『プール掃除のその後は』 ジリジリと照りつける太陽にプールに溜まりだした水が反射する。プールサイドに座って足を下ろしているが、まだまだ深さが足りずに水には触れていない。それでも水の上というだけあって、充分涼しい。
「あちぃ……」
昼の気温は考えたくもない。年々上昇している今、恐らく真夏日と言われるところまで達しているだろう。風が吹いて掃除の際に濡れたジャージをはためかせていることだけが救いだった。
ネロは6限目の体育の授業でクラスメイトとプール掃除をしていた。残りは水が溜まるのを待つだけで、終礼に出なくてもいいと言われて自ら水門を閉じる担当を請け負ったのだった。正確には、元進学校の奴らは塾がどうとか言っていたし、元芸能校の奴らはレッスンだなんだと忙しそうだったし、元不良校の奴らなんてほとんどサボりでいなかったからというだけなのだが……。どうせ午後のバイトまでも時間があったし、暇つぶしになるかと思ったのだが、待っているだけの時間がこんなに暑いとは想定外だった。
プールサイドは日陰がなく、照りつける太陽で熱されたアスファルトは暑い。水に入ればマシなのかも知れないが、まだまだ溜まりそうもない。一人でぼんやりとするのも得意な方だが、早くも後悔しそうだった。
「おいネロ。何やってんだ?」
水を眺めて溜息を吐いていると、突然フェンスの向こうから声がかかる。この声は振り向かなくても分かる。我らがボス、ブラッドリーだ。いつもは体育の授業だけは出席するのに、今日はいなかった。
「プール掃除だよ。お前サボったろ?」
「あぁ?そんなものあったか?」
「今日だけサボりやがって」
「たまたまだろ」
そう言いながら、フェンスを軽々と越えて中に入ってくる。有刺鉄線なんてほとんど意味をなしていない。
「あっちぃ。お前よくこんなとこに座ってられんな」
「アスファルトよりマシだろうが」
「水に入っちまおうぜ」
「は?おま、着替えは?」
「いらねぇだろ。この天気なんだからすぐ渇く」
制服のまま、靴と上着をそこらに放り出し、上半身裸になると溜まりかけのプールへと入っていく。いつの間にか足先が水に着く程度まできていた。
「冷てぇ! 生き返るな……」
立てば太もも辺りまでしかない水だが、体を水平にすれば充分頭まで浸かれる。ブラッドは平泳ぎの要領で、しばらく水の中を堪能した後、水面で仰向けになった。
「お前も来いよ。気持ちいいぜ」
「俺はいい。この後バイトあるし。足だけでも充分冷てぇよ」
そろそろ足首辺りまで水が溜まりそうな水を蹴り上げれば、しぶきが上がる。さっきまで暑さで沈んでいた気分も吹き飛ばすようだった。一人の時はつまらなかったのに、人がいるだけで違うものだ。潜ったり泳いだりたまに水をかけに来たり、そんな姿を眺めていたら、あっという間に水かさはネロのふくらはぎ辺りを超していた。
少し手を伸ばせば触れる気がして、伸ばそうとした時、水中に潜っていたらしいブラッドが目の前に現れる。目が合った瞬間にフッと笑うと、その手を思い切り引っ張られた。
「うわっ」
ネロにとっては予期せぬことで、引っ張られた力そのままに、水中のブラッドの胸に顔をぶつけた。一応その辺りは考えて引っ張ったのだろう、さほど衝撃はなかったが、それでも崩れた体制はすぐには戻せない。水に身体を任せながら抱き留められるような格好に、戸惑いと羞恥が襲ってくる。少しもがいて、床を見つけたネロは立ち上がると捕まれていない方の手でブラッドの胸を押し返した。臍あたりまで水は溜まっていたらしく、すでに全身ずぶ濡れだ。
「おっ前!危ねぇだろ!」
「何だよ、ちゃんと受け止めてやったじゃねぇか」
「そういう問題じゃねぇ。だいたい……濡れたじゃねぇか、馬鹿」
「気持ちいいだろ」
「まぁ……悪かないけど……」
大きく溜息を吐く。上の体操服の裾を絞ってみたが、したたり落ちる水に諦めしか浮かばない。ジャージだから制服はあるが、下着の替えがない。それでもバイトまでに一度家に帰ればなんとかはなるだろう。そこまで考えて、再び溜息を吐く。
「くそ。あぁ、もう」
「クッ。すっげぇ顔」
「誰のせいだと思ってんだ!」
「俺様だろ」
楽しそうな顔がむかついて、両手で水をかけてやった。
「おわ、なにすんだ」
「顔がむかついた」
「ぁ?」
そこからはお互いに水の掛け合いだ。かけられたからやり返す。それだけ。思い切り掛け合って、顔に張り付いた髪から滴がしたたる頃、どちらともなく笑い出して手をとめた。
「あぁぁ。腹減ったぁ」
「はは。ほんとな」
「もう水止めて良いんじゃねぇか? はやく帰ろうぜ」
「そうだな」
気づいたらもうプールの水はいっぱいで、溢れそうなくらいだった。これくらいで充分だろう。
二人してのそのそとプールから上がると、上の服を脱いで絞る。下をこの場で脱ぐ勇気はない。
「うわ、お前赤くなってんじゃねぇか」
「え?」
背中から聞こえた声に振り返れば、ブラッドがこちらを見ていた。
「肌弱いんだから日焼け止めくらい塗っとけよ」
「は、知らねぇし。ってか見んな」
「いまさらだろ」
そう言って肩を組んでくるその筋肉質な身体の堅さに、自分との体格差を感じて少し悔しくなる。当てつけのように腕を払いながら「触るなら飯なしだ」と言ってやった。すぐに離れて行く身体に、可愛げがあると感じてしまうのはきっと暑さにやられているからだ。自宅にある食材でバイトまでに作れそうなものを考えるのも、きっとそのせいだろう。
全く、夏は暑くていけない。
終