恋のキューピッドコログちゃん(仮)1
それは、移ろう四季を切り取る絵画だった。
寝台脇にある衝立の横に開く、小さくないが幅広くもない窓達。石壁の高い所にあるそれは、幼い頃は空を。ゼルダの背が伸びた今は、城の先に広がる世界を切り取る。
白の頭巾をかぶった若い侍女に下着の背中にある紐をひかれ、ぎゅっと締められる圧迫感にゼルダの息をつめた。天鵞絨張りの赤く縦に細長い椅子の背を掴んで、ただ堪える。白い肌が一瞬赤くなり俯くと、整えられたばかりの髪が一房さらりと音を立てて、肩からこぼれ落ちる。
「このくらいでしょうか?」
「そうですね」
侍女の問に短く応え、腰回りを手のひらで確かめながら、ふぅとゼルダは小さく息を吐く。
「今日もいつものドレスでよろしいですか?」
「そうしてください」
いつものドレスーー王家の青を許した服。華美ではなく、地味でもなく、威厳を示すに最低限な伝統的な意匠。ただそこにある服。
自分のような物だと。ゼルダは、袖を通すのに気楽で、そこを気に入っていた。
務めを果たせぬ自分には、これが似合いだと思っていたのだ。
それでもそれが、市井の人々にしたら何年家族を養えるのか。ゼルダには正確に分からないが、解からなくもない。
「姫様。今日は、春の空が綺麗ですよ。もう少し季節の色や花々を取り入れては?」
「ありがとう。でも、これを気に入っています」
侍女長が他の物を勧めたが、若い侍女達に支えられながら下から順にドレスに袖を通す姫の顔に浮かぶ決意は固そうだ。主に気づかれぬように、初老の女は眉をしかめた。
細く締められた腰から流れ降りるラインや、その上を飾る堅苦しい王国の意匠を立体的にする柔らかな膨らみは、本人の意図する所とは別に年頃の瑞々しさを表してしている。
整った顔立ちに、艶めく長い髪。透き通る肌。
美しくお育ちになられた。長年仕えてきた女は、そう思った。本人に告げると、本音を上手に隠して、臣下にも感謝の言葉を口にする。
日々の政務に弱音も吐かず、命も最低限。手のかからない主と、周りからは言われてるようだ。そんな主にしているのは、私達を含むこの国の国民一人一人なのだろう。これ以上の主の心をすり減らしたくなくて、侍女長は心からの賛辞をしまい込んだ。
「そうですか。もしそのつもりがあればお申し付けください」
「わかりました」
もう何度目かの会話が、ハイラル王国ハイラル城の唯一の姫殿下。ゼルダの私室に消えていった。
着替えを終えると、ほんの一瞬。衝立裏にゼルダ一人になった。
ゼルダはキョロキョロと周囲を見渡すと、先程頼りにしていた細長い椅子を窓の下に手繰り寄せ、その上に躊躇わずに乗ると、つま先立ちに手を伸ばす。
見えない窓の棧を指先で探る様に動かすと、指先にこつりと感触がした。そっとそれを落とさぬようにつまむと、ゼルダはそれをしげしげと新緑の瞳でのぞき込んだ。
「まぁ、今日は何かしら? 赤い実だわ。初めて見る」
指先でクルクルと回して見ながら、ゼルダはほほえんだ。固くてツヤツヤと光るそれは、ゼルダの好物であるフルーツケーキを飾るヘブラ産のイチゴほどの大きさだった。
急ぎ、部屋の中央にあるソファーの横にある机。その上にある器の半円形の蓋を取り、中から木の実を手に取り、急ぎ衝立裏の窓辺へと取って返す。
「鳥かしら? 栗鼠かしら? 姿を見かけた事がなくて、 誰かわからないけど、いつもありがとう。今日は……その昨日の疲れがとれなくて、元気が出なかったんです。また遊びに来てくださいね」
そう言って、ゼルダは木の実を置いた。
「あなたが誰かわかれば、好きな物も、差し上げて良い物もわかるのに……」
寂しさが、顔に浮かぶ。
それは、誰にも見せられないゼルダの心の底にしまい込んだ、本人も気づかないでいる気持ちだった。
その日の夜。侍女長がお食後にと差し出した皿を見て、ゼルダは目を丸くした。
好物のフルーツケーキというだけでも、こっそり心は踊るのに、その中央に丁寧に飾り切りにされ果物の花々が咲いていた。
「リンゴ? この季節に?」
白いクリームの上に、林檎の軸を中心に切り込みを入れ艶やかに花開かせた物を中心に、薄切りにした物をきび砂糖と水で煮てから幾重にも重ねた、多弁の小さい花が周囲を彩る。その上からハチミツアメがかけられ琥珀色のベールを纏いキラキラと元の赤をより煌めかせていた。
ケーキの脇には生のままのリンゴがこれまた緻密にナイフを入れられて、生き物や葉っぱを型取り飾られていた。
「ええ。ちょうど姫の騎士が、サトリ山方面に足を向けたそうで。その土産だそうです。よろしゅうございましたね」
「そうでしたか……リンクが」
切り分けられたリンゴが銀の匙にすくわれ、ゼルダの前に差し出される。
「何だか食べるのが勿体ないくらいですね」
ゼルダが自分の気持ちを素直に口にした。その表情を見て、侍女長は複雑な顔を浮かべる。
無防備な少女の様。特定の誰かに心許す姿。それは、主に好ましい事でありながら、悪意ある第三者に見られてはゼルダ自身の弱みになりかねない危うい物だ。
「ご所望なら、また行かせればよろしいでしょう。さっ」
「いただきます」
誰に言ったのか。
ゼルダがリンゴを口にすると、久しぶりの笑顔がこぼれた。
咀嚼すると皮はパリンと張りも良く香り立ち、実はサクサクと歯ごたえがあり、果汁は豊かに溢れた。
小さく笑い声が漏れる。
「美味しいです」
「ようございました。調理した職人にも伝えましょう」
「そうしてください」
催促するゼルダの視線を受けて、侍女長は次のリンゴをすくって主の方へ。
(こんな事、何年ぶりの事でしょう)
少しだけシワの目立ってきた頬を緩ませて、侍女長も久方ぶりの喜びを感じていた。
✳✳✳
「あぁ、リンク殿。そこでしたか。今日は、大義でした」
深夜、一日の務めの終わりに、部屋の外廊下で控える青年に侍女長が声をかけると、リンクは振り向き小さく礼をとる。
「姫様は、大層お喜びでした。また貴方の働きに期待します」
「勿体ないお言葉痛み入ります」
「けど、どうしてゼルダ様がお喜びになる事を知り得たのです?」
「風が」
モゴモゴと歯切れの悪い声で、珍しく近衛の青年は視線をさまよわせた。
「風が教えてくれました」
何かの隠語だろうか。侍女長はいぶかしがりながらも、この青年は信じるに足り得るとそう思っていたので、追求は止めにした。
互いに襷掛けに身に着けた朱い飾り紐。王家が信に厚い、身近に置く臣下に下賜する物。
形骸化して、それに恥じぬ働きをする者は少なくなった。自分達はその少ない一人と一人であると、侍女長はリンクに信を置いていた。
「何の事かわかりません。しかし、信じましょう。その風とやらを。王家に。姫様に、これに恥じぬ働きをいたしましょう」
侍女長は紐に手を添えて、リンクを見つめた。リンクもまた、同じく紐を手に頷いた。