主人とメイドなアシュラズ(サク)「ねえ、本当に行くの?」
身支度を済ませ鞄ひとつ分の荷物を持った私に、ナタリアは不安をにじませた声でそう問いかけた。
「もう決めたの。こんなチャンス二度と無いかもしれないし、ナタリアだってそれを分かって協力してくれたんでしょう?」
「……何も貴女自身が行動しなくても良いじゃない。危険よ」
そんなもの承知だ。でも、誰かに危険を押し付けて自分だけ安全な場所でのうのうと結果だけを待つなんて出来ない。
「大丈夫よ。いざとなった時の切り札もあるから」
まだ何か言いたそうなナタリアに別れを告げ、この地での活動拠点にしている隠れ家を後にした。
私、皇サクヤはこれから、父の命を、友を、この地──ホッカイドウを奪った張本人、ノーランド・フォン・リューネベルクの屋敷へと向かうのだ。
***
ことの発端は、ナタリアが手に入れた一つの情報。
──リューネベルク家が屋敷へ新たなメイドを雇おうとしている。しかも十代、二十代頃の若い娘を。
「一体どういう事?」
私は持っていたカップを置き、対面に座るナタリアへ問いかけた。
「私も気になって調べたのよ。彼の屋敷で死人が出た訳でも、辞めた人の代わりを雇う訳でもないそうなの」
この隠れ家には私と彼女しかいないのに、ナタリアは誰かに聞かれないようにと声をひそめて続きを話し出した。
「別々に暮らしていた彼の息子……と行っても養子なんだけど、その人が屋敷に戻って来たんですって」
「息子!?」
養子とは言え、あの男に家庭なんてものがあったとは衝撃だ。仮面で顔を隠し、何を考えているのか分からないあの不気味な男に家族……想像出来ない。
「それで、その人の世話や話相手になる年の近いメイドを雇いたいんですって」
「……そう」
この情報は友──私の代わりに皇サクヤとして捕まっているサクラの居場所へ繋がる物では無さそうだ。
興味を失った私は手元のカップへ視線を落とす。注がれた紅茶は熱を失いつつありぬるく、私の幼さを残す顔を映している。
──十代の若い娘……屋敷へ雇うメイド……。
「ねえ」
「ん?」
お茶請けのクッキーを口に運んでいたナタリアがこちらに目を向ける。
「そのメイド、私がなるわ」
***
そして現在、私は敵の巣窟……では無くリューネベルク家の屋敷の玄関前にいた。壮年の使用人に案内され屋敷へと足を踏み入れる。私の教育係となる先輩メイドを紹介してくれるらしい。
ナタリアが用意してくれた私の偽の身分は、ナタリアの息のかかる貴族に連なる者だ。調べられても何も問題ない、はず。
弱小貴族とは違い、ルクセンブルク家経由の紹介ともなればすんなり雇ってくれるらしい。もしくはナタリアが私の知らない根回しをしてくれたのかも……。
そうこう考えている内に、先輩メイドの元へ案内された私は振り当てられた使用人部屋を教えてもらい、そこでメイド服に着替えたのち早速仕事の説明を受けることになる。しばらくは大人しく彼女に従えば良いだろう。
私はこれからこの屋敷の新人メイドとして働く傍ら、奪われた全てを奪還するための情報を集めるのだ。
もしくはノーランド本人に近づき、私の切り札──ギアスをもってして、彼をこの手で討つ。
***
ノーランド本人は今現在は政庁に出仕しているとのことで、屋敷にはいない。面通りはノーランドが戻って来た時に行うと言われ、ほっとしている自分に気付いた。
ナタリアの手前、大丈夫だとは言ったがやはりノーランドと対峙するのが怖くないと言えば嘘になる。
現在、ホッカイドウブロックの実権はノーランドが握っている。捉えられたサクラの管理もあの男が手配したに違いない。つまり影武者であるサクラの顔──私と同じ造りの顔を知っているのだ。
ナタリアにも協力してもらい、髪型や化粧によってある程度雰囲気を変えてはいるが、造形はサクヤのまま変わらない。サクラの現在の顔を知らない一般人などは気付かないだろうが、ノーランドならば……?
気弱になっては駄目だ。不審な動きを見せては怪しまれる。世の中に似てる人間は三人いるとも言うし、堂々としていれば大丈夫。最悪の場合はギアスを使えば良いのだから。
一通りの仕事内容を教えられた後は、ついにかの人──私が仕えることになるノーランドの養子との顔合わせが待っている。
***
老人と見紛うたのは、何も色の抜けた一房の髪のせいだけでは無い。
最低限の家具しか置いていない寂しい部屋で、窓際にある椅子に腰掛けた彼はこちらに目を向けている。その瞳には深い諦念が滲んでいた。私と年が近い筈なのに、何十年も生きて長い苦しみを味わって来たかのようだ。少しやつれているせいでそう見えるのだろうか。
先輩メイドが彼に私を紹介する。私はナタリアの協力者の一人である少女が名付けてくれた偽りの名と、無害なメイドを演じる笑顔で彼に向き合う。
「本日から貴方様の身の回りのお世話をさせて頂くラズベリーと申します。宜しくお願い致します」
「……アッシュ・フェニックスだ。必要最低限のことさえしてくれれば、あとは好きにしてくれて構わない」
──これが私と、短くは無い時間と多くの言葉を尽くすことになる彼との出会いだったのです。