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    あと5ふん

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    あと5ふん

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    イロモノアイドル「清華さん。それでは、本当にアイドルを卒業するのですね?」
    「はい。」
     マネージャーの木清芳の言葉に、尚清華は爽やかに笑って答えた。彼は国民的アイドルグループ『蒼穹BOYS』のリーダーだ。個性強めな沈清秋と柳清歌を率いて約十年、この芸能界を生きてきた。そしてまもなく、彼は芸能界を引退する。
     


     尚清華は両親が離婚して以来、父と二人で暮らしてきた。しかし、清華が高校受験の年に再婚。翌年、家から通うには少し遠い高校に進学、一人暮らしを始めた。
     最初は父親から定期的に生活費が振り込まれていたが、入学して半年経った頃から滞り始めた。
     おそらく自分の存在を忘れかけているのだろう。その頃、半分血のつながった弟が生まれたから。
     そして、彼もまた父親の存在を忘れることにした。
     清華は通学路のコンビニでバイトを始めた。バイト代で生活するも、送金の間隔が開くにつれて、やりくりが難しくなってきた。学費だけは父の口座から引き落としになっているので助かった。
     だが、なんとか高校は卒業できるとしても進学費用が貯められない……悩みあぐねていた時、スカウトしてきたのがコンビニ常連客の木清芳だった。

    「アイドルって、もっときらきらした人間がなるものだよなあ……」
     清華はバイトから帰ってきたなりベッドにダイブし、ついさっき貰った名刺を矯めつ眇めつ眺めた。
     アイドルになれる人類とはどんな人物なのか。その謎を解明すべく、清華少年はワールドワイドウェブの海へと潜ることにした。
     スマートフォンのホーム画面の検索バーに向かって「アイドル 原石」と呟く。そして出てきた検索結果から目ぼしいものを選び、タップした。
     記事のタイトルは『美の原石たち』。スクロールしていくと、何人もの少年少女の写真が画面に写し出された。
     みんなすごくかっこいいし可愛い。何で俺がスカウトされたんだろう?
     純粋に疑問に思いながら次の写真を見れば、ライブ中の客席写真のようだった。そこにはサイリウムの光に照らされた涼やかな面立ちの美少年が写っていた。コールアンドレスポンス中だったのだろう、右腕を真上に突き上げ、興奮に頬を染めて襟足の長い黒髪が舞っている。何かを叫んでいる薄紅色の唇からのぞく整った白い歯も美しい。ライブ中の躍動感がそのまま切り取られた一枚だった。
    『美しすぎるアニソンファン 奇跡の一枚』
     写真にはそう銘打たれており、確かに隠しきれない美しさがあふれ出ていた。
     そういえば、この間ネットニュースでもそれっぽいのを見たな……
     清華は動画サイトを開いて『イケメン 公式大会』と入力し検索した。
     検索結果のトップに現れたのは、とあるスポーツの中学生大会、決勝の動画だった。剣を模した武器を用いて一対一で戦う競技で、頭部にも防具をつけているため、顔は見えない。再生すると、繰り出す技の説明をしている解説者とアナウンサーの声が小さな画面から流れ出した。二人は幾度か激しく剣を交えた後、一方の選手が一気に距離を詰め、相手の顔面に決定打を打ち込んだ。力強い一撃だった。試合終了の声が上がり、会場が歓声で沸いた。
     解説者が優勝選手の略歴を話し始め、剣を収めた中学生王者をカメラがアップで映し始めた。そして次の瞬間、顔を覆っていた防具が外された。
     会場のライトを浴びきらきらと光る汗を浮かべたその容貌は、凛々しく端麗だった。彼が軽く頭を振ると、後頭部で団子にまとめていた髪がさらりとほどけ、ポニーテールになって背に流れていった。
     中継する声が止み、代わりにアナウンサーが息をのむ気配、それから美貌に見とれる解説者の深いため息が聞こえてきた。直後、会場中にうら若い乙女たちの甲高い奇声…もとい歓声が響いた。
     清華は端末の画面を消した。
     そうそう。彼らこそアイドルになる運命の顔だよなあ。少し前までうっすらそばかすが浮かんでいた鼻を撫でる。
     明日事務所に行ったら断ろう。
     そのままベッドの隅に丸まる。五分も経たないうちに清華はすうすう寝息を立て始めた。

     そして翌日。芸能事務所に行ってみると、昨日記事で見た中学生二人がいた。
     何度瞬きしても、瞼を擦っても、きらびやかな二人は目の前から消えない。
     アニソン少年はソファに腰掛け、少しアンニュイな表情で俯いて本を読んでいた。写真ではかけていなかった眼鏡付きだ。どこか儚げな印象で、サナトリウムから抜け出してきた少年と言われたら信じてしまいそうだ。
     だが清華に気付かないほど真剣に読んでいる本は、某大人気ゲームのモンスター図鑑だ。しかも相当年季が入っている。傍らの学生鞄に下げられた胡瓜型モンスターのマスコットと目が合った。無垢な笑顔を浮かべている。こっち見んな。清華は思わず口に出しそうになった。
     一方、弩級イケメンスポーツ少年は、何故か壁に向かってスクワットをしている。こちらは見られていることには気付いているだろうに、こちらを振り向きもしない。
     恐る恐る後ろを振り向くと、血走った瞳の木清芳がこちらを見ていた。
    「こちらの自由人二人をうまくまとめられるのはあなたしかいません。酔っ払い客もクレーマーも、店内で喧嘩するカップルも全て受け流して完璧にバイト完遂していらっしゃったあなたしか!是非このアイドルグループでリーダーをしてください!」
    「うわあ、よく見てますねぇ……」
     言いたいことは山ほどあるが、尚清華の口から出てきたのはその台詞だけだった。



     一年後。清華たちはステージの上にいた。
     あれだけの美形二人がいるのだ。一発逆転、進学資金、狙ってみるか!清華は半ばやけくそで契約書にサインした。
     そして読みは当たった。鳴り物入りでデビューした三人は、順調に活動を広げつつあった。今日は他のアイドルたちとの合同ライブだ。
     真っ暗な舞台に、沈清秋の静かな歌声が流れ出した。追いかけるように尚清華も歌い始め、数拍置いて柳清歌もおなじメロディーを口ずさみだした。アカペラのハーモニーが会場を満たした瞬間、真っ白なスポットライトが壇上を照らし、一気に楽器の音が鳴り響いた。まぶしい光の中で三人が手のひらを高く掲げた瞬間。わあああと激しい火花のような歓声が会場内に広がった。
     清華と清秋は会場のファンにぱちりとウィンクを飛ばす。清歌は首を振り、ポニーテールが揺れて、長い黒髪が白いライトの中を舞った。
     そのまま数歩前に出た柳清歌を間に挟むようにして清華と清秋が立つ。未だ少年の青い声でユニゾンする二人の前方で、柳清歌はスポーツ仕込みの体幹を活かした激しいダンスを踊り始めた。青を基調とした衣装の腰に巻いた布が美しく宙を舞う。そしてバク宙で清華たちの立つラインに戻った。
     ワアァッ‼清歌ファンの野太い悲鳴が上がる。若干男性が多いため、やや低めの声だ。
     次に一歩前に出たのは沈清秋だ。淡いグリーンのスポットライトが彼に当てられた。コートのように裾が長いジャケットを羽織り、ゆったりと片手を広げながらのびやかに無垢な歌声を響かせた。会場のサイリウムが若竹色に染まっていく。
     清秋のソロパートが終わり、三人のコーラスに移ったところで、清華は客席に向かって手を上げると左右に大きく振り始めた。ファンたちも合わせて手を振り、揺れる手のひらとサイリウムの光で三人の視界は満たされた。

     曲が終わった。ここからが清華の真の出番だ。
    「こんにちは~!蒼穹BOYSです‼」
     清華が三人分のメンバー紹介をする。以前二人にそれぞれ話させたところ、アニメやスポーツの話題で時間進行も後援企業の利害もガン無視で暴走、危うく事故になりかけて以来、MC進行は清華担当だ。
     毎回自ら台本を作って事前に二人に渡し、そこから大きく逸れた話はしないようにと指導までしている。
     紹介後は観客が共感するような日常の話題、そして客席に質問を振ったやり取りで笑いを取り、もう一曲歌ったところで次の出演者に舞台を譲ってその日の出番は終了した。

    「じゃあお疲れ~」
     楽屋に戻ると、清華は早速着替えた。イメージカラーであるイエローの上衣とハーフパンツを脱いでオーバーサイズのジーンズを履き、フーディを着る。
    「ああ、また明日な~。」
     沈清秋がスマートフォンを持っていないほうの手をひらひら振って返事をしてきた。柳清歌はダンベルを上下させながらこちらを一瞥し、「ふん」と鼻を鳴らした後、視線を元に戻した。彼なりの挨拶だ。
     扉を閉め狭い廊下へ歩き出そうとしたとき、バックパックのポケットに入れていたスマートフォンが震え始めた。画面を見てみると、父親からの着信だった。家を出て以来の父からの連絡だ。
     清華はため息を一つついてから、受話ボタンをスライドした。

     父からの連絡は、遠縁の子供を清華のアパートで預かってほしいというものだった。
     事情があり預かることになったが、乳児がいる自分たちの家ではお互いに気を使うだろう。しばらくの間、清華の家で一緒に暮らしてほしい。勿論生活費は二人分きちんと仕送りする。
     話をするのも億劫で、そのまま「うん」と「分かった」を繰り返して電話を切った。

     翌週の夕飯時、清華の父親に連れられてやってきたのは十二歳の少年だった。
     名前は漠北君。持ち物はスポーツバッグ一つだけ。
     清華の肩ほどの身長だが、均整がとれた体つきだ。均整の取れた少年らしい顔つきで、蒼穹BOYSの面々とはまた違った冴え冴えとした冬空のような美しさを持っている。だがそのおもてには何の表情も読み取れなかった。

    「俺は尚清華。しばらくの間よろしく…」
     玄関先でへらりと笑って手を出したが、冷ややかに見つめるだけだった。たっぷり十秒、無言のまま向き合う。
     ……内気な性格なのかもしれないし。
     清華はそう自分に言い聞かせた。
     父親は早々に帰り、清華は家に上がるよう漠北君にすすめた。
    「靴はここで脱いで。スリッパどうぞ。家の案内をするね。」
     案内といっても単身者用のマンションなので、玄関から間取りが全て見渡せる。
    「見ての通り、ここがキッチン。その扉が風呂とトイレ。あっちがリビング兼寝室なんだけど……ベッドが一つしかないんだよね。……えーと、ここにいる間はどうぞ君が使って下さい…俺は床で寝ます……」
     無表情、無反応な相手に話すのがだんだん辛くなってきて、最後の方は尻すぼみな上、子ども相手に敬語になってしまった。
     さっさと晩飯にして、今日はもう早く寝かせてしまおう。
     勉強机兼食事テーブルに向かい合って座り、お湯を注いだカップラーメンを漠北君と自分の前に一つずつ置いた。
    「いただきます。」
     清華が食べ始めても、箸を取ろうともしない。ただじっとカップ麺を見つめている。
    自分がいると食べづらいのだろうか。清華は食べた容器を片付けると、風呂に入ると告げ、ユニットバスへ退散した。
    いつもより時間をかけ体を洗い出てくると、インスタント麺は手つかずのまま、ベッドの上が膨らんでいた。ベッド上の塊は静かに上下している。眠ったらしい。
    清華は漠北君に聞こえないようため息をひとつ落とすと、伸びきったカップラーメンを片付けた。
    翌日。炊飯器で炊いた白米を出したが、これも手をつけなかった。もちろん口も開かない。登校時間が迫り一緒に家を出た。
    インスタントが気に入らなかったのだろうか。授業中に子どもが好きそうなメニューを考え、夕飯はカレーを作ることにした。帰りに食料品を調達し、ルーの箱に書いてある作り方を読みながら拵えた。
     そんな清華の頑張りも虚しく、その晩、カレーは盛られた皿の上で冷えていった。相変わらず一言もしゃべらない。ラップをかけて、冷蔵庫に入れた。
    三日目。焼いたトーストにはちみつをかけて出した。出した食事に手をつけられないことにも慣れてきた。そして怒りもわいてきた。
    自分の分のトーストを一気にざくざくかじって食べ終わると、漠北君の前においていた皿を取る。
    「あなたの分です。食べてください。俺はあなたの分の食費を貰ってます。あなたをちゃんと食べさせる責任があります。」
    そう言い皿を突き出す。
    「……っ」
    少年は眉根を寄せ、皿を突き返してきた。その拍子にパンが皿から落ち、清華の怒りのゲージが吹っ切れた。
    漠北君の手を引っ張ると、ベッドの上に押し倒した。慌てて起き上がった少年の眼前に突き付けられたのは、清華のスマートフォンの画面だった。
    「この動画を最後まで見てください」
     再生された動画は、あるミツバチの一生を物語形式で紹介するものだった。主人公のフェイジィは花の蜜を集めるため、一日に何キロもの距離を飛ぶ。フェイジィの姉妹は鳥に食べられたり、天敵であるスズメバチから巣を守って死んでいく。
    やがてフェイジィも、ミツバチが一生に羽ばたける回数を超え翅がボロボロになって、ひまわりの花の上で息を引き取った。彼らの一生は約1か月。そして一生に集めるはちみつの量はティースプーン一杯分に満たない。
    十五分ほどの動画が終わると、清華は「食べ物を無駄にしないで下さい」と言って、ベッドから降りた。漠北君は無言で立ち上がり、机の上に落ちていた冷めきったはちみつトーストを手に取り、かじり始めた。
    漠北君は食べ終わった後、静かに口を開いた。
    「毒が入っていないか警戒していた。それから……熱いものが嫌いなだけだ。」
     初めて少年の声を聞いた。
    「そんなことするわけないでしょう。俺も同じものを食べるのに。熱いものが苦手なら、最初にそう言ってくれたらよかったんです。」
     清華も怒りが落ち着き、ベッドに腰掛けた後、背中を倒した。ぐっと手を伸ばし、伸びをする。漠北君はくつろぐ清華をしばらく見つめた後、「……そうか。」と言って、隣に横たわってきた。整った顔を清華のほうに向けて、じっとこちらを見ている。
    「そうだ。人が作ったものが苦手なら、自分で作ったらいいんじゃないです?」
    「自分で……」
     清華の言葉を反芻する少年の声を聞いていると、あくびが出てきた。その日は二人並んでそのまま眠ってしまい、翌朝時間を惜しんで一緒にシャワーを浴びる羽目になった。二日目に冷蔵庫に入れたまま忘れていたカレーは、熱くない程度に温められ、この日の二人の朝食になった。

    「ふーん、それで最近忙しそうだったのか。」
     清華の話に耳を傾けていた沈清秋が、合点がいったように扇子でくちびるをつついた。
     しばらく経ったある休日、清華たち蒼穹BOYSの三人は、駅前にある大手音楽ショップ前に集まっていた。新曲の販促活動のためだ。
    デビュー前から話題の二人をメンバーに鳴り物入りでデビューしたとは言え、まだまだ知名度は低い。店舗の入り口すぐに長テーブルを設け、来店者たちにビラを配っていたのだった。
     昼時で客も少なく、パイプ椅子に座って通りを眺めながらぽつぽつ話すと、二人は清華の話に耳を傾けてくれた。好きなことにしか関心を示さなそうなので意外だった。
    「しかし毒とは物騒だよなあ。何かあったのかなあ。」
     少し気の毒そうに清秋が言うのを聞いて、後ろに控えていた木清芳が「…あっ」と声を上げた。三人が振り返る。
    「いえ、何でもありません……」
     どう見ても何か思い当たった様子である。
    「木さ~ん……」

    去年、子どもの殺害未遂事件があった。食事に毒が盛られていたそうだ。犯人は実の叔父。犯行動機は子どもの両親が遺した資産だった。
    「「あぁ~~~~~……」」
     清華と清秋の唸り声が重なる。
    「俺、何も考えてなかった……傷つけちゃったかも」
    頭を抱えていると、それまで黙って聞いていた清歌が口を開いた。
    「お前は、何も間違ったことは言っていないし、していない。普通の食事を出して、当たり前のことを言い聞かせただけだ。胸を張っていればいい。」
    いつもツンとしている柳清歌が、全面的に清華を擁護した。これには清華、清秋だけでなく木清芳も驚きを隠せないでいる。何だかむず痒いうれしさで胸がいっぱいになった。
    「……巨巨がデレた」
    「なんだそれは!」
    素直にありがとうと言うのが恥ずかしかった清華の台詞に「そうか、巨巨ってツンデレだったんだな~」と清秋が乗ってきた。巨巨は、ファンが清歌につけたニックネームだ。
    ほぼ勢いで始めたアイドルだが、それがこの三人でよかった、と清華は思った。

    「で、今は坊ちゃんは一人で留守番なの?」
     夕方、バックヤードを借りて私服に着替えた後、店の人にお礼をして、店舗入り口へ向かう。
    「それがさ、クラブに入ったらしくて。今朝は俺より早く出かけて行ったよ。」
     三人そろって外に出た時だった。目の前で勢いよく子どもが転んだ。弾みでその子が持っていた手提げ袋が沈清秋の前まで飛んできた。清秋はそれを拾うと「大丈夫か?」と子どものもとへ駆け寄り、手を伸ばした。
    「だ、だいじょうぶ、です……」
     子どもは手を握ると、よろよろと身を起こした。小学校に上がったばかりのように見える。靴紐が切れて転倒してしまったようだ。
    「ぼくのかばん…」
     ほら、と沈清秋が差し出すと、慌てて中からお弁当箱を取り出す。蓋を開くと、中には手作りらしきクッキーが入っていた。ハートや星形にくりぬかれたクッキーは、ほとんどが割れてしまっていた。
     これは泣くかも……と恐る恐る子どもの顔を窺い見ると、とんでもないかわいい顔立ちをしていた。長いまつ毛に縁どられた瞳は大きく、星を閉じ込めたようにきらきら輝いている。子どもらしいふくふくとした頬はピンク色だ。肩まで伸びた髪はくるりと巻き気味で可愛らしい。
    もう数年で美少女間違いなしのぼくっ子だ…と清華は心の中でつぶやいた。
    そして予想通り、みるみるうちに大きな瞳に涙がたまっていく。
    「あっ、すりむいちゃってるな」
    半ズボンからのぞく膝に血が滲んでいるのを見て、清秋は絆創膏を取り出した。封を開け、その子の膝に貼る。
    「できた。帰ったらちゃんと消毒するんだぞ」
    子どもが見上げた瞬間、清秋はふわりと微笑んだ。清秋の背後には、同じように微笑む蒼穹BOYSの特大ポスターが貼られて、西日できらきらと輝いている。折よく開いた自動ドアから、沈清秋の歌声が聴こえてきた。
    女の子の目が輝きを湛えながら限界まで見開かれるのを、清華は見つめていた。
    人が推しに落ちる瞬間を見てしまったーー
     某漫画と酷似したモノローグが清華の脳内を巡った。
     子どもがお礼をして駆けていったあと「今の女の子、すごい可愛かったな~」と清秋に言うと「そうだったのか?今日コンタクト入れ忘れたから見えなかった」と詮無い返事が返ってきた。

     事務所で軽く打ち合わせした後、すっきりした気分で帰宅すると、自室の窓に明かりが灯っていた。先に漠北君が帰ってきているようだ。
     カーテン越しの寒色の明かりを見上げると、何故だかほっとした。
    「ただいま〜」
    「…おかえり」
     玄関を開けてすぐのキッチンに、漠北君が立っていた。
    「大王、何作ってるんです?」
     結局漠北君に対する敬語は残ったまま、更にやけに尊大な態度の少年のことを清華は親しみを込めて大王と呼んでいる。本人も異論はないようだ。
    「…今日クラブで作った餃子を焼いてる」
    少し低めの少年の声が、耳に心地良い。
     漠北君は本当に料理を習い始めたのだった。清華は地域に子ども料理クラブがあることを少年が入部してから知った。彼が持ち歩いている蒼穹BOYSの写真入りクリアファイルには、クラブの度に新しい料理レシピが挟まれている。
    手元をのぞき込むと、フライパンの上で餃子がじゅうじゅう音を立てていた。少し厚めの皮がたっぷりの油で揚げ焼きにされている。タッパーに残ったものを見ると、元は水餃子だったようだ。
     清華は熱々の餃子、漠北君は冷たい水餃子を夕食にした。順番に風呂に入って明日の支度をした後は、並んでシングルベッドに横たわる。あの日以来、一緒のベッドで眠るのが二人にとって自然になっていた。



    「さあ、開場しますよ。ファンの皆さんのハートを掴んで下さいね。」
     小さなホールを借り、長机を並べて作った握手ブースに立つ三人に向け、木清芳が声をかけてきた。
     握手会チケットは捌き切れたと聞いている。だが、本当にみんな来てくれるだろうか。清華は少し緊張してきた。
     他の二人はいつもの調子で飄々としている。鈍感なのか神経が図太いのか、もしくは両方かもしれないと清華は額を押さえた。
     開場した。ファンたちは清歌、清華、清秋の順にブースを回り、三人と握手をしていく流れだ。
     先頭列は見覚えのあるファンたちだった。横からうかがい見ると、清歌はいつもと変わらない無愛想な態度で差し出された手を握っている。
     ファンのみなさんとコミュニケーションを取らんかーい!
    清華は心のなかでツッコミを入れた。
     だが、清歌にそんな対応を求めるのは難しい。ファンもまたそんな清歌に会いに来ているのかもしれない。思い直し、自分は自分のできることをしようと「一番乗りありがとうございます」、「ライブにも来てくれてましたよね」などと声をかけることにした。
     清秋といえば、ファンのオタバッグやアクキーを見て同志と見るやハイタッチしている。握手はどこへ行った。
     待機列が半分ほどになった頃だろうか。列の中に見覚えがある子どもを見つけた。ビラ配りのときに眼の前で転んで、清秋が助けた子だ。やはり清秋のファンになってくれたらしい。ありがたいことだ。
     緊張しているのか、子どもは硬い動きで握手ブースへ向かって歩いてきて、清歌のブースの前を素通りしーー最初に清華のもとに来た。
    「蒼穹BOYS、応援してます」と言ったその子に、「ありがとう。頑張るね」と応えて握手する。
     間違えて通り過ぎたのではないか。そう思い、こっそり「清歌と握手しなくていいの?」と目配せした。もしそうなら清歌の前に戻らせてあげようと思ってのことだった。が、「あっ大丈夫です」と言うと、そわそわしながら清秋の列へと行ってしまった。……あまり笑わない清歌は幼い子どもからは敬遠されがちらしい。
     次に来たファンと話しながらちらりと隣を見ると、さっきの子どもがはにかみながら沈清秋にプレゼントを渡しているところだった。
    「師尊、よかったら召し上がってください。」
     沈清秋のファンは、彼を『師尊』と呼ぶ。清秋が大好きなモンスター育成ゲームのデフォルトネームが『Shizun』らしい。
     若草色のリボンと透明なラッピングに包まれたそれは手作りクッキーのようだった。
     清秋は笑顔でそれを受け取ると、その場でリボンを解いてハート型のクッキーをぱくりと食べてしまった。
     ああ~
     清華は心の中で叫んだ。手作りの品を受け取って食べるのはご法度だ。が、育ちがいいためなのか、時折世間の常識に疎い様子を見せる清秋はそれをその場で食べてしまった。
    「おいしいな、このクッキー!ありがとう!」
     清秋の言葉に、熟れたスモモの実の色にほおを染めて子どもは笑った。
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