メリークリスマス前ラン暦「はぁ!? お前も裏切り者かよ!」
「いや〜悪い悪い。バイトの後輩で目ぇつけてた子がいてさぁ」
「俺知ってる。スゲーかわいい子」
「ダメ元で誘ったらオッケーでさ。ギリギリ間に合っちまったわ」
「ふざけんなよぉ〜」
ずいぶんと日が短くなった帰り道のことだ。いつもなら気に留めない放課後の教室でのクラスメイト雑談が、何となく耳に残っていたらしい。ランガは唐突に尋ねてきた。
「なんかさ。最近多くないか、ああいう話」
「あ? 何が?」
「最近っていうか……先月とかそのくらいから。間に合った、とかどうとか。パークでも『S』でも聞いた気がする」
大抵は男同士、たまに女同士でも、同じようなことを言っている。もっとも、そこまで興味があるわけではないから、話題の肝心の部分が見えないままなのだ。
「あれ、何の話?」
「何ってまぁ……クリスマスまでにって話だよ」
「クリスマス?」
ランガは本当に見当がつかないというように眉をひそめた。モテる奴には無縁だから……とはちょっと違うのは、ランガの性格を知った今では分かっている。それはそれで何となく憎たらしい。
そう、そりゃあクリスマスに間に合うか間に合わないかの話だ。何がって、恋人ができるのが。あるいは意中の人とデートの約束を取り付けるのが。いや、クリスマスに二人きりで出かけることを承諾した時点で、ほぼ関係が成立したようなものだろう。とにかく、そういう話に決まっている。
まぁ俺には関係ないし、パークも空いてて快適だし……なんてことはなく、毎年毎年どうにかならないかと足掻いてみたところで、去年もサンタ帽をかぶってバイトをしていた。店長にはチキンを奢らせたけれど、虚しさが強まっただけだった。
今年もどうせ同じだ。そう思いかけて、はっとした。
(関係なく……なくねぇ!?)
今、隣を歩いているのは、最高のスケート仲間であり、唯一無二の親友だ。けれど、それだけではない。思い込みなどではなく、お互いの気持ちも確認している。まだぎこちないけれど、二人だけの時には友情とは違う触れ方をしたことだって、少しはある。
去年までの妄想とは全く異なる形で、当事者となっているではないか。あまりに予定と外れていて、今の今まで自分の立場に気づかなかったのだ。
途端に焦りが滲み出す。どうしよう、何も考えていない。そうだ、プレゼントとか渡すべきなのだろうか。一度に噴き上がった思考に赤くなったり青くなったりしていると、ランガはますます怪訝そうな顔になった。
この分だと、ランガも何も考えてなさそうだ。いっそ、俺たちはどうする、と思い切って言ってしまった方がいいだろう。
恥ずかしがっている場合ではない。何せ、初めて家族や友人以外と迎えるクリスマスなのだ。
そう心に決めてランガの方に向き直ると、ランガはもう正面を見て歩いていた。
「日本はクリスマスよりニューイヤーが大事って聞いてたけど、そんなに前から準備することあるんだな」
「じゅ、準備っつーか……まぁそんなとこか」
「クリスマス、どんなことするの?」
そうかと思うと、再びぱっとこちらを向く。これからその話をしようとしてたとはいえ、直球で訊かれるとやはり照れ臭い。
「うぇー……まぁ、ライトアップとか、ツリー飾ったりとか、やってるだろ、あちこちで」
「うん」
「ああいうの見に行ったりとか……あとはちょっといいもん食ったり……んで……」
その後は、やはり。視界も頭の中も桃色に染まって、結局言い淀んでしまう。熱くなった頬を俯いて隠すも、ランガは気付いていないようだ。
「ああ、そういえば日本はみんなフライドチキン食べるって聞いた。昨日行った店も予約締め切りましたって書いてあった」
「お? おー。まぁ、ウチとかも毎年買ってるけどな」
ランガが拾ったのは食べ物のくだりだった。何ともランガらしいし、チキンは美味いが、しょっちゅう食べている上にさすがにムードがない気もする。
「学校は休みになるけど、大人はクリスマス休暇もないし、母さんも仕事だって言ってた。一緒に過ごせなくて残念だな」
「へ?」
さっきからどうも話が噛み合わなかったが、決定的に聞き捨てならない言葉が流れていったではないか。
ランガは母親想いだ。父親を亡くしたのもあるが、もともと家族仲が良いのが分かる。少しは見習いなさいよ、という自分の母親の小言を受け流しつつも、ランガのそういう面は好ましいと思っていた。
だからといって、クリスマスに母さんと、何だって?
「代わりにニューイヤーは少し休めるからって……暦?」
母さんと……何だって!?
*
「向こうはクリスマスは家族で過ごすもんなんだよ。クリスマスディナーしてイルミネーション見ながらイチャイチャしてホテル行くのはこっちの話だ」
カウンターの向こう側で、ジョーはにやにやと笑っている。ピンク色のもやの中まで言い当てられて、愚痴を聞いてもらうはずがますます項垂れることになった。
「うるせー……つーかジョーは?」
「クリスマスディナーの予約で満員御礼に決まってんだろ」
「なーんだ」
何だとは何だ、とお見舞いされた軽めの拳骨もかなり痛い。例の如く賄いをご馳走になっているのでとりあえず頭を下げる。やけに豪華だなと思っていたら、まさにクリスマスメニューの試作で余った食材らしい。完成品を食べることのできる人たちは、きっとそれだけで幸せなのだろう。
もう少し大人だったとして、ランガと自分がそこに当てはまるのだろうか。何だかしっくりこない。だからといって、フライドチキンとコーラでは物足りない。ランガは喜ぶだろうから、本当はそれでいいのだろう。空回っているのは自覚していた。
「そんなしょげるなよ。お互い知らなかったんだろ? ちゃんと話さないとあっという間にクリスマスだぞ」
「分かってるって。でも何か……何かしたいって思うじゃん……っつっても思いつかねーし、ランガはそう思ってねーかもだけど……」
「だから一人で考えてるなって。食い終わったならさっさと行けっての。俺は今日でメイン料理を仕上げるんだよ」
空になった皿を取り上げられて、粘ることもできずに立ち上がる。店内はシックながら既に飾り付けがされていて、当日を待つばかりといった雰囲気だ。
(間に合わせようとしてんだな、みんな)
どうして呑気にしていたのだろう。相手ができたら、とびきり特別なイベントになるはずだったのに。
答えはもちろん、ただ一緒にいるだけで、スケートをしているだけで、毎日毎日楽しくて仕方がなかったからだ。カレンダーに燦然と輝くその日が目に入らないくらいには。
*
翌朝、待ち合わせ場所に立つランガは、普段と何ら変わらない様子でおはようと挨拶した。それにほっとした反面、気まずさが浮き彫りになった。
「その、昨日ごめんな」
「何で謝るんだよ」
混乱のまま、用事を思い出したと言って逃げるように去ってしまったのだ。何のメッセージも届いていない以上、こちらから謝るのも変な気がして、結局朝になった。
よくよく観察すると、ランガは気を悪くするどころかどこか上機嫌だ。何かいいことでもあったのだろうかと、ただ横顔を窺う。
「昨日、たまたまシャドウの店の前通りかかったらすごく忙しそうでさ」
暦が問う前に、ランガは口を開いた。
「そしたら、予約に来た人を指差して、ああいう浮かれた野郎がこぞって買いに来るからだ、って怒ってた」
「浮かれた野郎?」
仮にも客にそんな態度を取っていいのだろうか。何かよほど気に障ることがあったのだろう。
「恋人へのプレゼントにって。日本だとクリスマスはデートするんだって聞いた」
内心悪態を吐きながらも、笑顔でブーケを作る姿が思い浮かぶ。そうか、ジョーだけでなくシャドウも忙しいのか。意外な人物の登場で、重要なことを聞き流しそうになる。
「だから俺こそごめん。暦、昨日さ」
「だー!! 言うな恥ずい!!」
急に立ち止まったランガは、暦に向き直ってそう言いかけた。たちまち耳まで熱くなる。
「別に、俺たちそういうの必要ねーし、お前からしたら変な感じだろ」
だからいつも通りスケートをすればいい。昨日までの予定と何ら変わらない。それが何よりの幸せなのだ。
「いいから。ここ、行こう。スケートでさ」
ランガのスマートフォンの画面に、まばゆいイルミネーションの写真が映っている。切り替わった画像には、まさにデート中といったカップルのシルエットが浮かんでいた。
「ここってスゲー人気の場所じゃん。人多くてスケートでも通れねぇって」
「一本向こうの道からよく見えるんだって。車は混むみたいだけど、スケートなら平気だろ」
そう言って笑うランガの目は、イルミネーション……ではなく朝日に輝いていた。
ど真ん中に突っ込んでいくのではないとはいえ、まさか本当にクリスマスデートじみた誘いを受けるとは思わなかった。ランガなりに調べて、落としどころを考えてくれたのだろう。遠くに広がる光を眺めながら、夜の道を二人で滑り抜ける。じわ、と胸に明かりが灯る。
「それで……そのあと俺の家、来ないか」
え、と顔を上げる。視線がぶつかると、ランガが珍しく口をふにゃふにゃとさせてから目を泳がせた。
「言ったろ。母さん仕事だって。だから、その、二人きり……なんだけど」
ちら、と向けられた目に、心臓から焦がされそうだ。
返事もできずにいると、眉を下げて「嫌?」と言うので、ありったけの力で首を振る。思わず、喜んで、などと口走ったような気がした。
耳元でありもしないベルの音が鳴り響く。急速にクリスマスがやってきて、心の準備が間に合いそうもなかった。