待ちあわせ - 中編「クレカ決済ってさぁ、ぶっちゃけ明細見ることってないよね」
「出たよ、金持ち自慢」
「硝子だってそれなりに高給取りでしょ」
「それなりとか言ってくる時点で次元が違うって話だよ」
はぁ、とため息を吐きながら手元の封筒をパタつかせていると、いつもの通り温度のない声音で返事を返される。昔からこうだ。会話に付き合ってくれるようで素っ気ない。だがその距離感がなんだかんだ居心地の良い物で、僕は壁に背中をつけたままだらん、と全身を脱力させた。
なんてことはない、いつもの日常であった。学生たちに授業をして、体術訓練の指揮を取って、途中で任務のために抜けて、戻ってきて。ついでとばかりに寄り道した仮初の住まいにはこれでもかというほど郵便物が溜まっていたものだから、とりあえず適当に束を引っ掴んで高専まで帰ってきたのである。
支払い関係は全て自動引き落としにしているため、何かしらの請求書が入ることもない。届くものなんてこうした明細や受領書、どこから知ったのか慈善団体からの寄付ご案内封筒ぐらいだ。とはいえここまで溜め込んでしまったものだから、とりあえず見るだけ見ておくかと手始めに束の一番上にあったクレカ明細を手に取り話題に出してみたのだが、どうやらこれは不評だったらしい。ちぇー、と思いつつ封を開けると、折り畳まれた紙が三枚確認できた。
「はい、買った。買った。これも買った。ん? これ何? あ、りっぱ寿司のやつか。買った。買った。買った」
「うるさいよ」
「いーじゃん別に。賑やかな方が楽しくない?」
「知ってるかい、それは賑やかじゃなくて騒音って言うんだよ」
「知らなぁい。買った、買った……ん?」
硝子の言葉をさらっと流すと、視界に妙な文字列が飛び込んできた。なんだろうこれは。
「NTT、六百円……?」
「なんだ、ピッチでも持ってるのかい」
「そんなわけないじゃん。てか僕の携帯、ソフバンだし」
全く身に覚えのない明細に僕は首を横に傾ける。六百円。別に大した額でもないから突き止めなくていいと言えばいいのだけれど。だが身に覚えがなさすぎて非常に落ち着かない。もやもやした気持ちが気持ち悪く、あぁ気がつかなければよかったなんて思いながらも、気がついてしまったのだから仕方がないのだ。
「ねぇ、電話料金以外でNTTってありえる?」
「私が知るわけないだろ。でも電話会社なんだから、それ以外なくないか?」
「だよねぇ。でもさぁ、六百円って安すぎない? まじでピッチ?」
「まぁピッチの方が高いとは思うけどね」
「だよねぇ。じゃあなんだろ……ん……?」
心当たりを探るためと考え込んだ直後、そういえばと既視感に襲われる。そう、つい昨日もこんな気持ちに襲われたのだ。どこか懐かしいような、けれど心当たりがなく思い出せずで、結果そのまま眠ってしまったのだけれど。
ポケットから取り出した携帯の液晶をつけて、僕は再び『それ』の画面を開く。迷惑メールぐらいしか届かない、緑色のメッセージボタンだ。
『6月12日 19時 山の麓』
──やっぱりだ。何か思い出すようで思い出せないようで、ひどくもやもやするこの感じ。同じだと思いながら僕はその画面と明細書の文字とを見比べっこし続ける。もしかしてアイマスクのせいかと思い、外した状態でもまた目を凝らしてみるが、結果は変わらずじまいだった。
あぁ、なんだろう。そこまで記憶力は悪くない方だと思っていたのだけれど。随分と昔に理由があるのだろうか。五年前とか、十年前とか。もしくはそれよりも前、学生時代か?
「ねー、硝子」
「なに」
「僕って学生時代、メールしまくってた記憶ある?」
「いや、全く」
「だよねぇ〜。じゃあさ、なんかハマってたテレビドラマとかなかった?」
「それこそ私が知るわけない話だな」
「ですよねぇ〜」
はい、詰んだ。僕は両手を上げてお手上げです! のポーズを取ったまま顔の上に明細書を乗せて目を閉じた。ここまで思い出せないのだからもう無理だろう。そして再び僕は昨夜の悩みを引きずり出すことになる。
六月十二日。それはまさに今日、当日を示している。山の麓という単語にも聞き覚えがある。というか多分、高専に進む道の入り口のことだろう。つまり、これがいわゆる『デートのお誘い』とやらであれば、十九時に僕はその場所へ行くべきなのだろう。
と言っても、僕はこのメールに心当たりがないし、これが『人間』から送られてきたものなのかどうかだって怪しい。となれば行かない選択肢一択になるはずなのだが、どうしたってこのもやもやがその決断を邪魔してくるのだ。うぅん、うぅんと唸り声を上げ続けていると「そういえば」と硝子が思いついたように口を開いた。
「えっ、なに? なになに?」
「五条、一時期ずっと携帯いじってたよね」
「え、うそ。そうだったっけ」
「高専卒業したかどうかって時期だったかな。何人かでご飯食べに行っても、一人だけテーブルの上に携帯置いて」
「……そうだっけ?」
「誰かからの連絡でも待ってたのかと思ってたんだけど、それにしては五条の携帯が鳴ったところって見たことなかったから。まぁ片想いだったんだろってことで話は終わったんだけどさ」
「え、待って。なにその話知らないんだけど」
「そりゃ、本人を前に噂話はしないだろ」
「えー……そんな言われるまで……?」
そんな色恋事情など全くもって記憶にないのだが、周りが誤解するほどであれば相当だったのだろう。一体当時の僕は何を待っていたというのだろうか──卒業したか、どうか?
「……ねぇ、それってつまり、二十歳かそこらの話だよね?」
「ん? あー、そうじゃないか? 酒は飲んでたと思うよ」
「…………あ」
八年前。携帯。ピッチ。
全ての単語が繋がり、僕は慌てて明細の文字を見直した。NTTからの請求、月六百円。そうか。これはあの時のものだ。
訪ねて行った築年数の古いアパートと、入り口で交わした会話。連絡を取る手段がないことに気がついたと同時に駆け込んだ携帯ショップ、キッズケータイ。
電話してきていいのだとどれだけ言い含めても鳴らされることのなかった携帯に、こちらから一方的に送り続けるだけのSMS。
あぁ、そうだ。そうだった。このメッセージは、ずっと待ち望んできた彼からの『待ちあわせ』だったのだ。
「……ねぇ、硝子」
「ん?」
「八年……いや、七年越し? に叶った念願ってさぁ、本気出していいよね?」
「はぁ? 何の話だ」
何を言っているのかわからないと言わんばかりの声音に、僕は自然と含み笑いを浮かべる。そうして放り投げていた郵便物を束ごと抱えると、未だ怪訝そうな顔つきをしている彼女に向かって、見えないウィンクをかまして見せた。
「可愛い子からの、デートのお誘い♡」
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