大祭カグラからおよそ八ヶ月後、オフィスナデシコ
「〜♪」
とある平日の二十三時、オフィスナデシコ。雑然と積み上がった書類の束の上に投げられていたタブレットの画面が光り、おもむろにコールが鳴った。
部下が寄越してきた報告書の素案――集約印刷とはいえ少々細かすぎる字がぎっしりと並んでいる、これを印刷したのはきっと若手に違いない――をマーカー片手に追いかけていたナデシコは、浅い溜息を吐いた。こんな夜更けに私用タブレットに連絡を寄越すなど、ろくな知らせじゃないだろう。今日は日を跨がずに仕事を畳められると思っていたのだが。
「〜♪〜♪」
「はぁ、やれやれ……。」
立ち上がることなく、身体を傾け横着気味にタブレットへと手を伸ばす。画面をちらりと見やる。するとそこには久方ぶりの、あるいは初めてかもしれない人物の名前が踊っていた。急いで通話をオンにする。
「おい。ちょっと頼みたいことがある。今いいか。」
「……おや、珍しいね。元気に活躍してるみたいじゃないか、ミカグラ島まで君の噂は届いているよ。何せ君を模したゆるキャラとやらもこちらではまだまだ大人気なようだからね。」
「冗談聞くために掛けてねえよ。忙しいなら後で掛け直す。……別に急ぎじゃねえ。」
「ふむ。即答は出来ないが話は聞けるぞ。どうかしたか。」
電話の相手はふう、と一息吐いたあと、らしからぬ小声で話を切り出した。
「……頼みがある。」
「ほう。君が私に頼み事とは。何だね?」
「ぐ…………、あれだ。礼なら出す。だからその、……ァラ、ナにだな、……。」
「うん?聞こえないな?」
「……ぐ……。」
何だ、柄にもなく歯切れが悪い。相当言い出し辛いことのようだ、深刻な事でなければ良いが。ナデシコは緊張を隠すように、おどけた口調で話を促した。
「ふむ。公安をギッタギタにした君が私に何の用かな?ついに私の駒として働く気になったか?」
「……だから!アラナに、ミカグラ島を案内してやってくれつってんだよ!」
「……ほう!」
ナデシコは、予想外の可愛らしい頼み事に胸を撫で下ろした。なんだ照れてるだけか、まだまだ若いな。
「それは素敵なプレゼントじゃないか。しかしせっかくなら、君も一緒に来て案内すれば良いのでは?アラナと二人、水入らずでゆっくりできるぞ。何せここはハネムーンに人気な観光島だからな。」
「あ?オレは行かねえ。ガキどもの世話がある。」
「それは残念だな。では彼女の一人旅か。」
「ああ。さすがにまだガキどもだけだと不安だからな。」
「この島を救ってくれた英雄の頼みとあらば仕方ない。スイも会いたいと言っていたしな、声をかけておくか。」
エリントン港であのアーロンが容易く捕まったのは、彼女を人質に取られていたからと聞く。それほど大事な姉――血縁はないようだが――の案内を頼むなんて、余程懐かれているらしい。悪くない気分だ。
「……おう。悪りいが頼む。……報酬は払う。」
いくら払う気なのか知らないが、なかなか殊勝なことを言ってくれるじゃないか。ならばきっちり払って頂こう。
「ほお、盗んだ金でか?警視総監として、流石にそれは受け取れないな。」
「…………。」
痛いところを突かれて黙るビースト。
「ではそうだな、報酬は身体で払って貰うとするよ。この先難事件がまた起こらないとも限らないからな。その時はBOND諸君を呼び寄せるとしよう。」
「チッ……。分かった。詳細はメールする。」
言葉と共に通話が切れた。頼み事をする態度だったかは甚だ疑問だが、貸しを作っておくのも悪くない。それにナデシコは、あの暴れると手を付けられないビーストをここまで手懐けているらしいアラナに会ってみたくもあった。一体どんな猛者なのだろうか。アーロンは姉と言っているが、本当は心底惚れている”好い人”なのかもしれない。会うのが実に楽しみだ。
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