相棒が幽霊になって帰ってきた 突然のことだったと思う。いつも通りライブは大盛況で、埋まった観客席からペンライトの光が揺れ動き歓声は鳴り止まない。異変が起きたのMCタイムに差し掛かった時だった。ツルギから順番にファンへの感謝とライブの感想を述べる恒例の流れの中でバタンというけたたましい音ともに幽架が冷たいステージの上に倒れ込んだ。あまりの衝撃にその場は静まりかえった。一呼吸置いた後にファンの歓声は悲鳴に変わった。コメント中だったツルギは衝撃的な場面を目にし床に崩れ落ちた。
「ぁ、うそ……。」
リーダーが駆け寄りツルギに声をかけたが、口をパクパクと動かすばかりで言葉は無く放心状態だった。一連の流れを見ていた夕蒼はスタッフに指示をして暗転させた。
「お願い……目を開けてしっかりして幽架にい」
知識のあるスタッフが耐えず応急処置にあたり、手の空いたスタッフは救急車を呼んだりと騒然としていた。幽架を心配する声やパニックに陥るファンもおり年長の愛良がどうにか安心させたいとマイクパフォーマンスをしていた。マイクを握る両手が震えていることに気づいたのは一番近くにいた俺だけだろう。しばらくしてけたたましいサイレン音と共にライブは幕を閉じた。メンバーの総意とあって救急車の同乗者は俺だった。どこか現実離れしたような感覚だった。ドッキリだろうと思った、思いたかった。散々心配させたあげくプラスチック看板を持って起き上がって笑いながら、
「ホンマに死んだって思た」
とでも言うつもりなんだろ。
病院につくと集中治療室で機械や管に塗れ幽架は延命治療をされていた。一定に鳴り続ける心電図の音に気が狂ってしまいそうになった。幽架の右手を両手で包み込むように握りしめながら祈った。またいつもの幽架を見れるように。また笑い合えるように。
「あったかいなあ……あきの……手」
ようやく目を覚ました幽架を見ると俺は少しだけ安心した。まずは幽架の意識が戻ったことをメンバーに報告しよう。スマホを取り出すためにと幽架の手を離そうとすると、まるで引き止めるように強く握られた。幽架は結構嫉妬深いという事も分かっていたことだ、そこまで驚きはしなかった。
「後生……やさかい、……最後に……言わし……欲しい。」
酸素マスクの下で苦しそうな呼吸と共に言葉が紡がれていった、俺を悲しませまいと無理やり笑顔を作りながら。直感的に俺は思ったこれが最後の会話になると。
「今まで……ずっと見送り続け……たんや。寂しおして…………寂しおして…たまらへんかった。……そやさかい……こら初めて…や。あきに……あきに看取ら…て逝……ならもう未練は…………あらへん。」
途切れ途切れに吐息と共に発せられる言葉を逃すまいと耳を傾けた。何度も転生しているような言い方が引っかかったが疑うことはなかった。何故なら当の本人がライブやプライベートでも見せたことが無い、そしてメンバーの俺ですら知らない表情で笑っているのだ。正真正銘の幸福に満ちた柔らかで安らかな表情だ。
「…あき…愛してんで。」
何度目は分からない愛の告白。だがここでは重さが違う。最期の言葉、もう二度と聞くことは叶わない最後の言葉。繋がれた右手で幽架の身体が熱を失っていく様子を感じた。
「嘘だろ。幽架、こんなこんなところで……。」
心電図波形が一直線になり、音を聞いて駆けつけた医者が心臓マッサージや電気ショックを行ったが、その行為も虚しく幽架は……。幽架の魂をこの世に繋ぎ止めていた管や機械が外され、また幽架と二人きりになった。いや、最早一人と言う方が正しいのかもしれない。布を少しずらすと幽架は安らかな表情で眠っていた。俺は酷く後悔した。生前の幽架の告白にまともに返事をすること無く死別してしまったのだから。噂では死んだ後聴覚だけは残るらしい。
「愛してたのか……俺は。」
返らぬ問いかけだった。最後だったのに伝えられなかった。俺は喪失感と絶望でしばらく気力を失った。程なくして病院にたどり着いたメンバーに全てを話した。
「これ……使えよ……。」
それは茉幌なりの不器用な優しさで。差し出されたハンカチで大粒の涙を受け止めていた。こんな俺じゃなかったはずなのに。お別れは近親者とメンバーだけという小規模な形で行った。あの日のライブにいたファンたちの書き込みでSNSは持ち切りになっており、幽架に関してファンへの説明の機会を設けることになった。長年にわたり遊船を応援し続けてくれているファンへの感謝と共にかけがえのないメンバーを失ってしまったという事実を公式SNSで発表した。投稿後数分足らずでたちまち拡散されていく様子はやはりネットならではといったところだ。俺もメンバーもただ一人でも多くのファンに届いて欲しいと願った。
あれから数週間が経ち、バンドの活動は多忙を極めた。幽架の死に誰よりも悲しんでいたツルギですら新曲を仕上げることに全力を注いでいた。誰もが今を必死に生きていた、たった一人俺を除いて。時間に取り残されたような空虚な日々。何をしても上手くいかない。作曲も手につかず、一人で使うには少しばかり広すぎる部屋で頭を抱えた。部屋はあの日から何一つ変わらない。幽架の私物が残ったままだ。幽架がいない、だけなのに。失った大切なものを埋める何かを求め夜の街を独り歩く。冷たい風が身体を裂くように過ぎ去る。彷徨い続けてたどり着いた公園のベンチに座った。目を閉じて、この曇り空のような心が晴れるような明るい世界を描く。メンバーと旅行に行ったり、テレビ番組で歌ったり、海で遊んだり。ずっと忘れようとしている人が想像の世界にはいる。どの場面でも当たり前のように俺の隣に佇む。一体どうしてこんなに俺に近づいてくるんだ。ずっと疑問だった。もはや知る術もない今となっても俺には思い当たることはない。ただ隣に居たことが普通だったあの日々が突然奪われたことが悲しいのか、幽架が居ないことが悲しいのか判別出来なかった。いつからこんなに涙脆くなったのだろう。熱い雫が流星のように流れ落ちて頬を濡らしていく。
「なんで泣いてるんやあき。」
最初は幻聴だと思った。俯き涙を流す俺の頬に触れた手は人にしては冷たすぎる。驚きながら顔を上げると会いたくてたまらなかった人物と目が合った。
「誰に泣かされたんや。」
お前のせいだよと言ってしまいたいところだったが吐き出す直前に飲み込んだ。脳に焼き付けようとしたのだ、もう二度と聞くことは出来ないと思っていた声を。
「別に泣かされた訳じゃない。…………幽霊になったんだな。」
姿形は変わらないが身体は浮いており、所々透けている。
「そや、なんかあきに会いとうなったさかい。」
「そんな個人的な理由でこの世に留まれるのか?」
もっと何かあるに違いない。視線を逸らしながら話した幽架が嘘をついていることに俺は気づいた。癖も変わっていない。幽架の時間があの日で止まっているだけなのだ。
「成仏できそうか」
もう少し幽架と一緒にいたいという気持ちを抑えて言った、俺のためでも幽架のためでもある。
「う〜ん」
しばらく間を置いてから幽架が言った。
「……無理や。」
……そんな気はしていた。
ゴースト幽架を連れてシェアハウスに帰るなり、ずっと待っていたであろうかことツルギが飛んできた。
「もうどこ行ってたの心配してたの」
「ご飯はやく食べて今日ボクも手伝ったんだよ」
それぞれ異なる意味で興奮気味の二人をなだめてリビングに入ると既に食事の用意が出来ていた。
「ぇ……シノ…だよねそこにいるのは。」
リーダーが目を見開いて言うと、他のメンバー達も俺に注目した。正確に言えば俺の背後なのだが。振り返らずとも分かるが、今幽架はメンバーの気も知らずにダブルピースで満面の笑みを浮かべている。どうやら霊感の無いメンバーにも幽架は視えているようで食事中もずっと視線を感じた。
「………………流石ににちょっと見すぎじゃないか」
目を爛々とさせながらこちらをじっと見つめるかこに少々戸惑った。
「前からずっとだったけどよ、ほんとに幽架に気にいられてんなァ水神。」
死しても尚くっつき虫になるとは俺でも驚いた。恐るべき執念である。
「もしかして何か……やり残したこととかあるんじゃないかな。」
幽架の帰還に混沌とする中でツルギがこんなことを言った。メンバーはほとんど幽架が俺を好きすぎるがあまり呪霊になったんだとか言っていたが、俺はツルギの考えに興味を持った。
「やり残したこと……か。」
少し考えてみたが、もっと手っ取り早い方法があることに気づいた。
「本人に聞くのが一番だよな……。」
それまでメンバーと会話していた幽架の方を向くと幽架は冷や汗をかきながら視線を逸らした。霊なのに。
「……あーえっと。」
「このまま彷徨い続けるつもりじゃないだろう幽架。」
なかなか口を割らない幽架に釘を刺すように言うと、観念したように幽架は話し始めた。
「みんなにお別れ言えへんかったさかい……ちょい悔しかってんよ……。」
どこか幽架らしくない態度に驚きつつも、改めて突きつけられる死んだという現実に寂しさを感じた。確かに最期を看取ったのは俺だけだった。幽架はメンバー一人一人に感謝とお別れを告げた。
「成仏してないけど……。」
しんみりとした空気の中リーダーが言った。確かにこれでもう未練は無いはずなのだが……。
「幽架にい、地縛霊なの」
「いやさすがにちゃうけど。」
「なんでも言って下さい。自分に出来ることならお手伝いしますから。」
腕まくりをしてやる気満々の夕蒼だったが……
「そら嬉しいけど二つ目はあきにしかできひんねん……。」
しれっと二つ目と言っていたがかなり未練タラタラなんじゃないか?メンバーは夕蒼に耳打ちをするとどこかへ行ってしまった。おかげさまで部屋には俺と幽架(亡霊)だけ。
「どうした、早く言ってくれ。」
俯いたまま中々切り出さない幽架。メンバーは前では見栄を張っていたのだろう。
「……へんで…忘れへんで欲しいんや、ボクのこと。」
「そんな当たり前の事……。」
忘れるわけがないのに、相棒だった幽架の事を。俺はそう思ったが幽架にはかなり重要だったらしい。最期まで俺の事ばっかりだった。上手く返事をした事は無いけれど、ずっと愛を言葉にしてくれていた。俺には幽架が俺に向けている程の想いを返せない。軽々しく言ってはいけないとずっと胸に留めていた。結局最後まで……言えなかった。呪いのような俺の後悔が幽架をこの世に留めているのだとしたら。
「おーい、あき大丈夫か」
「…………ああ。」
「それにしても寂しいな、もうあきと会えへんくなってまうわ。」
幽架の話を聞きながらも俺はどこか上の空で、ほとんど頭に入っていなかった。
「幽架……、今から言う言葉が変でも聞いてくれるか」
「笑いもしいひんしちゃんと聞くで。」
変に畏まったせいで自分でも今の俺はから回っていると思う。
「初めて会った日、幽架とは初めてじゃないような気がした。やけに馴れ馴れしいし、俺にだけは甘いし、ライブ中でもちょっかい出してくるし。ちょっと怪我しただけでも血相変えて飛んできて
いつも自分の事は後回しにして。どんだけ辛くてもニコニコしながら隠して……。」
「あーあき怒ってる」
幽架の様子も気にせず思いの丈をぶつけた。
「勝手に……死んで。」
怒りの矛先も分からずにただ幽架を見つめる。
「あき……泣かんといて。ごめんな。」
実体の無い手が俺の涙を脱ぐわんと伸ばされて、俺の顔を貫通する。
「結局、幽架が何をしたかったのか分からなかった。でも、好きだったんだ。」
意味の無い怒りに恥ずかしさすら覚えて徐々に声が小さくなっていくのを感じた。
「きっと幽架には敵わない、でも…………。」
幽架はただ俺の怒りを受け止めるように聞いていた。
「愛してる、これからもずっとだ。」
幽架が俺の胸に飛び込んでくる。抱きしめるように手を回した。温もりはなくとも確かにそこにいる微かな気配。
「…………ああほんま連れて行ってまいたいぐらいや。」
冗談と分かっていても今の幽架はやりかねない危うさがある。
「ちゅーしたら生き返れたりするんかな。」
デ○ズニーかよ。とツッコミたくなるのを抑えつつ、幽架の不意をついて目を閉じて唇を重ねた。
最初は驚いてバタバタ動いていた幽架も観念したように大人しくなった。目を開けると、もう幽架は消えていた。幽架なりの配慮だったんだろうか。消えるその瞬間に気づかなかった。幽架との本当の別れを惜しみつつも、幻のようなキスを暫く忘れられぬまま俺は夜明けを迎えた。