星満ちる、夜更けの丘で。 星を見に行こう。
大きな仕事を終えなんやかんやと一息ついた頃、団長がふとそんなことを言い出した。
モルルッソにとって、星と思い出すのはあの流れ星のことである。願いを叶える流れ星を探して一晩中空を見つめたあの日の景色は、今でもモルルッソの胸に焼き付いている。期待と希望、月が傾くたびに積もっていく苦々しさは決して忘れることができない。
もう星を探すことはないのかもしれない、どこかでそう思っていた。だからこれが彼の気遣いによるものなのか、それとも単純な気まぐれによるものなのかはよく分からなかった。
日暮れの星見の丘に皆でキャンプを張る傍ら、「今日はどうしてここに?」とモルルッソは仲間たちにそれとなく聞いてみる。
理由はそれぞれだった。「素敵だなって思ったから!」と団長の気まぐれに誘われてきたマドレーヌ、「ちょうど退屈してたんだ」ただ単に暇だったからここにきたウィンゲート。「そもそも団長の気まぐれは今に始まったことじゃない」と肩をすくめては楽し気にしているセルテトの隣で「うちの団長の様子はいつもおかしいからな」と副団長のクレスは呆れながらため息をついていた。
じゃあやっぱりただの気まぐれなのでしょうか? と目線をふらふらさせていると、天体観測だとつられて学者たちがああでもないこうでもないと今日の星の予想を繰り広げているのを横目に何か筒のような機材のようなものをいじっている人物が目に留まる。
お隣の世界ソリスティアからやってきたパルテティオにオズバルド、そして発明家ラルゴという不思議な組み合わせにモルルッソは首を傾げつつ声をかけることにした。
「パルテティオさん、それなんですか?」
「おう、よくぞ聞いてくれた! これは星見の望遠鏡だぜ! これを使えば遠くの星だけじゃない、なんと月の顔まで見えるそうだ……!」
「そ、そうなんですか……! なんだかすごいです!」
”設計図は見たことあるし、オズバルドの旦那とラルゴの坊やがいるから再現できるかなと思ったらできちまった!”と快活に笑うパルテティオの隣で、黙々と計算を続けているオズバルドがふと口を緩めた。どうやらこの発明品は彼らにとって自信作らしい。
月の顔まで見えるというそれを眺めてモルルッソは夜空を想像する、きっと予想もできないような風景が見えるに違いない。そう思うと胸が躍るし、わくわくする。……だが、それもすぐにあの日の夜空に塗り替わった。
「(でも、あの流れ星は)」
ちくりと針で突かれるような痛みがモルルッソの頬を摘まむ。あの日、見つけると約束した流れ星をモルルッソは見つけることが出来なかった。それは事実だ、どうしようもない。嘘から学んだことは確かにあり、確かにあの女の子は助かった。けれどもモルルッソの中には未だあの星を追いかける少女が絵本を抱きかかえている。
日が暮れていくにつれ徐々に賑やかになっていく仲間たちに悟られないように、モルルッソは夜空が降らないことをそっと祈っていた。だがそれも当然届かずに月は天に散歩をはじめ、満天の星空が旅団を見下ろし始める。あの日の様な快晴、いやというほど星がよく見える。あぁ、けれどあの多くの星の中に絵本の流れ星はないのだと考えると胸が締め付けられる思いだった。
満月が天を目指すほどに星は瞬くというのに、モルルッソの目にはあの日の一夜が映り込む。天の川の揺らめき、その傍らにある闇の空はさながら不安に煽られるモルルッソの心そのままだ。眠ってしまえればよかったろうか、それでも空を見上げることをやめることができないのはきっとあの日への執着がまだ残っているのだろう。
ないはずのものを探し続ける苦しさは、明かりも持たずに夜を歩く恐怖によく似ている。
「モルルッソ、大丈夫か」
そんなモルルッソの肩をつつく人がいた。振り返るとそこにはある意味原因の彼が、どこか心配そうな面持ちで首をかしげている。モルルッソは普段通りを装って元気に振舞おうと「団長さん……、だ、だいじょうぶです。星、今日もきれいですね」とどうにかこうにか気丈に取り繕った。
だが、彼にそんな小細工は通用しないのだろう。団長……ヨルンが”ほんとか?”と言わんばかりに怪訝そうな目で圧を掛けてくれる。あぁもういたたまれない、何を思うにも申し訳ない……!
「…………、」
「うぅ……なんで何もいわないんですかぁ! そうですよ気にしてますようっ、だって、だってあの流れ星を見たかったのも本当ですしぃ……!!」
モルルッソはあまりにも速く白旗を上げる。「なんだって星見の丘でやるんですかぁ!」とこどものように喚くモルルッソに対し、ヨルンは「だよなぁ」と間の抜けた返事をしつつ肩をすくめた。モルルッソは気持ちが宙ぶらりんのまま、あんまりな態度にむーっと頬を膨らませて拗ねてみせた。
そんな様子を見かねてか、それとも元々そのつもりだったのか。駄々をこねるモルルッソを宥めるように彼はある単語を口にした。まるで秘密のコソコソ話でもするように。
「”流星雨”」
「へ?」
「古い暦の読み方でざっと十年、西の空に向けて雨の様に星が流れる現象がその周期で起きるという。古い人はそれを神の到来とも、死者の旅立ちとも称した。大切な儀式の際はこの日に被らないようにしていたのだとか」
「え、あの、どういう……」
察しが悪いなと彼は苦笑しつつ空を見上げて、まるでおまじないのように微笑みながらこう告げる。
「ニーナラーナに調べてもらったところ、その周期は四年。時期は十個目の月、第三周の後半だ」
雷撃でも受けたような衝撃がモルルッソに走った。古い暦の読み方で”十年”、雨の様に星が降るというそれ。胸の鼓動がどんどん大きくなっていく、幼かったモルルッソが絵本を捲った時に感じていたあのドキドキと同じもの。地面ばかりみていた瞳があれほど嫌がった空を求めて、きらきらとした星々の光が瞳に映り込む。
ヨルンは確かに言った。”十個目の月、第三周の後半”。
それはつまり──今日だ。
「見れるぞ、流れ星」
「──~~~~!!」
”まぁ見れるのは深夜なんだが”と付け足す彼の声も置き去りに、モルルッソは嬉しさのあまり飛び跳ねしばらく何もないのに一人でドタバタしていた。
見かねた仲間たちがどうしたどうしたと集まってきて、モルルッソは気恥ずかしくなりながらも「ずっと見たかったものが今日見れるんです!」と幼い日々のなんてことない夢を語る。そのうちその語らいは皆の夢をなぞり、見れるといいね、きっと来るよと励ましあいながら、モルルッソはちょっと肌寒いクラグスピアの夜空を眺める。
祈って、祈って、その星々があることを信じた。あの日のように、小さな不安と手を繋ぎながら。願って、願って、それでも暗い道を歩いた冒険の日々の様に。
星を待つ間、モルルッソはヨルンにふと問いかける。どうして星を見ようと言い出したのか、その本当のところを聞いてみたかったのだ。彼はなんて事のない顔で「俺が見たかったんだ」と目を細め、ある夢のことを語った。
「妙な夢を見たことがあるんだ」
「夢……ですか?」
「あぁ。……地平線まで見えるような荒野で、星が雨の様に流れていく。その夢の中で俺は、流れ落ちていく星々を必死に追いかけるんだ。手が届かないことも、その先に何もないことも知っているのに」
そうしていつまでもいつまでも星を追っていたら、いつのまにかその星の雨が途絶えて。ふと気が付けば、一つだけ石ころを拾っているのだという。
「それを大切に握りしめて、どうしようかと彼方を見る。すると誰かが言うんだ、”道は続いている”……と」
彼はその石ころを握るように掌を開いては、ぎゅっと握り込む。夜も更けてきたおかげで彼がどういった表情をしているのかは分からなかったが、きっと穏やかなものだろうことはモルルッソにも分かる。その不思議な夢を語る彼の声色は確かに温かく、そして古馴染みを思い出すように楽し気だったからだ。
「歩き続けていれば、いつか分かるのかもしれないな」
それが合図になったかのように、天に一筋の星が流れた。
一つ、二つ、もうそれでは数えきれない。あぁ、夢にまでみた──それ以上の星空が。
「すごい、すごいです……! 星が雨みたいに……!」
満天の空を星々が駆け抜けていくように、流星雨の夜が朱の黎明団を出迎える。
仲間たちの歓声が上がった、おしゃべりしていた子たちも、お酒を呑んでいた大人たちも今だけは同じ夜空を見上げている。そのことがなんだかくすぐったく、胸の奥がとても熱くなる。
あぁ、わたしたちは旅をしているのだ。職業も目的も矜持も何もかもが違うわたしたちは、それでも同じものを見て、全く違うものをみている。
それはとても、とても尊いことだとモルルッソは信じた。
「あの子も見てるといいな……」
「見てたら結構な夜更かしをしていることになるが」
「はっ、それもそうですね!? で、でもでも、きっとこっそり見てますよ……っ!」
そうしたらきっと夜更かしたことを隠して、ちょっとした嘘をついてしまうのかもしれないけれど。真夜中の空に瞬く星明りたちだけが知る、小さな小さな夢のような秘密をあの子も抱けたのなら。その小さな秘密があの子をこの夜に引き込んだのならば、苦手な嘘も少しはかわいらしいものに思えてくる。
そう思うと少しばかり夜明けが恋しくなった。夜が明けたら、あの子に会いに行こう。そうしてちょっとした秘密の話をしよう。きっとあの日よりも胸を張っていえる、わたしは星を見たのだと。そうしてあの日の嘘をほんの少しでも笑い話に出来たなら、わたしはまたもう一度明日へ歩き出せるだろう。信じること、その瞬きを胸に。
けれども、あぁ、そうであっても。
「あぁ……それにしても本当に綺麗だな、みんなで見ることが出来てよかった」
「はい! わたしも……!」
今夜のお月様にできるだけのんびり散歩に耽っていてほしいと願うのも、なんだかわがままな女の子のようで気恥ずかしい。