シグナ・ル・プリマ【1】:シグナと選ばれし者。 狩王女、盗公子、雷剣将、三つの神の指輪を正しき場所へ戻すために訪れたオルサ島、その小さな小さな港口。聖火神の指輪が導く一行を待っていたのは一人の少女だった。神秘的な雰囲気に気圧され一行は戸惑ったように……実際戸惑ってそれぞれ顔を見合わせる。
これまで何となくではじまった奇縁の旅だったので、こういった仰々しい展開になるとは思っていなかったのだ。神の指輪を回収し正しき場所に返還するという使命の重さを理解しているのはそういない。……ただ一人を除いては。
「お待ちしておりました、選ばれし者よ。わたしはシグナ、指輪の巫女の一人でございます。どうぞこちらへ、姉様たちの待つ祠へ案内いたします」
戸惑う者たちの中に一人だけ一貫として動揺を見せなかった青年に、巫女シグナは恭しく一礼する。シグナの目は正しく今現在の選ばれし者を見抜き、四肢はこれまで叩き込まれた作法に従う。さながら生まれるより前から決められていたことの様にことは進む、かに思われたのだが。
「──なーんてね。指輪の巫女なのは本当だけど退屈で仕方なかったから勝手に来ちゃったの。サザントスさまがいらしてるのでしょう? 案内してあげるからわたしも連れてって」
シグナは顔を上げ目の前の青年を一瞥すると、先ほどまで纏っていた神秘的な雰囲気をかなぐり捨てた。また一行は戸惑うことになったが、現在進行形で聖火神の指輪を保有する選ばれし者は怪訝そうに眉を潜ませ、「初対面からえらく太々しいやつがきたな……」と腕を組んでは呆れてみせる。
「ふふ、わたしはちゃんとえらいもの。今のうちに恩を売っておくのも悪くないと思いますよ、選ばれし者さん?」
「はぁ……わかった。あの人たちも待ってるだろうし一緒に行こう、道中は守るから道案内はきちんとやってくれ」
「はぁい、よろこんで」
散歩にいくかのようにシグナはくるりと翻り、それを追いかける形で青年と一行も歩き出した。非常にマイペースな二人の空気に仲間たちは「なんかバルジェロの時もこんなだったよな」とか、「団長はいつもこうじゃないですか」とか。口々に好き勝手言っている。これから待ち受ける強大な試練など知らないまま、普段通りゆるい空気のまま一行はオルサ島を進んだ。
「わたしね、本当は来ちゃダメだったの」
道中、シグナはまたあっけらかんと本音を打ち明ける。本来シグナは、今日ここにいるべきではなかったのだ。
「わたしたち巫女は許可なしじゃ島の外に出てはいけないし、あんまり人とも会ったことがない。親指様……母様はまだあなたを信用し切ってはいないから、全員とは会わせたくなかったんだと思う」
「大人しくしてた方がよかったんじゃないか」
「でも待ってたら次いつサザントス様に会えるか分かったものじゃないもの」
サザントスの名を聞いて青年は一度足を止めた。何か思うところでもあったのか、かといってそれを口にするまでもないと判断したのか「知り合いか」とシグナに話を促した。
「うん、わたしの王子様」
「へぇ……」
シグナは明け透けなくいってのけたので、青年は深く追求するのをやめた。空気の読める人だ、とシグナは思った。そうして何となく、彼にはそんなに猫を被らなくていいのかもしれないとも思った。多分被ったところで見抜かれている。きっと彼は親指様と似た気質の人間だ、騙し騙しは通用しない。シグナにとってはちょっと苦手で、ある意味気楽なタイプだ。
「選ばれし者がどんなツラしてるのかなって思って、勝手に見に来たの」
「そうか」
「わたしの好みじゃなくて安心した」
「そうか」
「怒らないの?」
「いや……別に……。理由がない、あったとしても疲れるだけだろう」
「ふぅん。似たもの同士かもしれないわね、わたしたち」
サザントスに比べて見れば勝負のしようがない人ではあるが、まぁ悪い人ではなさそうだと。シグナはそう思うのであった。
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ゆるくゆらゆらと、そんなままの空気でシグナは一行を祠へと案内した。荘厳な空気の中、シグナは素知らぬ顔で一行と共に祠へ入る。中で待っていた二人の姉上様がシグナを見つけると”あらあら、末の妹がやんちゃをしているわ”と困り顔で微笑んでいる。あとで叱られるだろうな、と思いつつもシグナはサザントスをすぐさま探した。そのためにわざわざ神殿を抜け出してきたのだから。
「(サザントス様……っ!)」
祠の最奥で待つサザントスの元に、シグナは駆け出そうとした。”あまり細かな記憶は定かではないが”、シグナにとって舞う理由を授けてくれたのが彼だったのだ。何の話をしようかなんて何も決まってはいなかったが、とにかくあの方のお傍にいたかった。儀式の間は流石に待たなければならないけれど、島を出るまでならきっと時間があるはずと。
「待って、」
シグナの本能が足を止めさせた。他でもない彼のことだ、姿を見間違えるはずがない。だからこそ気づいてしまった。
「ねぇ、“あなた” ……誰?」
「っ……!!」
目の前のサザントスが、偽物であることに。
「サザントス様っいったい何を!?」
「動くな、指一つ動かせばこのものの命はないぞ。……よもや”私”を見抜くものがいるとはな、これだから即興は好きじゃあない」
偽物の行動はあまりにも速かった。そいつは一番近くにいた姉上を捕らえると、すぐさまに首筋に剣を当てる。「姉様を離してっ!」シグナはとっさに叫んだ、普段は確かに退屈で鬱陶しいのかもしれない、けれどもシグナにとって間違いなく代わりの居ない大切な姉妹だ。それがまさかよりにもよってサザントスの姿を使ってこんな凶行に走りやがったのだ、人質が取られていなければシグナだって助走をつけてぶん殴るところである。
「選ばれし者よ、この女を助けたいか? ならば貴様が手に入れた全ての神の指輪を置いていけ」
「私のことは構わないでください……! どうか妹たちと指輪を連れて逃げて! 私は指輪の巫女、覚悟はとうにできています……!」
偽物が最悪の条件を突き付ける。シグナは選ばれし者を見た。姉上を助けてほしい、しかし命に代えてでも指輪を守るのが指輪の巫女である。巫女としては指輪を優先すべきだ、だがどうしてもそうだとはシグナは言えなかった。シグナ自身どうしてほしいのかさえ分からなかった。
彼はひどく冷静に、じっと目の前の状況から目を逸らさずにいた。それが少々異様なほど冷淡だったので、シグナはほんの少し恐れを感じてしまった。もしかしたら彼は指輪を優先するのかもしれない、正しくはある。あるのだけども。そうなる未来がシグナにとっては恐ろしかった。
ふと、シグナの視線に気が付いたのか彼と目が合った。すると何かを決めたのか彼は意を決した様子で偽物に声をかける。
「指輪を渡せば人質は無傷で解放する。それで間違いないな」
「あぁ、約束は守ろう。悪魔は、契約を守るものだ」
「分かった。持っていけ」
とてもとてもあっさりと、選ばれし者は偽物に所有する全ての……聖火神を含めた神の指輪を差し出した。それを偽物がぱっと取り上げると、また手荒く姉上を突き飛ばす。なんて人だ、サザントスがしないことを全部やっていく!
「申し訳ありません、このようなことになろうとは……」
「構わない。それに手はある」
選ばれし者は姉上に怪我がないことを確認すると、指輪を手にした偽物の方へと目をやる。するとシグナにとっても驚くべきことが起きた。
「何っ!? 指輪が勝手に!?」
聖火神の指輪が瞬くと、なんと指輪自身が意志を持つかのように浮き上がり自力で選ばれし者の手元に戻ってきたのだ。選ばれし者はさほど驚いた様子もなく聖火神を指に嵌めなおす。どうやらこの不可思議な現象は、彼にとってはさほど珍しくもないことらしい。
その一連の行為に、シグナは幼い頃から聞かされてきた”選ばれし者”を観た。あぁ今まで教わってきた夢のような御伽噺は、本当に存在するのだと。
「こいつは人見知りなんだ。渡しはしたが、そこから先は決められていなかったろう? 残りも返してもらうぞ」
「くっ……! 異教の神とやらめ……!」
ことの異変を察知して外で待機していた選ばれし者の仲間たちが戦線に飛び込んでくる。褐色で美しい金髪を靡かせる狩人が真っ先に矢を放った、それに続いて狼のような銀髪の盗賊が短剣片手に偽物へと斬りかかる。……手早さ故か今の不可思議な現象見たからか、偽物はこの場で戦うことを不利と判断したようで、魔法か奇術か一瞬の目くらましの後にそのサザントスの偽物は姿を消していた。
「全ての指輪を取り戻したいならエドラスに来い。我らが王の指に、その聖火神も跪付くことになるだろう……!」
あまりにも不快な捨て台詞に、シグナは初めて強烈な怒りを覚えた。感情を表に出せばひどく疲れてしまう、本音を言うとぐうたらでいたいシグナにとってそれさえも嫌なことだったが、シグナ自身にも抑えることが出来ないその灼熱はどうしても。どうしても飲み込むことが出来ないものだったのだ。
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姉上たちの治療を行うと、シグナは選ばれし者を港まで送るよう頼まれた。祠に残ってあのものが何か悪さを残していないか確認する作業がある故、とのことだったがきっとその時点でシグナがどういった行動を起こすのかを概ね予想していたのだろう。
「ねぇ、これからどうするの」
「エドラスにいく」
港でシグナが選ばれし者に問いかけると、当然のことのように彼はそう告げた。相手は強大だ、神の指輪を三つも手にしてしまった。きっと先ほどのようなことでは済まされないような戦いが待っていることはシグナにも理解できた。一層強くなった外への恐怖がシグナを駆り立てる、けれども逃げ場のない小さな島ではどうすればいいのかも分からなかった。
「罠よ」
こんなことを聞いている場合ではないというのに、シグナは選ばれし者を引き留めようとしていた。とにかく誰かに傍にいてほしかった、とにかく誰かにしがみついていたかったのだ。雷や魔物を怖がる末の子たちのように、怯えてやり過ごすそれ以外の方法を、シグナだって知らなかったのだから。
「分かってる、だが行くしかない」
「そんなに指輪が大事? 怖ろしくはないの?」
「あれがあのエドラスに渡ると危険だ。それに」
しかし彼は、雷や魔物を怖がるよりももっといい方法を知っているらしい。
「味方に危害を与えてきた相手だ、一発ぐらい殴らないと気が済まない」
「……ふーん」
意外といいところがある、と素直にシグナは思った。見た目からして全部どうでもよさそうに考えていそうな顔をしてはいるが、中身はシグナとそんなに変わらないらしい。同じ怒りを、彼も抱いたのだろう。理不尽に人を傷つけられて、どうしてこんなことをするんだと怒ったのだ。
そしてその怒りの受け止め方を、彼は良く知っているようだった。
「一緒にくるか?」
「……!」
しかしまた思わぬ話だった。そう、シグナだって自分であいつをぶん殴ってやりたいのだ。そして神の指輪を奪うなんて思いついた王とやらもはっ倒してやりたい。
だがシグナは巫女の一族だ、出たくても出られない。そう思っていた。
……いつかサザントスと出会ったかの日もそうだった。彼が島から去っていくあの日、シグナは島を蹴飛ばして彼と一緒にいきたかった。でも一人ではそんな決断はできなかったのだ。夢でもいい、サザントスが手を差し伸べてくれたならなんだって捨てられたはずなのに。
シグナは、結局どこへもいけないのだと思い込んでいた。
「(外に、出ていいのかしら。わたしの欲のために、出ていいのかしら)」
ばくばくと心臓が跳ねるのを感じる。姉妹を傷つけられた仕返しがしたい、巫女として指輪を取り返したい、シグナの中にある外への渇望はそれだけではなかった。外へ出たい、サザントスの元へ行きたい。そんな自分自身の欲が今たがを外れそうになっている。
この飛び跳ねて口から飛び出していきかねない心臓を押し留めるためか、震える声でシグナは選ばれし者に問いかけた。
「守ってくれる?」
「あぁ」
「サザントス様に会わせてくれる?」
「なんとかする」
外は怖い。でも、じっとしてもいられない。一度だって断ってくれればシグナは諦めることが出来たのかもしれない、全部選ばれし者に託して島の神殿で祈る日々に戻れると。そう思って、シグナはちょっと意地悪なことを思いつく。
「……あとで代わりに怒られてくれる?」
「しれっと責任をおっかぶせようとするな」
「えへ」
これまたあっさり咎められたが、二重の意味でだめだった。断られてもシグナはこの衝動を抑えられそうにない。だって選ばれし者が誘ってくれているのだ、だからいいのだ。こうなったら腹を括ろうとシグナは差し出された選ばれし者の手を握って、“ようしょっ”と彼の乗る小舟に乗り込んだ。
船の舵を取る聖火騎士が驚いた顔をしている。でも、もう決めたことだった。シグナはもう戻るつもりはないのだとめいっぱい微笑んでみせる。
「一緒に怒られにいきましょうね」
「お前、さてはめんどくさいな」
「今更気づいたの? でも残念、もう約束しちゃったもの。取り消しは効きませーん」
選ばれし者の指示で小舟はオルサ島を離れる。あんなにも足に張り付いていた故郷と神聖なる島は、本当になんてことなく離れていく。小舟から聖火騎士団の船に乗り継いで、また海を進んでいく。
シグナは島が見えなくなるまでじっと見つめていたが、当然島はシグナを連れ戻そうとはしなかった。それがほっとしてしまうような、ちょっと寂しいような。短いような、長いような海の旅だった。
「あ、そうだ」
海の先に大陸が見えたころ、シグナはふと思い出して彼に問いかける。今まで選ばれし者としか呼ばれていなかった彼の名を、シグナは知らなかったのだ。
「あなた、お名前は?」
「ヨルンだ」
「それじゃあヨルン、これからよろしく。わたしとサザントス様の未来はあなたの働きにかかってるんだから、しっかり守ってね」
「はいはい、誠心誠意護衛を務めさせていただきます。指輪の巫女、小指のシグナ様」
こんな調子のシグナに合わせたのか、ヨルンが絵本の中の騎士さまのように一礼してみせる。目つきは悪いが様になっているのがなんだか不可思議で、こうして揶揄われるのもまぁ悪い気分ではなかったので。
「(本当はサザントス様が選ばれし者であってほしかったけれど、まぁ、悪い人ではないようだし──守ってとはいったけど、手助けぐらいは……してもいいかも?)」
シグナは、ちょっぴり頑張ることにしたのだ。