或る器　足元の悪い中、お越しありがとうございます。
　ええ、わたくしどもも商売人でございますから。常時は国宝ものの反物から値の張る骨董なんてものも取り扱ってございます。御覧の通り、得意は漆器に磁器に陶器でございまして、取り揃えには自信がございます。お望みであれば、将軍家献上の茶器から海を渡った名工の壺、欠けた椀がありましたら金継ぎにと、御用聞きにはどこへでもまいりますので、どうぞご贔屓に。
　さようでございます。かのお方とは、お召し物のご用意の折に通じまして、以後、随分とありがたいお得意様であられました。今となってはこの質屋まがいのしがない卸でございますが、幾分か前までは、戦備えの品々をあのお方のみならず、彼方此方をお相手に、商売させていただいたものでございます。あの方のひときわ大きなお買い物は、お艦でございました。
　わたくしなど、女だてらに地を這う薄汚い商人でありながら、あの方に…そうですね、願いをかけておったのだと思います。夢であったのだと思います。わたくしの夫は、先代からこの店を引き継いで、先の戦の折からこの商いをしておりました。攘夷側にも幕府側にも武器を商う矛盾に苦しみ、しまいには自身が戦場に飛び出していき、死にました。夫の抱えたものは矛盾ではなく、誰かのせいにすることが許されるのであれば、この世の理の歪さであるとわたくしは思います。戦だ武器だは、女から見れば理不尽そのものでございます。であればこそ、この世の理不尽を、理不尽をもって叩き斬ろうとするあの方に…夢をかけていたのでございます。それが正しいのか誤りなのか、そしてわたくしの夢がついぞ成ったのか…新しく生まれ変わりゆくこの町と星とを、ただ地を這うままに見つめておるのでございます。
　商談の席にあなた様をお連れすることはございませんでしたので、お会いする機会は此度が初めてでございますね。けれども、あなた様のお腰のものを調達いたしましたのは、わたくしでございます。二丁の対の誂えものであっても、左右それぞれで異なる銃の重さ、握りの形、飾り彫りの意匠にと、あの方から細かに仰せつかったものであります。おや、ご存知でなかった？弾についても、殺傷力を留めたものと、必ず仕留められるものの両方を、と随分とわがままをおっしゃられたものですよ。人を殺めない銃がどこにありますでしょうか？そうです、その銀のものは、あなた様のために特別に作らせた弾でございます。刀は切れりゃいい、と二束三文からお求めになるお人が、あなた様のお持ちの物にだけは珍しく口を出されたものですから、よおく覚えてございます。

　そうそう、あれはいつでしたか…お誕生月であられるとお聞きしましたので、特別に絵付けの器をいくらか贈らせていただこうとしたことがございます。天人の中には、地球産の美術品を好む御仁が多くありましたからね。わたくしどもも、あの方の商談の助けにと思うところがあったのでございます。普段から御贔屓にしていただいている、ほんのお礼のつもりでございました。
　しかしまあ、あれこれと指さして、壺に皿に茶器にとひと揃えお選びになられたはいいものの、お贈りしますというのに、断固としてお支払いを譲られませんで。たいそう豪儀なことでございました。こちらも面目が立たない、とあれやこれやと装飾品をお勧めいたしましたが、そういうもんを飾り立てる暇がないんでね、とお断りになられたのでございます。ならばせめて一つでも、ご自身のお手元に置いていただくものを、としつこくすがりましたところ、さすがに気を咎められたのか、ようやく器を選ぶ運びとなりました。大物から小物、店の奥からとっておきをさんざ持ち出して並べたてましてね。赤絵の六尺壺に、染錦の蓋物、染付花絵の大皿…あの方は豪勢な器の間をじっくりとつぶさに巡られました。華やかな彩色の器に囲まれる中、あの方がこれまた艶やかな女物の着物を…そう、あの時は赤地に紺染付の牡丹草花紋のものをお召であったものですから、まるでご自身がその一つであるようでした。そのまま美しい磁器の並びに収まってもおかしくありませんね、などと店の者と冗談をいったものでございます。
　お側に付いて、あの方のおたずねになるままに、器の意匠や成り立ちをお話していたところ、ふとあの方が「これがいい」と所望なすったものが、こちらでございます。ええ、お求めにはなったものの、「落ち着くまで預かってくれ」と言われまして。戦行きの艦になど載せたら失いかねない、というのがあの方のおっしゃりようでしたが、わたくしには違う理由であったように思います。
　ええ、ええ、その通りです。あの方がありとあらゆる器の中から、節くれだった長い指をこの骨壺に向けられた時には、わたくしもぞっとしたものでございます。生前から骨壺を求められる方は、普段からおられますとも。「死んだらこの壺に収めてほしい」と請われるのです。ですので、骨壺につきましても、大きさから意匠から、さまざまに揃えてございます。それにしたって、桜紋や菊彫り、呉須巻きやらの、目を引く彩色のいいものはごまんとありますものを、あの方が選んだのは、無地で彫りのない、青磁のものでありました。あの方は、澄んだ湖のような静かな佇まいの青磁の骨壺を持ち上げて腕に抱き、しばらくの間、つるつると蓋を撫でておられました。ますますぞっとしたものでございます。まるでどなたかのしゃれこうべでも愛でているかのように、思われたものでございましたから。
　大きさのご用意がございますので、おそるおそる「どなた様のもので？」とたずねました。半ば、ご自分の、と返ってくるであろうと構えながらも。するとあの方は骨壺を大切そうに抱いたまま、ゆるく微笑まれたのでございます。その時だけは、お侍のお顔ではございませんでした。かすかに喜びを滲ませたひとりの男のそれでございました。そして、あの方は「先生の」とおっしゃられた。次いで「そうでなければ、自分の」と…。それから、手ずから骨壺を風呂敷に包み、わたくしに預けられたのでございます。いつか取りにゆくから、それまでもっておいてほしい、と請われましたので、承った次第でございます。もし自分に何かあっていつまでも参じなければ、遣いのものをやる、とおっしゃられておりました。そのお遣いが、あなた様であられるのですね。ということは、やはりあの方は、もうこの世にはおられぬということでありましょうか。とうとうこの骨壺は、あの方の骨を収める器となる日が参ったのでありましょうか。
　この骨壺を奥棚から取り出しては埃を掃う度に、思い出されることがあるのです。あの方がこの器をお選びになった時、「先生の」とおっしゃられました。しかし本当は…真（まこと）のところは、その「先生」と共にこの器の中に納まり、骨となってまでも添い遂げたかったのではあるまいか…今となってはこのように思われるのであります。なぜなら、骨壺を懐深くに抱いたあのお方のお姿は、まるで心中を心待ちにする恋女であったように思い起こされるからでございます。
　「先生」の骨は一体いずこにあるのかと、初めの頃は思ったものでございます。しかし、日に日に、あの方は骨がなくとも、「先生」はこの壺の中にあると、真に想っておられたのではないか…そのようなことを思い巡らせながら、ただただ、今日（こんにち）までお預かりしておりました。

　数々のおかしなことを申し上げましたこと、お許しください。この骨壺は、約束の通り、あなた様にお渡し致します。
　さようでございますか。これから長い旅に出られると。この壺を提げて、でございますか。骨壺と旅を共にするとは、それはそれは、妙な旅でございます。
　さすればひとつ、よろしいでしょうか。お許しついでに、申し上げさせていただきます。もしも、でございます。もし、あなた様が旅の道中、これを重くていらぬと思えば、思い切ってお捨てなさい。或いは、旅へは置いてお行きなさい。あなた様までも、骨壺と心中するような心もちの旅など、おやめなさい。あの方の躯や骨を拾い、この壺に納めるための旅ならば、そもそもおやめなさい。あの方が生きていると信じているのであれば、どうぞそのままになさい。
　大事に預かることを仰せつかっておきながら、かようなことを申しますのは不義理にございます。しかし、この壺の持ち主は、ここにはいないのです。壺のふたを開けた伽藍洞の中にどのような願いを放り込んだのか、あの方にしかわからぬのです。この骨壺は、残された者の手を離れ、いつかあの方の願いごと土に還ってしまうのが最もよいのです。
　地を這うわたくしが唯一未来へ願いをかけられるとすれば、もはや生きている目の前のあなた様のみでございます。あなた様の旅行きが、少しでも明るいものとなることを、心より願っております。ええ、どうぞ、お泣きなさい。ちょうどおもての雨脚も強くなってまいりました。あなた様のか弱い泣き声も、すっかり包（くる）んでくれるに違いない。
　いつか晴れやかなお顔のあなた様とお会いできることを、この地にてお待ち申しております。
　女同士の約束でございます。　【了】