうど半年ほど前の今年の春、抑制剤の分野では最大手の製薬会社である今の企業に新卒として就職した。ジータは文系であったため、直接開発に携わる職種には適していなかった。そのため、開発のサポートを行う職種に応募し、採用されたのだ。
ジータは、会社のカフェテリアで夕食を取った後、本屋で購入した本を広げた。お昼のカフェテリアは大混雑しており座る場所を見つけるだけでも大変だが、夕方のカフェテリアは人もまばらだ。大企業のカフェテリアらしく、メニューも充実しているのに、かなりリーズナブルな価格で食事も飲み物も楽しめる。だからジータは毎週水曜日の定時後、カフェテリアで夕食を取りここでそのまま勉強をすることにしていた。街のカフェよりも静かだし、混むこともないから長居もできる。夜景が綺麗に見えるお気に入りの窓に接した席も見つけ、今日もその席に座っていた。
(えっと、抑制剤でよく用いられる成分の話からだっけ……)
ジータが開いている本は『素人でもわかる抑制剤』というタイトルのものだ。タイトルの通り、抑制剤について分かりやすく解説した本である。抑制剤の用法や仕組みはもちろん、抑制剤大手企業の紹介など、そのようなことまで書いてある。大手企業には、当然ジータの勤める会社もある。
基礎の基礎の部分は入社時の研修教育でも習ったし、ジータの業務は詳しく知らなくても問題の無い業務であった。しかし、会社の一員である以上、知っておいた方がいいと思ったし、実はこっそりと興味があった。理系科目は苦手だったため、難しい部分も多くペースはゆっくりだ。しかし、ジータには充実した時間だった。
その日もいつもの水曜日のはずだった。今日は何となく麺類の気分だった。ミートソーススパゲッティが美味しそうに見えたため、ミートソーススパゲッティと食後のデザートであるプリンを手に取り、会計した。そして、いつもの席に向かったわけだが。
(あ、今日は先客が……)
ジータのいつもの席に座っている人がいた。後ろ姿しか見えないが男の人だ。銀色の、男の人にしては少しだけ長めの髪だ。身長は高めでがっしりとしている。姿勢がとてもいい。白衣を羽織っているため、きっと研究部門の人だろう。ちらりとテーブルを見ると、カフェテリアで売られている珈琲の紙コップだけが見えた。食事ではない、きっと休憩か。
(人もまばらなのに、あまり近くに座るのもおかしいよね)
仕方がない、今日は夜景を諦めよう。いつもより少し離れた席に座った。
その次の水曜日。
(今日は空いてた)
いつもの席が空いていた。いそいそとお気に入りの席に座る。
(あの人ももしかしたら夜景を見ていたのかな……ここの席から見える夜景、綺麗なんだよね)
ふと、先週座っていた男性のことを思い出す。食事をとっている風ではなかったように見えた。夜景を見て休憩をしていたのかもしれない。
手を合わせた後、今日の夕飯であるオムライスを頬張る。バターライスにトマト味のソースがかかっており本格的な味だ。これが会社のカフェテリアで提供されているなんて信じられない、食後のデザートのいちご味のゼリーも美味しそうだ、そんなことを考えていたときだ
(あ……)
ジータと同じ並びに誰か座った。ちょうど、三席ほど空けたジータの右側。空いているカフェテリアでどうしてこんな近くに座るのだろうと、なんとなく気になり、失礼にならないようにちらりとだけ目をやる。
(……あ、あの人、この前ここの席に座ってた人……かな)
先週は後ろ姿しか見えなかったが、特徴が一緒のような気がした。銀色の少し長めの髪に、身長も体格も同じくらいだ。しかし、ジータはあることに少しだけ驚かされた。
(うわ、すごくかっこいい人だ……)
その端正な顔立ちに驚かされた。モデルや俳優と言っても通じるくらいかっこいい……いや、かっこいいという言葉より、美しいという言葉が合っている気がした。顔付きよりも雰囲気がそうなのかもしれないが、何となく迫力のある、まるで美術品のような美貌だと思った。
ジータは彼がまた珈琲を飲んでいることに気が付いた。珈琲を飲みながら、夜景を眺めている。きっと、ジータの推察通り残業の合間の休憩で珈琲を飲みながら夜景を眺めているのだろう。
(って、あまり眺めたら失礼だよね。私もお勉強があるし、オムライスも温かいうちに食べちゃおう)
そこからはジータの意識はオムライスに移った。オムライスを食べ終え、食器を下げようと立ち上がったときには、彼はもういなくなっていた。
それから、ジータは水曜日の夜のカフェテリアで彼を見かけることが多くなった。彼はいつも、ジータのお気に入りの席から三席ほど空けた右側の席に座っていた。
(あ、今日は先越された)
ジータが先に席に座っていることが多いが、たまにジータの終業が遅くなったときは、彼が先にいた。
初めて会ったときこそ、ジータのお気に入りの席に座っていた彼だが、それ以降はジータより先に来ていてもジータのお気に入りの席に座っていることはなかった。そして、ここはジータのなんとなくの推測だが、ジータがあの席にいつも座っていることを知っていて、敢えてずらして座ってくれるようになったのではないか……そんなことを思っている。
(まぁ、あっちの席の方が景色がいい、って単純な理由かもしれないけれど)
話をしたことはない。どこの誰かも知らない。でも、何故か同じ時間に会うというだけで、勝手に親近感がわいていた。なんとなく、会えなかった日は、何かあったのかと思ってしまう自分がいた。もしかしたら彼は、水曜日に限らず毎日来ているのかもしれないのに、少し奇妙な話だと自分でもおかしいと思った。
(研究職っぽい感じだけれど、どういう人なんだろうな)
彼はどんな人なのだろうか……ジータは彼を見る度にそんなことを考えてしまっていた。