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    rurisigure_490

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    rurisigure_490

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    #ナポリ山脈
    ※志海という「にんげん」妄想
    過去妄想
    個人の感想です
    八木山えべたん徹心やみんなといれば別の幸せもあったと思うけど
    彼を幸せにするのにはみんな(特に八木山が)苦労しそうだなぁ~

    #ナポリ山脈
    naplesMountains

    いつからだっただろうか、志海の心に空いたのは。
    生まれつきだったのかもしれない。

    いつからだっただろうか、死に魅力を感じるのは。
    皆と同じように中学生の後期からだったかもしれない。

    そのころはまだ十分に普通を名乗れる男子学生だったはずだ。
    何にも興味を持てずに、授業中も窓の外を見ている帰宅部。
    日常をつまらないと感じているのはなにも志海だけではなかった。

    今でこそ「たまに口を開けばとんでもない言葉が飛び出す志海」だが、
    学生時代はそれこそたまに口を開いても
    「いいんじゃないですか?(どうでも)」くらいの返答しか出てこなかった寡黙なメガネ男子だったのではないだろうか。

    そこに「あの人」がきり込みを入れてきたのは、人望を得るに値するだけの洞察力が、志海の心の深淵を嗅ぎ分けたからかもしれない。
    そして、闇があれば照らしたいという、「そこに山があるから」とも似た、動機のない興味からだったのかもしれない。

    もし志海が何にも興味を持てない人間だったと仮定するなら、自力で筋トレや登山に興味を持つのは珍しいと思う。
    「あの人」が、志海の空いた心の空洞に興味本位でいろんなものを放り込んでいったのではないか。
    友達みんなつれてカラオケへ。旅行へ。遊園地へ。スノボへ。飲みへ。
    そしてバイトへ。ジムへ。ハイキングへ。ボルダリングへ。登山へ。

    猫カフェひいては旅行の予定のため自宅に集合からのゲーム三昧なんてこともしてそうだ。

    志海はそのいずれでも、笑いながら、心はちっとも笑えていない。
    面白いこと、楽しいことに笑いは出る。
    それこそゲラに近く。「ははは」と。しかし爆笑まではいかない。
    心に空いた暗い深淵は鉛のように胸にこびりつき存在を忘れることはできない。

    生きていることに辟易としているから?
    それは慢性的な鬱にも近い状態にすら見える。

    恐らく「あの人」は絶対的陽キャ。志海の闇を無条件に照らしたい太陽。
    断る方がめんどくさいと志海に思わせる行動力。
    その太陽は志海の心を溶かすことには成功したかもしれない。
    だが、志海を変えることはできなかった。

    志海を変えたのは北風の方だった。

    彼が自身に空いた深淵の存在を忘れられるのは、そんな事を考えている場合じゃないとき。
    死の淵。瀬戸際。皆が嫌悪感を示す死神の背筋を撫ぜる悪寒が、ヤバいと叫ぶ心臓が、彼が普通と感じる苦しみから彼を救う唯一の薬になってしまった。

    生半可に溶かされた心が雪山で歪んだまま冷え固まってしまった。

    ほかにも彼が幸せを感じる方法なんていくらでもあるかもしれない。
    しかしその志海が死の恐怖は魅力だと自身に刷り込んでしまった。

    男子学生の時から漠然と感じていた魅力を「あの人」が覆い隠してきた。
    その無色透明な日常という幕を破ったのが自身の死だなんて、なんという皮肉だろうか。

    恐らく「あの人」は言っただろう。
    何にも興味の持てない志海をハイレベルな登山にまで付き合わせた罪悪感から。死と隣り合わせの危険な状況に他人を立たせたことに対する自分への防御のように。
    「俺が死ぬときは見捨ててくれていい。俺に付き合って死ぬことはない。そしたらもうお前は山に登らなくても良くなる。お前は生きろ」

    そのとき志海は何にも感じず、「そうする」とでも笑ったかもしれない。
    「あの人」は本気なのに、志海だけ冗談気分で茶化されたように感じたかもしれない。

    志海は自分がひどい人だと自覚している。と、思い込んでいる。
    友人の死が自分にとって何でもないことだと自覚している。と、思い込んでいる。
    登らなくて良いと言うなら、登る。死ぬなと言うなら、死ぬまで登る。死んだという感覚より、殺したという感覚の方が強いのは、自分はサイコパスだと自覚しているから。と、思い込んでいる。

    兎にも角にも、あの日あの時、志海を置いて「あの人」が死んだことで
    志海は「孤高の登山家」になったのには間違いないだろう。

    オーストラリアに7人が集まるまでの長い長い間。
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    🙏😍💙💙💙💙💙💙💙💙💙💙
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    rurisigure_490

    MEMO #ナポリ山脈
    ※志海という「にんげん」妄想
    過去妄想
    個人の感想です
    八木山えべたん徹心やみんなといれば別の幸せもあったと思うけど
    彼を幸せにするのにはみんな(特に八木山が)苦労しそうだなぁ~
    いつからだっただろうか、志海の心に空いたのは。
    生まれつきだったのかもしれない。

    いつからだっただろうか、死に魅力を感じるのは。
    皆と同じように中学生の後期からだったかもしれない。

    そのころはまだ十分に普通を名乗れる男子学生だったはずだ。
    何にも興味を持てずに、授業中も窓の外を見ている帰宅部。
    日常をつまらないと感じているのはなにも志海だけではなかった。

    今でこそ「たまに口を開けばとんでもない言葉が飛び出す志海」だが、
    学生時代はそれこそたまに口を開いても
    「いいんじゃないですか?(どうでも)」くらいの返答しか出てこなかった寡黙なメガネ男子だったのではないだろうか。

    そこに「あの人」がきり込みを入れてきたのは、人望を得るに値するだけの洞察力が、志海の心の深淵を嗅ぎ分けたからかもしれない。
    そして、闇があれば照らしたいという、「そこに山があるから」とも似た、動機のない興味からだったのかもしれない。

    もし志海が何にも興味を持てない人間だったと仮定するなら、自力で筋トレや登山に興味を持つのは珍しいと思う。
    「あの人」が、志海の空いた心の空洞に興味本位でいろんなものを放り込んでいった 1662

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