『月と桜と君と』「花見しようぜ」
出前から帰ってくるなりニカッと効果音がつくような豪快な笑顔と共にそう声がかかった。
「花見?」
「おぅ!さっき空飛んでた時見えたんだ。今が満開だからよ。今夜店閉めた後に夜桜を肴に一杯やろうぜ」
いたずらっぽくお猪口を煽る真似をする白黒の髪の男は、この店の店主、ブラッドリー。
「へぇ。そっか、いつもどこかしらで咲いてるから気づかなかったな」
鍋のものをかき混ぜながら振り返った青灰色の髪の男はネロといった。
「決まりだな。よし、じゃぁ次いでだ、花見弁当、売ろうぜ」
「はぁ? 今から作んのかよ」
「てめぇならそんくらいできんだろ?」
「まぁ、そりゃできるけど……」
「ぜってぇ売れるぜ」
「はぁ。わかったよ」
呆れたような溜息を吐きながら、ネロの頭の中では弁当の中身をどうするかと店の在庫を思い出していた。
「あ、揚げ鶏は入れとけよ!」
「はいはい。店主様の仰せの通りに」
茶化すような言葉を気にする様子もなく、ブラッドリーは上機嫌で表へと出ていく。
店の前、通りを歩く人々を横目に深く息を吸う。何事だと集まる視線を一瞥すると、そこらへ大きな声が響きわたった。
「山賊食堂だ! ネロ特製の花見弁当を販売するぜ! 本日限定! 一時間後から販売だ! 売り切れ御免! 早いもの勝ち! 美味いことは俺様が保証する!」
そこで一度言葉を切って辺りを見回すと、最後だけ静かに告げる。
「買い逃すなよ」
不適な笑顔を残して店へと戻っていったブラッドリーの姿がのれんの先に消えれば、声に集まっていた通りの人々はざわざわと動き出す。
「花見弁当だってよ」
「山賊食堂の弁当で花見できんのか?」
「旨そうだな」
「お前らどうする?」
「今日は予定あるか?」
「本日限定じゃぁ、買うしかねぇよな」
「一時間後だってよ、お前買いに行けるか?」
「任せとけ、絶対勝ち取ってやるぞ」
数分もすれば小さな街全体に花見弁当の噂は広がっていた。店内もその話で持ちきりだ。
「おいおい、あんまり沢山作れるわけじゃねぇんだぞ?」
「足りねぇもんがあんのか?」
「まぁな。いつもの営業の予定にしてたから圧倒的に肉が足りねぇ」
「ち。しゃねぇな。俺様が買ってきてやるよ」
「あ、じゃぁ、これも一緒に頼む」
「あぁ?」
「揚げ鶏にはぜってぇ必要だからな」
「……わかったよ」
ネロは、珍しく配達以外の仕事をおとなしく引き受けたブラッドリーに驚きながら、渋々と出ていく背中を見送った。ブラッドリーは本気で売るつもりでいるのだろう。それならば、と、
「よし。やるか!」
突然増えた仕事量をこなすべく気合いを入れ直した。
それから一時間後。店の前にはネロ特製の花見弁当を求めて来た妖怪が列をなしていた。
もちろんあっという間に完売し、買えなかったものは残念そうに、来年も販売してくれと声をかけて帰っていく。このまま自分で弁当を作って花見に行くという話もちらほらきいた。皆が花見へといくきっかけになったようで、今日は商店街の店じまいも早い。日没が近づく頃、普段はまだ営業している店も一つひとつと閉まっていった。
日がすっかり沈み、大きな月が空の真ん中へと昇る頃、ようやく閉店作業と明日の仕込みを簡単に終えたネロとブラッドリーは花見へ向かうべく外へ出る。ネロ手作りの花見弁当は、もちろん揚げ鶏が三倍入っている特別仕様だ。
心なしか上機嫌のブラッドリーの後に続いて行くネロは進むごとに少しずつ不安になって行く。大半の人が花見へ出かけた為、桜の下にはもう空きがあるようには見えなかったからだ。そこかしこでネロが作った花見弁当を広げ、それぞれが持参したであろう酒や菓子に囲まれて、楽しそうに騒いでいる。
「おい、ブラッド。ゆっくり花見するには今日は騒がしくなりすぎんじゃねぇか?」
「はは。大丈夫だ」
「大丈夫ったって、空いてるところなんてどこにもねぇだろ?」
「心配すんな。一番上等なとこ連れてってやる」
そう言って振り返ったブラッドリーの瞳は月も当たっていないはずなのにきらりと輝いて見えた。
「おし、ここからだ。ついて来いよ」
「は?」
ブラッドリーはネロの返事も待たず、黒く艶めく大きな翼を広げて飛び上がる。慌てて追いかければ、ちらりとこちらを振り返った後に速度を上げて進んでいく。山の方、人の少ない方へと向かっていた。
なんとか追いかけて行けば、街から少しはなれた山の上に辿り着く。大桜には負けるが、かなり立派な幹を持った桜だ。促されるように枝にそっと座り眼下を見やれば桜雲街を一望できる。普段は月明かりのみで照らされるソレが、花見客それぞれが持って来た灯でほのかに照らされ、違った美しさで咲き誇っていた。
ネロの口から思わず小さな呟きのように言葉が漏れる。
「きれーだ」
「だろ?」
「このために他の奴らを花見に行かせたのか?」
「まぁな。ここまで上手くいくとは思ってなかったけどな」
どこからどこまでを想定していたのか、ネロには全く分からないが、この満足そうな横顔は昔一緒にやっていた盗賊時代にみた顔と重なる。計画が成功した時、大きな仕事を達成した時にだけ見せる顔だ。ネロはその顔を見るのは好きだった。
「まぁ、たまには悪くねぇな」
「おぅ。誰にも言うなよ。俺らの秘密の場所だ」
「言えるかよ」
そう笑えば、いつの間にか準備していた酒と料理を広げ終えたブラッドリーがお猪口を手渡してくる。今日は熱燗だ。
透明な液体をそれぞれ注ぐと、月と桜と、ブラッドリーはネロに、ネロはブラッドリーに無言で杯を掲げる。
「「乾杯」」
二人はお互いに、静かに、それぞれの願いを胸に、ゆっくりと猪口を傾けた。
終
~桜の記憶~
「なぁ、来年も、ここに来ような」
「はは。じゃぁ、店つぶれねぇようにしっかり働かねぇとな」
「でも明日は臨時休業だ」
「は?」
「いいだろ。明後日からで」
「……まぁ。別に」
「はは。お前今変なこと考えたろ?」
「へ、変なことって何だよ」
「顔が赤ぇよ」
「うるせぇ、酒のせいだって!」
※※桜の設定がよく分かりませんでしたが、きっと季節があるはずと思って、一番綺麗な時期になった話だと思って書いてます。※※