華を思いて「興味深いね。この学校に鏡に関する七不思議があったとは。それとも『お前は誰だ?』と問い掛けて発狂してしまうか試して都市伝説の正体を暴くのかい?それなら結論は出ているよ。ゲシュタルト崩壊。自身の顔でそうなってしまうからおかしくなるんだってね。種明かしされたマジックは面白味に欠けるよ」
「色々と言いたい事はありますが…。音もなく背後に立たないでください。怖いんですけど」
「人様を怪異か何かだとでも?中々言う様になったね、君」
「…からかわないでくださいよ。恭華先輩」
「ふふふっ」
意味もなく踊り場の鏡を呆然と眺めていた俺も悪いがこの人も大概だ。その大概さんは恭華先輩。オカルト部の部長。俺はその部の後輩だ。本人は普遍的な少女と謳っているが普遍的な少女はオカルトに傾倒などしない。
「何かありました?」
まあ、このお方が用件があって話し掛けるというのはそうは無く、単に俺の行動に自身が介入する事で何が起きるかという行為を楽しんでいるかシンプルに俺を観察するのが娯楽というそんな事でしかないと思うが問うだけ問うてみた。
「そうだね。ここが屋上なら飛び降りてしまうんじゃないかと思う顔をしていたから声を掛けたのさ。大切な後輩が逝ってしまうなんて悲しいからね。七不思議の一つになって、ここが存在する限り語り継がれてくれれば寂しくはないかもだけどさ」
「先輩はデリカシーという概念をどこかで失くしてしまったんですか?流石に怒りますよ」
「ごめんよ。素敵な後輩君」
そんなに思い詰めた顔でもしてたのかとうっすら思いつつも七不思議になれは笑えない。先輩は七不思議になれるならと命を絶ってしまいそうだがそれも笑えない。そう簡単に死んでしまうなんてあり得ない。
「本気で怒ってるじゃないか。何を奢ればいい?少しお高めのファミリーレストランでも良いよ」
「…ラムネで」
「ん?ラムネ?そんなものでいいのかい?」
「夏を楽しみたいという理由も付けます」
「あははっ、素敵だ。いいよ」
青春を謳歌したいが本音なのだがそんな事を言おうものなら趣味が悪いと言われてしまう。そう、女の趣味が。先輩の場合は本気で自身を選ぶなんてと嘲る。変人に恋するな、という意図で。普遍的な少女なんでしょう?と返そうものなら本気に捉えるのかい?とこれまた嘲られる。すぐに詰みを用意するなんて何とも意地が悪い。この心は恋じゃないと思いたいがそれはそれ。尊敬する人と青春を謳歌する事は良き事であって罪ではないのだから。
「また長考しているね?それ自体は悪くないが時というのはあっという間に去ってしまうものさ。立ち止まるより進もうじゃないか」
先輩はそういうと軽やかに階段を下っていった。その姿に先輩とは程遠いであろう儚さを感じて一瞬だけ鳥肌が立った。消えないでくれ。何故か刹那的にそう思い、気が付いたら駆け出していた。
―
「元気良く飛び出したはいいけど最寄りの駄菓子屋まで歩くのがこんなに辛いとはね」
「猛暑日…いやこれ酷暑日ですね。汗が止まらないです。暑い…」
徒歩五分。たったそれだけなのに永久に続く砂漠を歩いている感覚に陥った。アスファルトの照り返しでジリジリと焼けていく。先輩は表情がろくに変わらない。これが本当の涼しい面という奴なのかな。
「着いたよ。すみません、これお会計で」
俺はへたばってどかりとベンチに座り、スマートにラムネを購入する先輩を眺めていた。冷蔵庫からラムネを掴む動作、お会計、そして。
「はい、ラムネ。自身の熱と夏の暑さに冷たさが奪われないうちに飲みなよ」
あっという間に頬に当てられる冷たい瓶。結露が頬を伝ってシャツに落ちる。
「つめたー。はぁ、冷たい…。」
「そんなにしみじみと神から授けられた逸品みたいに扱わなくてもいいじゃないか。くくっ、面白い。ふふふっ」
先輩の笑いのツボって俺なんじゃないかと思うぐらいに笑われた。ラムネの栓を開けるのも飲むのも下手な俺の姿を見たら更に笑われそうだ。
「これ毎回溢すんですよね…」
キャップから玉押しを外して、容器の口に乗せて押し込もうとすると先輩に声を掛けられた。
「相手は炭酸。すぐに手を離さずに五秒ぐらい。衝撃で上がってきた炭酸が落ち着くまで押さえるんだよ。せっかちは宜しくないって事さ」
今までの押してから溢れる!となって急いで口を付ける無様な姿を見せずに済みそうだ。先輩のアドバイスに従って押し込んで少し待って手を離すと溢れなかった。
「ね?」
「おー…」
「そんなに感嘆しなくてもいいじゃないか。ふふっ。それと飲む時は出っ張りに上手くガラス玉を引っ掛けるんだよ。ちなみにこのガラス玉。規格に合格するからA玉、不良品がB玉でビー玉説とビードロ玉だからビー玉説があるね。前者は俗説。だから、正しいのは後者らしいよ。ガラス玉一つで面白い話があるものだよね」
小話を添えながらどうやって飲むのか実際に見てみたくて先輩を見る。手慣れた様子で出っ張りにガラス玉を嵌めて飲んでいる。夏の日差しがそのガラス瓶と同じように先輩の身体をすり抜けた気がしたがそれはひと夏の幻覚だと。そう思う事にした。先輩が蜃気楼?肯定も否定も出来ない。それこそ答えが蜃気楼のように曖昧という事にしておいた。
「んー?」
悪い笑みを浮かべる先輩が眼前にいた。
「おっ…あっ…」
「うわぁ!って言ってくれても良かったんだよ。そうしたらもう一度、人様を怪異か何かだとでも?と言ってあげたのに。そうやって小動物のようにきょどきょどするのも乙だけど。本当に君は長考思考だね。一つの事に集中出来るというのは素敵だけどさ」
照れというのもあるがさっきの透き通った先輩の事が頭をよぎって驚きよりも動揺が勝って言葉にならなくなったが現状だ。怪異というより…嫌だ。言いたくない。考えたくない。その単語は嫌だ。先輩はいる先輩はいるんだ。それがラムネを嗜むか?鏡に映ったりするか?俺以外にも見えてる。そうなんだよ。脂汗をかいていると先輩が口を開く。
「悪い事を言ってあげようか。肝試し、怪談、ホラー。これも夏の風物詩。あ、もっと直接的なものもあるね。お盆だって夏の行事だね。ただいま、"恭真"」
「やめて…やめて…先輩。恭華…せんぱ…い」
先輩は…恭華さんは…。涙が溢れて止まらない。蛇、恭の字、曲神。あぁ…あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!
ー
「恭真?なに泣いてるんだよ。気色悪いな」
友人に声を掛けられて正気に戻る。辺りを見渡すと駄菓子屋などなくフードコートの一角だった。ラムネはあったがそれは溢した形跡のあるものだった。
「何でも…ない」
「何でもないのに泣くなんてヤバいぞ」
「ごめん…」
「そこまでにしておけ」
「おわっ、梃子守!?どっから出てきたお前!?」
梃子守慧。距離感が丁度良いクールな友人。よくこうやって助けてくれる。私服は初めて見たがとてもよく似合ったおそらく流行りを押さえた格好良く夏らしい衣装だった。
「言っておくけどイジメじゃないからな?」
「分かっている。もしそうなら報告しているからな」
「こえー」
「情緒不安定な俺が…悪い」
「あぁ、そうだ。だが、理由は言いたくなったら言ってくれ」
手厳しいような優しいような。慧は掴み所がない。俺はそういう人物と相性がいいのかもしれないと思った瞬間に恭華先輩の顔がよぎり呼吸が不規則で荒くなる。
「うーん…こりゃ重症だな…遊びに連れ出さなきゃ良かったか」
「それは問題ない。お前は恭真の事を気にせず好きにするといい。後は任せてくれ」
「ありがとうな梃子守」
友人は去っていった。自身の不安定さのせいで友人を困らせるのが辛い。周りは皆、優しくていい奴だ。それ故に苦しくなる。涙が止まらない。
「ハンカチ。使ってくれ」
渡されたシンプルな紺色のハンカチを受け取って涙を拭く。夏休みのフードコート。人がごったがえす場所。視線が痛いといえば痛いが大体は個など気にしていられないという無関心さの方が強くてそこまででもない。しかし、子供の無邪気な好奇心の声が聞こえてくるとなにやってるんだろうという気持ちにはなる。
「落ち着いた…ごめんな…慧」
「場所を変えよう。ここの屋上庭園は静かだ」
「分かった」
ラムネを一気飲みして、むせながらも空瓶を捨てて慧に付いていった。
ー
屋上庭園に着いて、人の来なさそうな場所のベンチに腰かけるまで俺達は口を開かなかった。俺は喋る気にならずただ呆然と目の前の植物を眺めていた。
「日常生活に支障をきたす問題。第三者が口を突っ込む事じゃないが然るべき所にかかった方がいい」
「そんなに酷い…とは…思って…ううん…」
上手く言語化出来ないがトラウマを抱えているのは事実だ。でも、原因を話せと言われたら気が狂ってるとしか言い表せない事実。そういう問題なんだ。
「厄介なのは理解した。あまり無責任な事は言いたくないが時間が解決してくれるといいな」
「そう思…う」
ろくに会話が出来ないのを申し訳ないと思うが言葉が出てこない。その上、慧がいるというのに考えてしまうのはあの幻覚はなんだったのだろうという事。今日はお盆の中頃。本当に先輩…恭華さんが帰って来て、俺に甘い幻覚を見せていたのか。成仏した魂も帰ってこられるのか。そういうのは宗教の範囲だからよく分からない。
「なあ…その…」
「どうした?」
「…。」
幽霊はいると思うか。それは問わなくても答えは出ている。恭華さんがそうだったから。先祖の魂が帰って来てると思うか?それはそういう時期なんだからそうだろうと返されるだろうと聞いてもいないのに自己完結してしまって何も言えなくなった。
「ごめん…」
「謝られるような事をされていない」
慧の鋭い言葉でまた黙り込む。頭を動かせ、何をするべきか。整理しろ。一番知りたいのは恭華さんの幻覚が発生した原因。だが、慧に問い掛けた所で精神異常者扱いされるのがオチ。そこまで強く貶される事はなかれど慧に聞いたって知っている訳がない。恭華さんに執着し過ぎ。うるさい、やめろ、黙れ。それが俺の生きる理由だ。恭華さんが満足して昇天していったとはいえ俺は納得出来ない。悪はのうのうと生きている。恭華さんを殺めた曲神。奴さえいなければ…。だが、ただの高校生に何が出来ようか。チェーンソーで神は殺せるらしいがこれはリアルだ。創作じゃない。
「今度は怒りか。忙しい奴だな」
慧の声と自身の歯軋りの音、握った拳に食い込む爪の鋭い痛みで現実に戻る。奴の事を考えると心の奥底から真っ黒になる。憎しみ、怒り、やるせなさ。あぁ、これをどうやって吐き出せばいいのだろう。
「本当にその通り。忙しい奴だよな…」
「ふぅ…お前が話せないなら俺の本音でも聞いてくれ。お前の気持ちに添ってやれなくて申し訳ないと思っている」
「…え?」
俺に寄り添いたい?慧が?そんなに熱い男には思えないのに。
「本音だ。正真正銘の。ある日を境にお前は笑わなくなった。笑っていたとしても本心じゃない。そして、その目は俺や同級生達と違うものを見ている。常に心ここにあらず。元に戻れと言うのは酷だ。せめて、現実に帰ってきてくれないか。何に囚われている?何を見ている?…答えなくてもいい。深くは追及したくない。ヤマアラシのジレンマ。刺して傷付けたくない。その意図が伝わっていたかは分からないが」
慧の口調に抑揚はないが確かに熱いものを感じた。ヤマアラシのジレンマか。そうだったのか。心地よい距離感でいてくれたが本当はもっと親身になりたい…か。意図は伝わっている。いつも聞きたそうにはするが俺の意思を尊重している言葉を発しているから。今さっきだって答えなくていいと言った。優しいな慧は。ごめんな、何も言えなくて。真の友人になりたい。そうなんだろ?俺だってなれるならなりたい。そうはいかないんだ。はぁ、本当に不甲斐ない奴だな俺。でもさ、これだけは聞いてくれ。
「今のままでも十分救われてる。…本当は謝るつもりだったがそんなの聞きたくないだろ?ありがとう。本当にありがとう。これしか言えない。感謝を伝える事しか出来ないんだ」
それだけ言って俺は立ち上がって走り去った。慧の返答は聞きたくなかった。曲神じゃない神がいるならどうか俺に曲神を殺させてください。どんな代償でも支払います。俺は失いたくないものが。本当に欲しいものが沢山溢れているけれども血族の為なら。曲神の食い物にされる未来を阻止出来るのならば…。いや、そんなに高潔じゃない。本当は単なる復讐かもしれないが曲神さえ殺せれば何だっていい。恭華先輩。いや、恭華さん。幻覚でも出逢えて嬉しかったです。あなたの事はこの命尽きるまで尊敬し続けます。燃えたぎる黒き意思を抱いてただただ俺は走った。