駒たる故に「なんて汚らしい小娘」
恐ろしいくらいに美しいその人は、私にそう言った。
真っ黒だけど、綺羅びやかで上品なドレス。家事なんて一切したことないであろう手。絡まりを知らない艷やかな髪。顔を彩る派手な化粧にも負けない日本人離れした綺麗な顔つき。
そのどれもが、私と違って惨めになる。
奉公先の主人からの折檻に、命の危機を覚え、裸足で、みっともなく逃げてきた。お腹は空いてるし、怪我は痛いしで、地面に倒れた。雨も降ってきた。そんな私を行き交う人達は、汚物を見る目で見て、通り過ぎる。
彼女もそうだった。私の事を塵みたいに見て、でも、彼女はそうやって嘲笑いながら、私に手を差し伸べた。
「丁度、『人』の手が欲しかったんだ」
「多少はマシかな。まぁ、泥団子よりは良いね」
私は身体を洗われて、怪我の手当ても受けて、綺麗な着物に着替えて、お腹も膨れた。小綺麗になった私を連れて、彼女は百貨店に来た。
百貨店、なんて奉公先の主人にすら連れられたことがない。小綺麗になったとは言え、私は場違いな娘だった。他の客は私を見て眉を潜めながら何か言っているし、店員も顔には出さないがきっと…。
「お嬢様、いつもありがとうございます。今日は何をお探しで?」
偉そうな人、多分偉いんだろうけど、そんな感じの人が話しかけてきた。『お嬢様』と呼ばれた彼女は私に向けたような嘲りではなく、人の良い笑顔で答えた。
「新しい奉公人を雇ったの。だけど、前の主人から酷い扱いを受けていたみたいで…彼女に似合う着物一式を仕立てて下さる?後は…つげ櫛と椿油をお願い」
そう言うと、百貨店の責任者らしき人は何人かの店員を呼んで用意をする様に言った。私達はと言うと、別室に通されて、接待を受けている。主に彼女が。
「私には良いから、お茶とお菓子はこの子に出して」
私の前に置かれたのは、見たこともないきらきらしたお菓子と飲み物。ケヱキとこうちゃ、と言うものらしい。恐る恐る口に入れたらその美味しさに驚いた。
「本当にお嬢様は天女の様な方ですね。使用人の少女の身を案じて…」
「まだ幼い子供ですもの。彼女はこれから沢山の事を学ぶわ。私は手助けをするだけ。勿論、私のお世話もして貰うけど」
要は、私は彼女の使用人として働けば良いのだろうか。私がお菓子を食べ終わるとほぼ同時に、彼女はとんでもない金額のお金を支払った。
「先に払うわ。貴方達を信頼してるもの。さぁ、お願いね」
言うや否や、私は店員の女性達に別室に連れて行かれた。
そこからは着物を脱がされ、色々測られた。終わった頃には私は疲れ切っていて、彼女はそんな私をにやにやと見つめていた。
百貨店を出ると、すっかり暗くなっていた。どのみち雨で天気が悪く、ずっと暗かったけど。『お嬢様』は傘をさす姿も絵になる。彼女から貰った傘で私は顔を隠しながら歩いた。
「お前の腹は膨れたろ。次は俺の腹を満たしておくれ」
淑女らしからぬ男勝りな口調で、彼女は言った。
暗いくらい道をずっと進んだ。雨でぬかるんだ地面に足を取られても、彼女は私に見向きもしなかった。見慣れた屋敷。そこは私の奉公先だった。
足が竦んで動けない私を無視して、彼女は「ごめんください」と言った。
出てきたのは、旦那様のお気に入りだからと幅を聞かせている女だった。
「この子を保護したのですが…こちらの奉公人だと聞きまして」
「…確かにその娘はうちの旦那様に雇われていましたが…何、戻って来たの」
「怪我をして途方に暮れておりましたので、少々お節介をさせて頂きました。御主人はご在宅で?お話をしたいのですが」
きっとたかが奉公に来た小娘を助けた如きで、図々しいとか思われているのだろう。お前も一介の使用人に過ぎないのに、偉ぶっているその女は、それでも彼女を無下には出来なかった。
彼女の気品が、そうさせた。
彼女のすぐ後ろを着いて歩く事で、私の安全は保たれた。背筋を伸ばし、西洋の衣服に身を纏った彼女は、すぐに旦那様に会えた。
彼女の手前、旦那様は如何に私を大切にしてきたかを語る。否、騙る。両親を亡くした私を本当の娘の様に可愛がっていたなんて、初耳だ。
「直接お伝え出来そうで良かったですわ、旦那様。実は、私…この子を気に入ってしまいまして…この子を私の側仕えにしたいのです。勿論、これまでこの子にかかったであろうお金も支払います」
彼女はそう言うと、百貨店でそうしたように見たこともない金額のお金を旦那様に突き付けた。
「しかし、その娘は奉公人とは言え大切にしてきた娘。いくらお嬢様の様な御方でも…」
嘘だ。
この男は彼女から絞れるだけお金を絞る取る気だった。彼女に着物を与えられた私を見て、彼女は私にはいくらでも使うと判断した。
「大切に、ですか…ふふ、可笑しな事をおっしゃいますね。大切にしてきたわりには、この娘は酷くみすぼらしく、汚かった」
彼女が立ち上がる。妖しい笑みを携えて。
その顔つきを見た途端、背筋が凍りついた。
『人間ではない』と、直感で感じた。空気がざわざわする。彼女は旦那様に近付くと、その綺麗な眼を瞬かせた。
「金が欲しければいくらでもくれてやるつもりだった。けど…やっぱりやめた。代わりに、とびっきりの夢を『お前ら』に見せてやるよ」
ぬちゃり、と粘着質な音がした。
見ると、彼女のドレスの裾から肉の様なモノが蠢いている。それらをまるで手足の様に動かし、彼女は嗤っていた。
肉のドレスを纏った彼女は心底楽しそうに、無邪気だった。私は後退りも出来ず、ただ唖然と見つめるしかなかった。
触手みたいになった肉が旦那様を絞め上げると、骨が砕ける音がした。旦那様は「ぐぇ」と潰れた声を出した。
異変に気付いた他の使用人も私達を、正確には彼女を見て悲鳴を上げ、逃げ惑う。だけど、その使用人達はいきなり力が抜けて倒れた。
「俺はね、幸せな夢を見せた後で悪夢を見せるのが大好きなんだ。たまらないよね」
眠っている使用人を足蹴にして、彼女は私に向き合った。
「お前は今から俺の駒だ。術をかけた後で俺の作った特殊な道具を使うと、対象者の夢に入れる。夢の中には精神の核がある」
それを破壊しろ。
彼女は私に縄と、白い錐を投げた。
「お前を虐げていた人間達だ。お前がやれ」
夢の世界には端がある。精神の核はその先。錐を振り上げれば良い。
それだけだと、彼女は言った。
「本当はそこの男もお前にやらせようと思ったんだけどね。あまりにも気色悪いから、普通にやっちゃった。だから、残りは任せるよ」
―核、とやらを破壊すると、私は飛び起きた。じっとりとした嫌な汗を感じながら血の匂いに顔を顰めた。
ぐちゃぐちゃと音のする方を見ると、彼女が何かを食べていた。それは、よく見ると人の形をしている。
「う゛っ、ぇ…」
胃の中の、消化しきれていない物が逆流した。
彼女は、綺麗な顔で、人間を食べていた。私に気が付いた彼女は口元についた血を拭うと、またあの妖しい笑みを浮かべた。
「おはよう。思ったより良い働きだったよ。やっぱり、堕ちた子供は扱いやすい」
私は辺りを見渡した。血と肉と、臓物に汚れた部屋。血溜まりに沈む、人だったモノ。まだ形を保っている人達も、まるで廃人の様だった。目は虚ろで、だらしなく開いた口から唾液が垂れている。
「対価をあげる。ご褒美だよ。お前は何が良い?金?綺麗な着物?ご馳走?それとも……家族と過ごす、幸せな夢?」
淡々と、だけど誘惑するみたいに、彼女は言った。それは、とても魅力的だった。少なくとも、殺人を手伝いした罪悪感が薄れるくらいには。
彼女は吐瀉物に汚れた私の顎に手を添えた。化粧の濃い、だけどよく似合う綺麗な顔が私の目の前に迫った。
「死んだ両親に会いたい?良いとも。お前がこれからも俺の手足となるなら、好きなだけ見せてあげる。何、臓物の匂いなんて時期に慣れる。牛や豚と同じさ」
彼女の、文字の刻まれた瞳が光ると、私は不思議な高揚感に包まれた。
自然と下がる瞼。下がりきる前に見た彼女の笑顔は、まさしく天女だった。
◆◆◆◆◆
「ねんねんころり、こんころり」
彼女の穏やかな子守唄が空間を支配する。けれども、その子守唄は彼女の腕の中にいる赤子の為のものだった。聖母(と言ってもよく知らないけど)の如き慈悲に溢れた目で、彼女は赤子を見つめる。
「わざわざ山になんて、よく登ってきたね」
片目を白い医療用眼帯で隠した彼女と目が合った。私は自慢の三つ編みおさげを揺らしながら彼女の言葉に返した。
「出産祝い、渡せてなかったですから」
「お前達だって余裕がある訳じゃあるまいし、別にいらないのに」
「でも、赤ちゃんには色々必要じゃないですか」
「同じことを言って祝い金を持ってくる奴は、この子が産まれてから絶えないよ。炭治郎の人望かねぇ…」
私は別に、彼女の夫の知り合いではない。顔を知っている程度。だから、私は、私達は『彼女の為』になけなしの祝い金を包んだ。それを言ったところで、彼女は「はいはい」と流すだろう。
彼女は私達にとっての母親だった。勿論、彼女にそのつもりは無かったのだろうけど。彼女は私達に綺麗な着物をくれた。食べ物をくれた。暖かい寝床をくれた。私達に、慈しみの目を向けてくれた。
それは、きっと無自覚に母親に憧れていた彼女の行動。そして、彼女は本当に母親となった。彼女が我が子に向ける目を、私は見たことがある。
「お前達は、俺と関係を断つ事が出来た。むしろその方が良い。産屋敷が就職先を斡旋してくれたろ?」
「貴女がいなければ私はあの日、汚く泥に塗れながら死んでいました」
彼女は私を嘲り、笑った。だけど、手を取ってくれたのは、生き方を示してくれたのは彼女だけだった。彼女は今も、私達を都合の良い子供達としか見ていないかもしれない。自分の血が繋がった子供を産んで、私達はもう不要かもしれない。
「貴女が私に三つ編みの編み方を教えてくれたんです。両親が私に教えられなかった事を、貴女が教えてくれた。勉強も、処世術も」
「だから恩返し?下らない事するね」
「人間って下らない事が好きなんです。貴女もそのうち好きになりますよ」
私が彼女の言葉に返す度、彼女は笑った。優しい、母親の笑みだった。
彼女が鬼としての罰を未だに受け続けているのは知っている。私達は『利用された』からお目溢しをしてもらった。でも、私達は彼女の都合の良い駒だから。
彼女の味方をしたって良いじゃない。