エリントンミュージアム業務日誌「あっ、それ。うちのミュージアムショップで扱っているフェザーのボールペンじゃないですか。どうしたんですか」
次の企画展の構想を練ろうと事務室で資料を読み漁っていると女性スタッフに声をかけられた。僕の雑踏とした机上に置かれたペン立ての中で誇らしげに鎮座しているフェザー社製のボールペンが気になったのだろう。
「いいでしょ、コレ。とある刑事さんに貰ったんだ」
「何で刑事さんがコリーさんにプレゼントを」
女性スタッフは怪訝そうにボールペンを凝視している。
とある刑事さんから貰ったなどと自慢げに語ったが、彼が刑事さんだと知ったのはつい先日のことだ。それまでの間、彼と僕の間柄は博物館の利用者と博物館に勤務する学芸員に過ぎなかった。
彼はエリントンミュージアムの常連だ。僕がエリントンミュージアムで働きはじめるよりもずっと前から通ってくれている。学校の遠足で見学に来たのをキッカケに、幼い頃はお父さんと一緒によく見学に来てくれていたらしい。長年に勤めている先輩学芸員が孫を愛おしむように語っていた。いつの日かお父さんは見学に来なくなってしまったが、訪れるたびに館内アンケートに感想を沢山書きこんでくれている。彼のアンケートを読むことが学芸員内での密かな楽しみのひとつになっているぐらいだ。
企画展のたびに必ず見学に来てくれていた彼だったが、数年前に一度だけ全くといってもよいほど、見学に来なくなってしまった時期があった。あのときはスタッフ一同ソワソワしたものだ。彼の身に一体、何があったのだろうか。プライベートに踏み込めるような間柄ではないので、あの時期なにがあったのかは聞ける見込みはないが。
彼は勉強熱心な青年でもある。展示物を見ながら真剣にメモをとったり、時には学芸員に質問をすることもある。今回プレゼントを貰うに至った経緯も彼から質問を受けたことがキッカケだ。彼から受けた質問は確かこんな内容だったはずだ。
────あの日は館内設備の点検も兼ねて展示室を巡回していた。
「あの、すみません。お時間のあるときにお聞きしたいことが」
手元のバインダーに点検記録を書き込んでいると声をかけられた。
声をかけてきた男性はブルーストライプのシャツにブルーのネクタイを首元まで緩みなく締めた、いかにも真面目そうな青年。今日もトレードマークのトレンチコートを身にまとっている。
「今でも大丈夫ですよ。今日はどうされたんですか、ウィリアムズさん」
彼こそウィリアムズさんの手元には、今回の企画展のパンフレットと付箋が所狭しと、貼られた図録が握られていた。彼は歴史好きなのかいつも興味深い質問をしてくれる。今回はどんな質問だろうか。
「このページに載っている写真についてなんですが」
図録を開き、万年筆で署名している最中の男性が写った写真を指さす。
「戦争終結文書の調印の写真ですね」
「このときに使用された万年筆について詳しく知りたいんです。ブランド名などはわかりますか」
なんとタイミングのよい。次の企画展にむけてちょうど調べていた内容だ。ブランドのことやこの時に使用された万年筆に関する資料ならばバックヤードに行けば大量にある。
「わかりますよ。資料持ってきますね」
返事も待たずに僕はバックヤードへと駆け足で向かった。
戦略兵器削減条約の予備条約の調印の資料も参考になりそうかも。これもウィリアムズさん好きそうかも。あれもこれもと夢中になって資料をかき集めていたら両手が千切れそうな量になってしまった。ウィリアムズさんに喜んでもらいたい一心で腕をプルプルと震わせながらウィリアムズさんのもとに戻る。
「お待たせしましたっ……」
大量の資料を抱えた僕に気が付いたウィリアムズさんが、わざわざ駆け寄ってきてくれた。
「大丈夫ですか。よかったら持ちますよ」
「ありがとうございます。そこの机の上に置いてもらってもいいですか」
ウィリアムズさんは資料の山を引き受けると、軽々と持ち上げ、優しく机の上に置いてくれた。筋肉質には見えないんだけどかなり力持ちなんだな……。貧弱な僕とは大違いだ。何かスポーツとかやっているのかな。バスケあたりが似合いそう。
「どうかしましたか」
ウィリアムズさんが照れくさそうに眉を下げている。見惚れてガン見してしまった。
「いえ、失礼しました。お知りになりたいのはブランド名など、おもに万年筆のことですね」
「そうです。よろしくお願いします、先生!」
ウィリアムズさんは屈託のない満面の笑みを浮かべている。
先生か、照れてしまう……。この人たまに素でこういうこと言うんだよな。僕じゃなかったら勘違いしている。罪な人だ。
「この時、使用された万年筆は『フェザー社製』の万年筆です。資本が移り今は別の国のブランドですが、元はリカルド発祥のブランドです」
「フェザー!聞いたことがあります。確か王室御用達にもなっているブランドですよね」
「よくご存知ですね。このとき使用された万年筆のモデル名などはこちらの資料にまとまっています」
コピーした資料の山をウィリアムズさんに渡すと目を輝かせながら受け取ってくれた。
「ありがとうございます!時間の許す限りメモを取らせていただきます」
ウィリアムズさんはメモ帳を握りしめながら「ふんすっ!」と意気込んでいる。
「そちらはコピーですのでよかったら貰ってください」
微笑みかけながら告げると、キラキラと輝く瞳の輝度がさらに増した。
「いいんですか……!お言葉に甘えてありがとうございます。」
幻覚かな。ウィリアムズさんに犬耳とシッポが生え、パタパタと動いているように見える。
「あっ!少し待っててください」
ウィリアムズさんは何か思い出したのか、僕の前から忽然と姿を消した。いったいどうしたのだろうか。
待つこと数分後。ウィリアムズさんが戻ってきた。
「あの、よかったらこれ受け取ってください」
ウィリアムズさんの手に握られていたのは当館のミュージアムショップのショップバック。ショップバックの中にはフェザー社製のボールペンが入っていた。お礼にとわざわざ買ってきてくれたのだろう。何て律儀な人なんだ。だが、僕はあくまでも自分の仕事をしただけ。ウィリアムズさんに出費させてしまうのは忍びない。
「お心遣いすごく嬉しいです。でも僕は市民サービスに繋がればと思ってしただけのことですので……どうかお気遣いなく」
「じゃあコレはいつもお仕事を頑張っている学芸員さんへのクリスマスプレゼントということで」
「クリスマス……」
「もうすぐクリスマスですよ。僕はサンタさんから預かってきただけですので」
人を傷つけない優しい嘘。こういうお茶目なところもウィリアムズさんの魅力だな。ここまで言われてしまったら受け取らないのもかえって失礼かもしれない。
「ははっ、サンタさんからのプレゼントですか。それなら受け取らないわけにはいきませんね」
「はいっ!」
ウィリアムズさんの朗らかな柔らかい笑顔を見ていると心が暖まる。北国リカルドの冬はとても寒いけど、素敵なプレゼントを貰った今年は少しだけ寒さが和らぐ気がした。
プレゼントを貰ったあともウィリアムズさんと歴史トークに華を咲かせていると、まもなく閉館時間になろうとしていた。
「もう、こんな時間ですね。遅くまでありがとうございました」
大量の資料を鞄に詰め込みながら、ウィリアムズさんは帰りの準備をしている。名残惜しいけど見送る時間だ。
「こちらこそフェザーのボールペンありがとうございます。あの……ひとつだけ聞いてもいいですか」
「もちろんです」
「なぜフェザーの万年筆について知りたかったのか聞いてもいいですか」
博物館の利用者がどんなことを知りたいのか把握するのは大事なことだし聞いてもいいよな。ウィリアムズさんのプライベートな情報も知りたいな……という下心が全くないというわけではないので、後ろめたい気持ちもあるけども……。
「相棒に……幼馴染の親友に贈るプレゼントを探していたんです。僕の相棒、仕事で大事な署名をすることが増えてきて。どうせなら歴史にあやかった万年筆を贈りたいなって……。えへへっ、なんだか照れますね」
親友のことを語るウィリアムズさんは、いつも以上に情熱的だった。瞳の奥に強い熱を帯びていて、運命の輪郭の片鱗がそこにはあった。僕が一生を賭けたって踏み込むことは出来そうにもない強烈なまでの運命。
「ウィリアムズさんが贈ったものなら何だって喜んでくれると思いますよ」
お世辞ではない。本心でそう思う。こんなに素敵な人は滅多にいない。ウィリアムズさんの隣に立てるだけで、ウィリアムズさんの親友は幸せだと僕は思う。彼の隣に立てる幸せを僕の分まで享受してくれたら言う事はない。
「ありがとうございます。よいクリスマスを」
彼と僕の間柄は博物館の利用者と博物館に勤務する学芸員。だけど、ウィリアムズさんの幸せを密に祈るぐらいは許させるよな。
「また来ますねー!」
「ぜひー!」
手を大きく振りながら笑顔で去り行く彼の背中が見えなくなるまで僕は見送った。
「……ずびっ、…………寒くて鼻水が出てきた」
◇◇◇
ウィリアムズさんと再会したのは程なくしてのことだ。まさかこんな形で再会するとは微塵も思っていなかった。
ある日。エリントンミュージアムに強盗が入り、館内に収蔵されている国宝級の寄贈品は盗まれてしまった。僕たち博物館の職員はすぐさま警察に通報し被害届を提出したところ、盗まれた物がものだけに国家警察が動く事態となった。そして警察とやりとりすることになったのが僕ことコリーだ。
「コリーさん。応接室で国家警察の方がお待ちです」
収蔵庫で作業をしていると事務員が呼びに来てくれた。
「ありがとう。すぐに行くよ」
◇◇◇
「お待たせしました」
応接室に入ると中で待機していたのはキャラメルブラウンの髪色の刈り上げの男性だった。トレンチコートの下にはブルーストライプのシャツを着ている。この服装どこかで見たな。顔を見上げるとそこにいたのは……。
「はじめまして。リカルド国家警察刑事課のルーク・ウィリアムズです」
警察手帳を見せながら名乗るエメラルドグリーンの瞳の男性。間違いない。いつも見学に来てくれているウィリアムズさんだ。
ウィリアムズさんがどうしてここに。それにいま何て名乗った。僕の聞き間違いでなければ国家警察と……。
「あっー!」
ウィリアムズさんが大声をあげた。
「あの時の学芸員さん……!」
点と点が繋がった。
長年エリントンミュージアムに通い詰めてくれていた好青年の正体は、リカルドの治安維持を担うスーパーエリート──国家警察だったのだ。
【あとがき】
ルークの歴史好きにフォーカスをあてた作品にしてみました。歴史好きのルークなら博物館に通っていそうだなとおもい、エリントンにあって欲しいエリントンミュージアムを舞台にしてみました!
作中で登場した万年筆の元ネタもご紹介します。作中で「フェザー」と呼ばれていた会社はイギリスにある英国王室御用達の「パーカー」というブランドがモデルです。矢羽クリップと呼ばれるクリップが特徴のブランドです。矢羽の「羽」からとって「フェザー」と名付けました。パーカーはアメリカ発祥のブランドでもあります。私はリカルド=アメリカのイメージを持っているので、フェザーも元はリカルド発祥のブランドということにしました。
歴史も万年筆も好きな要素なので、こうして作品に落とし込めてとても楽しかったです。