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    シュウジ

    ヘキの墓場🪦
    現在はくるっぷメインのため、ほぼ更新していません

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    POIPOI 95

    シュウジ

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    軍会9展示
    樺太で名前の分からない感情のまま繋がる鯉月
    掌編の連作です(少しずつ増えていきます)

    『くちびる』
     大方の予想通り、月島の唇は荒れかさついている。樺太の気候によって私の唇や肌も乾いているが、月島は大概だ。皮が剥けところどころ逆立っている。乾いたり切れたらどうせ舐めて誤魔化しているのだろう。今こうして私の唇や舌を舐めるように、ぺろぺろと。

    「……」
    「……っ」

     他の人間と経験があるわけではないが、月島の口づけはまるで獣だった。唇が触れた瞬間に食らいついてくる。

     今夜の宿もといコタンのはずれ、小さな森の死角。ここ最近の私たちはこういった場所で密やかに互いの口を吸うようになっていた。
     杉元たちの目を盗んでは月島を誘い出し唇をねだる。そのように言ってしまえばふしだらだが、元はと言えば月島が私の唇を奪ったのが悪い。私にその味を覚えさせた月島が悪い。私はもう一度、月島との口づけの感覚を確かめたかっただけだ。やましい気持ちからではなく、知的好奇心というものだ。決して色恋のそれではない。
     不思議なことに口を吸えば吸うほどもっとしたいという気持ちになり、もうすぐ両手では数えられなくなるほどこの男の唇を味わってきた。

    「……ん」
    「ふ」

     厚く短めの舌に軽く歯茎をなぞられ思わず声が出た。そして笑われた気がした。乾燥で剥けた唇の皮がふたり分の唾液でふやけ、ざりと擦れる痛みがなくなっている。
     こうなればあとは何も気にせず、こちらからも食らいついてやればいい。今度は私が歯茎をべろりとなぞってやった。月島の眉間に皺が寄り身体が跳ねる。鼻からくん、と甘えた犬のような声が聞こえた。見たか月島。

    「……んふ、ふ」
    「……」
    「う、お」

     得意げな気持ちは顔にもあらわれていたらしい。およそ上官に向けるべきでない鋭さで睨まれ、私は反射的に唇を離した。獰猛な獣の目付きだ。舌を噛まれかねない。

    「……なんです」
    「お前が教えてくれたことを真似ただけだが」
    「教えたつもりはありません」
    「では、どんなつもりだった」

     わざと腰を屈め奴の覗き込む。意地の悪いやり方だとは思うが、月島だって維持が悪いのだからおあいこだ。

    「……優秀な鯉登少尉殿であれば、ご自分でお分かりになるのでは」
    「む」
    「さぁ満足したでしょう。さっさと戻りましょう」

     月島はさっさと歩いて行ってしまった。先ほどまでふたりの唾液で濡れていた唇は乾き切っている。確かに満足はしただろうが、面白くない。
     私はただお前の口を吸いたかっただけなのだろうか。仮に性的な欲求から口づけを求めているのであれば、あまり想像したくはないが他の人間でもいいはずだ。しかし目的はそれではないし、月島軍曹以外は想像できない。どうしても月島がいいというわけでなく、月島だから良いとでも言えばいいのか。
     何も口づけでなくてもいい気はするのだ。ただ、今はこれが最適な気する。私は月島に何かをしたい。そしてされたい、のかもしれない。何とも抽象的なことばかりが頭に浮かんでは消えていく。
     これもきっと、お前のせいだ。



    『気に入らない男』
     特に冷える夜だった。肌寒さに落ち着かず何度もうっていると、傍の月島がぽつりと私を呼んだ。眠っていただろうに、寝惚けた様子は微塵もない。常にこうなのだろう。さすが歴戦の軍人というところか。
     もう一度寝返りをうち、月島の方へ向き直ると、やつも私の方を向いていた。薄闇の中、すっかり見慣れた顔がこちらを見ている。普段と同じ真顔だ。

    「眠れませんか」
    「寒すぎて寝付けん」
    「この先、いくらでもこういった状況になります。いい経験になりますね」

     戦場、塹壕の中などで眠ることを言っているのだろう。この男は戦争を知っている。私は知らない。腹の奥がじりと熱くなった。鶴見中尉の右腕としてこの男を紹介された時と同じような感覚。
     要は、私はこの男が気に入らないのだ。おまけに無愛想ときた。こいつは小さいトナカイを見ても何とも思っていない表情だった。果たして感情というものを持ち合わせているのだろうか。何かに、あるいは誰かに憧れを抱いたり焦がれたり、人間らしい情動はあるのだろうか。
     私にはこの男がよく分からない。そんな男に子どもじみた愚痴をこぼすのはばつが悪い。しかし、文句のひとつやふたつも垂れたくはなる。早く目的を果たし、鶴見中尉殿の元に戻りたい。

    「そうは言っても今がつらい」
    「始めはそういうものですから、慣れてください」
    「いきなりは無理だ」
    「では、暖めて差し上げましょうか」
    「は」

     どのようにとは言われなかった。しかし自然と理解できた。月島はそういう意味で先ほどの言葉を口にしたのだと。
     月島の真意が分からず、改めて目を見つめてみた。やはり普段と同じ色をしている。下卑たにおいなどはない。では私を揶揄っているのだろうか。

    「……薩摩趣味のことか。生憎と私にそのケはないぞ」
    「存じ上げております。私とてそれは同じです」
    「ではなぜそのようなことを」
    「早く眠っていただきたいからです。他に理由などありません」

     ああだこうだと言っているうちに月島との距離が縮まっている。やつの顔がすぐ目の前に迫っていた。

    「ひとつの提案ですから、さっさと眠っていただけるならそれで構いません。どうしますか」
    「ど、どうって」
    「かっとなれば身体も熱くなるでしょう」
    「だから、話が飛躍していると」
    「……はぁ」

     確かに元をたどれば私が眠れないと愚痴をこぼしたことが始まりだ。月島とそういった行為をする理由はどこにもない。ならば何とでも言って跳ね除けてしまえばいいのに、なぜか私は理由を見つけようと躍起になっていた。
     ただの下士官である月島と契りを結ぶなど考えたこともない。この男をそのような目で見たこともなければ、性的な魅力を感じているわけもない。しかしむげにすることが憚られるような気がしてしまった。あぁ、もう分からん。
     煮え切らない私を見て、月島は心底面倒くさそうな顔をした。まるで杉元たちが厄介事を起こした時のような顔つきだ。

    「失礼」
    「……ん、ぶっ!」

     眉間に皺を寄せたまま月島が顔を近づけてきた。唇にかさついた感触が当たる。

    「〜っ、ふ、ぐ……!」
    「……」

     口づけというにはあまりに色気がない。唇で唇をふさがれているだけの行為。それでも私にとっては初めての口づけだった。
     混乱の最中、呼吸の仕方を忘れる。唇の端から溺れるように息を吐き出すと、ようやく月島が離れていった。終始、こいつの表情は変わらない。私だけが乱されてしまった。

    「っ、は……貴様ぁ……」
    「頬が赤くなりましたね。そのまま眠ってください。文句は夜が明けたら聞きます」
    「おい」
    「私も眠ります」
    「月島」

     もう応えはなかった。覚醒はしているのだろうが、本当に眠りに入ったのだろう。
     唇を指でなぞると己の皮膚の感覚だけが残っている。つい先ほどまで月島の唇がここに触れていたなど思えないが、跳ねる心臓が現実のことだったと示している。

     実際のところ、嫌悪感はなかった。どういうことだ。夜が明けたらおまえに問いただしてやらねば気が済まない。顔色ひとつ変えず、許可もなく上官に口づけするなど、一体何を考えているのだ。こんなこと私以外にはしていないだろうな。もししていたならば、どうもこれは面白くない。
     気に入らない。やはりまったく眠れない。体は暖まったが、今度は目が冴えてきた。あぁ、気に入らない。月島!



    『気になる男』
    「ここから北西に街があるらしいので、そこで聞き込みをしましょう」

     大きな地図と睨めっこしていた月島が行き先を告げた。私はというと隣で地図を見ているふりをしながら月島の旋毛を眺めている。樺太へ出立した時よりほんの少しだけ髪が伸びていた。犬橇の上では上着の頭巾を被ってしまうが、こうして立ち止まった際は脱いでみせる。意外と綺麗な形をしている。まさか月島の頭を注視することになるとは思わなかった。

    「どこだ」

     旋毛から地図へ視線を移すと月島がこちらを見上げてきた。
      
    「申し訳ありません、見えづらかったですか」
    「うん、見えづらい。もっと広げて見せろ」

     月島は両腕を伸ばし地図を広げた。目的地はしっかり頭に入っているが、ふと悪戯心が顔を出す。昨夜のこともあるし仕返ししてやろう。

    「見えん」
    「ここです」

     月島の目線に合わせて腰を屈めた。正面から見れば私たちの顔はすっぽりと地図に隠れているはずだ。月島の口から白い息が漏れる。

    「どれ」
    「ですから、ここで……」
    「……」

     唇で言葉を遮ると月島が目を見開いた。昨夜見せなかった表情で胸の中がすいた。きっと昨夜は私がこのような表情をしていたのだろう。数秒唇を合わせ、最後に前歯で軽く唇を噛んでやった。月島は吐息のひとつもこぼさなかったが、未だ瞳はまん丸と大きくなっている。

    「……あぁ、よく分かった」
    「……さようですか」

     なかなか満足のいく表情を引き出せた。
     この男は従順なようでいてまったくそのようなことはなく、上官であろうと平気で慇懃無礼な振る舞いをすることがある。この旅の実質的な統率も月島に任されていると理解している。だからこそ、何もかもこいつに握られるのは面白くなかった。今ならもっと貴様を突き崩せるかもしれない。

    「寒そうだったから暖めてやったのだ。どうだ、効いたか」
    「……私には必要ありません。昨夜はあくまで鯉登少尉殿に早く眠っていただくために」
    「ふぅん。貴様は上官が眠れない様子なら、誰にでもそうしているのか。例えば鶴見中尉にも」
    「ありえません」
    「しかし私にはした」
    「恐れながら、鯉登少尉殿はこういった環境での任務は経験なさっていない。我々は任務でここにやって来ているのです。ですから無理にでも体温を上げ眠っていただきたかった。任務に支障が出てはいけません」
    「……本当にそれだけの理由か」
    「他に何があると言うのですか」

     言い合ううちに再び顔を近づけてしまったらしく、鼻頭が触れ合った。否定こそすれ月島は強く言い返さない。普段の貴様とは随分違う様子じゃないか。

    「貴様がそのつもりだったとしても、私は全く眠る方ができなかった」
    「申し訳ございません」
    「誰かと口づけするのも初めてだった」
    「口づけなどではありません」
    「あれから貴様のことが頭から離れん。どうしてくれるのだ、月島軍曹」

     はぁ。月島は諦めたように大きなため息をついた。

    「でしたら、また夜に」
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