蛮族と姫君4-14
「今夜も来たのですか?」
するりと寝台に忍び込んできた狼蛮族に困り顔の姫君。
当たり前とばかりにご機嫌なオッポはちぎれんばかりに振られ、ピスピス鳴らしながら鼻先をくっつけてくる。
「どうしたら見つからずにここまで来られるの?」
王家の姫巫女の私室。その寝台に誰にも見つからずに至るのは精霊でもなければ難しい。
答えず、布団に潜り込む。
(『ゼルダが寂しそうだし。それに一緒にいたいからおれはここにいるんだ』)
姫君はため息一つ。
身を寄せ合って、体を横たえるとその毛並みを指先で楽しんだ。
撫でられうっとりとしながら、蛮族狼はぺろりと頬や鼻先を舐め、クンクンと嗅ぐ。
うっとりと小さく高い声で鳴く。
(『それにあの部屋にいると知らない女がいっぱい来ていやだ。おれにはゼルダがいるのに。話しても出ていかないんだ。心のなかで馬鹿にした目で笑うんだ』)
怒って、フンっと大きく鼻息を鳴らす。
「なぁに?」
両手で口を包まれるようにして、眠たげにとろんとした瞳で見つめられると些末な事になる。
(『何でもない。やっぱりおれはゼルダのにおいが好きだな』)
大きくベロンと姫君の顔を舐める。
姫君が小さく声をあげる。
「もう!やめてください」
鼻先を押される。けどそれをすり抜け、クンクン、クンクンと姫君の髪を耳をその首筋のにおいを嗅ぐ。
くすくすと姫君の笑い声があがる。
年若い男女が閨を共にする空気は欠片もない。
ただそこにあるのが嬉しいと、しばらく赤い幕の向こうから睦まじい気配がしていた。
翌朝。まだ眠る姫君を残して外に出た。
枕元に美味しそうに熟れたリンゴと大きい団栗を置いてきた。
リンゴは蛮族の好物であり、食料庫にあった1番美味しいにおいのするやつを選んだ。団栗はジャングルと違いここでは珍しくないものらしい。森に行けばすぐに見つかる。しかし、それを渡すと姫君がよくニコニコしていたので、夜を共にすると別れを惜しんで置いてくるのが習慣になっていた。一度、カエルと肉を置いてきたら騒ぎになったらしいので、それはもうやめた。
『ここは臭いし。汚い』
蛮族は誰ともなしに呟いた。
多くの人間のにおい。人が集まればそれだけ食べる物が必要になり、その後の腐りゆく食べ物の臭い。排泄物。それらを誤魔化すキツイ香りのを放つ花。それらの臭いをまとわせる男に女。
大量に流れる水はそれらをかき混ぜ、一緒に流そうとするが、蛮族の鼻にはあまり意味はない。
城門。二の丸をくぐる蛮族。
腕に姫の袖がはためく。
それを見下ろす兵士たち。
侮蔑に興味、わずかな称賛。卑猥な笑み。
首筋にチリチリとした嫌な物がささる。
彼にとっては蚊に狙われたくらいの物だ。
些末な物。
しかし、それが愛する女に向けられたら許さない。
それを視線にのせ、一瞥する。
すぐに不快な虫の音はやんだ。
「いよいよ、明日でございますね」
侍女が姫君の髪をブラシで何度も何度も梳いている。
回数を重ねる毎に、香油が染み込んで艶やかさを増す。美しくお育ちになられたこのお姿。早逝した王妃様にお見せしたかったと、侍女はこぼれそうになる涙を堪えた。
「そうですね。……お願い。彼には知られたくないのです」
「承知しております。文化の違う彼の事。たぶんその場を見ても気づきますまい」
「そうだと……いいのですが……」
姫君は右手の甲に視線をおとす。
蛮族が姫君に求めるのは、ハイリア人達の価値観でいう愛ではないと思っていた。
もっと原始的な衝動的で欲に近いのかと。
けど、この紋は姫君の間違いを教えてくれる。
蛮族は姫君を深く愛して、慈しみ、尊重してくれている。
逆にどうだろう。役目のため、血をつなぐため。大義名分に。義務として契約を結び、子を成し、それを子にも同じく強いていく。
(それはまるで…獣よと。蛮族よと。そう蔑む私達の方がまるで…)
『愛してる……』
姫君がぽつりと呟いた。
鏡台に情けない顔がうつっている。
「何か?」
「いえ。何も」