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    こは燐

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    webオンリーにて出そうと思っていた、こは燐とそのまわりの全年齢やさしい世界本……の一部分です。こは燐といいつつ、出演はニキとこはくのみ。ちょっと嫉妬を向けることもあるけど、こはくにとってニキも大事で大好きな兄はんらの一人。

    #こは燐
    ammoniumPhosphate
    #こは燐webオンリー

    愛情は一番の調味料、なんてベタだけど 平日の、ランチタイムを過ぎた時間だった。店の奥の、いつもの席。お客さんに振る舞うものと同じ熱量と真剣さをもって作ったまかないを、テーブルに並べていく。普段に比べて格段に静かな四人掛けのボックス席は、今日は麻雀牌もなくって皿を並べやすい。それに僕が両手に皿を持っているのを見るなり、こはくちゃんはすぐに席から腰を上げて配膳を手伝ってくれた。おかげで二度の往復だけですぐに食事にありつけた。
     ひと言お礼を言うと、「こんな美味いご馳走を作ってもろてるんやから、こんなのお返しにもなってへんよ」と眉を下げる。本当に、いい子だ。
     四人掛け席に向かい合って、二人して手を合わせる。
     迷ったのは一瞬。テーブルに並ぶ皿に端から端まで目を通し、瞬きをする間に判断を下す。
     ――決めた。
     手のひらサイズのハンバーグに箸を突き刺す。テーブルには一応ナイフとフォークもあるけど、ここはマナーを気にする高級レストランじゃない。今はバイト先のカフェで、かわいい末っ子とちょっと遅いランチタイムだ。こんがりと焼き目のついたミンチ肉を、そのまま箸の先で一口大(といってもこはくちゃんの二口分、さらにいうとHiMERUくんなら三口分)に切り分ける。
     口をめいいっぱい大きく開けてハンバーグを頬張る。口の中いっぱいに肉汁が広がって、それからデミグラスソースとチーズの香りが鼻に抜けていく。うん、美味しい。目の前に座るこはくちゃんも、大きな目を輝かせて美味い美味いと言ってくれる。自分が食べるのはもちろん、ひとから褒められるのも、自分の作ったご飯をひとが美味しく食べてくれるのも好きだ。なにせご飯がもっともっと美味しくなる。それにこはくちゃんは僕のご飯をとったりしない。安心して味わえるってわけだ。……いや、そもそもひとのご飯を勝手にとる方がおかしいんだけど。こはくちゃんが普通なんだけど!
     悲しいかな。鬼、もしくは悪魔の理不尽に慣れてしまった僕には、その普通がとってもありがたかった。
     それからはお互いしばらく無言でひたすら食べ進めた。そうしてテーブルの上の皿が粗方片付いた頃。キッチンへと皿を下げに行ってくれたこはくちゃんは、席に戻ってくるとどさりと勢いよく座り頬杖をついた。
    「燐音はん、絶対最近あんまり食ってへんよな」
    「んぇ?」
     あまりに平和な食事時間に、悪魔の存在はすっかり頭の隅っこに追いやられていた。突然口に出された悪魔の名前に、危うく口の前まできていた唐揚げを落としそうになる。
    「ニキはんなら気付かんことないやろ」
     ほんのちょっとだけ感じた棘は、気のせいだと思いたい。どこぞのオーボーな悪魔改め燐音くんと違って、こはくちゃんは基本的には誰にだって優しい。なのに、燐音くんとお付き合いをはじめて……いや、今になって思い返してみると実はその前からだったかも。僕が燐音くんの話をすると、ここら辺では珍しい訛りの言葉のなかに、ちくちくとした棘を含ませるようになった。「なんで怒ってるんすか?」と訊くと「は?」と、僕の方がおかしいみたいな反応をされたのは今でも納得いかない。無自覚の不機嫌なんて、一体どうしろっていうんだ。一歩離れたところから分かった顔をするHiMERUくんは全然助けてくれないし。まあ、こうして一緒にご飯を食べてくれるってことは、少なくとも嫌われてはないんだろう。それならいい。だって、こはくちゃんに嫌われたら悲しい。なんて。燐音くんに出会って、人生をめちゃくちゃにされる前の僕からは考えられない感傷だ。あの頃は周りの人たちとこんなに深く関わることはなかった。体質や親の件で周囲の興味は僕に向くけれど、それはあんまりいいものじゃない。早すぎる弁当に白い目を向けられたって、購買のパンを人質にからかわれたって。仕方ないよね、これでいいんだって。そう思っていたのに。それもこれも全部、燐音くんのせいだ。
    「ん〜、まぁ……、」
     四回、五回。両手で十分に足りる回数噛んだら、ごちゃごちゃした考えを唐揚げと一緒に飲み込む。一度胃の中に入ってしまえば、あとはもう消化を待つだけだ。一体何がどう違うというのか。普通の人よりも圧倒的に燃費が悪すぎる僕の消化器官にかかれば、さっきまでのもやもやもすでに溶けていく。
     能力が低い頭では、燐音くんやHiMERUくんみたいに難しいことをたくさん考えるなんて不可能だ。こうやって僕なりに思考を切り替えた頭で、新しい問題について考える。
     燐音くんがあんまり食べていない。
     その理由は、僕のすっからかんの頭でも簡単に分かる。
    「この時期は仕方ないっすかねぇ」
     そう、時期だ。時期が悪い。なにせ今は夏真っ盛り。テレビからはほぼ毎日、「危険な暑さ」という言葉が流れている。北の北海道と南の沖縄みたいに。一応は同じ日本国内でも、燐音くんの故郷と都会とでは夏の暑さが違うらしい。彼を拾った夏はもちろん、その後の四年間もこの時期は必ず毎年体調を崩していた。
     今とは真逆の寒い季節に、今以上に食べなくなった時もあった。けれど、そんなことになったのはあの冬だけだ。それに余計なことを言えば、きっとまたこはくちゃんの機嫌を損ねてしまう。さすがに少しは学習した僕は、色々喋りたくなる気持ちを抑えて彼が望む答えだけをあげてやる。
    「この前、一緒にご飯食べいったんやけどな。そん時も自分は単品しか頼まんで、しかもその単品すら半分わしに寄越してきたんやで」
    「えっ、なにそれずるい! 僕が貰いたかった!」
    「ニキはんは今までぎょうさん貰てきたやろ」
    「え? ……なは、たしかに」
     タダでご飯を半分もらえるなんて、羨ましすぎる! 思わずテーブルに乗り出した身体は、鋭い睨みの前に大人しく引き下がる。さっき気をつけたばかりなのに、燐音くんのことになるとすぐこれだ。念の為言っておくけど燐音くんが絡みさえしなければ、こはくちゃんは僕にもちゃんと優しくしてくれる。
     コイって、なんて面倒で難しいものなんだ。僕には到底できそうにない。
    「……あ、いやいやでもでも! トータルで言えば奪われた分の方が圧倒的に多いっす!」
    「はいはい、もうええから。そういうん」
     僕がどれだけ燐音くんから被害を受けてきたのか。それだけは言っておかなくっちゃ。絶対! と駄目押しをすると、今度は大きな溜息と呆れた視線が返ってきた。
     冷ややかに僕を見ていた大きな目は、一度瞬きをすると視線を上に向けた。天井のその先、もっと遠くを見ている目に映るのは、深く考えなくたって一人しかいない。
    「いつも通りウザったいし、仕事もライブもちゃあんとこなしとるけど……いや、せやからこそ、あの食事の量じゃ足りひんやろ。身体も、無駄にデカいし」
    「そっすね。僕だったら死んでるっす」
    「ニキはんはあないな感じになったことないん?」
    「こはくちゃん…………あると思う?」
    「ないな」
     即答される。かくいうこはくちゃんだって、これだけ食べられているんだったら大丈夫だろう。
    「燐音くんは毎年なっちゃうんすけどね」
     こはくちゃんよりずっと歳上で、ずっと図体もデカイ燐音くんはアレなのにね。なんてたくましいんだ。――あぁでも、そっか。去年は……というか今までは。僕以外誰も気付かなかった、知らなかった、燐音くんの体調を、気にしてくれる子が今はいるんだ。少なくともここに一人。それと、素直じゃないけどHiMERUくんも。あと素直すぎて眩しいくらいの弟さんも。だから、合わせて四人。いや四人って。かつての日々からしたら、凄い変わりようだ。周りはもちろん、弱さを見せるようになった燐音くん自身も。
    「なん、あれがいわゆる夏バテっちやつ?」
    「多分。なったことないから分かんないけど」
     毎年夏に体調を崩しているんだから、あれを夏バテと言わなくて何と言うんだ。
    「暑くなるとご飯の量が極端に減っちゃうんすよ。放っておくと、その辺にあるシリアルとかしか食べないの」
     これは同室の二人から聞いたこと。シリアルなんて値段と腹持ちが見合わないもの、実家(うち)にはなかったから。寮住まいになって覚えたんだと思う。多分、とりあえず何かしら腹に入れておけばいいやって魂胆だ。たしかにシリアルは鉄分や食物繊維が入ってるものもあるし、気軽に食べられる。けどそれはあくまで、足りない栄養をちょっと補うってだけ。決してメインにするものじゃない。
     仕事にレッスンにと一日動きまくっているくせに、食事をシリアルで済ませた結果はきっと。
    「今も多分……そうっすね〜……一.二……いや、一.四キロくらい減ってるんじゃないかなぁ」
     昨日のレッスンの時に見た感じじゃ、多分そのくらいは減っているとみた。
     想像上で手のひらにブロック肉をのせながら、減った分の筋肉だか脂肪だかの量を考えていると、冷めた目を向けられる。
    「きっしょ」
    「え!? なんで!? なんで今貶されたの!?」
     おまえに普通に傷付く言葉付きだ。しかもそんなふうに言われる心当たりは全然ない。リフジンだ! なんだか最近のこはくちゃんは、身内に向けてボージャクブジンになりつつある気がする。まったく、誰の悪影響なのか。
    「その夏バテっち、どうやったら治るんやろ」
    「ん〜、夏バテってビョーキじゃないから、病院に行ったからって治るものでもないしね」
     一度だけ。嫌がる燐音くんを無理やり引きずって、病院に行ったことがある。でも結局点滴一本で帰らされた。まあそれでも多少は元気になったけど。
    「治らへんの?」
     眉間に皺が寄って曇る顔に、心臓が冷える。なにせ僕らはみんな、このかわいい末っ子に甘々だから。こんな顔をされると、こっちの方が悲しくなってしまう。
    「あっ、いやいや! 大丈夫! 時間が経てばちゃんとそのうち自然とよくなるっす! ただ、早く元気になるには薬とかの問題じゃなくって、生活習慣が大事らしくって!」
     ぶんぶんと音が鳴る勢いで両手を左右に振る。お客さんを接客する時よりもずっといい笑顔と、明るく優しい声を意識する。
    「生活習慣」
     まるくなった目は、さっきまでの不安の色をだいぶ薄くしていた。それにとりあえずは一安心して、まるでどこかの大学か何かのお偉い先生みたいに人差し指を立てる。
     あの日、点滴の指示を出したお医者さん曰く。
    「身体を冷やしすぎないとか、ちゃんと寝るとか……あとは、」
     それは、すごく当たり前のこと。でも、夏の暑さに体調を崩したりとか、精神が不安定になっちゃってたりするひとにはすごく難しいこと。燐音くんに出会うまで知らなかったことだ。
    「ご飯!」
    「それただのニキはんの欲やん」
     三つも歳下の子に呆れたように鼻で笑われる。それでも、紫色の目はたしかに温かい。
    「違う違う! そりゃあたくさんご飯食べたいっすけど、そうじゃなくて! ご飯って、本当に大事なんすよ! こはくちゃんだって、ご飯食べないと元気でないし死んじゃうでしょ?」
    「そりゃあまぁ……そうやけど。……ほんまにご飯で元気になるんかいな」
    「そうっすね。そりゃあもちろん今すぐに、とはいかないと思うけど……毎日ちゃんと食べていればきっと、涼しくなるのを待つよりずっと早く、元気になるっすよ」
     ふぅん。それだけ零して、こはくちゃんは口元に手をやって俯く。何を考えてるんだろう。
     突然の沈黙は何となく口を出しにくくって、たっぷり汗をかいたグラスを煽る。グラスとテーブルを濡らす水滴を拭いて、ピッチャーから二人分のお冷を注ぐ。そうしているうちにいつの間にか僕の方を向いていた顔は、やけに気合いが入っていた。
    「…………そ、それっち、」
    「うん?」
     真剣な面持ちに、思わず姿勢を正す。
     途中まで言葉を紡いだ口が、一度閉じられる。一拍だけ躊躇う素振りをみせた口は、大きく息を吸って続きを紡いだ。
    「簡単に作れる……?」
     一体どんな爆弾が落とされるのかと身構えていただけに、すごく拍子抜けだった。同時に、料理のこととなれば手は抜けない。
    「う〜ん、難しい質問っすね。料理は手をかけようと思えばいくらでも手をかけられるっすから」
     簡単。難しい言葉だ。一見簡単そうにみえる料理だって、実はめちゃくちゃ手間暇かけたものである場合がある。当然、その逆だって。
     材料、調理器具、手順、加熱方法、盛り付け、食器、……他にもたくさん。そのひとつひとつのほんの少しの違いで、料理はどんなふうにも変わる。
    「ほっか……」
     なんて、思考回路がすっかり料理人のそれになってしまっているうちに、またもやこはくちゃんに悲しい顔をさせてしまった。デリカシーがないとか空気が読めないとか、失礼なことをよく言われる僕でも分かる。今必要なのはこんなマジレスじゃない。
    「あ! いやいやでもそれってあくまで厨房での話っていうか!」
     まるで親に縋る子どもみたい(実際まだ子どもだけど)に僕を伺った顔は、不安と期待がまぜこぜになっていた。
     きっとどこかの誰かさんみたいに、料理なんてまともにしたことがないのだろう。それでも料理について聞いてきたってことは、作ってあげたい人がいるってこと。
    「大丈夫、簡単に作れるっすよ」
     他のことならてんでダメだけど、唯一の得意分野で頼られたからにはこんな僕だってプライドってものがある。
     料理初心者向けなら、複雑な味付けや細やかな火加減の調整がないものがいい。それでいて、夏バテによさそうなもの。燐音くんの場合そもそもの食欲がないだろうから、スタミナ系よりもさっぱりしたもの……うん、素麺なんかでどうだろう。
     普段はダメダメな頭も、料理のこととなれば一気に回転速度を増す。頭の中でさっそくメニューを考えながら、こはくちゃんに笑顔を向ける。
    「今度、一緒に作ろっか」
     大きな目がキラキラと眩しく輝く。
    「おん!」
     元気いっぱいの声が、店の奥に響いた。
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