月日ちゃんが中学生になった話「えー……喜屋武、喜屋武つき……」
「せんせー、こよみです。きゃん、こ・よ・み!」
いっつも思うんだけど、先生たちの持ってる名簿って読み仮名振ってないのかな? 読み方が難しい名前なんてずっと昔からあるんだし、絶対あった方がいいと思う。
「おお、悪いな。えーと、喜屋武月日……こよみ、と」
「はーい」
このやり取りも慣れっこ。月も日も小学校に入ってすぐ習うけれど、もちろん月日でこよみとは読まない。名前そのものは気に入っているけれど、初対面の人に間違われたり、からかわれたりするのはもちろんイヤ。
喜屋武って苗字も、沖縄じゃ当たり前だけど、他では珍しいんだって。それじゃ東京行ったらますます面倒。って家で言ったら、東京行くのか!? って大騒ぎになった。主にお兄ちゃんとお父さんがね。今すぐじゃないけど、そのうち行くかもしれないでしょ。ほんとうちの家族ってうるさいの。みんな好きだけどね。
中学生になって、小学校から持ち上がりの子がほとんどだけど、別の小学校出身の人もけっこういる。最初は友達同士で固まってたけど、少しずつ話すようになった。例の先生の件があったから、「こよみちゃんだよね?」って向こうから言ってくれる。覚えてもらえてよかったけど、なーんかフクザツ。
そんな少し前のことを思い出しながら、職員室へ向かってる。中学校の日直ってやること多いなぁ。小学校の時は何でも担任の先生に出せばよかったのに、教科ごとに持っていかないといけないんだもん。
「せんせー、ノート持ってきましたぁ」
「おー、悪いな。そこ置いてくれ」
そう、そもそも先生が授業の最後に集めるの忘れて、帰りに日直が集めて持ってくるようにって。運が悪いなぁ。
先生はパソコン画面に向かったままで、一見忙しそうだけど、手元はゆっくりしてる。じゃあ失礼しますって言おうとしたら、突然こっちを見た。
「喜屋武、もしかして喜屋武暦の妹か?」
「えっ」
名前読めなかったのに、読めなかったからなのか、もう顔を覚えられていたみたい。急にお兄ちゃんの名前を言われて、固まってからこくんと頷いた。
「やっぱりそうか。いや、実はむかし兄貴の名前も読み間違えてな。すまんすまん」
「先生、お兄ちゃんの時からいたんですか」
あっ、ついお兄ちゃんて言っちゃった。兄、兄だ。まぁいっか。びっくりしてちょっとドキドキしてる。先生はいつも仏頂面なのに、ちょっと優しそうな顔になった。
「いやな、暦の方を『こよみ』って言ってしまってな。それで君の名前を聞いて思い出したんだ」
「お兄ちゃん、怒りました?」
「同じだよ。『せんせー俺レキっす』って口尖らせて」
「あたしそんな顔してないです!」
先生のモノマネはあんまり似てない。思わず怒っちゃったけど、こういうことする先生なんだ。意外。
「兄貴は元気か」
「はい」
「勉強は?」
「中学とおんなじだと思います」
「まったく。相変わらずスケボーやってるのか?」
先生は白髪の混じった眉を下げて、ゆっくり質問攻めにしてきた。なんだか親戚のおじさんみたい。お兄ちゃん、迷惑かけたのかなぁ。
「はい。すっごい上手な友達ができて、毎日楽しそうです」
「そうかそうか。スケボー友達か。仲間がいるならよかった」
先生は疲れたような目をぱっと開いて、また眠たそうに細めた。
「あいつは明るいし友達も多いのに、どうしてもスケボーは譲らなくてなぁ。ちょっと目を離すと校内で一人で滑ってるから、よく注意したよ」
「あはは……」
やっぱり迷惑かけてた!!
お兄ちゃん不良なの? ヤンキーなの? って訊かれる度に一応否定してたけど、もうやめようかなぁ。まったく。
スケートやってるからって不良なわけじゃないっていうのは、本当はよく分かってる。スケートはすっごく楽しくてかっこいい。スケートやってるお兄ちゃんも好き。本人に言うと調子に乗るから内緒です。
先生の言う通り、一人で滑ってた時のお兄ちゃんは、ちょっと寂しそうだったり、荒れてたりする時もあった。でも、ランガくんとケンカしてた時がいちばん凹んでたかな? 仲直りしてからは、今まででいちばん、ずーっと楽しそう。
だからこそあたしもやってみようかな、って始めたんだけど……先生には黙っておこうっと。
「君もやっているのかい?」
「えっ!?」
「そこ。兄貴もよく怪我してた」
うそうそ。もうバレちゃった。もう遅いのに、大きめの絆創膏を貼った手を後ろに隠す。
「……あたしはプロテクターしてますし! 学校では滑らないです!」
「そうか。気をつけてな」
叱られたらどうしよう、担任の先生も向こうにいる……とヒヤヒヤしたのに、先生はあっさりとそんなことを言っただけだった。もうパソコンに目を戻してる。手の動きは相変わらずのんびりしてるけど。
そうだ。友達が教室で待っててくれてるんだ。早く戻らなきゃ。
失礼しました、だけじゃ足りない気がして、ありがとうございましたって付け加えた。変だったかな? お礼だから大丈夫だよね。
「月日おそーい」
「何かあったのー?」
「ごめーん! なんか先生が思い出話始めちゃってー」
「あの先生がー? 何考えてるか分かんなくて怖そうって思ってた」
「そうそう。びっくりした」
「何の話?」
「えっと、実はね……」
どこから話そうかな。スポーツクラブ通ってて怪我してることにしちゃってるから、ちゃんと言わなきゃなんだよね。スケートやってるんだって。
それから、今夜お兄ちゃんたちにも先生のこと話さなきゃ。お兄ちゃん、ぜったい変な顔するんだろうなぁ。