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    ny_1060

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    ワンライ「初めて」(2024.05.05)
    キスブラ

    「屋上は生徒は立入禁止だ」
     凛とした声に振り返ると、最近やたらとオレに絡んでくる同級生が仁王立ちしていた。それなりの距離を置いて追ってきているのには気付いていたが、放っておいてくれれば良いものを。
     オレは声の主に一瞥だけくれて踵を返す。と、すれ違いざま腕を掴まれてガラにもなく苛ついた。コイツのパーソナルスペースどうなってんだ。
    「……離せよ」
    「あと五分で次の授業が始まる。今すぐに教室に向かわねば間に合わないはずだ」
    「だったら何だよ」
    「お前はまたサボタージュのつもりだろう」
    「アンタに関係ねぇだろ」
    「関係はある。俺はお前のクラスメイトだ。……それに」
     ……呆れた。無茶苦茶な理屈だ。だがそれよりも、珍しく言い淀んだその先が気になってしまった。
     目で続きを促したオレに、ヤツは心なしか小さな声で続ける。
    「……お前は、先週の実技でクラス一位だっただろう」
    「……は?」
     しまった、思わず声が出てしまった。するとヤツは今度は開き直ったようにオレの目をまっすぐ見て言い放った。
    「お前には『ヒーロー』の素質がある。それなのにこのような怠惰なアカデミー生活を送ることは許されない。自分の使命をもっと自覚しろ」
    「……余計なお世話だ」
     腕を振り払って階段を駆け降りる。今度は追ってこなかったアイツを振り切って校庭の隅の倉庫でサボっている間中、アイツの射抜くような赤みがかった澄んだ瞳がやけに脳裏にちらついた。

     そんなことが週に二回は続いた。そうなればさすがのオレも逃げ回ることに嫌気が差してくる。時々は諦めて授業に出るようになり、そうするとヤツは今度は課題を出さないオレを追いかけ回してまた要らぬ世話を焼いた。実技の授業でのペアの演習では、組むような知り合いもいないオレはほとんど必ずヤツに捕まった。そうこうしているうちに、成り行きで言葉を交わす――と言っても大抵ろくに噛み合わない会話だが――機会が増え、ヤツの何でも卒なくこなしそうな顔をして案外不器用な所だったり、ガキかと思うほど負けず嫌いで熱しやすい所だったりが否応なしに見えてきてしまった。そのせいだ、そのせいでオレはどうかしてしまったんだ。
     最近、目が合うと一瞬思考回路が止まる。今日なんて実技の授業で手合わせした後に律儀に「ありがとう」と言われて、その時にアイツがほんのわずか頬を緩めたのが視界に入ってしまって、咄嗟に目を逸らすことしかできなかった。
     鬱陶しいヤツにはこれまで何人も出会ったことがある。中でもアイツのしつこさは筋金入りだ。それなのに、よりにもよってなんでオレは。
     ――こんなに誰かに心惹かれるのは、初めてだ。

     ◇ ◇ ◇

     これまで出会ってきた大抵の人間は、ブラッド・ビームスという自分を透過してその奥の別の何かを見ていた。それは往々にして家柄の伝統であったり父の威光であったりした訳だが、結果として大概のことは俺の望む通りに運んだ。無論、俺自身が努力を以てその時々に求められる以上の成果を出してきたことは言うまでもない。
     それが、こんな。
     なぜ俺は今校舎裏で同級生の首根っこを掴んでいるのだろうか? と言うか、今はもう授業中ではなかったか? いや、そもそもこいつが日直であるにもかかわらず教室から抜け出したのが発端で……
     端的に言うと、最近の俺はおかしい。いくら教師に頼まれたからとは言え、ここまでして一人の生徒の更生を図る義務は俺には無いはずだ。それなのに何故だか、あの男の動向が気になって、放って置けなくなってしまう。それは俺と同い年のはずなのに何かを諦め切ったような眼差しであったり、常に纏っている気怠げな空気であったりが物珍しいからだと最初は思っていた。だが、最近どうもそれだけでは無いような気がするのだ。

    「キース・マックス。今日期限の歴史の課題が未提出だ」
    「げっ」
    「げっではない。早くノートを出せ」
    「……しょうがねぇな」
     そう呟いて奴が差し出してきたのは、紙切れ一枚だった。ざっと目を通せば、課題の触りの所だけ解答らしきものが書いてある。
    「分かった、これは預かろう。だがノートはどうした」
     俺が尋ねると、奴は「面倒くさい」と言わんばかりの表情で顔を背けた。
    「質問に答えろ」
    「…………ねぇ」
    「何?」
    「……だから、ノートはねぇって」
    「無いとは、どういうことだ」
     問い詰めると、奴は聞こえよがしに溜息をついた。
    「買う金がねぇからノートは歴史の分はねぇって言ってんだ、これで満足かよ」
     そのまま奴は立ち上がって教室を出て行った。その背中を呆然と見送りながら、俺は頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を受けていた。 
     それは、後から振り返って言葉にするならば、今まで俺が生きてきた世界はもしかしてとんでもなく狭く偏ったものだったのでは無いかという、自らの土台が大きく揺らぐ心許無さとも言うべきものだったのだろう。
     ただ、この時の俺はそこまで自覚する余裕も無く、ただ漠然と、あの男の見ている世界が見たいと、唐突に、だが切実に思った。
     それから俺は何も考えずに奴を追いかけ、次の授業に遅刻した。俺は皆の規範となるべき生徒で、こんなことにかかずらっている暇などないはずなのに。
     ――ああ、こんなにも誰かに掻き乱されるのは、初めてだ。
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