痕 毎朝目を覚ませば、美人が隣にいる。なんと素晴らしいことだろか。
一つの寝台で共寝をするようになって暫く経つが、時々これは夢なのではないかと思う。
美人の亜麻色の長い睫毛は、未だに閉じられている。それに反比例する様に、淡い桃色の愛らしい唇が少しだけ開いていた。その唇の輪郭を指でなぞると、美人は擽ったそうに身を捩る。その反応が可愛いらしく、もうしばらく眺めておきたかった。
しかし、これ以上寝坊すると怖い執事が飛び込んで来るだろ。チラリと目だけ壁掛け時計に視線を移せば、短い針は8を指していた。
仕方なくゆっくりと身体を起こすと、ギジリと寝台が軋む音が響く。
「美人、もう日が昇りました。そろそろ起きましょう」
優しく肩を揺すりながら耳元で囁くと、パチリと開いた空色の瞳がわたしの姿を映した。
思いの外早い目覚めに拍子抜けしていると、美人は何度か瞬きを繰り返し、ふにゃりと頬を緩ませながら目を擦る。
「おはよう、佛跳牆」
「おはようございます美人。今日はちゃんと起きる事が出来ましたね」
「あはは、私だってたまにはちゃんと起きるよ」
まず美人と朝の挨拶を終えると、美人の髪を撫でる。触り心地を堪能を堪能する事がわたしの日課になっていた。
◇
美人の身支度を手伝い、髪を結うのもわたしの特権になっている。婚姻関係を結ぶ前は、当番執事が交代で行っていたから、美人をさらに独占出来る様になった。その事実に美人の髪を梳かしながら、嬉しさで頬が緩んで仕方ない。
「ありがとう佛跳牆。あなたに髪をセットしてもらうと気持ちよくて、また眠くなっちゃう」
美人は目を覚ましたばかりだというのに、今にも瞼が閉じそうになりながらクスクスと笑う。
「おや? では二人でもう少し二度寝をしましょうか?」
「ダメダメ! 仕事が山積みだもんっ早く朝ごはん食べて仕事に取り掛からないと」
美人は首を横に振って勢いよく立ち上がると、扉の方へ向かう。わたしはこの瞬間がとても寂しく感じていた。
美人を完全に独占できるのはこの二人の部屋だけ。 部屋を出た瞬間に〝わたしの美人〟から〝空桑の主〟になってしまう。
「美人、少し待ってください」
「……?どうしたの、佛跳牆」
ドアノブに手を掛け微笑みながら、首を傾げる美人の右の手首を掴む。そして、先程着けたばかりの白い手袋を外し、白く細く伸びた薬指に歯を当てた。
「な……っ、佛跳牆なにをしているの!」
美人は突然のわたしの行動に、ギョッとして悲鳴をあげる。少しだけ力を入れて美人の薬指を甘噛みをする。薄らと歯形が薬指を囲んでいて、まるで指輪のようだと錯覚する。
仕事上、指輪をつけることに難色を示していた美人への子供じみた反抗に自嘲する。
でも美人、わたしはこの狭い空間以外でも貴女はわたしの妻だと示したいのです。どうか、このように度量の狭く、浅ましい男を許してください。
噛まれた指とわたしの姿を困惑した表情で見比べている美人の唇に、許しを乞うようにそっと唇を重ねた。