腹痛わんこは春色に吠える「ほら雲さん、こちらが紅梅と白梅があしらわれた愛らしい季語ですよ」
「ほんとだかわいいね」
硝子の向こうに鎮座する棹物菓子。その横に置かれた切り分け見本は、薄紅色の羊羹に紅白の梅がちょんと浮いた新春らしい意匠のものだった。
「優しい色合いなのに華やかさもあって素敵ですね。こちらを頭の手土産にしましょうか」
恩人に新年の挨拶をしに行くから手土産を買ってきてほしい。そう審神者から声をかけられた五月雨江に誘われて、村雲江は共に万屋街にある和菓子屋を訪れている。多方面の店が建ち並ぶ万屋街は広く、菓子を取り扱う店も複数あったが五月雨江は迷う事なくこの店に足を向けた。
(見たい季語があるって言ってたもんね)
それがこの目の前の棹物というわけである。和菓子には季節の移ろいを表したものも多く、季語となっているものが多数存在する。それもあってか五月雨江は和菓子屋をよく訪れるし、厨仕事が得意な刀達とも仲が良かった。同じ話題で盛り上がれない村雲江としては寂しい限りである。
店内に置かれた硝子ケースや陳列棚には様々な価格の菓子が並んでいて、一番高いものは五月雨江が見ているものより桁が一つ多かった。最高級の材料を使い手間暇かけて作っているのだと商品説明には書かれている。
(高いものの横に置かれたお菓子はどんな気持ちなんだろう)
栓無い事とは知りつつもそんな事を考えてしまう自分が嫌だと溜息を吐いた途端、胃の辺りにちくりと刺すような痛みが走り村雲江はその場にうずくまった。
「雲さん!」
異変に気付いた五月雨江が駆け寄り、村雲江の背に手を当てて顔を覗き込む。形の良い眉がわずかにひそめられた。
「いてて……せっかくのお出かけなのにごめんね雨さん」
「気にしないでください。それより大丈夫ですか?」
「ちょっと休めば大丈夫だと思うけど……お店にも迷惑だよね。俺外出て待ってるから――」
「休んでいきましょう」
「え?」
ぐいと手を引かれて立ち上がった村雲江が動けそうだと知ると、五月雨江はそのままスタスタと歩きだした。
「こちらへ」
彼が向かったのは壁際の干菓子を置いた棚、その奥の二階へと続く階段だった。
「ええ? 勝手に上がっていいの?」
「大丈夫ですよ。この店は二階が喫茶室になっているんです」
喫茶室は木目が美しいテーブルと椅子が並んだ、こぢんまりとしながらも落ち着いた雰囲気の空間だった。明るすぎない柔らかな照明も好印象だ。
「これなんかはお腹に優しいのでは?」
「そうだね。じゃあこれにする」
風の入らない場所に座ったたけでも痛みが和らいだ気がする。すすめられた葛湯を注文して村雲江は丸めていた背を少し伸ばした。
「こっちにもよく来るの?」
「私もこちらは初めてです。雲さんと一緒に来たいと思ってましたから。あの菓子を扱っていたのがこの店でよかった」
一緒にと言われ思わず頬が緩む。他の刀より優先してもらえたのは素直に嬉しい。すぐにやってきた葛湯を口に含むと、とろりとした口当たりと優しい甘さも相まって口の端が自然と上がった。
(お腹がじんわり温かくなって落ち着く感じ、なんか雨さんみたい)
「ちょっと良くなってきたかも」
「それは良かった。もう少し落ち着いたら先程の季語を買って帰りましょうね」
取り留めのない話をするうちに五月雨江が注文したものも届き、卓上に置かれたそれを見て村雲江は目を瞬かせた。
「雨さんそれって」
「ええ。品書きにおりましたので」
五月雨江の目の前に置かれたのは店頭で見たばかりの新春限定の羊羹だった。彼が頼んだのは気前の良い厚みに切られたそれを緑茶で楽しめるセットだったようだ。
「頭より先に頂くのはどうかとも思いましたが、せっかくなので。ちゃんと棹で買って帰りますから頭にはそれで許していただきましょう」
よほど食べたかったのだろう。嬉しそうに目元を緩めて五月雨江は緑茶で口を湿らせた。
「何件もの菓子屋がある中でこの店に来たのは季語の事があったからです。とはいえ頭のためのものですから、相応の値段のものが良いのではとも考えました。けどそれでも私は手頃な値段のこの季語を選びました。雲さんのような優しい色合いは寒色ばかりのこの時期に華を添えてくれるでしょうし、きっと頭も気に入ってくれるはず。それに何よりも私自身が雲さん色のこの季語を欲しいと思ったからです。それでは駄目でしょうか?」
湯飲みを包むように持っていた村雲江の手に、紫の爪紅が触れた。
彼は気付いていたのだ。自分が痛みにうずくまった時に目の前にあったものに。
五月雨江は値段ではなく、自身が良いと感じたものを選んだ。その理由の一つに自分もいるのがこれほど嬉しいなんて。
「ううん、駄目じゃない。駄目じゃないよ雨さん」
すぐに離れていった指先を寂しく思いながら目で追うと、喜色を宿した切れ長の目が村雲江を見つめていた。
「頭の大事な外歩きの供に雲さん色の縁起物を選ぶ事が出来るなんて、私は良い役目を貰いましたね」
嬉しそうに言って五月雨江は羊羹を口に運ぶ。
「ん。美味しいです」
満足そうに頷いて、今度は黒文字をこちらに向けた。
「お腹が大丈夫そうならどうぞ」
五月雨江が選んだ自分と同じ色の季語が、一口サイズになって差し出されている。誘われるまま口にすると、しっとりと滑らかで角が無い、優しい餡の甘さがいっぱいに広がった。
「うん。美味しいね雨さん」
「ワン!」
「ふふ、わんわん!」
村雲江は自分の価値をどうしても気にしてしまう。それはすぐに断ち切れるものではないし、これからも悩みの種であり続けるだろう。
だけど今日はもう大丈夫。五月雨江の嬉しそうな鳴き声に村雲江はめいっぱいの幸せを乗せて吠え返した。