いやよいやよも柔らかな草をわけ隔てるように伸びる道はしっかりと踏み固められ、男はなんの憂いもなく意気揚々と闊歩する。
麗らかな日差しが男の赤みの強い髪を透かし、燃えるような生命力を現しているかのようだった。
がっしりとした上背のある体格に愛嬌すら感じる笑顔をかんばせにのせて、所々に咲く季節の花を愛でては、柵の向こうから興味津々と寄ってきた動物たちを撫で。
「若…寄り道しすぎです」
「ん?そうか?それより見ろこのつぶらな瞳を!愛らしいとは思わんか」
ちっとも進まない道のりに従者の苦言が飛んだが、これっぽっちも刺さっていない。
それどころか、めぇえ!と力いっぱい鳴く子羊に夢中である。
大きな身体をいっそ器用に折りたたみ、デレデレと子羊を柵越しに撫でる姿はとても領主の息子とは思えぬあどけなさだった。
「いやはや、若様は本当に懐かれますなあ。これも人徳のなせる技ですかな」
「おお、村長。息災か」
「ええお陰様で。なかなか参られませんで、一体どこまで走っていかれたのかと」
まるでわんぱく坊主を探しに来た祖父のような口振りに男は豪快に笑う。ともすれば不敬と取られかねない軽口だが、それを良しとする気性と器が男にはあった。
「お待たせして申し訳ない…。ほら若、参りますよ!今日は馬を新調しに来たんですからね!」
「わかった、わかったからそう引っ張らないでくれ」
しびれを切らした従者にぐいぐいと引っ張られながら、それでも名残惜しそうに子羊を見る。子羊も子羊で撫でて欲しいのかてちてちと着いてくるではないか。
「なあ、やっぱりもう少し…」
「駄目です」
村長は子を引き摺っていく親のようなやり取りを微笑ましく眺めながら、わあわあと元気な2人をのんびりと追いかけた。
「こちらは特に脚が速く、あちらは長距離走破にも耐えられます。どちらも気性は大人しく賢いので扱いやすいでしょう」
「うーん」
「今年一番の仕上がりですよ。試しにお乗りになられますか?」
「うーーーん…」
紹介された馬はどちらも見目も申し分なく、村長の言う通り賢そうな面立ちだった。
脚が速いと言われた方は栗毛で、人懐っこいのか物珍しげに鼻先を寄せてくる。もう一方の芦毛の馬はじっとこちらの様子を伺って動かなかった。
「お気に召しませんでしたか?」
「いやいい馬だよ。ただなんかこう、もう一声」
「まさか暴れ馬を所望したりしないでしょうね」
すかさず釘を刺しに来る従者に笑って誤魔化しながら、今まさに言おうとした言葉をぐっと飲み込む。
男が幼い時分からの付き合いなだけに、思考がまるっと筒抜けだ。
とはいえ本当に何度見てもいい馬であることは間違いないのだが、いまいちピンと来ないというのが正直なところで。
このまま突っ立っていてもどうにもならない。とりあえず他も見せてもらおうと村長に向き直った。
「ウワァ!」
「お、おい誰か止めろ!!」
突然ひどく慌てたような悲鳴が上がり揃って声のした方を振り向く。
そこでは何かに驚きでもしたのか、1頭の黒馬が興奮して暴れ回っていた。
しきりに嘶いては竿立ちになったり走り回ったりと忙しなく、世話をしていたらしい髭面の男2人が必死になだめようと躍起になって追いかける。
「こりゃいかんな…若様、ここは危のうございます。どうか母屋へ」
「ん〜?高い柵もあるし大丈夫ではないか?」
「いえ、アレは柵も飛び越えま」
「「あっ」」
男と従者の声が綺麗に揃い、目の前で黒馬が軽々と高い柵を飛び越えた。加速から跳躍まで無駄のないしなやかな動きで、実に華麗な着地に思わず拍手を送る。
「拍手してる場合じゃないでしょう!?」
「うおっ」
よもや拍手の音に反応したのか、そのまま一直線にこちらへと突進してくる黒馬に泡を食った従者に首根っこを掴まれた。
再び引き摺られる羽目になり少々解せないが、どの道このままでは追いつかれるのは目に見えている。
さてどうしたもんかと暢気に構えた男の視界にひらりと、流れる青藍が写った。
それはもう疾風のようだった。
黒馬の前に礫が投げ込まれ、怯んで減速した隙に“それ”が馬の背に飛び乗る。
移動途中だったのか手綱こそつけていたものの鞍もない裸馬では乗りにくいだろうに、突然背に乗った重みを振り落とさんとする黒馬の動きをものともせず手綱を引く。
黒馬が飛び跳ねるように進んでは急に方向転換、その場でぐるぐると周り出したり緩急激しい動きを繰り返す間、跨る人物はずっと声をかけ続けているようだった。
すると次第に黒馬も落ち着きを取り戻して動き回るのをやめ、今度はいじけたように前脚で地面を掘り出すにいたり、ようやく周囲が安堵に包まれる。
男に大怪我をさせるかもしれなかった一大事は瞬く間の出来事で、誰もが動くこともままならなかった。
「た、助かった……こちらに向かってきた時はどうなるかと」
「ええ本当に…。おいお前たち!何をぼさっとしておるか!」
「はひぃ!も、もうわけございませんでしたぁーーー!!」
心の底から安心したと言わんばかりの従者にも、転げるようにやってきて平伏した男たちや村長にも目もくれず、男は黒馬に跨る人物に視線を奪われていた。
纏う白い服は黒馬に毛並みに映え、ピンと伸びた背筋に流れる髪がゆったりと風に揺れる。
「村長……あの子は?」
「あの子?ああ无限のことですか?そういえば若様のお目にかかったことがありませんでしたな」
「无限……」
名を聞いて引き寄せられるように歩を進める。後ろで従者の制止する声がしたがほとんど耳を素通りしていった。
そう離れてはいない距離は大股で近づけばあっという間に目の前だ。
既に黒馬から降りていた无限がのしのしとやってきた男を不思議そうに見上げる。
馬の尾のように豊かな青藍色の髪に、少女とも少年ともつかぬ整った顔立ち。近くで見てわかったが、思いのほか小柄な体躯でこの暴れ馬を御したのだと思うとますます興味が湧いた。
「先程はありがとう!おかげで助かった」
「いえ…あの、お怪我は」
「無いぞ!」
「はあ、それは良かったです…」
とてもとても人を心配しているとは思えない覇気のない声で、オマケに顔にはありありと「なんだコイツ」と書かれている。
男は確かな予感に心が浮き立つのをとめられなかった。
俺が求めていたのはきっとコレだ。
馬の生産から軍用馬の調教も行うここは男もよく出入りしているから、その立場と顔を知らぬはずがない。
しかもこの状況で平然とした態度。度胸があるととるかただの阿呆ととるかは人によるだろうが、少なくとも男は好ましく思った。
決して被虐嗜好があるわけではないが、この解っていて言うことを聞く気がない気概がとても愉快だ。なんなら「ボンボンめ早くどっか行け」と思ってすらいそうである。
にっこにっこと(人からよく企んでる顔だと言われる)笑顔でにじり寄る男に対して、无限は終始すん…としたまま。
周囲は无限がなにか要らぬことを仕出かすのではとはらはらし、従者は何が起こるのかだいたい予想出来てしまって既に胃が痛い。
「あの……まだ何か?」
「うん?」
じろじろと見られるのが流石に不快なのか、そのつるんとした眉間にしわが寄る。
鉄壁の無表情に感情という色がのるのを完全に愉快犯の気持ちで眺めれば、しわがみるみる深くなった。
「あの、」
「お前いくつだ?」
「は?」
「歳だ歳。で、いくつだ?」
脈絡のない質問に今度は困惑の色をのせて、14…とか細い声が絞り出される。
「そうかそうか!よし无限、俺についてくる気はないか?」
「え、嫌です」
「そうか!嫌か!!」
誰が見てもわかる心底嫌そうな顔に、わっはっはと豪快な笑い声が蒼天に伸びる。
これが後に国の頂点に立つ男と、その右腕となる青年の邂逅である。