食育が必要「OMG!なんてことしてるのよLuca!」
「何!?俺なにもしてないよ!してない!」
画面の向こうから聞こえてきた2人分の悲鳴となにかが落ちるような音に思わず作業の手を止めて闇ノシュウは顔を上げた。
「Luca?Lucy?どうしたの」
声も音もマイクからは遠く、恐らく画面の前には居ないだろうと判断して少し大きな声で呼びかける。
それから、ああ、イヤホンをしてたらうるさかったかな、と少し反省した瞬間にとびきりの音量で返事は返ってきた。
「Shu!Lucyが怒るんだ!俺悪いことしてないのに!」
「したわよ!Shu!きいて、Lucaは焼く前のパンケーキミックスを舐めたのよ」
「だって甘い匂いがしてた!食べ物だろ!?」
「Wow……」
確かにそれは"悪いこと"に含まれるだろう。
さてどこから説明したものか、そもそも2人が別の身体で生活していればLucyもきっとここまで怒らなかったのではないかと思うのだけれど。
「Luca、焼く前のホットケーキミックスは粉でもドロドロの状態でも食べるとお腹を壊しますよ」
「何だって!?どうして!」
「どうしてでしょうね……」
正直、ちゃんとした理由は自分だって覚えてはいない。
たしか食中毒の類だったとは思うのだけれど。
「Lucy?多分Lucaの身体は成人男性にしてもしっかりしてるから、少し食べたくらいではすぐさま体調を崩しはしませんよ。落ち着いて?」
「だって……Lucaはすぐに風邪を引いたり体調を崩す子なのよ」
「それは……」
それは、少し意外かもしれない。
「俺Luxiemとしてデビューしてからは全然大丈夫なんだぜ!POG!」
「だとしても!私の意識のあるうちはこんなしょうもないことはさせないわよ」
「そんなに怒るなよ!」
画面の向こうが見えればきっと表情がころころと変わるLucaが見られただろうな。
それにしても音声だけだと本当にきっちり2人分の身体があるようにしか思えなくて、ますます不思議だと思う。
初めてLucaと顔合わせをしたときのことは今でもよく覚えている。
あの時はどう声をかけるべきか、少しの間固まってしまったものだ。
ーーー
「やあ俺はLuca。Luca kaneshiro!マフィアのボスなんだせ!POG!」
そう言って握手のためにLucaが差し出した革のグローブを着けた手を、僕はすぐに握り返すことができなかった。
ふわふわとした毛皮のコートに白いコート。胸元の開いた黒いシャツからはタトゥーの入った素肌が覗いている。
身長も自分より高い、立派な成人男性の体躯だというのに、彼の姿が視界に入るたびほんの瞬きのような時間まるでサブリミナルのように全く同じ格好をした女性の姿が彼に重なって見えるのだ。
どうしよう、僕はこれを見なかったフリしてもいいんだろうか。
そう心の中で自分に問いかけた瞬間、横から出てきた手が彼の手をしっかりと握り返したのが見えた。
「よろしくLuca。私はVox、ところでその素敵なお嬢さんは君の血縁者かい?」
「Vox、POG!……あれ、もしかしてLucyのこと見えてるの?」
「彼女はLucyと言うのか。ああ、見えているとも私と……それからShu、君も見えているな?」
どうやら見透かされていたらしい。
2人の視線にハンズアップのポーズで答える。
「そうだね、見えるよ。すぐに握手に応えられなくてごめんLuca、ちょっと目が混乱していて」
「いいよ!よろしく!」
改めて握り返したその手は大きくて、しっかりとした厚みがある。
どうやらこの話題が彼のデリケートな部分に触れていないことにホッとしていたら、後ろから2人分の困惑した声が聞こえてきた。
「なぁさっきから何の話してるんだ?」
「Luca?Lucy?」
MystaとIkeだ。
いきなり蚊帳の外になったようであまり気分がいいものじゃないだろう。
どう説明しようと口を開いた瞬間、今度はここに居た誰の声でもない艷やかな声が響く。
「私がLucyよ!みんな、Lucaのことよろしくね?」
集まる4人分の視線の先に居たのはもちろんLucaで、今起こったことがまるで幻のように今度はしっかりとした男性の声で彼は高らかにPOG!と叫んでケラケラと笑った。
ーーー
ほんの数ヶ月前の思い出に浸っていた間にLucaとLucyは和解したらしい。
「ごめん、俺がお腹壊したらLucyも痛いのを忘れてたよ。気をつける、ちゃんと気をつけるから」
「ああ私も強く怒りすぎたわ、ごめんなさいLuca」
結局のところ、この双子の兄弟喧嘩は些細なことで起こっても長続きはしないのだ。
落ち着いた2人の声を聞きながら、僕は再び配信の準備に取り掛かった。