「ブラッドさん、お疲れさまです」
「ようブラッド、お疲れ」
リビングで本を読んでいると、ウィルとアキラが帰ってきた。途端に賑やかになる空間に本を閉じると、気付いたウィルが慌てたように言う。
「すみません、読書中なのにお邪魔してしまいましたよね。アキラ、飲み物だけ取ったら部屋に行こう」
「構わない。リビングで読んでいたのは俺だしな。元より集中して読まねばならない類の本でもない」
ウィルはホッとしたように眉を下げる。
「ありがとうございます」
「なぁ、それ何の本なんだ?」
「アキラ!」
「良いだろ別に。隠すようなものここで読むわけねぇし。なぁ?」
「……詩集だ」
「シシュウ」
「ある詩人の詩を集めた書籍だ」
「詩……ブラッドさん、詩もお読みになるんですね」
「お前、活字なら何でも良いのかよ?」
「アキラ!」
「詩に造詣が深い訳ではないが、これは俺が好きな詩人の詩集でな。余暇にしばしば読んでいる」
「素敵ですね」
「年季入ってんな!」
「ああ、ルーキーの頃に貰ったものだからな、十年ほど経つか。頻繁に読んでいたら随分と古びてしまった」
「でも、大切にされているんですね。……差し支えなければ、どんなジャンルの詩なのか伺っても良いですか?」
ウィルの目の輝きに、一瞬答えを躊躇する。しかし文学は文学であってと頭の中で割り切りをつけて口を開く。
「……この詩集は、恋に関する詩を集めたものだ」
「恋!?」
「アキラ!」
すみませんブラッドさん、とアキラを宥めながら謝るウィルに、馬鹿正直に答えるべきではなかったかと思いながら、俺は立ち上がった。
「文学における恋愛はなかなかに興味深いものだぞ。まあ、好みは分かれるから勿論無理にとは言わないが」
そのまま自室に戻ろうとすると、アキラに呼び止められた。
「あれ、ブラッド、なんか落ちたぞ」
俺が手を伸ばすよりも前にアキラが本から落ちた紙片を拾う。心臓が跳ねた。
「『2100 R』……? 何だこれ、お前もこんなテキトーな栞使ったりするんだな」
「いや、拾わせてすまないな」
応えになっていない応えを返して、俺はそそくさと自室に引っ込んだ。
ベッドに行儀悪く寝転がって頬の熱を冷ます。オスカーが外していたのは幸いだった。こんな顔はとても見せられない。
この詩集は、ルーキー時代に俺から強請ってキースにプレゼントしてもらったものだ。恋人になったばかりだったあいつは、恋の詩集を俺に贈ることに当初大いに照れたが、あいつ自身もその詩集を読んでみて思うところがあったらしく、俺の誕生日にはぶっきらぼうながら綺麗にラッピングされたそれを渡してくれた。
その詩集を使って、俺とキースでしていたささやかな遊びがある。俺の自室の書棚に置いていた詩集に、キースがメモを挟むのだ。「2100 R」は「二十一時に屋上で待つ」。逢瀬の申し込みだった。
勿論、俺たちのルーキー時代にもスマホでいくらでも連絡は取り合えた。だからこれは一種の戯れだ。ジェイと相部屋だった俺の書棚にキースが来てメモを挟むのは、それなりの計画性が必要なちょっとした冒険でもあった。どちらが言い出したのだったか、多分映画か何かの影響を受けた俺からの提案だったように思うが、キースも面白がってしばしばメモを挟んでくれていた。メモを挟むページが毎回違っていて、詩を見てキースがページを選んでいることに気付いた時は俺も大いに照れたものだ。
そんなキースが挟んだ一枚を、後生大事に今でも持っているなんて、あいつに知られたら笑われるだろうか。……いや、あいつは案外ロマンチストだから、照れながらも喜んでくれるかもしれない。
何だか無性にキースに逢いたくなって、俺はスマホにメッセージを打ち込んだ。
『2200 R』