ラギーにしか見えない小さな監督生の話① 何も変わらない、いつもの日常。レオナさんを叩き起こして学校へ引き摺っていく。教室まで連れて行き、ちゃんと席に座ったのを確認して自らの教室へ向かった。
特に変わった事はない、いつものルーティン。
一つ気になった事と言えば、一年生の教室の方がざわざわとしていた事くらいだろうか。といっても、そんな些細な変化は毎日起こる事。毎日全く同じ出来事が起きる訳じゃないし、そんな事が起きたら知らず知らずのうちに何かに巻き込まれたと思うのが普通だろう。
だから、今のこの状況は全くもって予想していなかった。
午前中はいつも通りの学生生活を送って、昼になったらレオナさんの食事の世話を済ませて、やっと自分も昼食がとれると嬉々として中庭の秘密の特等席へ向かおうとしていた。そんなオレの制服の裾が何かに引っかかってぐい、と後ろに重心が引っ張られる。
よろけそうになる体を、持ち前の体幹を活かして倒れるのを阻止する。そして引っかかったであろう後ろの裾を見ると、裾をぎゅっと握った少女……少女!?
予想外の出来事にオレは天を仰いだ。この学校には一人だけ女子が存在しているけれど、それでもその子はオレの一個下の女子だったはず。しかし目の前に居る子はどう見たって五、六歳くらいの少女だ。そんな小さな子供が何故ここに居るのか…迷子だろうか。
これからの事を考えただけでも頭が痛くなって、確実に面倒事を拾ってしまった現状にオレは大きな溜め息を吐いたのだった。
* * *
「えーっと……キミ、名前は?どこから来たんスか?」
スラムのチビ達の様な年頃の子供を前に、無視という選択が何故か出来ず…オレは出来るだけ怯えさせない様に掴まれている指を一本ずつ解いて、そのまま手を握り視線を合わせる。
名前と場所を聞いて教員へ預けよう。この敷地に迷い込んだなら、校内にこの子の兄が居るかもしれないし…そんな事を思いながら少女の顔を覗き込んで、オレは更に頭を抱える事となった。
(あ~~~そういう事……)
肩まで掛かる髪を二つに縛っているこのお嬢さん。この学校唯一の女子にそっくりな顔をしていたのだ。常にトラブルの渦中にいる様なその女子生徒とそっくりという事は、これも今現在のトラブルだろうと全てを察してしまった。
(…これ以上巻き込まれたく無いし、あの二人組か監督生くんの担任の近くに置いて来るか…)
このままここに放置しても良かったのだろうけど、放置した結果変な輩に何かされたとか後から知ったら寝覚めが悪い。普段はどうあれ、今は小さな子供の姿なのだから。
安全な所に放すのが一番だろう。「ちょっと失礼するッスよ」と小さな少女を抱えて、目的の人物達の居場所を探した。
* * *
目的の人物三人と一匹は、どうやら同じ場所に居たようで薬品の匂いに混じって、微かに全員分の匂いが保健室から漂って来る。
オレは少女を入り口付近に降ろしてあちらへ行くようにジェスチャーで伝える。少女は指差した先とオレを交互に見て、何となく理解はしたけれどあちらへ行く気はないようで一向に動こうとしない。それどころかまたオレの裾をぎゅっと握る。
関わらずに放っていく事が不可能だと悟ったけれど、それとこれとは別で絶対に関わりたくないという意志は変わらない。うんうんと唸っていると保健室から「出てこい仔犬」という声と教鞭をぺちぺちと鳴らす音が聞こえて、遂に逃げ道が閉ざされてしまった。
オレはしぶしぶ保健室へと足を踏み入れると、当初の目的だった一年二人と獣一匹、そして先程の声の主である教師が一つのベッドの周りに集まっているのが目に入った。そのベッドにはオレの裾を掴んでいる小さな少女が本来の姿で眠っていた。
オレは彼女自身が何かしらのトラブルで小さくなっているんだと思い込んでいたので、この状況に軽くパニックを起こす。眠っている監督生くんと小さな監督生くんを交互に見て「え!?はぁ?」と一人慌てふためくオレを二人と一匹は不思議そうに見つめてきた。
「ブッチ、何の用だ」
見かねたクルーウェル先生がオレに声を掛けてくるが、なんと伝えたらいいものか頭の整理が出来ておらず、手の平を突き出して「ちょ、ちょっと待って欲しいッス」と制止の意を表して、片方の手は今日何度目かの頭を抱える仕草をしたのだった…
* * *
オレは頭を整理するためにも、とりあえず監督生くんの状況説明を聞いた。
どうやら監督生くんは昨日、発現したてのユニーク魔法によって現在昏睡状態になっているという。
そのユニーク魔法は『相手を眠りに誘い、その夢を覗く』というものらしく、授業中の事故で魔法に当たってしまうも、その時は眠る事もなく何も起こらなかったらしい。
発現したての魔法にはままある事で、その時は本来の能力が発揮出来る条件を満たさず不発に終わったのだろうと処理された。
しかしその日、オンボロ寮へ帰った監督生くんは「今日はいろいろあって疲れたのかな…グリムごめん、先に寝るね」とふらふらとした足取りで自室へ入っていったという。その日一日の事を考えたら、流石に疲れたんだろうなと思ったグリムくんは、その後監督生くんを起こす事もなく普通に過ごして普通に就寝した。
翌朝、目が覚めたらいつも起こしてくれるはずの監督生くんがまだ眠っていて、グリムくんが起こそうと声を掛けたけれど目覚める気配のない監督生くん。これはおかしいんじゃないかとグリムくんが大慌てでいつもの二人に相談して今に至る…と。
原因は確実にそのユニーク魔法だろう。しかしユニーク魔法を使った生徒は監督生くんの夢が見れないらしく、見ようとしても真っ暗だったり砂嵐のような映像が頭に浮かぶと言っていたらしい。そのユニーク魔法を使った生徒はハーツラビュル寮の生徒らしく、現在はリドルくん監視の元、原因解明を行っている。
(夢の中を覗く魔法、ね…プライバシーも何もあったもんじゃないッスね…)
ここまで一通りの説明を聞いて、オレはもう一度自分の後ろに隠れている少女を見た。少女は不思議そうにオレを見上げて首を傾げている。
いつも一緒に居るメンバーに反応を示さない様子を見ると、この少女の中に彼女の記憶はないんだろう。
オレの視線に気づいたクルーウェル先生が「何を気にしている」と言うので、今度はオレが少女と会った時の話をした。
今も傍に居る少女の話をすれば八つの目が不思議そうにこちらを見やる。その状況に漫画の世界ならオレの頭上にはクエスチョンマークが浮かんでいる事だろう。微妙な沈黙が流れる中、沈黙を破ったのはハートのアイメイクが施された彼女の友人だった。
「あのー…その子供って、どこに居るんすか?」
頭をぽりぽりと掻きながら困った顔をするエースくんに、ここに居ると視線を少女に移すけれどオレ以外の人間は眉間に皺を寄せ疑うような視線を向ける。
「ブッチ先輩…僕達にはその女の子は見えないんですが…」
「はぁぁぁ!?」
オレはとんでもなく面倒くさい事に巻き込まれたらしい。本当に勘弁してほしい。オレにはどう見たってそこに居る少女が周囲には見えていない。これではオレが虚言を吐いているように見えるじゃないッスか。勘弁してほしい。
どうしたものかと頭を悩ませるけれど何の解決策も見つからない。そんなオレをおろおろと見上げた少女は室内を見渡して、突然窓際へ駆けて行った。そして窓際に置いてあった花瓶から花を一輪手に取りそれをぶんぶん振り回し始める。
最初オレは何をしているのかわからなかったけれど、それを見るオレ以外の目が驚き見開いているのを見て、自分の存在をアピールするための行為だという事に気付いた。
「ブッチ、あそこにお前の言う仔犬が居るのか?」
「ッス。今花持ってぶんぶんしてるッスね…」
「それで、その女の子が監督生にそっくりって事なんすよね…」
どうやらオレ以外には花が宙に浮いているように見えているらしい…
デュースくんとグリムくんは未だに開いた口がふさがっていない。しかし、クルーウェル先生とエースくんはこの状況を受け入れて既に頭の中を整理し始めたみたいで、一先ず自分が異常者にならなくて良かったと心の中でほっと一息ついた。
「そうッスね。オレには小さい監督生くんって見た目に見えてるんで…そういや、まだ名前も何も聞いてないんでそっくりな『何か』の可能性もなくもないッスけど」
「会話は可能なのか?」
ここに来る前に名前を聞いたが、そう言えば答えを聞くよりも前に監督生くんにそっくりだからと急いでここに連れて来たので途中だったなと思い出して、オレは少女を手招きした。
手招きに、ぱぁっと顔を明るくしてこちらに駆けてくる姿はクルーウェル先生ではないが仔犬のようだと思ってしまう。
そしてオレは寄って来た少女の前に屈んで改めて話しかけた。
「キミ、名前はわかるッスか?」
「…ユウ」
「ユウくんって言うんスね。どこから来たかは覚えてる?」
オレが『ユウくん』と言葉にした瞬間、その場の空気に緊張が混ざる。やっぱりこのユウくんを名乗る少女の声もオレにしか聞こえないらしく、この先巻き込まれるだろう事態を想像して今度はうんざりした溜め息が心の中で漏れた。
「わかんない。ねぇ、お兄ちゃん、ここどこ?」
「ここはナイトレイブンカレッジ、学校ッスね。聞いた事ある?」
オレの問いに小さなユウくんはふるふると首を横に振る。その表情には少し不安の色が伺えた。
「ユウくんは自分のお家がどこにあるか言えるッスか?」
「ユウのお家…近くにねスーパーがあって、お隣には“まる”っていうワンちゃんが居るよ」
それはたぶん、監督生くんの元の世界の家の話なんだろう。そしてその後に聞いた地名もこの世界では全く聞いた事のない響きの地名で、これ以上の情報を引き出す事は無理だろうとクルーウェル先生の方を向いて静かに首を振り、少女から聞いた情報を全員に伝えた。
「話を聞くに、その見えない仔犬は監督生で間違いないだろう。そしてこれはあくまで推測だが…」
クルーウェル先生の話はこうだ。この小さな監督生くんは本来ユニーク魔法で見えるはずだった監督生くんの魂の欠片で、魂が欠けているから夢を見る事も出来ないし目を覚ます事も出来ない、今のイレギュラーが起きている可能性があるという事。ただしこれは推測の域を出ない。それでもこの小さな監督生くんが、監督生くん本人が目覚めるカギとなるのは確定だろうと言う。
「しかし、その小さい仔犬は俺達には見えない」
そこまで言ってオレは本能的に体が強張る。そして、ちらと出口を確認して体制を低くした。――が、オレの逃走よりも早くクルーウェルの腕がオレの首根っこを掴み、一気に絶望に落とされる事となる。
「まぁそう警戒するな、ブッチ。逃げようとするという事はもう俺の言いたい事はわかるな?」
「いやッスよ」
ぴしゃりと拒絶を示すけれど、そんな拒絶の意も鼻であしらわれた。
「お前にしか見えないんだ、仕方ないだろう?」
「いや、全校生徒探せば誰かしら居るかもしれねーじゃないッスか。だいたいオレはそんなメンドー事お断りッス」
「その小さい仔犬は監督生の魂の一部だ。それが居なくなってしまったら監督生は一生目を覚まさないだろう」
「別に監督生くんが目を覚まさなくてもオレは困らないんで、まじでメンドー事はごめんッス」
あんまりにもハッキリと断ったもんだから、一年生達は「え」とか「は?」とか「何でなんだゾ!」とか言ってるけれど、オレは監督生くんとキミ達のように付き合いが深い訳でもない。
「あのね、オレと監督生くんはキミ達みたいに特別仲が良いわけでもないんスよ。そりゃ顔見知り程度には知り合いですけど、面倒事を無償で助ける程の関係じゃないんで」
オレのこの意見をこの一年生達は冷たいだとかなんだとか思うんだろうな。しかしオレはそうやって生きて来た。何かするにあたって対価は必要だ。生きていくために対価を得て仕事を引き受ける。無償で何かをするのは一緒に生きていく家族だけだ。
そんなオレを動かすというなら、それなりの対価を用意してもらわないと……しかし、すぐさまその意図をくんだのは荒くれ者の多いこの学校で教鞭を振るう教師だった。
「何、勿論仔犬を見ている間の授業はある程度考慮してやる」
「それは当たり前でしょ。子守り舐めてんスか?」
「小さい仔犬の様子を報告すれば、それを今度のレポートとして扱ってやろう。内容によっては内申も考慮してやろう、どうだ?」
「授業の方はどの程度みてくれるんスか」
「仔犬が元に戻るまで授業に出れなくなってもマイナスにはせん。授業の遅れが出ないように出れなかった時の内容はプリントにして纏めてやろう」
「まぁそれなら…あ、ちゃーんと書面に残してほしいッスね」
オレがそう言えば、クルーウェルは一瞬しかめっ面をするものの「全くお前は…」と一つ溜め息を吐いて魔法で契約書を作る。そして、それにさらさらとサインを書くと宙に浮いた契約書がオレの目の前にふわりと移動してきて、オレはそれを受け取り内容をきっちりと精査する。先程言われた内容はしっかりと書かれているし、これならばまぁ妥当だろう。
オレがマジカルペンでサインを書いて契約成立。その様子をぽかんと眺める一年生とぴょんぴょんと飛び跳ねて紙を覗こうとする小さい監督生くん。
「ではブッチ、小さい仔犬は任せるぞ。何かあれば逐一報告しろ。それがお前の義務だ」
「わかってるッスよ。オレ、仕事はきちんとやるタイプなんで」
一先ず小さい監督生くんはオレ預かりとなり、監督生くんの本体はセキュリティの薄いここやオンボロ寮ではダメだろうという事で、学園長と教員が管理する一室に移される事となった。
一応はこの学校唯一の女子だ。誰でも出入り出来る場所に眠った無抵抗の女子が居れば、良からぬ事を考える奴も居るだろうていう事らしい。
そしてグリムくんは監督生くんが元に戻るまでハーツラビュル預かりとなり、其々の振り分けが終了したところでクルーウェル先生にもう一度声を掛けられる。
「監督生の本体が保管される場所は基本的に生徒は立ち入り禁止とする。しかし、ブッチとその小さい仔犬は定期的に来るようにしろ。何かしらのヒントが見つかるかもしれんからな。その際に気付いた事を報告しろ」
わかったな?と念を押されて、へーいと気のない返事を返す。
正直オレに暇な時間はない。一日のタスクの中に監督生くんの本体の元に小さい監督生くんを連れていくという内容が加わり、暫く忙しくなるなと今後の動きを考える。
どうすっかねーとオレの足にくっ付く小さい監督生くんを見て、とりあえずはうちの寮長様に報告する事からかと一つずつ問題を潰していく事を決めた。
そうしてその場は解散となり、オレとこの小さい監督生くんとの奇妙な生活が始まったのだった。