『らしくない』「……」
「ネロ?なんだそんな恐い顔して」
「これ……、どうした?」
「お、それな。美味かったぜ!」
「……食ったのか?」
「おう」
「昨日、これだけは食うなって、言っといたよな?」
「そう……だったか?まぁ、でもこんな美味そうなもん我慢できねぇし、また作ればいいだろ?」
悪びれもせずにそう言って笑うブラッドリーとは反対に、ネロは感情を落としたように無表情だ。何度か耐えるように呼吸を繰り返していたが、どうにも収まらない怒りがあふれ出す。
唇をかみしめ、顔をゆがめてブラッドリーをにらみつけるとキッチンから荒々しく駆けだした。感情にまかせた言葉を吐き捨てて。
「てめぇは……野菜でも食ってろ!」
「は? おい、ネロ!」
涙こそ出てはいないが、明らかに傷ついた表情で去って行ったネロに困惑するブラッドリーは、何がなんだかさっぱりと分かっていなかった。そのまま呆然と扉を見つめ考え込むが、何度思い返してみてもいつものつまみ食いとなにも変わらない行動だったと思う。
「わっかんねぇ……」
ぐるぐると思考が回るが、ネロが機嫌を直しそうな良い案は浮かばない。人のことなんて気にすることなく生きてきたブラッドリーにとって、誰かを怒らせたくないという想いも、怒っているよりも笑っている顔を見ていたいという気持ちも初めて持つものだ。その怒りの原因も解決の方法も全く浮かばないのだが。
「はぁ。まぁ、明日になりゃなんか変わるだろ」
いつまでも堂々巡りの思考に溜息を吐いて終わりを告げる。明日になれば。と、そのときはそう軽く考えていたのだった。
翌朝。
いつもならキッチンから届く朝食の良い匂いと共に目が覚めるが、今日はそれがない。昨日ネロを怒らせてしまったのだから、それも仕方のないことだろう。朝から溜息が漏れる。気分も最悪で、調子も悪い。のそりと起き上がると、キッチンへと向かって歩き出す。
多少怒っていてもなんだかんだと飯の準備だけはしていくのがネロだった。今回もそうだろうと、到着したキッチンを覗き込む。
朝食は、あった。申し訳程度のハムと、生野菜がはみ出るほどに盛られたバケットサンドだ。思わず顔が歪む。ネロの飯はそこらの飯屋が束になっても敵わないほどに美味い。野菜だって調理すれば多少マシだと思えるほどだ。でも、これはどう見ても生だ。お手製のソースはかかっているだろうが、食べるのはかなり厳しい。
「相当怒ってんな……」
野菜を全部抜いて食べることも考えたが、余計にネロを怒らせる結果になるだろうと諦めたブラッドリーは、意を決してバケットサンドにかぶりついた。シャクっと音を立てたマカロニ菜の独特の苦みが口に広がり、眉間に皺が寄る。ネロの作ったソースが苦みを緩和してくれているとはいえ、青臭さは完全にはぬぐえない。
「やっぱ野菜は食いもんじゃねぇよ……」
溜息を吐きながら、普段のネロがどれほど好みの味を提供してくれているのかをかみしめつつ、いつもの何倍も時間をかけて完食した。全て飲み下したはずなのに、なかなか野菜の味は消えてくれない。すでに食後にいれてくれる珈琲が恋しい。
エバーミルクでも飲めばマシになるかと保冷庫を開ければ、「昼に食え」と書かれた野菜サラダを見つけ、更に深い溜息がでる。冬の国で生野菜を手に入れるのはかなり難しいのだが、そこに手をかけるほどに怒っているということだろう。ブラッドリーが考えているよりも深刻な状況なのかもしれない。
マグカップの縁まで注いだエバーミルクを飲み干すと、街へ出かけることにした。恐らく今日も街へ出かけているだろうネロの機嫌が良くなる方法をさがすのだ。
そうと決まれば悩む必要はない。出かける前に何か手がかりでもないかとネロの部屋を覗けば、机の上に一枚の手紙があった。
『夜は好きにしろ。俺は春の国に帰る』
たったそれだけ。短く用件だけのその手紙は、ブラッドリーに衝撃を与えるのには充分だった。
「国に帰った?」
サッと室内を見渡すが、元々物欲もなく、私物もわずかであったネロの部屋は、ブラッドリーが贈ったものだけが並んでいた。
「ネロ……」
今すぐ春の国へ、と出した足は一歩で止まる。ネロを迎えに行ってなんと言うのだろうか。悪かったと言う理由をまだ見つけられていないのだ。何が悪かったのかが分からなければきっとまた同じ事を繰り返すだろう。意外と頑固な女神はそんなことで戻ってきたりはしないのは容易に想像できた。
「だぁー! くそ!」
いつもの怒りとは違って、何か大切な事を見落としているのだ。それに気づくまでは何もできないのだろう。
自分の感情を優先し、人の都合など考えなかったブラッドリーが思いとどまることは初めてだった。慣れない事をしている自分が滑稽で、笑えてくるが、それほどまでにネロはブラッドリーにとって大きな存在になっていたのだ。
「なぁ、お前何に怒ってんだよ……」
わずかにネロの匂いの残るベッドに顔を埋めながら昨日までの己の行動を振り返っていく。
数日前まで温かく穏やかだったはずなのに、冷たく嫌に静かなこの空間が、まるで一人で生活していた時に戻ったようだった。
終