躯砦にて、優雅で華麗で奇妙な日々。:
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昔々ヨコハマと言う街に捕らわれの王子様達が住む骸砦という不気味な塔が有りました。
そんな前置きの御伽噺なら何だとそうかこれは僕の妄想なのかと現実逃避出来たがそういうわけには行かなかった。
今、敦の目の前にあるこの光景は現実だ。
「なんだよこれ……」
気がつくと敦は見知らぬ部屋の中に立っていた。朝日が硝子に反射してきらきらと眩しい。たぶん朝なのだろうと思って朝日だと認識したが昼の空高い日差しかもしれないし夕刻の西日かもしれない。もしかしたら夜の無駄に強烈な照明かもしれない。それよりもなんなんだこの状態は。
「嗚呼さすが私の天使だ。純白がよく似合う。さあ、もう少しこちらへ来たまえ」
満面の笑みを湛えながら男が両腕を広げて敦に近づいてきた。端正な顔立ちに長い白銀の髪を靡かせる血の色の様に赤い光彩を輝かせた男だ。かつんかつんと踵が床を鳴らす音が鼓膜に痛い。うわやばいこいつ。誰が誰の天使だって。条件反射で敦は後退りをする。
「まあ澁澤さんお待ちなさい。可哀想に。貴方の突拍子もない言動で愛らしいお嬢さんが脅えてしまっているでは有りませんか」
うわやばい奴がもう一人出てきた。黒髪の青白い顔色の男がその後ろから現れた。ねっとりとした闇紫の眼がじとりと敦を見て嗤いに歪む。だから誰が愛らしいお嬢さんだよ。敦はじわりと背中が汗ばんでくるのを感じていた。もう一歩後ろに歩を進めるとドアノブが腰に当たった。
「待ちたまえ敦君。頭の螺子が弛んだこのおかしな二人はさておいて。そのメイド服、とってもよく似合ってるじゃないか!なんて可愛らしい!さすが私が選んだだけある!」
「はあっ!貴方ですか太宰さん!」
ようやく見つけた見知った男の姿声に安堵したのも束の間、その発言に敦は思わず声を荒げた。諸悪の根源はこいつか。前々から薄々感じてはいたがやっぱり頭の螺子がぶっ飛んだやばい奴だった。可愛いと誉めてくれたようだがちっとも嬉しくない!
太宰の言葉通り、敦は今何故かメイド服なるものを着ている。紺色の、膝丈よりは少し長めのシンプルなワンピースに程よくフリルのあしらわれた真っ白なエプロン。そしていつも履いている物よりは幾分細めで踵に高さのある、しかしけして窮屈さは感じさせない編上ブーツ。そして何の意味があるのか解らない頭飾り。喫茶うずまきに住み込みで働いているモンゴメリの三角巾の方がよっぽど実用性がある。
「私の好みとしてはもう少し丈の短い物でもよいのではと思うのだがね。こう、見えそうで見えないという際どさにそそられる。しかし太宰君が此の長さが一番君に似合うと言って譲らないのでね」
「誰もあなたの趣味嗜好など聞いていませんよ。尤も楚々とした少女らしさを引き立てる此の長さに隠されているからこそ捲り上げた際に目に映る麗しい肢体が引き立つと思います。まあそれを言えば僕としてはもう少し長めでもよかったかと」
至極まじめな口調で秀麗な男達が語るのは己の性癖全開な戯言。スカァトの丈が長かろうが短かろうがなんてどうでもいい。どっちにしろ人の体を舐め回すように見てくる助平親父じゃないか。敦はドアノブに手をかけてゆっくりと回した。幸いなことに鍵はかかっていない。
「嗚呼こんな奴らの言うことはどうでもいいからさっくり聞き流したまえ。そうだ敦君、ちゃんと網タイツはいてくれたんだね!」
「網、え……あ、うっわあ……」
太宰の言葉に敦は少しだけ裾を持ち上げて足元を見た。太宰が言うとおり敦が履いているのは網タイツだ。いつ誰が履かせた。そもそもいつ誰が自分にこんな服を着せた。
「ここは何なんだよいったい」
自分の格好に敦自身が一番どん引く。そして太宰達がきらきらとした眼差しを敦に向けているのを見て更にどん引く。三人揃いも揃って顔はいいのに中身は奇人変人変態だ。顔面偏差値の高さもただの無駄でしかないなと、敦は胸の内でかなり失礼なことを思っていた。
「そうだ鏡花ちゃん、と、芥……」
そもそも敦は此のヨコハマに突如発生した濃霧の中、鏡花と芥川と共にその原因であろう澁澤達彦という男を追い、そして霧発生直前から行方不明になった太宰を探し出すためにこの骸砦なる廃墟に足を踏み入れたのだ。しかし途中で、自分達から離れ実体化した異能に襲われる。それに応戦しているうちに敦は二人を見失った。
「ああ、きっとその二人なら今頃どこかで己の異能と闘っているだろう。まあ生身の人間に勝ち目など、皆無に等しいがね」
そして今、澁澤と呼ばれた男が敦の左手を取り笑いながらそうのたまった。ひんやりとした、生気の感じられないそのてのひらに、敦のはぞわりと毛が逆立つような心地がする。
「そうして彼らも間もなく此の蒐集部屋に収まることになるだろう。その時はちゃんと君にも会わせて上げよう。楽しみにしていてくれたまえ」
澁澤が仰々しい身振りで指し示した部屋の中には、燃え盛る焔の様に赤く輝く欠片が壁一面を埋め尽くしていた。敦にはそれが結晶化された異能であることは説明されなくても解った。ついさっきまで自分が対峙していた白虎の背に有ったものを打ち砕いたから。
「心配かい?」
いつの間にか敦の右手に立っていた太宰が一房だけ長く垂れた横髪を掬い上げて囁きかけた。その吐息が耳元にこそばゆくて顔を背けると其方にはもう一人のまだ名前を知らない男の顔があった。病的なほどに白いが怜悧な男の微笑みは不気味さを醸し出している。三者三様に男達は美形ではあるがそんなことはどうでもいい。ほんと無駄でしかないなぁと敦は心底思う。
「何で、こんなことに」
鏡花や、異能が自身から分離したせいで同じ状況に陥っているであろう武装探偵社の面々はどうなっているだろうか。そして普段顔を合わせればお互い脊髄反射で臨戦態勢にはいる某ヤツガレ野郎は大丈夫か。敦は仲間ばかりでなく天敵の心配をする余裕を持つほどに、混乱していた。ポートマフィアの禍狗なんて大層な二つ名がついているがあれも黙ってりゃ顔はいいがすぐに人に噛みつくことしか芸の無い莫迦狗だよな今度有ったらお座り仕込んでやるからなと此の場にいない彼を八つ当たり気味に罵ってみる。
「おや、またひとつ」
澁澤が視線を向けた方向を他の二人、そして敦も見た。赤く輝く異能結晶がどこからともなく部屋に飛び込んで来たかと思うと壁面の空いた所に迷い無く収まった。
「残念ながらお友達ではなかった様ですね」
紫の瞳を細めて穏やかな声で残念そうに微笑む男を敦は睨み付けた。異能結晶を見た瞬間にそれが鏡花でも芥川でも、探偵社の誰でもないことは直感で解ったが、それをこの男達に言葉にされるのは何だか腹立たしくって仕方がなかった。
***
「ほら敦くぅん……私の……お・ね・が・い」
両手で頬杖をついて上目遣いに見上げてくる太宰を敦は冷ややかな目で見下ろしていた。
「好きなこと書いていいんだよ。日頃の私への思いとか」
大きな円卓には彼等三人が纏う純白の衣装同様に真っ白な卓掛が整えられてその上には真っ赤な林檎が盛られた器が置かれ、その林檎には刃が突き立てられている。なんともおどろおどろしい卓だ。そして今は食事時。朝か昼か夜かは解らないがとりあえず腹が減ったらしい三人はどこからともなく用意されたそれを前にして敦にとんでもないことを要求していた。
「駄目?」
上目遣いで少し可愛らしく小首を傾げる太宰のその仕草に、おそらく大概の女の子は堕ちるだろう。敦とてこんな状況でなければ頷いて恥ずかしがりながらも素直に太宰の要望に答えたかもしれない、が。
「はぁ?何言ってんですかさっさと自分で掛けてとっとと食ってください。ケチャップ、他の二人も物欲しそうに見てるし太宰さんにそれやったらぜぇぇったいこの人達もやれって言ってくるでしょう!そんなめんどくさいことにいちいち付き合ってられません其れも三人も!それといい加減僕の服返してくださいよねっ!」
言ってみたところで無駄であると解ってはいるものの言わずにはいられない。服は此処にくる直前の、白虎との戦闘で引き裂かれぼろぼろになっていた。唯一あの妙に長さのあるベルトだけが白いエプロンの上から腰に巻かれている。何でこれだけ、ってことは聞かずにいた方がよいと敦は判断する。
三人の食事はオムライス。メイドと言えばオムライス。オムライスと言えばメイド、らしい。そうしてどこぞの喫茶店宜しく敦の手によってそれにケチャップをかけてもらいたい、と言うことらしい。阿呆過ぎる、と敦はため息をつく。そして顔を上げると其れでも期待を込めた太宰の瞳にかち合った。これはやってやるしか食事を進める手段はない。
「……え」
「何です文句有るんですか。太宰さん好きなこと書いていいって言ったでしょう」
「言ったけど……でも」
太宰のオムライスの上には『人間失格』と書かれていた。伸び伸びとした豪快さすら感じさせる見事な書きっぷりに他の二人から拍手が起こる。孤児院で、字は丁寧に書けとかなり厳しく躾られた成果だと現実逃避に敦は思う。
「さあ次は僕の分です。僕は……って!」
「はははフョードル君先を越されたね!って!私のにも!いつの間に!」
太宰の失敗を見て自分たちはメイド喫茶よろしくきちんと要望を出そうと待っていたようだがそれよりも先に敦はどばぁと、まるで血だまりのような勢いで二人の皿にケチャップを掛けていた。
「あの、僕もお腹空いたのでご飯食べたいんですから。あんまり手間をかけさせないでください。あ、後食べ終わったらあのワゴンに置いて部屋の外に出して置いてください。それでは」
ケチャップをきちんとワゴンの上に置いて敦はもう一度三人を睨み付ける……ほんと顔だけはそろいもそろって佳いのに以下略。
「ねぇ敦君」
「何ですか?」
「君もここで食べたまえ」
「いやです。それに席がないじゃないですか。僕はメイドなので別室に用意してますから。失礼いたします、ご主人様方」
どうやら自分はしばらくここから逃げ出せない。取りあえず鏡花と芥川、そして探偵社の面々の無事を信じながら此の何だかかばかばかしい猿芝居に今は乗っかるしかないのだろう。にっこりと、其れでも剣呑な色を隠すことなく敦はそのかくも愛らしい笑顔を三人に向けた。