シグナ・ル・プリマ【2】:シグナと外の世界。 島にいた頃は巫女の修練に明け暮れていた。否、シグナにはそれしかなかった。一日中舞い続ける体力と精神力を養うため厳しい修練が呆れることさえ忘れるほど毎日毎日繰り返され、シグナもこれを退屈だと思うぐらいにはうまくやれてしまっていた。だが、それだけだった。
「(わたしは、何のためにこんなことを続けているの?)」
平穏を守るため、指輪を守るため、世界を守るため、人知れず巫女は祈り舞い続ける。しかし幼少の記憶も怪しくほとんどすべての記憶が島の中で完結していたシグナにとって、”世界”とは島とそれを取り囲む水平線だけだった。海の向こうにもっと人がいるのだという、知らない世界があるのだという。けれども実際に見たことがなければ実感なんてわきやしない。
積み重なっていく形のない不安は恐怖となり、外と繋がることができないシグナはまともに立っていることさえできなかった。頭を空っぽにし、何も感じないようにしなければ孤独に気が触れてしまう。縋れるものは、結局巫女としての役目と舞だけだ。どこへもいけない堂々巡りの日々、サザントスと出会うまでは本当に虚ろだったかの日々。意味などあったのだろうかと、シグナはずっと考えていた。
だが、少なくともその答えは出たといってもいいだろう。
「あぁお姉さま方……シグナは今とても後悔しています、あの厳しい修練はこの旅のためにあったのですね……っ」
「馬車乗るか? 吐くほど揺れるが」
「乗る!! 吐いてもいい、足がくたくたなんでもの……」
もっとまじめにやっておけばよかった……!! とエドラスへの旅路でシグナは猛烈に理解した。島での生活と旅人としての生活では運動量があまりにも違いすぎるのだ……!
島を出てはじめてづくしの日々は、シグナに不安に思わせる暇もないほどに目まぐるしいものだった。初めて見る多くの人、初めて見る景色、初めて見る魔物、戦い方、魔法、その他諸々。そもそもエドラスへの道程を聞いた時、シグナはあまりの過酷さに絶句した。フラットランドまではよしとしよう、雪国フロストランドを越えて森林地帯のウッドランド、さらにエドラスはその先に峡谷地帯にあるという。「海からはいけないの?」と聞けば、「毎日戦をしてる国にそんな心の余裕はないし向こうに面が割れてる可能性があるから船は無理」と突っぱねられた。
幸い?なのは、「ただどうにせよ急ぎの旅であることには変わりない」とのことでリプルタイドからヴァローレ方向へいける船を使ってくれたことぐらいだ。その船での移動も海賊に襲われるわクラーケンは出てくるわのはちゃめちゃな船旅だったため、疲労度としてはまぁとんでもないので素直には喜べない。あの船旅で喜んでいたのは旅団のメンバーらしい優男みたいな顔した海賊?の人とか、姫騎士と呼ぶしかない姿をしていた元気で声の大きいお姉さんとかそのあたりだけ……であってほしかったがそこそこ殆どのメンバーが”ヒャッホウこれだから中つ海の航海(ショートカット)は面白い(リスキーだ)ぜ!!”なテンションだったので、思ったよりとんでもない集団についてきてしまったらしいことはシグナにも分かった。
そうしてようやっと地面についたと思いきや、今度は少し気を抜けば迷子になってしまいそうなウッドランドの森林が待っていたわけで。シグナは揺れる馬車に乗せてもらいようやっと一息ついた。吐かずには済んだが、ヴァローレについたころにはもう全身へなへなになっていた。こんな風になるなんて人生初のことだ、まったく外の世界は思ってた百倍は忙しない。
「つ、つかれた……」
旅団で取った今日の宿、シグナはベッドに吸い寄せられるように倒れ込み大きく息を吐いた。いつもより簡素なベッド、でも今は人生で一番求めたベッドだ。揺れない地面ってすばらしい。服も着替えず寝っ転がるなんてはしたないとは思ったが、もうそんなことは言ってられないぐらいにはヘトヘトなのだ。
「(でも、サザントス様はお一人でもっと過酷な旅をしているのよね)」
憧れるばかりのサザントスに対し、実感の籠った敬意を抱いたのはこの時が初めてだった。
旅、というのをシグナは少々甘く見ていたのだ。移動するだけで手いっぱいになっていたシグナだが、それ以外の食事や寝床の確保、日程の管理などは全部旅団側がどうにかしてくれているからこそ今こうしてぐったりできるわけで。そういった管理も、旅団は役割分担を決めて色んな人が手分けして行っていた。人が多い分量も多くなるのだろうが、量がへったとて一人きりで全部出来るかと言われたらシグナはNOだ。できない、絶対自分一人ではそんなことはできやしない。
これをずっと一人で長い間やっているのだ。サザントス様、凄すぎる。
「(頑張って追い付かなきゃ)」
ぎゅっと枕を抱きしめてシグナは想う。サザントスのように使命を果たして、サザントスのように正しいことを成すのだと。そのためにも選ばれし者と一緒に指輪を取り戻さないといけないし、それはそれとしてあの偽物野郎を見つけ出してぶん殴りたい。
島での生活とは違ってやることは沢山だ。それがなんだか嬉しいような、悩ましいような。
とはいってもまぁ実際疲れてはいるので。
「やっほ~シグナちゃん、生きてる~?」
「むりぃ……お腹すいたぁ……」
様子を見に来てくれた旅団の踊り子さんに外面を取り繕うことをさっくり忘れてしまった。「はっ!?」とシグナは慌てて起き上がるものの、今度は盛大にお腹がなってしまったので恥ずかしさに縮こまる。やってしまったぁ……! とおろおろしていると、「あははっすっぴんのシグナちゃんも可愛いのね」と踊り子さんに気遣われてしまった。
「もう、ポーラさんったら……あんまり笑わないでください、恥ずかしいです……っ」
「ごめんごめん、かわいくってつい。大丈夫、みんなには内緒にしておくよ。踊り子に秘密はつきものだからね」
「うぅ……ありがとうございます……」
踊り子さん……ポーラがウインクをしては明るい雰囲気で微笑む。旅団のメンバーをまだまだ覚えられていないシグナにとって、ポーラは比較的かなり早く顔と名前が一致したメンバーだった。何せこの暖かくて明るい空気で周りを振り回しているのだ、何が何でも覚えてしまう。よく選ばれし者の……団長のヨルンの傍にもいるのでそれもあってシグナがポーラを覚えるのは早かった。ポーラもシグナのことが気になるのかなにかと声をかけにくるので、外に知り合いがいないシグナにとってはありがたい存在だ。
「ご飯の準備が出来たから呼びに来たの。食べるでしょ? ウッドランドのご飯は美味しいよ~! お魚でしょ、お肉でしょ、果物でしょ~」
「いきますいきますっお話を聞いていたらまたお腹がなってしまうわ……っ」
外の世界は刺激でいっぱいだ。急がなければいけない旅でも、生きていればお腹は減るし美味しいものだって食べたくなる。シグナを悩ませる暇なんてこれっぽっちも与えてやくれないのだ。
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夕飯に向かうととあるテーブルに人だかりができていた。旅団のメンバーや、ここについたときに紹介されたバルジェロファミリーの人たちが集まっている。お酒や食事をしつつなにやら野次を飛ばしたり歓声が上がったりと騒がしい。「何をやっているの?」とすぐそばにいた狼のような銀髪の盗賊……副団長のクレスの裾を引っ張ると、「バケモン同士のじゃれあいを眺めてる」と苦笑しては件のテーブルに目をやった。
そこにはヨルンとバルジェロがカードを手に何かゲームをやっている姿があった。お互い感情の出ないタイプなのか素知らぬ顔をしているけれど、どことなくヨルンの方はあまり余裕がないというか頭を悩ませているようだ。お互い手元にあるカードを見ては、コインをやり取りしたり、あぁでもないこうでもないと二人して顔をしかめている。
「絵札合わせ、でしたか? 確かカードの内容で役が合って、強い方が勝ちっていう……」
「あぁ。あいつらがやってるのは、そのゲームにもう一つルールを足している。”お互いイカサマをしてもいい、ただしイカサマが相手に指摘された場合は負けになる”というやつをな」
なんとまぁ大変そうなゲームをやっている。そもそもイカサマとは見抜けるものなのかを聞けば、クレスは「出来なきゃ困る」と何とも言えない答えを返した。
「相棒、イカサマでも天然でも王のカード四枚出すのはやめてくれないか」
「さてな。どっちだと思う?」
「ぐぅ……っ、場にも王のカードはないしこっちにも来てないんだ、情報が……情報がない……っ」
なんともいえない苦悶の声を上げている姿にちょっと笑ってしまいそうになりつつも、「めちゃくちゃ苦しんでますね、選ばれし者」とクレスに状況説明を促す。
「今回の場合完全な運だからな。金も賭けてる分苦しいだろう」
「どうしてそんなことを……」
「俺がやらせている、あいつの訓練のためだ」
訓練? と聞けば、正真正銘”賭け”のためのものだとクレスは語る。
「指揮を執る以上、多くの情報を一人で処理しなければならなくなる。大きな決断も、あいつ一人で下さなければならない場面だって必ずやってくる。いざって時判断ができるよう練習させているんだ」
いかに場の状況を冷静に把握し、自分の手札に何があるのかを理解し、そして”どう行動するのか”。一人分の責任だけではなく多くの命を背負った上での決断を、彼は必ず要求される。冷静に考えていられるような状況じゃないめちゃくちゃな環境でもきちんと冷静でいられるよう、ああやって疑似的に負荷をかけて訓練しているのだという。
「何に関してもそうだが、人を率いて行動することに関してあいつはまだまだ素人だからな。色々やらせておくに越したことはない。……今は勝てなくてもいいんだ、これぐらいボコボコにされるぐらいでちょうどいい」
「スパルタ教育……」
「そ、んなことは……ないと思いたいが……」
ちょっと傷ついたのかクレスが尻すぼみになっていくと、ゲームテーブルのほうで歓声と悲鳴が上がった。どうやらバルジェロが勝ったらしい。と、いうことは先ほどの異様に強そうな手札は本物だったようだ。
「……まぁ、確かに今回は厳しすぎるかもしれないな。俺も今のはダウトだと思ったんだが、バルジェロあいつやばいな……あの王の手札自引きか……」
「だ、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だろ、あいつは勝負の引き際だけは本当によく出来ている。今だってほら、コインの数はヨルンの方が持ってるだろ」
言われてコインのほうへと目を向ければ、確かにコインはヨルンの方がわずかながらに上回っているように見える。バルジェロの豪運は読み切れていないが言い方を変えればそれだけで、どうやらうまいこと立ち回っているらしい。
「最終的な負けがないよう調整してやがる。まったく誰に習ったんだかな、いつか教えてほしいもんだ」
副団長であるクレスからしてみてもヨルンは結構謎な存在らしいことに不思議なものを感じながらも、美味しそうな香草焼きの香りを感じてシグナは自分はここに来た理由を思い出した。ポーラに呼ばれてテーブルに向かうところで、シグナはゲームテーブルの方をもう一度見る。
確かにシグナも、彼が護衛を仕事にしてることぐらいしか知らない。指輪の重要性は理解しているようだし、聖火教に関してもそれなりに分かっているのも立ち振る舞いでわかる。でも、それだけだ。
まぁ使命をきっちり理解しているし、今回だってきちんと急ぎながらも体が壊れないようにやってるあたりちゃんと真剣なのも分かっている。シグナにとっては、それぐらいでも十分なわけなのだが。
「(変な人。)」
サザントスよりもヨルンの方に目をやった聖火神さまは、ちょっと変なのかもしれないなとシグナは不敬を感じつつもそう思うのであった。